よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
以下は「ハーバービューホテルの決闘」第八章を編集・加筆したものです。
知事室を訪問した上原氏と屋宜具志頭村長ら一行が、知事から沖縄メモリアルは県独自でやるから、上原氏は蝋人形資料館でも作れと言われて、憤然と知事室を後にした。
その後の上原氏らの行動を氏の著書から引用する。
<屋宜村長は顔を高潮させて言った。「上原さん知事抜きで事を進めましょう」 4月16日、ぼくは記者会見で具志頭村に沖縄戦メモリアルを建立することを発表した。 メディアは大々的に取り上げた。 だが、敵は太田だけではなかった。 やがて知事が新聞とテレビでしゃあしゃと、「沖縄戦メモリアルは私の夢だった。 ぜひ、実現したい」と発表しはじめると、朝日新聞、沖縄タイムス、琉球新報などのメディアは太田の太鼓持ちを始めた。 5月末にには件の「平和の壁懇話会」が設置されたが、そのメンバーには1フィート運動でぼくが選んだ委員が入っていた。 さらには、沖縄戦メモリアルの委員である船越義彰も入っていた。 比屋根照夫はメモリアルの委員を止め、中立を宣言し、今では大田の御用学者になっている。 これではアイディアも中身も完全に盗作だ。 ぼくは91年、秋の県議会に知事の剽窃行為を止めさせよ、との陳情書を提出した。 10月29日、文教厚生委員会で2時間の聴聞会が開かれ、ぼくは1フィート運動の醜い内幕から今度の知事の盗作まで、怒りにまかせて暴露した。 最後に委員の一人から「太田知事を今、どう思うか」と質問があり、ぼくは率直に言った。 「太田知事は人間失格であり、ぼくは腹の底から軽蔑する」 知事就任1年足らず、知事の正体を知らない全委員は目を丸くした。 県議会でいかなる知事も1市民からこのような侮蔑の言葉を投げかけられたことはない。 ぼくは歴史的発表をしたわけだが、裸の王様の行列を見て、あっ、王様は裸だ」と言ったに過ぎない。 メディアは全て、この聴聞会を黙殺した。 その後、メディアに護られた県は盗作したメモリアルの名を、平和の壁→平和の石→平和モニュメント→平和の礎と、石ころのようコロコロ名を変え、92年9月13日の冒頭で述べた事件になったのである。 ぼくは又しても、沖縄戦メモリアル構想を乗っ取られてしまった。>
ここで言う「92年9月13日の事件」と言うのが『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一)で紹介され、当エントリーのタイトルにもなっている「ハーバービューホテルの決闘」のことである。
著者の佐野氏は「1フィート運動」にからむ太田氏の別の顔を「小文字言葉」で紹介しているが、マスコミの隠蔽工作の結果なのか、毀誉褒貶の多い太田氏でも「平和の礎」の建立に関しては太田氏の功績と評価する向きは多い。
■ハーバービューホテルの決闘■
舞台を沖縄ハーバービューホテルに巻き戻す。
事件の詳細を上原氏はこう書いている。
<事件は1992年9月13日、起きた。
戦後、戦犯容疑者東条英機の尋問を行い、その後、琉球政府の民政官を就めたフィアリー氏を歓迎するパーティがハーバービューホテルで催された。 もちろん、面識はなかったが、歴史の生き証人であるフィアリー元民政官に挨拶さえすればよかったのだ。 会場にはアメリカ総領事ら、多数の沖縄の「文化人」が集まっていた。 太田恵子夫人もいる。 恵子夫人はぽつんともの悲しげに立っていた。 苦労しているんだな、と思った。 沖縄の「文化人」は皆、ぼくと目をあわせるのを避けるように、ぼくから遠ざかる。 ぼくはフィアリー氏に挨拶するだけでよいのだが、皆が氏の周辺に集まっているので、その機会が来ない。
アメリカ公文書館で顔を合わせていた袖井教授とゾルゲ事件の宮城与徳の話をした。与徳が警察に全面自供したのは、情にほだされる沖縄人の弱さが原因だった。 恵子夫人と入れ違いに太田昌秀県知事が登場した。 上機嫌にフィアリー氏や総領事と話し、酒に手をつけた。 ぼくの存在に気がついた太田の秘書官桑高は顔色を変えて会場から出て行った。 何か、危険を察知したらしい。>
桑高秘書官が会場を逃げ出す前、上原氏が話をしていた袖井教授とは、戦後日米関係史を研究していた袖井袖井林二郎法政大学教授のことで、その年(92年)にUCLA日本研究所客員研究員になっている。 同教授は1975年には『マッカーサーの二千日』(1975年)で大宅壮一ノンフィクション賞及び毎日出版文化賞を受賞しているノンフィクションライターでもあるので上原氏とは同業のよしみで顔を合わす機会が多かったのだろう。
袖井教授はソ連のスパイだったゾルゲの子分で沖縄出身の画家宮城与徳に興味があったのか、与徳の絵を与徳の故郷名護市寄贈している。
⇒袖井法政大名誉教授、宮城与徳の絵を名護博物館へ寄贈 2002年12月4日
■秘書も逃げ出す乱闘の予感■
前回、上原氏が沖縄戦メモリアルの建立に県の協力を得るため知事室を訪問した様子を書いた。
