狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

再論・全体主義の島 言論封殺魔の跋扈

2009-08-15 07:32:47 | 未分類

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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小泉元首相に批判はいろいろあっても、唯一評価できるのは、日日をずらす姑息な点はあったとしても、在任中靖国参拝を実行したことだ。

そもそも自国の特定の地域に外国に言われて首相が立ち入ることが出来ないということが異常なのだが、中国の顔色ばかり伺うマスコミにその意味が理解できないらしい。

「宗教はアヘンである」という共産主義の中国にとって、隣国の首相が自国の神社に参拝しようがしまいが本来どうでもよいことであった。 それがマスコミのご注進に応え、一言文句をつけててみたら日本の首相が動揺して、これまで継続していた参拝を急遽取りやめた。

そこで中国は「靖国は外交カードとして有効だ」と考え、以後靖国にイチャモンをそれを付けるようになった。

今ではこれは中学生でも知る事実である。

その外交カードに最初から白旗を揚げ、中国様に跪いて恭順の意を露にしている次期首相候補にも困ったものだ。

民主・鳩山氏の「靖国参拝せず」発言、中国が歓迎

民主党政権が続けば「沖縄自治区」、いや「日本自治区」さえ笑い話ではなくなる。

で、麻生首相はどうするつもりか。

麻生首相、靖国参拝見送りへ=「政争の具にするのは間違い」

首相は「国家のために尊い命をささげた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとか、新聞のネタにするのは間違っている」とも語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。》

首相発言は、正論であり「その通り、政争の具にするの間違いだ!」と拍手をしたくなるのだが、その後がいけない。

麻生発言が次のように完結していたら支持率も逆転していたと思うのだが。

「国家のために尊い命をささげた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとか、新聞のネタにするのは間違っている。 
従って私は粛々と参拝する」と。

                   ◆

最近、言論封殺魔こと佐藤優氏が沖縄に頻繁に来訪し、「沖縄は全体主義の島」という小林よしのり氏に反撃を加えているようだが、沖縄版言論封殺魔まで登場して共同戦線を張って必死で反論を試みている。

ご両人の反論の根拠は「反対意見が新聞に掲載されないのは内容が無いから」という点で共通している。

なるほど新聞社は編集権という伝家の宝刀で反対意見を封殺するものらしい。

沖縄版言論封殺魔が新聞社を代弁して編集権を持ち出し全体主義を正当化しようとしている。⇒反論権と編集権またはゴーマニストの腐臭

それにしてもこのお方が相手を罵るときの汚い言葉のボキャブラリーの豊富さは、なんだ。

さすがは作家センセと妙なことに感心してしまう。 そういえばコメント欄に出入りを認められている数人のお仲間たちも揃って汚い言葉の得意な連中なので類は友を呼ぶのであろうか。

沖縄版言論封殺魔は長すぎるので、以下「沖縄言封魔」と短縮形を用いる。

沖縄言封魔が代理で反論するまでも無く、去年の今頃、沖縄タイムスは「沖縄紙の偏向」について、県内外の識者を使って連載企画を掲載していた。

ところがその識者の顔ぶれを見ただけで「沖縄紙は偏向している」「沖縄は全体主義の島である」と自ら証明したような企画である。

以下は一年前の記事筑紫哲也と沖縄タイムス 沖縄紙偏向していない!を一部編集加筆したものである。

勿論その頃は、沖縄タイムスの連載企画に識者として登場する筑紫哲也氏はまだ元気で健筆を振るっていた。

                  ◇

8月11日から始まった沖縄タイムスの連載特集「沖縄メディアの役割り」が14日で終わった。(四回シリーズ)

第一回は新崎盛暉沖縄大学名誉教授が登場して、「沖縄紙の報道はまだ偏向が足りない」と逆に叱られた。

沖縄タイムスは偏向していない!by沖縄の「識者」

沖縄の「識者」だけかと思ったら、ヤマトの「識者」も登場。

二回目は、西谷修東京外国語大学教授で、

「沖縄メディアが偏向報道するのは当然である。 理由は沖縄は日本で唯一、本土と違う歴史があるから」と、偏向報道は認めながらも、それは当然であると援護射撃。

三回目は、再び沖縄の「識者」の波平恒男琉球大学教授。

小林よしのりの『誇りある日本へ』を批判してお茶を濁しているが、最後は

「重要なのは民主主的な自己決定や人権といった理念であり、重層的で柔軟な共感と連帯の意識が育つことである」

と大上段に構えたごよくわらない高説の次に、

「沖縄の新聞にはローカリズムに寄り添いつつ、グローバルな視野からそうした理念や課題の実現へ寄与することを期待したい」

と、結論付けているが、当たり前すぎてこれもよくわから.ない。

「識者」の顔ぶれから見て、はじめに結論ありきだと思い、斜め読みでスルーしようかと思ったのだが。

最終回14日の、「識者」は沖縄にはゆかりのある筑紫哲也氏が登場とあってはスルーは失礼というもの。

詳しくはタイムス記事を読んでいただくとして、さわりだけでもお付き合いしたい。

沖縄は、筑紫氏のジャーナリストとしての起点であり、それは抽象論ではなく米軍占領下の昭和43年から昭和45年の二年間、朝日新聞沖縄特派員として、沖縄タイムス、特に創業者の豊平良顕氏の薫陶を受けたという。 現在でもそうだが当時の朝日新聞那覇支局は沖縄タイムス社屋に間借りしていたという。

