狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

琉球新報と沖縄タイムス 元旦社説読み比べ 

2008-01-03 09:49:00 | 未分類

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

申し訳ありませんが新年早々、又しても記事消失事故です。

昨年末も2度ほど消失しましたが、原因不明です。

再エントリの)気力も喪失ですので、琉球新報、沖縄タイムスの元旦社説を掲載しておきます。

ちなみにエントリ内容は両社説の批判記事でした。

地元紙をボロクソに書いたからって勝手に削除されるわけはないと思うのですが。

明日気を取り直して再チャレンジしてみようと思っています。

                      ◇

◆琉球新報社説(1月1日)

新年を迎えて 真の「癒やしの島」を/将来像は一人一人の英知で   新しい年が明けた。初詣での老若男女の華やいだ群れがテレビに映し出される。いつもの穏やかな正月の風景に安堵(あんど)する。人々は何を祈り、どんな願いを秘めて新年の扉を開いたのだろうか。
 振り返れば、昨年は日本社会がわたしたちが望まない形の、あらぬ方向へ変化しつつあることを強く印象付けられた1年だった。
 「政治とカネ」をめぐる不祥事が相次いだ。政治家の度重なる失言は強い反発を買った。防衛装備の汚職事件が発覚。食品偽装も後を絶たなかった。
 かつて自明の理であったはずの倫理観や道徳観といったものが揺らぎ始めている。他者への配慮や目配りなどを欠いた意識や風潮がはびこる。

脅かされる美質
 社会の根っこにある善良性、良識などの美質が脅かされているのではないか。あしき兆しを多くの国民が感じ始めている。
 言い換えれば、社会を支える目に見えないシステム、大切なつっかい棒が危うくなりつつあることへの不安感である。効率至上主義と軌を一にしている動き、流れなのだろうか。社会の健全な常識をむしばんでいるこの空気は、断ち切らねばならない。
 国民を不安に陥れた最たるものが年金記録の不備問題だ。国民の怒りにどう向き合い、誠実に対応していくのか、正念場だ。
 2009年度には基礎年金の国庫負担率が引き上げられる。年金は猶予が許されない課題だ。わたしたちの老後の安心、生活設計を大きく左右する年金制度の盤石な体制をつくり上げ、再構築していくことは政府、政治に課せられた責任である。
 「民意」がいかに重要であるかを、あらためて思い知る年でもあった。
 自民党が参院選で歴史的惨敗を喫し、民主党が第一党に躍進。国会運営は与野党の主導権が衆参両院で異なる「ねじれ国会」の新たな状況が生まれた。
 民意が与えた「ねじれ国会」は政治に本来あるべき緊張感をよみがえらせた。従来のように提出法案がすんなり通らなくなった状況を異常ととらえる声が、政界など一部から漏れる。
 しかし、それは、的はずれの議論だ。国民の目線に沿った政策論議を、国会はかつてなく意識して臨まなければならない雰囲気が生まれている。結果的に財源の問題を含め、白熱した論戦が展開されるようになった。ねじれを歓迎し評価する有権者は決して少なくない。与野党が政局の思惑や党利党略にがんじがらめになっていては国民の支持は得られまい。生活者の目線に立って話し合う仕組みを構築してもらいたい。

選挙は民意の形成
 民意の形成は結局、投票に行き着く。衆院解散・総選挙が年内に行われる可能性は高い。投票に行かずに「政治が悪い」とぼやいても何も始まらない。そのことを胸の奥深く刻んでおきたい。
 沖縄が「癒やしの島」ともてはやされるようになったのは、いつごろからだろうか。ゆったりと時間が流れ、あくせくせずに物事に対処する柔らかな精神性は、寛容さにつながる。それらが美しい自然と相まって発揮され、沖縄を訪れる者に居心地の良さを感じさせるようだ。観光にも貢献しているのは疑いない。
 けれど当のウチナーンチュ自身は「癒やしの島」を実感しているだろうか。「癒やし」が生活に反映され、その恵みを享受していると言えるか。
 米軍機の爆音禍、パラシュート降下訓練による危険性の増大と拡散、最新鋭戦闘機の一時配備や外来機の飛来など、基地に苦しめられる「軍事の島」の実態は相も変わらない。
 政府は県民の負担軽減で際立つ鈍感さとは裏腹に日米合意を金科玉条にかざし、日米軍事一体化路線になりふり構わない。普天間飛行場の移設作業が着々と進み、2月には環境影響評価(アセスメント)調査が着手される。
 県民や地元の意向が置き去りにされ、一方的に事が進められていいわけがない。癒やしに一番似つかわしくないのが米軍基地だ。負担軽減に逆行する動きに対し、もっと声を張り上げ、明確な意思を示したい。
 沖縄振興計画は既に後半に入っている。県民一人一人が英知を傾けて将来像、針路を描くための足掛かりを築く年でありたい。