そのとき事前に屋宜村長ら同行者を外して「上原氏一人だけで会いたい」と上原氏に伝えたのは知事秘書官の桑高氏だが、
今回はパーティ会場に現れた上原氏の姿を見た瞬間「危険を察知した」のかいち早く顔色を変えて会場を出てしまう。
桑高氏が「危険を察知した」のは、何も上原氏が太田知事に危害を加えると感じたからではない。
もしそうなら、知事に身の危険を感じながら逃亡したことになり、秘書官として職務怠慢の誹りを受けても仕方がない。
実は桑原秘書官は逆のことを恐れて逃亡したのだ。
日頃太田知事に接していて知事が酒乱の気があることを承知の桑高秘書は、太田知事が酒に手をつけたのを確認した後、そこへ上原氏が現れたのを見て、太田知事が酒乱で騒動を起こすだろうと察知し敵前逃亡したのだ。
そして桑高氏が察知したとおりの醜態を太田知事は演じるわけだから、さすがは秘書官、知事の行動は手に取るように想定済みだったわけだ。
それにしても太田氏は酒に手をつけた後は、いつも分かりやすい行動をしていたのだろう。
太田知事の取り巻きには琉球大学関係の子分が多くいるが、秘書の桑高氏はこれら琉球大学とは縁のない出版業界から抜擢された秘書官だった。
桑高氏は、その名前からも分かるとおり本土出身(静岡県)で東京の美術出版社に働いていたが、たまたま読んだ大田の論文に感動し手紙を書き、本土復帰翌年の73年、沖縄へ移住したという。
そこで大田氏の紹介で那覇出版社に入り、同社での初仕事が琉球新報に連載された『これが沖縄戦だ』の出版だった。
沖縄で文筆で生活する者は地元二紙に擦り寄った論調でなければ、生きていけないし、地元出版社も二紙の息の掛からない会社はほとんどない。
太田氏著の出版物の中でも最大のベストセラーである『これが沖縄戦』も琉球新報に連載した記事でも、単行本にする場合は、発売元は那覇出版社にするくらいだから出版社も新聞社には逆らえない。
1990年、大田氏が知事選に立候補したとき、数多くの出版で太田氏に儲けさせてもらった那覇出版社は、選挙違反ギリギリの作戦で太田氏にこれまでの恩返しをした。
那覇出版社長の多和田真重氏は、太田昌秀著『これが沖縄戦だ』を地元紙に広告を出したのだが、目的は本の拡販というより太田氏の名を告知することだった。
書名よりずっと大きな文字で大田氏の名前を広告したのだ。
「選挙応援だ」とクレームがついたが、社長は儲けさせてもたった恩返しのつもりだったという。
桑高氏は太田氏の子分として県知事秘書から国会議員秘書とかわるが、その辺りの経緯を朝日新聞記事から引用する。
<大田知事が誕生して、桑高も県庁に入る。2期8年つとめた大田が98年の選挙に負けたあと、閑職に回された。01年、大田が参院議員になると、その秘書になる。昨年、大田の政界引退とともに那覇出版社にもどってきた。
「大田さんのおかげで、予想もしなかった人生になりました」。ひさしぶりの古巣で何をするのか。「『沖縄戦事典』と『大田昌秀全集』を出すこと。これをやりきれば、私が沖縄に来て34年の意味もあるかな」
大田はいま沖縄戦史の決定版とするべく、本を書いている。東京から出せば広く読まれるだろう。だが、地元から出したいという気持ちもつよい。
「鉄の暴風」といわれた米軍の猛攻に追われ、人々が命を絶った摩文仁の丘は鎮魂の地である。「そこで『これが沖縄戦だ』を売っているおばあさんがいるんですよ。そういう人たちの暮らしを応援できるというのは、本を出す者の冥利なんです」>
桑高氏が「大田さんのおかげで、予想もしなかった人生になりました」と述懐するように、太田氏の周辺には沖縄の「識者」と称する人々や、利益配分にあずかる出版関係者が集まる。
太田氏の出版で利益を受けた那覇出版社が扱った太田昌秀著の出版物を拾うとこのようになる。
那覇出版の太田昌秀著作本
・『写真記録 これが沖縄戦だ』 1,785円(本体価格1,700円)
・『This was The BATTLE of OKINAWA』1,575円(本体価格1,500円)
・「沖縄論集見える昭和と『見えない昭和』」3,864円(本体価格3,680円)
・「戦後沖縄写真集 0からの時代」1,998円(本体価格1,893円)
・「鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦 血であがなったもの」998円(本体価格950円)
・「戦争と子ども~父から戦争を知らない子どもたちへ~」1,575円(本体価格1,500円)
太田氏の秘書官に過ぎない桑原氏や那覇出版社の多和田社長をことさら本稿で取り上げたのは、沖縄で文筆で生きていこうと思う者は沖縄二紙や地元出版社と何らかの関係を保ち、なおかつ「タイムス史観」に恭順を示しておかなければ生きていけないし、彼等は相互に利益共有で繋がっているという例を示したかったからである。
随分回り道をした。
だが次回はいよいよこのシリーズのクライマックス。
太田氏と上原氏の沖縄ハーバービューホテルの宴会場での乱闘劇の詳細に話は及ぶ。
続く