でぶ猫おにきすの抵抗さんのブログ紹介です。
◆以下引用。
これがNHKの印象操作映像だ
今年2009年4月から始まったNHKスペシャル「JAPANデビュー」シリーズは、150年前の「開国」から、64年前の「敗戦」までの歴史を扱ったものだが、第1回「アジアの"一等国"」は、日本による台湾統治を取り上げているが、その内容は、その間の歴史が悪いことだらけであったという見方に見る者を誘導するものだった。
今後もこんな番組がシリーズで流れるというのは気が滅入る限りだが、さらに私を滅入らせるのは、毎回流れるオープニング映像だ。そこには、無意識のうちに見るものを特定の方向へ誘導しようとするメッセージが込められている。
いろいろな要素が詰まったその内容を全てカバーするのは容易でないが、ここで出来るだけ分析してみよう。(一部の画像には説明のため○枠、矢印、文字を加えた。)
(この問題については、日本文化チャンネル桜代表及び「NHK・JAPANデビュー問題を考える国民の会」代表の水島総氏がいちはやく指摘した。
ここでの分析は、水島氏による情報と見解、ジャーナリストの西村幸祐氏による情報などを参考にしつつ、私自身この映像をスロー再生で繰り返し見た上で考察を加えたものである)
雑然と物が置かれた部屋を視点が移動するところから始まる。
その中でも「双眼鏡」は繰り返し現れる。『未来を見通す』ことを象徴させているのだろうか。
部屋に置かれた地球儀から「産業革命」を象徴する蒸気機関の場面に移り、そこから年表のような形で明治天皇の肖像画、次に明治憲法発布式の絵が現れる。
憲法発布式の絵。CGで立体化された絵の中にカメラ視点が入って行くが・・・
明るい窓に向かって行くと・・・
そこには第一次大戦の戦車が(動画)。
手前には"ガーゴイル"の像が置かれている。目に入るのは一瞬だが、これによって無意識に禍々しさを印象づけようとしている。
第一次大戦の映像は「部屋」にあるフィルム映写機で投影されている。
再びカメラは部屋の中をなめるように移動する。自由の女神の手前には双眼鏡が。一つは壊れている。
カメラは自由の女神の神々しい姿に迫っていくが、そのすぐ後ろには紙切れのように舞い散るドル札が。世界大恐慌の表現である。
ボロボロのドル札がクローズアップになると、画面は上下に反転して中華風の茶碗が現れる。ここで場面は再びアジアに移る。茶碗の中には阿片中毒患者の様子(動画)。茶碗のそばに置かれている肖像写真は、支那人の文学者、魯迅である。その写真の隣には、伊藤博文暗殺事件の号外記事らしき紙片が。当時のアジアが日本の強い影響下にあったことを示唆している。
そして、真珠湾攻撃を記した英語の新聞記事。
新聞のそばに置かれた冊子のタイトルは「相撲法式故実」。こういう書物があるのかどうか不明だが、日本の国技である相撲を表しているのは明らかだ。「格闘技を推奨してきた日本は元来好戦的だ」とでも言いたいのだろうか。
左上隅には自由の女神像も見える。そして左下隅には双眼鏡。これは左右がずれて壊れているように見える。
堕ちて行く日本の戦闘機。それまでセピア調だった画面が、突然鮮やかな色調に。音楽も盛り上がって鮮烈な印象を与える。
ここから再び "年表"の画面になるのだが・・・重要なのはここからだ。
ヒトラーの演説の様子(動画)がクローズアップで現れ、それが退いていくと、上から覆い被さるように、日本軍兵士たちが勝鬨をあげる様子(動画)が出てくる。
日本兵(動画)の上に被さってくるのは、ユダヤ人難民を連想させる写真。その横では、「南京大虐殺」のものと言われている写真(実際には何の証拠にもならないのだが)。その上にはきっちりと「南京大虐殺」があった年とされる「1937」の数字が。こういったものが、ちらりと一瞬のうちに表示されて流れていく。
そして次に、軍服で馬に乗られた昭和天皇の御姿(動画)。
その上からドーンと被さってくるのが↓この写真
中国人らしき母子の悲しげな姿だ(この写真は後にもしつこく登場する)
