狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

国境の島・与那国での勝利!自衛隊誘致派町長が再選

2009-08-03 11:11:49 | 未分類

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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外間氏が再選 与那国町長選(2009.8.2) カメラ     外間守吉氏

 【与那国】任期満了に伴う与那国町長選挙が2日投開票され、外間守吉氏(59)=無所属、自民、公明推薦=が619票を獲得し、元町職員の新人・田里千代基氏(51)=無所属=に103票差で再選した。投票率は96・03%(前回97・14%)。
 同町長選は、人口減少が進む同町の地域活性化策として、自衛隊誘致の是非や台湾との国境交流の手法が主な争点だった。
 当日有権者は1208人(男605人、女603人)。

 外間守吉氏(ほかま・しゅきち) 1949年10月8日生まれ。同町祖納出身。沖縄国際大卒。「福山海運」元代表。78年から与那国町議4期。86年から町議会議長。2005年町長選初当選。
 外間守吉氏の話 今以上に与那国島が発展することを約束する。自衛隊誘致に民意は示されたが、住民説明会を開き、必要なら住民投票も行う。

▽与那国町長選開票結果
当 619 外間 守吉 無現
  516 田里千代基 無新
(選管最終)

◆経済活性化に期待感/「自衛隊」町民議論へ
 外間守吉氏の再選は、1期4年間の実績への評価と、自衛隊誘致を含めた経済活性化への期待感の表れだといえる。ただ、自衛隊誘致の直接的な是非については、外間氏が政策から外し、反対派の新人と論戦を交わす予定だった公開討論会も中止になるなど、議論が十分に深まらなかった。
 町長選は3月に外間氏が出馬表明した後、対立候補が出ず、無投票の可能性が強くなっていた。だが町長や町議会議長が6月30日に浜田靖一防衛相に自衛隊誘致を要請したことで一変。告示日19日前の7月9日、田里千代基氏が出馬を決めた。
 自衛隊誘致が最大の争点となるはずだったが、町内は地縁血縁が強く、町民の自衛隊誘致への意思は見えにくかった。
 自衛隊誘致について外間氏は当選直後、自衛隊配備に対する住民の意思確認について「説明会を開き、その上で必要なら住民投票も行う」と話しており、あらためて議論し、意思を示すことになる。(深沢友紀)

◆「住民の意見聞く」/自衛隊誘致 田里氏は反対継続
 【与那国】島に自衛隊は必要か、否か―。自衛隊誘致をめぐって島を二分した激しい選挙戦を制し、再選を決めた外間守吉さん(59)は「町民一人一人の気持ちがこの結果を生んだ。民意は示された」と表情を緩ませ、駆け付けた多くの支援者と喜びを分かち合った。
 一方、敗れた新人の田里千代基さん(51)は「残念な結果だった」と敗戦の弁を述べた。
 町長選は町への自衛隊配備を浜田靖一防衛相に要請した現職の外間さんと、反対を掲げて出馬した新人の田里さんの一騎打ちとなった。台湾の国境交流の手法でも対立し、約20日間の短期決戦は熱を帯びた。
 外間さんは当選後のあいさつで自衛隊誘致に触れず、取材陣に「自衛隊配備で具体的にどうなるか(国から)示された後、住民に対して説明する責任がある。住民の意見を聞きたい。状況を見ながら住民投票するか決めていきたい」と述べた。
 一方、
与那国防衛協会の金城信浩会長(65)は「住民投票なしで自衛隊誘致への賛成が示された」と満面の笑みで語った。
 外間さんに投票した自営業の女性(51)は「今の人口では商売が成り立たないし、自衛隊が来れば医療が充実する。そうすれば(自分の)弟のように搬送遅れで半身不随になるようなこともない」と自衛隊配備への期待をにじませた。
 一方、田里さんは「選挙中は町づくり政策を中心に訴えてきた。日々支持が強くなっていると感じていただけに、残念な結果だった」と唇をかみしめた。争点となった自衛隊誘致の是非については「ほかにも争点があったので、町民が自衛隊誘致に賛成ということにはならない」と強調し、今後も反対活動を続ける意志を示した。
 与那国島への自衛隊誘致に反対する住民の会共同代表の新崎長吉さん(67)は「外間陣営は争点をぼかし、誘致に賛成か反対かの投票ではなかった。みんなと話し合い、住民投票を求めるなどの活動を続けたい」と述べた。

                   ◇

自衛隊誘致は町議会で議決され現職町長も賛成で、民意は示されていたはずだが、

「平和運動」を背景に地元の反戦平和団体やマスコミはあたかも島中が自衛隊に反発しているようなキャンペーンを張り、今回、外間氏が防衛省に誘致要請したことにも強く反対していた。

