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「集団自決」疑いなし (12月9日朝刊総合6面)沖縄タイムス 2007年
「鉄の暴風」根拠に執筆
大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の戦隊長らが名誉棄損を主張している大阪地裁の「集団自決」訴訟で、大江氏が「沖縄ノート」について記した陳述書の本論部分を全十三回にわたって掲載する。沖縄戦時の慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」について、「太平洋戦争下の日本軍、現地の第三二軍、島の守備隊をつらぬくタテの構造によって島民に強制された」と語る大江氏。陳述書では、米軍施政権下の沖縄で数多くのジャーナリストや研究者らに会い、思考を深めていった経緯や、文章の構造や表現の趣旨、言葉の選び方までがつづられている。
私は一九六五年(昭和四十年)文藝春秋新社の主催による講演会で、二人の小説家とともに、沖縄本島、石垣島に旅行しました。この旅行に先立って沖縄について学習しましたが、自分の沖縄についての知識、認識が浅薄であることをしみじみ感じました。そこで私ひとり沖縄に残り、現地の出版社から出ている沖縄関係書を収集し、また沖縄の知識人の方たちへのインタヴィユーを行いました。『沖縄ノート』の構成が示していますように、私は沖縄の歴史、文化史、近代・現代の沖縄の知識人の著作を集めました。沖縄戦についての書物を収集することも主な目標でしたが、数多く見いだすことはできませんでした。
この際に収集を始めた沖縄関係書の多くが、のちの『沖縄ノート』を執筆する基本資料となりました。またこの際に知り合った、ジャーナリスト牧港篤三氏、新川明氏、研究者外間守善氏、大田昌秀氏、東江平之氏、そして劇団「創造」の若い人たちから学び、語り合ったことが、その後の私の沖縄への基本態度を作りました。とくに沖縄文化史について豊かな見識を持っていられた、沖縄タイムス社の牧港篤三氏、戦後の沖縄史を現場から語られる新川明氏に多くを教わりました。
そして六月、私は自分にとって初めての沖縄についてのエッセイ「沖縄の戦後世代」を発表しました。タイトルが示すように、私は本土で憲法の基本的人権と平和主義の体制に生きることを表現の主題にしてきた自分が、アメリカ軍政下の沖縄と、そこにある巨大基地について、よく考えることをしなかったことを反省しました。それに始まって、私は沖縄を訪れることを重ね、さきの沖縄文献に学んで、エッセイを書き続けました。
本土での、沖縄への施政権返還の運動にもつながりを持ちましたが、私と同世代の活動家、古堅宗憲氏の事故死は大きいショックをもたらしました。古堅氏を悼む文章を冒頭において、私は『沖縄ノート』を雑誌「世界」に連載し、一九七〇年(昭和四十五年)岩波新書として刊行しました。
私はこの本の後も、一九七二年(昭和四十七年)刊行のエッセイ集『鯨の死滅する日』、一九八一年(昭和五十六年)『沖縄経験』、二〇〇一年(平成十三年)『言い難き嘆きもて』において、『沖縄ノート』に続く私の考察を書き続けてきました。とくに最後のものは、『沖縄ノート』の三十年後に沖縄に滞在して「朝日新聞」に連載した『沖縄の「魂」から』をふくんでいます。
この裁判を契機に、多様なレベルから『沖縄ノート』に向けて発せられた問いに答えたいと思います。
座間味島、渡嘉敷島で行われた集団自決の問題が、後半の沖縄戦についての記述で重みを持っているが、その記述はどのようなものを根拠としたのか。
沖縄戦について、戦後早いうちに記録され、出版された戦争の体験者の証言を集めた本を中心にして読みました。それらのなかで一九五〇年沖縄タイムス社刊の『沖縄戦記・鉄の暴風』を大切に考えました。理由は、私が沖縄でもっともしばしばお話をうかがった牧港篤三氏がこの本の執筆者のひとりで、経験者たちからの聴き書きが、一対一のそれはもとより、数人の人たちを一室に集めての座談会形式をとることもあったというような、詳細な話を聞いていたからです。もとより牧港氏の著作への信頼もあります。
私は、それらに語られている座間味島、渡嘉敷島において行われた集団自決の詳細について、疑いをはさむ理由を持ちませんでした。
私は、この集団自決が太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の第三二軍までをつらぬくタテの構造の力によって島民に強制された、という結論にいたりました。そして、このタテの構造の先端にある指揮官として島民たちの老幼者をふくむ集団自決に、直接の責任があった、渡嘉敷島の守備隊長の、戦後の沖縄に向けての行動について、それが戦前、戦中そして戦後の日本人の沖縄への基本態度を表現しているとして、批判する文章を書きました。この批判は、日本人一般のものであるべき自己批判として、私自身への批判をふくみます。
◇
沖縄タイムス恐喝事件から、それに対応した当時の編集局長で後に社長になる新川明氏が話題になり、更に転じて新川氏が一フィート運動を捏造しイデオロギー塗れの絵本を出版したことに話が及んだ。
係争中の「集団自決訴訟」が大江健三郎著『沖縄ノート』などの出版停止を求めて、その記述の是非が争点になっている。