このような表現を日本の放送局がやっていいのか?それ自体実に不愉快だが、注目すべきは、他の多くの画像が静止写真である中で「演説するヒトラー」「勝鬨をあげる日本兵」「軍服、騎乗の昭和天皇」という三つの画像が動画になっていることである。これによって、ヒトラーと昭和天皇が、戦争に関して強い共通性のある存在として提示されているのである(ジャーナリスト・西村幸祐氏の指摘)。
母子の上に被さって出て来るのは、広島の「原爆ドーム」。その原爆ドームはサングラスに映し出されて、再び画面は「室内」へ。
実はこのサングラスは、日本を占領した連合軍の司令長官マッカーサーを表している。
サングラスと共に彼のトレードマークだったコーンパイプが映し出されるが、その間にちらりと(0.4秒)、折り鶴が見える。
双眼鏡の向こうに映し出されているのは、核実験の様子。
『原爆を投下された日本人は平和を祈ってきたが、占領時代を経て日本の同盟国となったアメリカこそが、核装備を最も推進してきた』ということだろうか。
ここから、カメラ視点はぎゅーんと手前に退いていく。動きが激しい上に薄暗いので、何が映し出されているのか捉えるのはスロー再生でないと困難だ。映っている主なものを拾っていくと・・・
16mmカメラ。20世紀中頃まで使用されていたものだ。
映写機。さきほどの場面で第一次大戦の映像を投影していたものと思われる。おそらく16mmフィルムを使用する映写機だろう。そして
非常に薄暗く、しかも一瞬でわかりづらいのだが、大きく真ん中に捉えられるのが、壊れた双眼鏡である。
未来を見通せなくなった、混迷する世界を象徴させているのではないか。
さて、ここを境にして雰囲気が変るのを、多くの人が何となく(無意識に)感じることだろう。それは何故か。
明るく照らされた一角に、剥き出しの光ディスク(DVD)、そして、映画が収録されたDVDのジャケットが数個積まれている。その手前に現れるのは、パソコンのキーボード。そして
視点の移動が落ち着きはじめると、本のページには毛沢東の写真が。そのすぐそばには、携帯電話が置かれている。
もうお気づきだろうか。
DVD、パソコン、携帯電話・・・これらは、20世紀の末に登場した物品だが、どちらかといえば21世紀のアイテムと言える。前の場面の映写機や16mmカメラ等とは異質の品々である。それらに囲まれて、本の中に落ち着いた姿で現れる毛沢東。
当然、毛沢東の生前には、これらのアイテムは存在しない。しかしこの映像では、このような配置の中に毛沢東を置く事によって、彼が「今」に通じる人物であると強調しているのである。
この場面の心理的な効果は大きい。嘘だと思ったら是非実際の動画で確かめてみて欲しい。
毛沢東が現れた本がめくられると、インドの初代首相ネルーが現れる。二つの「アジアの大国」を独立せしめた偉人として共通しているというのだろうか。
毛沢東のために膨大な数の殺戮や餓死が起った歴史は一切無視である。
このようにして、昭和天皇をヒトラーに強く引き寄せ、それと完全に隔たったところにあるものとして、毛沢東をネルーに近づけて見せているのである。
この後、音楽が盛り上がると同時に、沢山の紙片が舞い上がる。その紙片の一枚一枚には、これまで出てきたいろいろな画像が刻まれている。たとえば
さきほど昭和天皇に覆い被さるように出てきた、困り顔の母子がまた一瞬出て来る。ここではフォーカスがぼかされている。そして
ベトナム戦争の様子。この写真はここだけに出て来るが、
この間、わずか0コンマ3秒。意識では捉えられない時間だ。サブリミナル的な映像と言う他ない。
その後画面はまた年表に戻りながら、ドイツの「ベルリンの壁」の崩壊や、アメリカでの「9.11同時多発テロ」の写真が出て来るが、その間にも、あの困り顔の母子が付きまとうように現れる。
こうして、全体に陰鬱な印象を残しながら、「私たちはどう生きた そしてどう生きる」とのテロップでオープニング映像は終わり、番組内容の開始となる。
「JAPANデビュー」シリーズを継続して見る人は、この映像を繰り返し見ることになる。そうすると
『天皇が戦争の元凶であり、日本はダメダメ。でもアメリカもダメ。中国は常に一方的な被害者。毛沢東はなんとなく偉い』
といったようなイメージを、無意識のうちに刷り込まれてしまう可能性が高い。
