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一昨日「スーマンボースー」で沖縄も入梅かと書いたら、 沖縄気象台は昨日(22日)、奄美・沖縄地方は梅雨入りしたとみられると発表した。
奄美地方は行政区分では鹿児島県だが、気候や文化的に言えば沖縄地域に近いのが分かる。 サンシンもあるし。
統計を取り始めた1951年以降、過去3番目の遅さで、
平年の梅雨明けは6月23日ごろとのこと。
⇒やっと梅雨 過去3番目に遅く(2008.5.22)
◆
沖縄の学校では、中学校、高校そして大学に至るまで、まだ学術的に確定もしていない「軍命令による集団自決」を授業に取り入れていると書いた。
偏向教師の偏向授業は小学校にも及んでいる。
2008年5月21日(水) 朝刊 28面
「集団自決」で創作劇/志真志小で来月上演
≪宜野湾市立志真志小学校(喜納裕子校長)で、慰霊の日(六月二十三日)に向けた特設授業で上演する創作劇「ヒルサキツキミソウ」の準備が進められている。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をテーマにした物語で、日本軍の命令で、家族に手をかけざるを得なかった史実を、児童や教諭らが演じる。上演は六月二十日午前十時から同校体育館で。(平良吉弥)≫
≪ 米軍の艦砲射撃が始まり、日本軍から手りゅう弾が渡され、軍命で家族が命を絶つ直前の場面などを子どもやその両親の霊を通し、現代の子どもたちが「集団自決」の実相に触れる。≫
≪ 二十日に志真志小で行われた初げいこで宮城教諭は「集団自決」で首にけがを負った幼い少女の写真や沖縄戦の「集団自決」で亡くなったとみられる住民たちの写真を児童に示しながら、当時の状況を説明。「『集団自決』で一家全滅のケースもある。亡くなった人の気持ちになり、一生懸命練習しみんなに伝えましょう」と訴えた。≫
≪六年生の平良佳大君(12)は「曾祖母が八歳の時に竹やりで訓練したり、一生懸命走って逃げた話を聞いた。命令さえなければたくさんの人が亡くならなかったと思う」と話した。≫
◇
まだ判断力の無い12歳の子供たちに「集団自決」があったことを教えて戦争の悲惨さを教えることはよしとしよう。
だが、まだ確定もしていない「日本軍の命令」を強調して、
ことさら日本軍への憎悪を掻き立てる必要がどこにあるのだ。
これは中国が行っている反日教育と同じではないか。
少なくとも小学生にまでこのようなに自分のイデオロギーを押し付けることは止めて欲しいものだ。
新聞を中心にした沖縄の偏向マスコミの反日活動については当日記の絶好のネタにさせてもらっているが、テレビの影響も無視できない。
とりあえず次の地元テレビ動画を見て欲しい。
【動画】 沖縄県民を洗脳しているテレビ
ここに登場する宮城恒彦氏は、「参謀長」と呼ばれた教頭が登場する『潮だまりの魚』の著者である。
どうテレビ内容がいかに偏向した内容であるかは以下の記事を読めば明白である。
沖縄タイムス 2008年1月31日(木)
悲劇の島から史実訴え/座間味村が証言集
座間味村教育委員会が沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」を体験した住民らの証言などをまとめた「戦世を語りつぐ 座間味村平和学習ガイドブック」を発刊した。制作を委託された編集委員会が三十日、同村教委に引き渡した。沖縄戦の「集団自決」に対する日本軍の強制を示す記述を文部科学省が削除させた教科書検定問題が起きる中、「座間味での沖縄戦の真実を伝え続けよう」と編集作業は進められた。
編集委員会は二〇〇六年十二月に発足し、同村で「集団自決」を体験した宮城恒彦さん(74)が委員長を務めた。沖縄戦を体験していない世代の編集委員が、体験者数十人から聞き取りをした。
改ざんNO
同ガイドブックでは、座間味島の「集団自決」を「三月二十六日、米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです」と書く。宮城さんは「抑えた表現にしたが、住民を『パニック』に追い込んだのは、日本軍の強制だったことは明白だ」と説明する。
「『敵の手にとられないように玉砕するよう、軍より命令があった』と当時、村助役だった兄が父に話すのを聞いた」との宮平春子さんの証言を収録し、編集後記には「文部科学省による『高校の歴史教科書改ざん』に対する答えは、多くの証言者の声やこの冊子に記載された内容が証明しています」と記した。