投票日直前にも沖縄反戦グループの一つ、「沖縄平和運動センター」は、防衛省や県に対し自衛隊配備に反対する決議文を手渡し、与那国島でも反対運動を繰り広げ、これをマスコミが派手に報道していた。

その民意を無視したノー天気な平和行動を「逆風ってすばらしい!」の縁側さんが、例によって一刀両断していたので改めてここに紹介したい。

決議文提出

沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は、今月28日に行われた与那国島への自衛隊配備反対集会及びデモでの決議文を沖縄防衛局や県庁などを訪れ提出したようだ。

 防衛局では真部朗局長が「与那国町長の自衛隊配備要請などを勘案しつつ年末に向け防衛計画の大綱の見直しを政府内で進めている」と述べている。

 それに対して崎山議長は

 「県民の多くが自衛隊の配備を旧日本軍の再来と感じる。防衛局として県民にどう理解を求めていくのか」と話した。凄いこというよね、この崎山とかいう変態オヤジ。

  また同行した参院議員の山内徳信は「与那国などの離島は昔から台湾などの周辺地域と文化交流を行っている。その流れの中で自衛隊の配備は狂気の沙汰だ」と批判しちゃいました。

 自衛隊は旧日本軍の再来ね~・・・・・・ん?あってんじゃん。そーだよ、そのとおり。それでいいんだよ。日本軍なんだもんね、間違いないけど、それが何か?

崎山の言う「県民の多く」とはどこのどいつのことでしょうね。私の周りにはそんな変人いませんが。

 参院議員の山内も同等レベルの猛者であるな。「自衛隊配備は狂気の沙汰」だとさ。オメーらのやってる集会や一昨年のいわゆる11万集会のほーがよっぽど狂気の沙汰だろが、ドアホ!この山内って、読谷村の出らしーが、まさか軍用地主じゃねーよな?》

このようにマスコミと「平和団体」が大騒ぎして煽っても与那国町民の判断は揺らがなかったのは、

一応、めでたしめでたしだが・・・。

自衛隊配備に否定的な立場をとる民主党が政権を取れば、白紙に戻る可能性もある。

国境の島の民意は外間町長の再選で自衛隊誘致が示されたが、友愛・民主党が政権を取ったら「友愛に自衛隊は不要」と民意を無視しかねない。

南西諸島の防衛力強化は、中国が東シナ海でのガス田開発を目的に海洋進出を進めていることや、

中国や台湾が領有権を主張する尖閣諸島問題もあり、防衛省の懸案となっている。

陸自を与那国に配備する場合、周辺海域の船舶の航行を監視する役割を担うとみられる。

今度の総選挙の結果次第では、南西諸島の防衛に大きな禍根を残すことにもなる。

自民党政権に必ずしも満足していなくとも、消去法を取れば民主党は消去されねばならぬ。

民主党に国の安全保障は任せられないと思う方、

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【おまけ】

空想的平和主義者の巣窟「沖縄平和運動センター」を縁側さんが、ここでも快調に切り刻んでいます。

与那国に武力はいらない!

【おまけ】その2

【必見動画】です!

 
 
【追記】
 
驚いた! 
 
琉球新報は自説が民意だと思っているのだろうか。
 
 
 
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コメント (14)

怪人・上原正稔 最終章 追記あり

2009-08-03 06:37:56 | 未分類

 

以下は「ハーバービューホテルの決闘」第八章を編集したものです。

文末に【追記】あり。

■怪人・上原正稔 最終章■

佐野眞一氏のいう沖縄の愛すべき妖怪キジムナーこと上原正稔氏と、アンダケーボージャー(油食い坊主)とも言うべき太田昌秀氏の「沖縄ハーバービューホテルの決闘」を書いていたら、止め処もなく脱線して9回も続いてしまった。

さて、長いシリーズもいよいよ今回で最終章だが、途中から読む読者は、次ぎのリンクの順で読むと少しは分かりやすい・・・かも。

怪人・上原正稔氏を通して、沖縄のマスコミが報じない沖縄裏面史の一端が覗けるかもしれない。

勿論通して読んで頂いている方はスルーを。

 沖縄を語る“大文字言葉”-『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』感想文

ハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔

続・ハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔

第三章ハーバービューホテルの決闘

第四章「ハーバービューホテルの決闘」

第五章「ハーバービューホテルの決闘」 「1フィート運動」の正体

「ハーバービューホテルの決闘」第六章 沖縄戦メモリアル構想

「ハーバービューホテルの決闘」第七章 メディアの驕りが雲仙・普賢岳災害をもたらした

「ハーバービューホテルの決闘」第八章

 

(前回)<恵子夫人と入れ違いに太田昌秀県知事が会場に登場した。 上機嫌にフィアリー氏や総領事と話し、酒に手をつけた。 ぼくの存在に気がついた太田の秘書官桑高は顔色を変えて会場から出て行った。 何か、危険を察知したらしい。>