毒性が強いので、私の親族にはこれを絶対に見ないように言っている。
このようなものを流し続けるNHKを、どうするべきだろうか。皆さんも是非お考えいただきたい。
今後もこんな番組がシリーズで流れるというのは気が滅入る限りだが、さらに私を滅入らせるのは、毎回流れるオープニング映像だ。そこには、無意識のうちに見るものを特定の方向へ誘導しようとするメッセージが込められている。
いろいろな要素が詰まったその内容を全てカバーするのは容易でないが、ここで出来るだけ分析してみよう。(一部の画像には説明のため○枠、矢印、文字を加えた。)
(この問題については、日本文化チャンネル桜代表及び「NHK・JAPANデビュー問題を考える国民の会」代表の水島総氏がいちはやく指摘した。
ここでの分析は、水島氏による情報と見解、ジャーナリストの西村幸祐氏による情報などを参考にしつつ、私自身この映像をスロー再生で繰り返し見た上で考察を加えたものである)
雑然と物が置かれた部屋を視点が移動するところから始まる。
その中でも「双眼鏡」は繰り返し現れる。『未来を見通す』ことを象徴させているのだろうか。
部屋に置かれた地球儀から「産業革命」を象徴する蒸気機関の場面に移り、そこから年表のような形で明治天皇の肖像画、次に明治憲法発布式の絵が現れる。
憲法発布式の絵。CGで立体化された絵の中にカメラ視点が入って行くが・・・
明るい窓に向かって行くと・・・
そこには第一次大戦の戦車が(動画)。
手前には"ガーゴイル"の像が置かれている。目に入るのは一瞬だが、これによって無意識に禍々しさを印象づけようとしている。
第一次大戦の映像は「部屋」にあるフィルム映写機で投影されている。
再びカメラは部屋の中をなめるように移動する。自由の女神の手前には双眼鏡が。一つは壊れている。
カメラは自由の女神の神々しい姿に迫っていくが、そのすぐ後ろには紙切れのように舞い散るドル札が。世界大恐慌の表現である。
ボロボロのドル札がクローズアップになると、画面は上下に反転して中華風の茶碗が現れる。ここで場面は再びアジアに移る。茶碗の中には阿片中毒患者の様子(動画)。茶碗のそばに置かれている肖像写真は、支那人の文学者、魯迅である。その写真の隣には、伊藤博文暗殺事件の号外記事らしき紙片が。当時のアジアが日本の強い影響下にあったことを示唆している。
そして、真珠湾攻撃を記した英語の新聞記事。
新聞のそばに置かれた冊子のタイトルは「相撲法式故実」。こういう書物があるのかどうか不明だが、日本の国技である相撲を表しているのは明らかだ。「格闘技を推奨してきた日本は元来好戦的だ」とでも言いたいのだろうか。
左上隅には自由の女神像も見える。そして左下隅には双眼鏡。これは左右がずれて壊れているように見える。
堕ちて行く日本の戦闘機。それまでセピア調だった画面が、突然鮮やかな色調に。音楽も盛り上がって鮮烈な印象を与える。
ここから再び "年表"の画面になるのだが・・・重要なのはここからだ。
ヒトラーの演説の様子(動画)がクローズアップで現れ、それが退いていくと、上から覆い被さるように、日本軍兵士たちが勝鬨をあげる様子(動画)が出てくる。
日本兵(動画)の上に被さってくるのは、ユダヤ人難民を連想させる写真。その横では、「南京大虐殺」のものと言われている写真(実際には何の証拠にもならないのだが)。その上にはきっちりと「南京大虐殺」があった年とされる「1937」の数字が。こういったものが、ちらりと一瞬のうちに表示されて流れていく。
そして次に、軍服で馬に乗られた昭和天皇の御姿(動画)。
その上からドーンと被さってくるのが↓この写真
中国人らしき母子の悲しげな姿だ(この写真は後にもしつこく登場する)
このような表現を日本の放送局がやっていいのか?それ自体実に不愉快だが、注目すべきは、他の多くの画像が静止写真である中で「演説するヒトラー」「勝鬨をあげる日本兵」「軍服、騎乗の昭和天皇」という三つの画像が動画になっていることである。これによって、ヒトラーと昭和天皇が、戦争に関して強い共通性のある存在として提示されているのである(ジャーナリスト・西村幸祐氏の指摘)。
