沖縄語の「ユーレー」(寄り合い⇒模合⇒頼母子講)が死語になりつつあると書いたが、
同じく死語になりつつある言葉の「スーマンボース」が今日から始まる。
今日(5月21日頃)は二十四節気の1つ小満(しょうまん)という。
この日から芒種(ぼうしゅ)までの期間を沖縄では「スーマンボース」というが、ウチナンチュといえども、50代以下の人には聞いたことも無い人が多いだろう。
「 スーマンボースーヌ アミヌ フイチジチュン」といっても意味不明だが、
「小満(しょうまん)芒種(ぼうしゅ)の雨(あみ)が降り(ふい)続く(チジチュン)」書き換えれば何とか判読できるだろう。
そう、小満芒種とは沖縄で梅雨期にあたる季節。
小満とは「草木枝葉繁る」、「麦畑が緑黄色に色づき始める」といったさわやかな季節を意味するようだが、
沖縄では一足お先に鬱陶しい入梅となる。(気象庁の入梅宣言とは別)
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戦の現実子どもに 日教組の若手教諭ら戦跡で平和学習(2008.5.19)
山本隆司沖教組教文部長の説明を聞く大阪府教組の教師ら=18日、読谷村のチビチリガマ
5・15平和行進へ参加するため全国から集まった日本教職員組合の会員約200人は18日、沖縄戦についての理解を深め、今後の平和学習に役立てようと南城市のアブチラガマなどを巡る南部コースと読谷村のチビチリガマなどを巡る中部コースの二手に分かれ、野外現地調査を行った。
中部コースには大阪府教職員組合の20代、30代の教師を中心に約120人が参加。案内をした沖教組の山本隆司教文部長は読谷村のガマを案内し、平和学習の模擬授業を行った。
山本さんはチビチリガマでの「集団自決」について「捕虜になることの恐怖や『日本人らしく死ぬ』ことを強制する当時の教育が背景にあった」と説明した。対照的に米兵の呼び掛けに応じてガマを出たため、避難していた約1000人が助かった同村のシムクガマ、1人の死者も出さずガマの中で2人の子どもが誕生したうるま市のヌチシヌジガマも訪れた。
和泉市立南松尾小学校の金谷一基教諭(38)は「沖縄で何度も戦跡巡りをしているが、南部戦跡が中心で悲惨な話ばかりだった。ヌチシヌジガマのような全員の命を守り赤ちゃんまで生まれたガマがあることを初めて知った」と感慨深そうに述べた。
山本さんは「戦争体験をしていないわたしたちは事実関係を淡々と伝え、生徒たちにどう思うか問い掛ける授業をするべきだ」と指摘し、「子どもたちは63年前の戦争の話を聞くことで今をどう生きるか考えることができる」と強調した。
初めて沖縄での平和学習に参加した大阪市立三津屋小学校の岡崎淳子教諭(27)は「自分があまりにも沖縄戦について知らなかったことを知りショック。また訪れて勉強したい」と述べ、大阪市立長吉六反小学校の佐伯直美教諭は「自分が感じたことを生徒に伝えたい。機会があったら生徒にもぜひ沖縄での平和学習に参加してもらいたい」と話した。
◇
地元紙もここのところ「集団自決」に関しては開店休業の状態だが、上記は日教組の教師達が生徒達を洗脳するための研修会をしている模様を伝える「教育面」の記事。
「軍命あり派」は水面下で動いているようで、東京で大城将保(嶋 津与志)氏の講演会、映写会等を活発に行っている模様。
「GAMA―月桃の花」上映会 ~「沖縄のこころ」を伝えたい~
日時:5月24日(土)
場所:大田区民センター 音楽ホール
第一回上映10:30~ 大城将保先生講演12:30~ 第二回上映14:30~
料金: 大人1000円-当日1300円 大学生以下800円-当日1000円
主催 : 大学生の「GAMA-月桃の花」上映実行委員会
後援 : 高文研 沖縄タイムス社 琉球新報社
協賛 : 大田区教育委員会
■映画「GAMA-月桃の花」
文部省選定
沖縄県・沖縄県教育委員会推薦
地元でも中学生や高校生を「平和学習」でコツコツと洗脳しているので、見出しだけを拾っておく。
「沖縄戦を知ってほしい」 沖尚→兵庫・野々池中、平和学習講演(2008.5.19)
戦争の記憶後世に 平和絵本3冊発行(2008.5.16)
「集団自決」問題で資料集 教科書検定の経緯集約(2008.5.2)
県民大会体験報告へ 北部農林高生、全国サミット参加(2008.4.29)
「集団自決」伝え継ぐ
体験者の金城さん講話
キリ学新入生 渡嘉敷合宿で
琉球新報によると、沖縄キリスト教学院大学・短期大学の2008年度新入生オリエンテーションキャンプが渡嘉敷島で開かれ新入生や教職員ら約400人が参加し、金城重明氏が「平和学習」で講演をしたという。
金城氏は「集団自決」で自分の親兄弟を殺した悲劇の主人公として紹介されているが、彼がその現場で他人を撲殺して廻っていたことを報じるマスコミは殆どない。