<だが、ぼくは気付かない。 ようやく、フィアリー氏と総領事に挨拶し沖縄タイムスの大山哲らと談笑している時だった。 会場の奥から顔を上気させ、目を吊り上げ、恐ろしい形相をした酒乱男が、「おい、上原、お前は県議会でよくも俺の悪口を言ったな」と叫びながら、掴みかかってきて、組んずほぐれつの大喧嘩が始まった。 その男が太田知事だった。 会場の「文化人」らは、呆気に、仰天している。 誰も太田を止める者はいない。 やがて、太田の罵り声を聞いた太田の一の子分である宮城悦二郎教授が青い顔をして、駆けつけてきて、太田を押さえようとするが、「キレた」太田を押さえることができない。三人がかりでようやく押さえつけたが、太田は「誰がアイツをここに入れたんだ」と喚いている。何という醜態だ。 ぼくはその時、怒りがこみ上げてきて、「知事たる者がなんだ。 貴様は知事じゃない。 沖縄の恥だ。 知事を辞めろ。」と叫んだ。 ぼくは憤然として、会場を出ようとした。 出口には20人ほどの琉球大学の女学生たちが茫然と立ちすくしていた。 泣いている少女もいる。 ぼくはそこで我にかえり、惨劇の場所を後にした。 だが、この事件が報道されることはなかった。

同じ酒のせいでも、太田知事のご乱行に比べれば、草なぎ剛君の全裸騒動なんて可愛いもの。

現役の沖縄県知事が外国の賓客を迎えた「文化人」たちが集まる高級ホテルのパーティ会場で、来客の一人に襲い掛かり、組んずほつれずの大乱闘劇えを演じる醜態に比べれば、

人目のない深夜の公園で全裸になって逮捕され、草なぎ剛君の方がよっぽど罪が軽いと思うのだが・・・全国的に報道されてしまった。

一方の太田元知事の醜態を報じる新聞はない。

何しろ当日参加した「文化人」たちのほとんどが、太田氏の息の掛かった者であり、太田氏を支援するマスコミも、本来なら逮捕されてもおかしくない乱闘劇を報道さえしないのだ。 

まるで島ぐるみで太田氏のご乱行を隠蔽しているとしか思えない。

太田氏のご乱行といえば、太田氏は知事時代、国が行うべき外交を「直接交渉」を口実に、毎年のように大名行列を組んでアメリカへ行くのを常としていた。 

同行の沖縄タイムス、琉球新報社が報じない知事のアメリカでの素行を産経新聞がすっぱ抜いたことがあった。 予定では米国政府の要人と面会するはずだが、当の知事は二日酔いでホテルの部屋で昼まから寝ていたとか。

地元紙には大々的に報じられた現地での太田氏の講演会には同行スタッフの方が聴衆より多く、知事本人は参加もしていなかったとか・・・。

いずれも太田氏の「身内」ともいえる同行の地元紙は、太田氏の現地での素行を読者に伝えようとはしなかった。

なお、上原氏が太田氏に襲われる前に談笑していた大山哲氏とは、元沖縄タイムス記者で、今では左翼の巣窟と化した「1フィート運動の会」の役員として太田昌秀氏や安仁屋政昭沖国大名誉教授等と名を連ねている。

上原氏が事務局長として若い仲間たちの協力で始めた「1フィート運動」が太田昌秀氏に乗っ取られたことを書いたが、

事務局長の椅子を巡って太田氏の周辺でも醜い椅子取りゲームが行われていたようだ。 

先ず事務局長の椅子を「上原氏は若い」という理由で奪った福地氏一派。 

次に女性運動の手に「1フィート運動」の実権を握ろうとして中村文子氏を事務局長に推した故宮里悦女史一派。(宮里女史亡き後は中村女子が継ぐ) 

そして「1フィート運動」乗っ取り劇の元凶である太田昌秀氏一派。

だが、左翼勢力の団結は見事なもので、最近の「1フィート運動の会」の名簿は太田、福地、中村の三氏が仲良く名を連ねている。

その役員名簿を一瞥すれば、「一フィート運動」は、左翼活動家に乗っ取られてと言う上原氏の主張が正しいことが分かる。

沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会 役員名簿

◆顧問  太田昌秀

       中村文子

◆代表  福地曠昭

◆運営委員 

 安仁屋政昭

 新崎盛暉

 石原昌家

  大山哲

 (以下略) 

                   ◇   

上原氏が純粋な気持ちで創設した「1フィート運動」は、太田氏に乗っ取られた後は、沖縄戦記録の発掘という地道なイメージを隠れ蓑に左翼イデオロギーの宣伝の巣窟と化したことは再三述べたが、