豊平氏といえば『鉄の暴風』の執筆者であり、監修者でもあるので、若き日の筑紫氏が新聞記者として、その薫陶を受けていたとなると、朝日の筑紫記者が沖縄タイムスに影響を与えたというより、その逆であったといえる。

筑紫氏によると沖縄紙の「偏向報道」米軍占領当時からあったという。

筑紫氏は沖縄駐在当時、豊平氏に沖縄紙は「復帰運動の機関紙ではないか」という問いをぶっつけて見た。

これに対し記者としての師匠格の豊平氏は次のような意味の答えをしたという。

「一方には政治、経済、軍事に及ぶ全権力を手中にした異民族の統治者がいる。 その一方には民主制の下なら誰もが保障されるはずの基本的権利一切を奪われている被統治者がいる。この両極端な不均衡のなかで、両者の言い分を平等に取り上げることが果たして客観的、中立、公平をいえるのか」。

なるほど、当時の沖縄でなら理解できなくもない意見だが、筑紫氏は豊平氏の言葉を借りて現在の沖縄紙の「偏向報道」を正当化しようとしている。

だが、現在の沖縄はチベット自治区でもなければ、コソボ自治州でもない。 そして沖縄がまぎれもなく日本国憲法の下の日本の一県であることを忘れている。

それどころか沖縄紙の偏向報道は日本復帰してからその度合いを激しくしており、今では偏向報道というより反日報道といった方がふさわしい。

 

沖縄紙が偏向しているかどうかの結論は、掲載紙と論者のリストを見れば、いちいち取り上げて論評するのも野暮というもので、勿論筑紫氏も例にもれない。

仮に沖縄の置かれた特殊性から、沖縄紙の「偏向報道」を容認したとしても、これらの「識者」たちの論には次の視点が欠落している。

それは「沖縄県民は地元二紙以外に、新聞購読の選択の自由がない」ということである。

ほぼ独占状態の沖縄二紙の「偏向報道」が、どれだけ県民の判断力に悪影響を与えているかに、彼ら「識者」はあえて目をつぶっている。

自分たちと違う意見は、「知らしむべからず」、

沖縄県民なんて、

沖縄二紙のみに「由らしむべし」

その傲慢不遜な態度には、

孔子さまもビックリのことだろう。

                   ◆

本稿の結語として、コメント欄の太平山さんのコメントを引用させていただきました。 

いつも有意義なコメントを頂いていた「太平山」さんそして「きんじょう」さん、最近ご無沙汰ですがお元気でしょうか。

アントニーの詐術 (太平山)
2008-08-16 18:43:39

狼魔人さま

また失礼します。沖縄タイムス・琉球新報が偏向していると言っても、あまりに当たり前過ぎて怒るのも疲れてしまい、反論する気にもならなくなってしまいます。が、それは非常に危険なことですね。

沖縄タイムス・筑紫哲也・琉球新報には何を言っても蛙の面にションベンですから無理もなからぬことですが、例えごまめの歯ぎしり、メダカの歯ぎしりでも言い続けたいとムチ打っています。

彼らの煽動の仕方は山本七平氏の「ある異常体験者の偏見」にあるアントニーの詐術にそっくりですね。それは(1) 編集の詐術、(2) 問いかけの詐術、(3) 一体感の詐術の3つからなります。

たとえば編集の詐術については一人の人間を「事実」だけで構成して、神様にもできれば悪魔にもできるということです。それゆえに編集という仕事をしている人間にとって、常に直面しなければならないのが、「事実に基づくトリック」をどうやって克服するかという問題のはずだと述べているのですね。

私なりの解釈をすれば人間には長所もあれば短所もある。短所だけの事実をもってその人を評価すると短所だらけの人間になってしまうということですね。「人は相反する二つの事実でもって評価しなければならない」と極当たり前に考えるわけです。

タイムスや新報の報道の仕方というのはまさしく一方的な事実しか示していないということです。その事実さえも事実かどうか怪しい。ある目的のための誘導・煽動の意図が見えます。

煽動はまず集団にヒステリーを起こさせることが必要でその方法論がアントニーの詐術であると私は解釈していますが氏は煽動の原則について次のように述べています。

「まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人々を盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーがある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である」と。

去年の教科書検定における県民決議大会はまさにそれでしたね。県知事までが乗せられヒステリーを起こしたのではどうしようもない。私達は巨大権力の暴走を監視しなければなりませんね。

それではまた。長居にて失礼しました。

 

  

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