 (1/1 9:41)

 

◆沖縄タイムス社説(2008年1月1日朝刊)

【将来像】開発主義を見直したい


得たもの失われたもの

 山田實さんの写真集『こどもたちのオキナワ 1955―1965』は、何度見ても飽きない本だ。

 子どもたちの表情がいい。キビ刈りを手伝う子ども。水くみをしている子ども。幼い弟や妹を背中におぶって遊んでいる子ども。山田さんは、一こま一こまを「胸を熱くしながら撮り続けた」という。

 子どもであろうが家事や仕事の手伝いをするのは当たり前の時代だった。

 本土との歴然とした格差と米軍統治という政治的現実が、本土へのあこがれを生んだ時代でもあった。

 写真集をめくっていて、懐かしさとともに押し寄せてくるのは「はるけくもきつるものかな」という感慨である。いったい当時、誰が今の日本や沖縄を想像できただろうか。

 高度成長下に培われた進歩への確信や右肩上がりの成長神話は、一九九〇年代初めにもろくも崩れた。

 冷戦が崩壊したことによる最大の変化は、市場原理が世界を覆い尽くしたことだろう。ヒト・モノ・カネのグローバル化が経済を活性化させことは否定できないが、それによって失われたものも大きい。

 地方都市はどこも大型商業施設とコンビニとファスト・フード店の並ぶ似たような街並みになった。その一方で、旧商店街は空洞化し、シャッター通りと化している。

 貧乏から解放されたはずの社会で、働いても働いても生活の質が向上せず、社会的な上昇も見込めないような新たな階層が生まれている。社会保障制度が行き詰まり、多くの人たちが将来への不安を抱いている。経済格差の拡大で中流層が分解し、地域間格差も広がった。

 思いやりや助け合いが薄らぎ、「自己責任」「クレーマー」「厳罰化」というような、ひりひりする言葉が飛び交っている。私たちが望んでいた社会はそんな社会ではなかったはずだ。

 方向性の定まらない漂流感が日本の社会を覆っているように見える。


大切なのは「生活の質」


 社会の構造変化は沖縄においても顕著だ。都市部では、地域との濃密なつながりで成り立っていたマチヤ(雑貨店)が消滅し、隣近所付き合いもめっきり減った。

 グローバル化に伴う効率化・均質化の波は、ウチナーンチュの生活のスタイルを変え、自然とのつながりを希薄にしつつある。地域の祭祀が廃れていけば、さらに大きな変化を被ることになるだろう。

 沖縄県は復帰後、住民の利便性向上と産業基盤の整備、雇用拡大のためにさまざまな公共事業を誘致してきた。利便性の向上は、ある時期までは生活の質の向上とほぼイコールの関係にあった。生活基盤の整備が著しく立ち遅れていた沖縄では、それが地域の「発展」を意味していた。

 だが、利便性を高めることが直ちに生活の質の向上につながるかといえばそうでもないことが次第に明らかになってきた。

 利便性を高めるための大型公共事業によって地域固有の「相互扶助と共同性」が崩れ、掛け替えのない自然環境が破壊されれば、生活の質はむしろ低下する可能性が高い。

 地域に住む人々にとって「豊かさ」とは何なのか。社会の構造変化を見据えて沖縄の将来像をどう構想するか。あらためて問い直すべき時である。


構想力を鍛え上げよう


 朝日新聞社と沖縄タイムス社が昨年、復帰三十五周年にちなんで実施した県民世論調査で、興味深い結果が出た。沖縄の経済振興に、より重要と思う要素は何かとの問いに対し、「国の支援」と答えた人が37%、「県民の努力」と答えた人が48%だった。

 国への依存体質が自立の妨げになっているという見方が広がりつつあるのだ。この意識変化を危機感の表れだと受け止めたい。

 開発主義に対する反省と国依存体質からの脱却。この二つの課題を達成する方向に沖縄社会の構造を転換していく必要がある。

 この二つは、長いこと沖縄のアポリア(克服しがたい矛盾)のようにみなされてきた。頭の体操、思考実験でもいいと思う。既成概念やしがらみにとらわれない自由な発想でアポリアに挑戦し、構想力を鍛え上げることが大切だ。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (4)