沖縄戦メモリアル構想は現在「平和の礎」として太田県政の成果として評価をうけている。

ところが沖縄のマスコミは決して報じることはない多くのデタラメがその石碑の裏には隠されていると上原氏はいう。

「平和の礎」の戦没者の刻銘に関しても、太田氏は自分の名誉欲達成のため多くのデタラメを行っているという。

これでは顕彰された戦没者も浮かばれないと思うのだが、これについて上原氏自身が記した文を著書より引用する。(太字強調は引用者)

今、摩文仁の公園に平和の石ころが乱立している。 24万余の氏名が刻まれている。 だが、この中で何人が沖縄戦で死んだのか。 誰も知らない。 なぜなら、この石碑は1931年の満州事変から1946年9月までに自然死したものも含む戦没者の氏名を刻んだものだから。 しかも、生きている人の名も刻まれているのだ。  特に、沖縄住民の戦没者が10万3千を越えることはないことを肝に銘じておこう。 なぜなら、これ以上の数字だと、戦前の人口を増やさねばならないからだ。 功名心の塊である太田は50周年の記念事業に合わせ、わずか2ヶ月で沖縄住民戦没者のリストを掻き集めたのである。 どこで死んでいようと構わなかったのだ。 しかも政教分離を謳う憲法を無視して、
15億円の国費が投じられている。 だから、平和の礎の入り口には「これは慰霊碑ではありません」と断り書きがある。
ここまで、ぼくは自分の体験した沖縄の堕落を書いてきた。 だが、太田のやりたい放題の悪政乱政によって、今、沖縄は海の底へ沈没しようとしていることを指摘しておこう。 読者の皆さんもひしひしと実感しているはずだ。 税収わずか800億円の沖縄県は今、6000億円の借金を抱え、事実上、「死に体」の状態だ。やりたい放題にやらせた
のは、権力に盲従する「文化人」、太田とつるんで税金を湯水のようにせしめている悪徳企業、「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいるメディア、太田に裏切られて初めて太田の正体を知り、右往左往している中央の政治家だ。 
沖縄は死んだ。  あの「人が平和に生き、平和にしんでゆく島」は滅びた。 沖縄戦が終わった時、ぼくらは皆、地獄から甦ったかのように活き活きとしていた。 だが、太田が知事の座を下りても、生気が甦ることはない。

最後に上原氏の太田氏とその取り巻きの「文化人」、そして太田氏の悪行を隠蔽するマスコミを激しく糾弾するのであるが、上原氏の文からこれら沖縄をダメにした連中を抜き出すとこうなる。

①功名心の塊⇒太田昌秀元県知事

②権力に盲従する⇒「文化人」

太田とつるんで税金を湯水のようにせしめている⇒悪徳企業

「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいる⇒メディア

太田に裏切られて初めて太田の正体を知り、右往左往している⇒中央の政治家

これまで長々と引用してきた上原氏の文は『茶柱が倒れる』(神山吉光編 閣文社 1998年)の中の「怒りを込めて振り返れ-そこのけ、そこのけ、裸の王様が通るー」よりの抜粋だが、同文の冒頭部分で上原氏は太田氏を想定してこう書いている。

ー ひとりの人間を知ることは世界を知ることより難しい。 
だが、裸の王様の正体を知ることは真昼の太陽を拝むことより易しい。 ただ、ぼくのように率直であればよいのだ ー ひとりぼっちの反逆者、上原正稔

そして文の最後を次のように結んでいる。

ソドムとゴモラの悪徳の都では、今日も裸の王様の行列が通る。 愚民が「王様の衣装は見事だ」「王様万歳」と歓声をを挙げる。 「あ、王様は裸だ」と叫ぶ少年の声は届かない。>

【完】

 

【付記】

上原正稔氏の著書を基に書き綴ってきたが、引用元の『茶柱が倒れる』の編者である神山吉光氏は、太田氏の夫人がDV(家庭内暴力)を逃れハワイで長年別居生活をしていることに関連して、太田氏の酒乱と暴力癖を次のように批判している。

太田知事は国家的暴力である戦争を嫌い、いろいろな書物を通して人々に平和を訴えた知事であり、又、第一級の平和主義者として自他共にそれを認めているはずだ。 ところが、この太田知事が家庭では夫人が同居出来ないくらいに暴力を振るっていたとは、正に天地がひっくり返ったような驚きであった。 いまがどうあれ、このような反社会的暴力を肯定し、これを日常行動とした太田知事は、側近がどのように弁明しようが、太田昌秀は県知事としても学者としても大失格であった。 私は暴力追放と社会正義の立場から、このことを太田知事本人に強く指しておきたい。>(「茶柱が倒れる」 神山吉光編 1998年)

 

【追記】

7月29日放映のチャンネル桜の取材で、上原氏は太田元知事は、県予算6000万円を捻出して沖縄タイムス、琉球新報両社に夫々3000万円ずつ配って自己の「悪行」の口封じをしたという主旨の発言をしている。

 

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