狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄にも佐藤優バブルが!

2008-01-08 06:43:26 | 教科書

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バブル景気といっても色々あって、日本を空白の10年に落とし込んだ「土地バブル」、更にに歴史を遡ればオランダのチューリップ・バブル、そして最近ではインターネット・バブル

だが、いろんなブルがあっても佐藤優バブルまであったとは寡聞にして知らなかった。

だが、佐藤優バブルと言っても佐藤優という同姓同名の人物が突然異常増殖したというわけではないらしい。

命名者の池田信夫氏によると、佐藤優バブルとは、『国家の罠』で一躍論壇の寵児となった起訴休職外務事務官という長ったらしい肩書の佐藤優氏が、

頻繁にというより無節操に出版物を出しその中身が薄くなって来たことを指す。

彼の初期の作品には一応評価しながらも、最近の著書『国家論』に対しては池田氏は手厳しく批判している。

 

国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス 1100)
佐藤 優
日本放送出版協会

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≪「国家論」と銘打っているのに、いきなり無関係な三位一体論の解説が延々と続き、『資本論』によって国家を論じるが、その解釈は宇野弘蔵。あとは柄谷行人やカール・バルトなどが脈絡なく出てきて、結論は「日本社会を強化するには、お互いに協力しあうことが必要だ」。これほど支離滅裂で無内容な本はまれにみるので、栄えある今年のワースト1にあげておこう。≫

池田氏は、佐藤優氏が「もう貯金を使い果たしたため」、国家論という社会科学の中でも一番むずかしいテーマを古臭い唯物論で語ろうとすることを、「めくら蛇におじず」と斬って捨てている。

更に、経済学の知識がまったく欠けているのに、彼のマルクス解釈に依存したアプローチを、陳腐な社民主義と批判し、結局は佐藤氏の「地アタマ」の限界だという。

もうそろそろ佐藤優バブルも崩壊だともいう。

                       ◇

 

 

恥ずかしながら去年までは佐藤優氏が沖縄に関係のある人物だとは知らなかった。

当然あの有名な佐藤優氏が沖縄マスコミの論壇に登場するなど夢想だにしなかった。

ところが昨年の「教科書検定意見撤回」運動で沖縄メディアが異常に騒ぎ出した頃から、

何故か佐藤氏は頻繁に沖縄メディアに登場し、講演会をしたり新聞に寄稿をしたりするようになり、沖縄の血を引いていることを強調し始めた。

佐藤バブルの結果、今まで省みなかった沖縄の歴史や教科書問題に無節操にも手を出してきたのか。

やはり貯金を使い果たした結果、急遽メディアが注目する沖縄に焦点を当てたのだろうか。

言うまでもないが、「貯金を使い果たした」とは佐藤氏が貧乏になったという意味ではなく、彼の外務省での経験や裁判での経験を通して蓄積した知識の貯金を使い果たしたということである。

案の定、沖縄の「集団自決」に関する「教科書問題」では不勉強を丸出しのトンデモ発言の連続だった。⇒佐藤優氏の歴史認識の誤り 保革超えた政治闘争?

池田氏が指摘するように、めくら蛇におじずなのか、それともやはり「地アタマ」の限界なのだろうか。

                      ◇

 

今年は琉球新報に毎週一回の割りでコラムを書くという。

題して『佐藤優のウチなー評論』

その第一回目が、1月5日に掲載された。

一回目の見出しが、

<色眼鏡(上)> 

<誰もが持つ「フィルター」>。

テキスト化は面倒なので省略するが、一言で言えば去年地元紙や講演会で発言した「集団自決」や「教科書」に関する事実誤認や自身の不勉強に対する、弁解と開き直りである。

彼の母親が沖縄出身であることを強調し、連載では彼なりの「沖縄という『色眼鏡』をかけて評論するという。

<恐らく、この「色眼鏡」には、本紙の平均的読者と同じ部分もあれば、違う部分もある。>(ウチナー評論)

いや、そうではあるまい。

彼の「色眼鏡」は琉球新報の平均的読者以上に色が濃く、読者以上に事実を見誤っているではないか。

「集団自決」に関する「教科書問題」に対する佐藤氏の理解は、平均的琉球新報読者以下であることは次の発言を見れば自明である。

 
保革超えた政治闘争必要/佐藤優氏、那覇で講演(沖縄タイムス 2007年9月1日)
(略)起訴休職中の外務事務官の佐藤優氏が講演し、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張した
(略)

彼の「集団自決」や「教科書問題」に関する発言で致命的なのは、その論拠を全て沖縄タイムス、琉球新報,特に『鉄の暴風』に求めていることにある。

「ウチナー評論」の第一回では、彼の沖縄歴史論が、沖縄タイムスという濃厚な色眼鏡を通してのみ語られているのを開き直って事前弁解している。

佐藤氏は、沖縄戦の実態を記した『鉄の暴風』を例に「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたことに、それ以外の人たちがアンチを言うのは世界でも珍しい。歴史認識の問題というより、レベルの低い話だ」と強調した。(同上)

 

『鉄の暴風』がつくりあげた「沖縄戦」以外はレベルが低く、反論はまかりならぬ。

やはり、このお方「めくら蛇・・・」か「地アタマ」の限界なのだろう。
 

参考エントリ: 教科書は人民裁判で 「佐藤優の教科書論」

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国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫 さ 62-1)
佐藤 優
新潮社

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