狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄戦「軍官民共生共死」の虚妄!太田元知事には嘘つきの癖も

2009-06-22 00:01:29 | ★集団自決

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平和教育の今 継承 多様な試み
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2009年6月21日 

< 県内の小中高校では毎年、慰霊の日を迎える5、6月を中心に、平和教育を展開している。沖縄戦体験者による講演会や企画展示、戦跡巡り、平和集会のほか、劇やダンスなど学校の特色を生かした取り組みもあり、子どもたちが戦争や平和、命の大切さを学び、考えを深める機会になっている。一方、戦後生まれの教員からは、自らが体験していない戦争を伝えることの難しさや「総合的な学習の時間」の減少などによる平和教育の縮小を懸念する声も聞こえてくる。
 小中学校の平和教育については2008年度、小学校の94・9%、中学校の91・6%が何らかの取り組みをしており、実施は5、6月に集中している。
 県立高校の08年度慰霊の日に関する取り組み状況によると、授業の中で取り組んだ学校は全60校中34校で、地理歴史や総合的な学習の時間を活用するケースが多かった。ホームルーム活動を活用した学校は42校。講演会は33校、戦跡巡りは30校、映画・演劇鑑賞は23校が実施した。
 県教育委員会は1993年に「平和教育の手引き」、94年に資料集「平和教育関連施設マップ」、2008年には「高等学校における沖縄戦の指導案事例集」を発行。高校教諭については数年前から、初任者研修で平和祈念資料館での半日研修を導入するなど、平和教育を支える取り組みを実施してきた。
 大半の学校には「平和(教育)委員会」などがあり、担当教員らが中心となって慰霊の日の行事や取り組みなどを進めている。しかし、教員の意識や力量に委ねられている現状もあり、ある教員は「平和教育は独学しかない。ちゃんと教えられる教員は少なく、教員間の差が大きい」と指摘する。>

「平和教育」という名の下の「反日教育」は学校現場だけではない。

毎年、沖縄戦が集結したとされる6月23日になると、沖縄戦を語り継ぐと称して、地元マスコミは沖縄戦のキャンペーンを張る。

今年はNHKが今晩(22日)の午後10時45分~11時28分に、「“集団自決”戦後64年の告白~沖縄 渡嘉敷島から」という全国放送の特集を予定している。

http://www.nhk.or.jp/okinawa/program/index0906.html
沖縄戦 64年の告白 ~ "集団自決"ある兄弟の苦悩 ~
総合 6月22日(月) 午後10:45~11:28
64年前の沖縄戦では、家族が互いに命を奪い合う`集団自決`が各地でおきました。300人以上が犠牲となった渡嘉敷島では、家族を手にかけてしまった兄弟が"あの日"のことを語り始めました。
「なぜ家族の命を奪わなければならなかったのか。」苦悩し続けてきた兄弟の心の軌跡を見つめます
。>

NHKの「集団自決特集」というと、多くの「軍命否定派」の証言者えを避けて、お決まりの金城重栄、重明兄弟と吉川嘉勝氏の取り巻き数人の「軍命あり派」の出演が容易に予想できる。

おそらくは星、上原両氏の新証言は完全無視するだろう。


■司令官の「訓示」を、「共生共死」にすり替え■

新しい重要証言者が登場して、動揺ぎみの沖縄サヨク勢力だが、慰霊の日の頃には必ず出てくる合言葉がこれ。

軍官民共生共死

新聞、学者、教師などのあらゆる知識人がこの言葉をくり返して、一般県民はおろか子ども達にも「日本軍は県民に死を強制した」と刷り込んで日本軍に対する憎悪を増幅させていく。

その根拠が昭和19年沖縄に赴任した第32軍司令官牛島満中将が新任挨拶として行った「司令官訓示」であるというから驚く。

牛島司令官の訓示には、どこにもそのような文言はない。

その訓示の該当部分を抜粋するとこうなる。

牛島司令官訓示 

昭和十九年八月三十一日 軍司令官 牛島 満


第二 「敢闘精神ヲ発揚スヘシ」
    深刻ナル敵愾心ヲ湧起シテ常在戦場ノ矜持ノ下作戦準備ニ邁進シ以テ必勝ノ信念ヲ固メ敵ノ来攻ニ方リテハ戦闘惨烈ノ極所ニ至ルモ最後ノ一兵ニ至ル迄敢闘精神ヲ堅持シ泰然トシテ敵ノ撃滅ニ任セサルヘカラス