改訂も検討
編集委員の一人、宮里芳和さん(59)は「『軍から玉砕命令があった』との証言は複数あり、日本兵側からも軍命を示す証拠や証言が新たに得られ始めた」といい、同ガイドブックの改訂時に盛り込みたい考えだ。
二千部を発刊した。修学旅行生の平和学習などに活用し、希望者には販売する予定。問い合わせは同村教委、電話098(987)2153へ。
◇
>編集委員会は二〇〇六年十二月に発足し、同村で「集団自決」を体験した宮城恒彦さん(74)が委員長を務めた。
宮城恒彦氏は「証言集『潮だまりの魚』」の著者であるが、この本の証言では「軍の命令や強制」という結論を導き出すの困難である。
これについては去年の7月12日のエントリ証言集『潮だまりの魚』に見る守備隊長の実像 で触れた。
>「三月二十六日、米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです・・・抑えた表現にしたが、住民を『パニック』に追い込んだのは、日本軍の強制だったことは明白だ」
ところがその後の「11万人」集会等で勢いがついたのか軸足がふらついて来た。
米軍が大挙して壕の近くまでやって来て中の住民がパニックに陥ったのなら、原因は米軍であることは小学生でもわかることだ。
それを「住民を『パニック』に追い込んだのは日本軍の強制だ」とは、まるでヤクザの言掛かりではないのか。
このような理の通らぬ話がいかにも「正論」であるかのように、もっともらしく掲載される・・・これが沖縄タイムスの正体である。
■似たもの同士の宮城恒彦と宮城晴美■
>改訂も検討
宮城恒彦氏は、当初は自著で「軍命や強制はない」という内容で出版しておきながら、後で「言葉としての命令だけでなく、強要や誘導、目に見えない命令があった」といった苦し紛れの弁明で証言を変更した。
あげくの果てに「改定も検討」とは『母の遺したもの』が「軍命なし派」の証拠として係争中の裁判の原告側証拠となると、改訂版を出版をした宮城晴美氏のケースと全く同じパターンである。
おっと、もう1人『沖縄戦と民衆』を反対派の証拠に使われた林博史関東学院大学教授の例も自著の内容と発言が違うという点では似たようなものだ。
◆宮城恒彦氏:
「米兵が大挙壕の近くに来て住民はパニックになり死の道を急いだが、住民のパニックも軍の強制である」
◆宮城晴美氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」
◇
《ひと》沖縄戦「慰霊の日」に体験記を出す
2004年06月23日 朝日新聞
宮城恒彦さん
沖縄戦で米軍が最初に上陸した座間味(ざまみ)島で45年3月26日に起きた「集団自決」の生き残りだ。当時は11歳。母親と姉弟で逃げ込んだ壕(ごう)の中で手榴弾(しゅりゅうだん)が爆発し、19歳の姉と担任の教師が亡くなった。
「戦後、母が戦争を語ることはなかった。毎年3月になると、思い出したように嘆息した」。書き始めたのは、母親が他界した翌88年から。「自決」で住民173人が犠牲になった。自分だけでなく、島の人にも聞いてまとめた。
「慰霊の日」に合わせて出してきた体験記は今年、16冊目になった。毎回、1千部以上を発行し、学校などに配っている。さらに、23日には、東京の出版社から過去の15冊をまとめた「潮だまりの魚たち~沖縄・座間味島の戦世(いくさゆー)」(クリエイティブ21)を出版する。
元小学校長。一番苦しんだのは「日の丸・君が代」問題。惨劇を招いた戦前の教育が頭をもたげたが、個人の意見も言えず、公私のはざまで悩んだ。「自決の時、校長が合図をし、女性教師が手榴弾を投げた」。教師になったのも、あの時の体験で教育の大切さを知ったからだという。(略)http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000119999991201
◇
関連エントリー⇒証言集『潮だまりの魚』に見る守備隊長の実像
【付録】
【沖縄タイムスの入社試験問題】
次の文は「座間味村平和学習ガイドブック」よりの抜粋です。
「米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです」
問題:
住民を『パニック』に追い込んだのは、次のAとBのどちらですか?
A・ 米軍
B・日本軍
解答⇒沖縄タイムスの正解はBです。
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