特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか
(略)
修羅場と化した西山盆地
それからウシたち親子四人は、なんとか生きようと思い、谷間のほうへ下りて行った。
◇
ここに描かれているのは「自決決行者」が、軍の命令で配給された手榴弾で自決して果てるのではなく、パニックになった住民が棍棒や農具で女・子供を殺して廻る凄惨な場面である。
事実、金城重明氏も手榴弾など配給されておらず、棍棒等で肉親を殺したあげく、関係ない他人まで撲殺して廻っていた。
「集団自決」の生存者というと手榴弾の不発等で死にきれなかった人たち、
と考えがちだがが、実際は金城氏のように女子供を殺して廻って自分は死にきれずに生き残ったという例も多い。
戦争が終わり、正常な社会に復帰して生きていくには、自分の犯した「原罪」への贖罪意識から逃れるために、どうしても「軍の命令」が必要だった。
彼らが戦後生きぬいていくためには、「(集団自決は)軍の命令で止むを得なかった」という神話が必要であり、それには「鬼の赤松」が必要であった。
以下は金城氏証言「集団自決は家族への愛」よりの抜粋です。
渡嘉敷島で「集団自決」を体験し、生き延びた金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(78)が岩波側の証人として出廷。「(島に駐留していた)赤松嘉次隊長が指揮する軍の命令なしに『集団自決』は起こり得なかった」として、日本軍の強制を証言した。
(略)
当時16歳だった金城さんも母と妹、弟を手にかけた。 軍の命令で陣地近くに集められていた金城さんら住民の下に軍の自決命令が出たようだとの話が伝わり、村長の「天皇陛下万歳」の号令で「集団自決」を始めたと具体的に証言した。
「『天皇―』は玉砕の掛け声。村長が独断で自決を命じるなどあり得ず、軍命が出たということ」とし「集団自決」の直接の引き金に軍の強制があったと明言した。
金城さんは家族を手にかけた時の気持ちについて、「米軍が上陸し、(惨殺されるかもしれないという思いで)生きていることが非常な恐怖で、愛するがゆえに殺した」と語った。
(略) 原告代理人は会見で「村長が自決命令を出すはずはなく、軍命だったという金城氏の証言は推論にすぎない」などとして「金城氏は集団自決の隊長命令を語る証人として資格がないことがはっきりした」と述べた。
(琉球新報 9/11 9:38)
◇
■軍命令はすべて推論■
軍命令をにおわす証言については、金城氏はこれまでいろんな場面で証言しており、それが62年も経った今頃になって新しい証言が出たらかえって信憑性を疑われるだろう。
ただ、新しいといえば吉川勇助氏の証言を法廷で自分の証言の「軍命令あり」の推論の補強に使ったぐらいだろう。
結局、金城証言のどこを見ても「軍命があった」という「体験者」としての証言は無い。
琉球新報が「軍命あり」と断定する部分は次の点だろう。
①村長が音頭を取った「天皇陛下万歳」とは玉砕の掛け声。 村長が独断で自決命令を出すのはありえず、軍から命令が出たということ。
②村長が「天皇陛下万歳」唱える前、軍の陣地から伝令の防衛隊員が来て、村長の耳元で何かを伝えたとの事だが、軍の命令が伝えられ、村長が号令を書けたことが分かった。
③軍から手りゅう弾が配られた。
>村長が独断で自決命令を出すのはありえず、軍から命令が出たということ。
「Aが○○をすることはあり得ないから、Bがやったに違いない」。
これは原告弁護団がいみじくも言うように金城氏の「推論」である。
■伝聞の又伝聞■
>村長の耳元で何かを伝えたとの事だが、軍の命令が伝えられ、村長が号令を書けたことが分かった。
結局金城氏は軍の命令を直接聞いていないが、他人の伝聞、それも「耳打ちしたのを見た」であり、耳内の内容を聞いたわけでも無い伝聞のその又伝聞を自分の「推論」の補強にしているに過ぎない。
おまけにその耳内を目撃した吉川勇助氏の証言によると、耳打ちの最中にすさまじい迫撃砲や艦砲射撃の爆発音も聞いている。
その伝聞の伝聞さえ爆音で消されているのである。
≪不意に軍の陣地方向から現れた防衛隊員が、村長に何かを耳打ちしているのに気付いた。迫撃砲や艦砲射撃のすさまじい音と爆発の音、防衛隊員が村長に何を伝えたか、勇助の所までは聞こえない。≫。(9)防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」
このような状況での「耳打ち」を目撃した吉川証言に頼らざるを得ないほど金城氏は「隊長軍命令」を語るには不適格なのである。
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以上地獄を見た二人 雉も鳴かずば・・・より抜粋加筆で引用。 |
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