大江氏は、その執筆の根拠になった本が『鉄の暴風』であると証言しているが、氏が沖縄問題のレクチャーを受けた人物のことはあまり知られていない。
■大江健三郎は新川明のレクチャーを受けていた■
上記の古い記事は、大江健三郎氏が一昨年証言台に立ったときの「証人陳述」をタイムスが連載で掲載したものの一部である。
大江氏は問題の書『沖縄ノート』を自身は取材もせずに書いたのは『鉄の暴風』を信じたからと述べているが、沖縄については不勉強だったので牧港篤三氏や新川明氏、そして太田昌秀氏などのおなじみの方々からレクチャーを受けて書いたと述べている。
大江氏は『沖縄ノート』の執筆にあたり多くの沖縄の左翼知識人のレクチャーを受けたといっているが、特に戦後史に関しては新川明氏に教えを受けたと述べている。
昨日のエントリーで、事実を捻じ曲げて「悪逆非道の日本軍」を捏造した新川明氏の報道姿勢について述べたが、大江氏は平気で歴史を捏造する新川氏に沖縄史を学んでいたのだ。
さらに新川氏のほかにも、上原正稔氏に「大嘘ツキ」といわれる太田昌秀氏のレクチャー受けて書いたのなら『沖縄ノート』の内容のいかがわしさは推して知るべしである。
『鉄の暴風』の執筆者の一人で、タイムス記者の中では良識派とされる牧港篤三氏も、『鉄の暴風』の執筆にあたり、
「米軍占領下の重ぐるしい時代でしたから、米軍関係のことをリアルに書けば、アメリカさんは歓迎すまい、といった、いま考えると、つまらぬ思惑があったのも事実です」
と述懐しているではないか。
大江氏はその『鉄の暴風』を鵜呑みにして『沖縄ノート』を書いたと法廷で証言しているのである。
大江氏が、執筆者の太田良博氏や牧港篤三氏が「ウワサで書いた」「米軍の目を気にして真実は書けなかった」と証言する『鉄の暴風』の記述を真実と信じ、
歴史捏造者新川明氏のレクチャーを受けて書いた『沖縄ノート』に対し、判決は「真実相当性」という概念で出版継続を認めたのである。
デタラメの戦記『鉄の暴風』をテキストにして、
「捏造絵本作家」がノーベル賞作家にレクチャーをしていた!
そして『沖縄ノート』が生まれたのである。
■佐野眞一氏の慧眼■
ベストセラー『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一著)に次のくだりがある。
大江氏と『沖縄ノート』の関係を眼光鋭くあぶりだした佐野氏の慧眼に瞠目し、何度でも読んでみたい文である。
沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。だが私から言わせれば、ほとんどが“被害者意識”に隈取られた“大文字”言葉で書かれており、目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぽえる。
沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。
渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。
だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。
沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。そこには、沖縄の歴史を一九四五(昭和二十)年六月二十三日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである。
大江や、これに同調する筑紫哲也の話題が出るたび、心ある沖縄人たちから「われわれを“褒め殺し”するのも、もういいかげんにしてくれ」という台詞が出る場面に、私は幾度となく遭遇した。
こうした跪拝意識に“大文字言葉”が加わって、沖縄は米軍に占領された被支配者の島である、といった左翼宣伝ビラでもいまどき書かないようなプロパガンダ本が、うんざりするほど生産されることになった。
佐野氏のこの鋭い分析を裁判官が読んだらどのような感想を洩らすだろうか、興味のあるところである。
◇
蛇足を加えると、「真実相当性」とは「例え『鉄の暴風』の記述に誤りがあっても、それを真実と信じる相当の理由がある」という法律概念である。
読者の涼太さんが、この真実相当性の例えに新川明著の「捏造絵本」で説明して判決の不当性を皮肉っているが、捏造本『りゅう子の白い旗』と『鉄の暴風』を並べて例えるとわかりやすい。
コメント欄の引用です。
2009-08-13 01:24:25 涼太 新川明と白旗の少女 捏造された...
狼魔人様
沖縄タイムスは、「白旗の少女」の件を追及されたら、「その写真を見て私達はそう思った。」と強弁するのでしょうか。そんな言い訳が通用するぐらいに、今度の大阪高裁の判決は異常でした。
「当時は真実と信じる相当の理由があった。その後の研究などで真実性が揺らいだとしても、訂正の必要は無い。」まさに沖縄タイムスのために書いたような判決文ですね。
沖縄戦「集団自決」の謎と真実 秦 郁彦 PHP研究所 このアイテムの詳細を見る |
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