母子の上に被さって出て来るのは、広島の「原爆ドーム」。その原爆ドームはサングラスに映し出されて、再び画面は「室内」へ。
実はこのサングラスは、日本を占領した連合軍の司令長官マッカーサーを表している。
サングラスと共に彼のトレードマークだったコーンパイプが映し出されるが、その間にちらりと(0.4秒)、折り鶴が見える。
双眼鏡の向こうに映し出されているのは、核実験の様子。
『原爆を投下された日本人は平和を祈ってきたが、占領時代を経て日本の同盟国となったアメリカこそが、核装備を最も推進してきた』ということだろうか。
ここから、カメラ視点はぎゅーんと手前に退いていく。動きが激しい上に薄暗いので、何が映し出されているのか捉えるのはスロー再生でないと困難だ。映っている主なものを拾っていくと・・・
16mmカメラ。20世紀中頃まで使用されていたものだ。
映写機。さきほどの場面で第一次大戦の映像を投影していたものと思われる。おそらく16mmフィルムを使用する映写機だろう。そして
非常に薄暗く、しかも一瞬でわかりづらいのだが、大きく真ん中に捉えられるのが、壊れた双眼鏡である。
未来を見通せなくなった、混迷する世界を象徴させているのではないか。
さて、ここを境にして雰囲気が変るのを、多くの人が何となく(無意識に)感じることだろう。それは何故か。
明るく照らされた一角に、剥き出しの光ディスク(DVD)、そして、映画が収録されたDVDのジャケットが数個積まれている。その手前に現れるのは、パソコンのキーボード。そして
視点の移動が落ち着きはじめると、本のページには毛沢東の写真が。そのすぐそばには、携帯電話が置かれている。
もうお気づきだろうか。
DVD、パソコン、携帯電話・・・これらは、20世紀の末に登場した物品だが、どちらかといえば21世紀のアイテムと言える。前の場面の映写機や16mmカメラ等とは異質の品々である。それらに囲まれて、本の中に落ち着いた姿で現れる毛沢東。
当然、毛沢東の生前には、これらのアイテムは存在しない。しかしこの映像では、このような配置の中に毛沢東を置く事によって、彼が「今」に通じる人物であると強調しているのである。
この場面の心理的な効果は大きい。嘘だと思ったら是非実際の動画で確かめてみて欲しい。
毛沢東が現れた本がめくられると、インドの初代首相ネルーが現れる。二つの「アジアの大国」を独立せしめた偉人として共通しているというのだろうか。
毛沢東のために膨大な数の殺戮や餓死が起った歴史は一切無視である。
このようにして、昭和天皇をヒトラーに強く引き寄せ、それと完全に隔たったところにあるものとして、毛沢東をネルーに近づけて見せているのである。
この後、音楽が盛り上がると同時に、沢山の紙片が舞い上がる。その紙片の一枚一枚には、これまで出てきたいろいろな画像が刻まれている。たとえば
さきほど昭和天皇に覆い被さるように出てきた、困り顔の母子がまた一瞬出て来る。ここではフォーカスがぼかされている。そして
ベトナム戦争の様子。この写真はここだけに出て来るが、
この間、わずか0コンマ3秒。意識では捉えられない時間だ。サブリミナル的な映像と言う他ない。
その後画面はまた年表に戻りながら、ドイツの「ベルリンの壁」の崩壊や、アメリカでの「9.11同時多発テロ」の写真が出て来るが、その間にも、あの困り顔の母子が付きまとうように現れる。
こうして、全体に陰鬱な印象を残しながら、「私たちはどう生きた そしてどう生きる」とのテロップでオープニング映像は終わり、番組内容の開始となる。
「JAPANデビュー」シリーズを継続して見る人は、この映像を繰り返し見ることになる。そうすると
『天皇が戦争の元凶であり、日本はダメダメ。でもアメリカもダメ。中国は常に一方的な被害者。毛沢東はなんとなく偉い』
といったようなイメージを、無意識のうちに刷り込まれてしまう可能性が高い。
毒性が強いので、私の親族にはこれを絶対に見ないように言っている。
このようなものを流し続けるNHKを、どうするべきだろうか。皆さんも是非お考えいただきたい。
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