当時は軍人は言うに及ばず、新聞も民間人も「撃ちてし止まぬ」精神を鼓舞する勇壮な言葉が街に溢れていた時代である。

現在の「平和ボケ時代」の価値観で「軍官民共生共死」と司令官訓示結びつける強引な手法は歴史認識以前の、国語読解力の欠如ではないのか。

それだけでも「軍官民共生共死」が史実を無視した政治プロパガンダであることが分かる。

司令官訓示を現代語に訳すとこうなる。
   
第二 「敢闘精神を発揮すべきである」

  すばらしい敵愾心をもち、常に戦場にいるつもりで作戦準備に努め、必勝の信念を固めること。敵の攻撃に対しては、たとえ戦闘が激しくなっても、最後の一兵にまで敢闘精神を忘れず堂々と敵の撃滅に立ち向かうことである

>最後の一兵にまで敢闘精神を忘れず堂々と敵の撃滅に立ち向かうことである。

この一言をもって「軍は住民に死を強制した」と主張する人は国語読解力の基礎から勉強しなおした方がよい。

大学入試が近づいたとき、校長が「寝る時間を惜しんで頑張れ!」と受験生を集めて激励の訓示をしたからといって、本当に睡眠を断つバカ者はいないはず。

ところが太田昌秀元沖縄県知事はこの文言の曲解を更にエスカレートする。

太田氏は「軍官民共生共死」の合言葉から、「共生」の部分を取り外して、牛島司令官の訓示は「軍民官共死」そのものだと主張する。

6月6月に沖縄大学で行われた「太田昌秀・佐藤優講演会」について、2回にわたってエントリーしたが、

もっぱら佐藤氏についてだけ触れて、太田氏の講演については、次のように三行でまとめさせてもらった。

「沖縄の未来を考えるには、沖縄戦の醜さを直視する必要があり、直視をすれば悪逆非道の日本軍が炙り出される。従って沖縄の未来を考えるには、先ず日本を憎悪せよ」と。

講演内容がただひたすら日本軍への恨み辛みを述べるだけでは三行要約で充分だが、講演会では次のようなことも話していた。

「牛島司令官は軍・官・民の共生共死を赴任早々主張していたが、実際は共生の考えは最初からなかった。」

そもそも牛島司令官は「軍・官・民の共生共死」なんて一言も話していないが、太田氏の解釈によると「軍・官・民の共生共死」では物足りずに、さらに「共死」のみだったとなるから、この先生に教わった琉球大学の学生が気の毒になってくる。

牛島司令官が沖縄に着任した時の司令官の「訓示」とは、決戦の前に団結を促す為の檄文であり「決死の戦い」と同じような意味である。 
 
百歩譲ったとしても「最後の一兵」であって、決して住民とは言っていないはずだ。
 
もしこのようなスローガンが「軍官民に共死を強制した」ことになるなら、
 
当時戦意高揚の記事を書きまくっていた朝日新聞などは日本国民に自決命令を下していたことになる。

牛島司令官が赴任する前、長参謀長を先に沖縄へ派遣し、住民が戦火に巻き込まれるのを防ぐため沖縄各地を事前調査して県内外への集団集団疎開に尽力したことは、当日記でも再三触れた。

軍・行政が住民疎開に尽力 利用された「軍命」

沖縄の県外疎開の実体

軍は住民を守ろうとした! 沖縄戦秘話4

大本営の密使  沖縄戦秘話3

恨み辛みの学童疎開  沖縄戦秘話2

大本営が県外疎開を発案 沖縄戦秘話

                   *

太田元知事には酒乱と暴力の気があるとは聞いたが、嘘つきの癖もあるようだ。

ウソも百回唱つけば真実となる。

ましてや二つの地方紙が口裏を合わせ、元琉球大学教授で国会議員まで勤めた元県知事までもが、このようなウソを連日大合唱すれば、ウソも「通説」となる。

やがて「通説」は真実の仮面をかぶり、大手を振って世間をまかり通る。

■軍命あり派の最後の砦が「軍官民共生共死」■

集団自決訴訟の一審、二審とも原告敗訴で『沖縄ノート』の出版差し止めには失敗したが、「両隊長が集団自決を命令した(強制した)」という汚名はそそがれ、両隊長の名誉は事実上回復した。

そこで被告側は「両隊長の命令の有無は問題ではない」、「軍のタテの構造に仕組まれた命令」という奇妙な概念に逃げ込んだ。

その「軍のタテの構造論」と連動するのが、「軍官民共生共死」であり、「軍隊は住民を守らない」のスローガンである。
 
続く

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