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「沖縄集団自決冤罪訴訟」の控訴審、第一回期日が6月25日(水)午後2時より大阪高等裁判所で行われる。
◇
控訴審を一ヵ月後に控えた5月25日の沖縄タイムスに興味深い対談記事が掲載された。
新・旧版の『母の遺したもの」の著者で係争中の裁判では被告側証人にもなっている宮城晴美氏と沖縄タイムス編集局長諸味里道浩氏との対談である。
「集団自決」における日本軍の加害性については、宮城晴美氏を始め「軍命あり派」が繰り返し主張してきたことであり教科書への記述もこの日本軍の加害性が論点となってきた。
一方、これと対極をなすのが被害者としての住民。
宮城氏もこの「日本軍=加害者、住民=被害者」の構図を主張してきた。
だが、ここに来て「軍命あり派」に一体何があったのか。
驚いたことに、日本軍の加害性追及の中心である沖縄タイムスとその先棒を担いできた宮城晴美氏が、住民の「加害性」についての分析が必要と言い始めたのだ。
来るべき控訴審を前に、作戦を変えてきたのだ。
以下に5月25日沖縄タイムスの対談記事を一部抜粋引用する。
≪肉親の戦争記憶継承を
諸味里:・・・戦後60年過ぎ、いま体験者の継承をどう考えますか。
宮城」:被害者としての戦争体験とは異なり、そこには加害性が加わってきます。 親族で手をかけた。 それだけにくくもっている(ママ)ところがあってなかなか証言できない。 戦後60年が過ぎて、もう封じられていくのか、という思いが島にはありました。 だからでしょうか、ずっと拒否してきた人も話始めました。 (略)
私は体験を語らない祖父母をずっと生活の中で見てきました。 そこでは祖母が夫に対して「人殺し」と、山羊の首を切るときに「首切り専門だ」と祖父に聞こえるように語る。 実際には、祖母自身すごい罪悪感を持っている。 この気持ちは夫にしかぶつけようがない。 二人は体験を共有している。 そのことが逆にきついのです。 その二人を孫である私は見ている。 あそこで何があったのかは当事者では語れない。 戦後世代の役割は、肉親の記憶を継承していくことです。≫
タイトルの「肉親の戦争記憶継承を」はいかにもそれらしいが、次のタイトル「加害」の構図 分析必要には一瞬我が目を疑った。
これまでいわゆる「軍命あり派」とされる人の発言では、「加害者」とか「加害性」というと、対句のように「日本軍」が出てきた。
住民は決まって「被害者」や「被害性」のある側として描かれてきた。
宮城晴美氏は今まで触れることの無かった祖父母の「人殺し」をカミングアウトしてしまったのだ。
引き続き対談の後半を引用する。
≪「加害」の構図 分析必要
宮城:・・・(略)・・・母の日記に日本軍の負の要素が出てこないのはおかしい、と言ったら、母はあなたがいたら自分以上に殺したと思うよ、と話していました。 そうなのかも知れません。 母の中には日本人への強い思いがあり、友軍に批判的なことは言えない、ははの限界を感じています。
*
諸味里:どのような調査をしていくのですか。
宮城:集団自決」には、加害者の問題が含まれてきます。 座間味ではそれぞれの濠で起きました。 女、子供たちだけの所帯は自分たちではできないから、親せきの、男がいるところへ押しかけて行く。 でも断られる。 男がいる所帯ほど犠牲が起きる。 自決を住民が受け入れることによる、かっこ付きの「加害性」です。 日本軍の命令に対する隷属性が、結局、自分の家族に対する「加害性」をつくりだしていく。 家族の中でも弱いものへ向かう。 幼い子供、妻げ、最後に自分に。 騒いだ母親、次に直接手を下した父親。 その上に日本軍がいる。 日本人対沖縄、軍隊対住民、家庭の中の男対女、親と子供などさまざまな要素がそこにはあります。(略)≫
「上には日本軍がいた」、と苦しい弁明をしながらも、「集団自決」の体験者とは単に自分が死にきれなかた人ではなく、殺し合いで自分は生き残った人だと宮城氏は告白する。
だが、これは当日記が再三指摘してきたことだ。
自由主義史観研究会機関紙『歴史と教育』(6月号)で、次のようなことを書いている。⇒『証言を阻む南の島の呪縛』
≪加害者と被害者の思惑〉
集団自決といっても、座間味島の場合、手榴弾による自決者は暴発による犠牲者が数名だけで、他は農具等による殺し合いが主であり、自決を「手伝った人」も多くいた。そして生存者の中には、自らが被害者であり、また、加害者の立場に立たされた人が多くいた。
この三つの思惑を見事に一致させる唯一のキーワードが「軍の命令」である。「軍の命令」さえあれば、自決の「手伝い」をした生存者は、贖罪意識のいくらかは救われる。≫
そして文の結びで次のように書いた。
≪集団自決の生存者は、単に死にきれなかった人たちだけではなく、金城氏や山城氏のように、他人の自決を「手助け」したり、自決に誘導した人が大勢いる。
集団自決の真相は、これら生存者の証言に絡みつく濃密な共同体の呪縛と、死んだ人への贖罪意識を抜きにしては解明できない≫
この文は自由主義史観研究会の公式HPに22日に公開された。(。⇒『証言を阻む南の島の呪縛』)
25日の宮城晴美氏の対談記事はどう見ても拙文の指摘「住民の加害者の立場」を読んで、前もってアリバイつくりをしたとしか思えない。
何しろ自分自身の祖父母の「行為」を加害者としての告白をしたのだ。
日本軍=加害者、住民=被害者という従来の自説を大きく変えて、住民の加害者としての立場を分析すべきだというのである。
これまで被告側を支持する沖縄タイムスは「不都合な証言」は全て黙殺することで第一審を乗り切ってきた。
22日に自由義史観研究会のHPで拙文が公開され、
「集団自決といっても、生存者の中には、自らが被害者であり、また、加害者の立場に立たされた人が多くいた」
と指摘され、宮城氏は祖父母の「加害性」を含む体験者の証言を前もって、「カミングアップ」してアリバイ作りをしようと思ったのだろうか。
山城安次郎氏(当時の座間味村助役)と大田良博記者(『鉄の暴風』の著者』)は、
一体何を語り合い、そして何を封印しようとしたのか。
筆者の予想した通り、二人の思惑は一致し「座間味島の出来事」は、これまで闇に葬られてきた。
『母の遺したもの』にもこの事実は記述されておらず、村のリーダーで唯1人生き残った山城氏の記述も無い。
控訴審を前にして急きょ作戦変更をした理由は法廷で追及され、動揺するより、前もってカミングアウトしておいて、これに備える理論構築をした方が得策と考えたからなのだろうか。
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