沖縄戦「集団自決」の謎と真実 秦 郁彦 PHP研究所 |
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本稿は以下のエントリーの完結編です。
◇
前にも書いたが、沖縄の某大学教授が授業の一環として集団自決の「軍命論争」についてアンケートをとったら、概ね次のような意見が大半を占めていたという。
①集団自決訴訟の一審、二審で原告の軍人側が敗訴したので、「軍命があった」ことは裁判では確定した。
②だが、文科省の検定意見では「軍命を削除」なので、現在検定意見の撤回を求めている。
これは沖縄タイムス、琉球新報の印象操作に大学生までもが見事に洗脳されたことを物語っている。
■勝負あった「軍命論争」■
しつこいのを承知で敢えてくり返す。
「集団自決論争」の核心である「軍の命令」については、係争中の裁判では決着済である。
大阪高裁の判決で、軍命令は証明されず事実上「軍の命令による集団自決」は否定された。
同じように、文科省検定でも軍命による自決は否定され高校の歴史教科書から削除の意見である。
動画ニュース⇒沖縄の集団自決歴史教科書問題で文部省軍強制の断定的資料は無し
そこで登場するのが、追い詰められた沖縄左翼やNHKが必死で捏造するす「戦陣訓軍命論」である。
だが、戦時中「戦陣訓」を厳しく教え込まれたという言説がウソであることは司馬遼太郎、山本七兵など軍隊の経験のある作家たちによって証言されている。
軍人でさえこの有様であるから、一般住民が「戦陣訓」の教えで自決したというのは、戦後の後付によるウソであると「続・戦陣訓の神話」で書いた。
作家の安岡章太郎は山本七兵を補足して、「戦陣訓」の教えが兵隊を束縛したという言説は、戦後マスコミが作り上げたウソだとして次のように解説している。
≪ 戦陣訓に戻っていえば、私自身も一年半の軍隊生活で戦陣訓を強制的に講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。
しかるに現代のマスコミは、なぜ戦陣訓を重視したがるのか?それは山本氏も言うように、戦陣訓は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。」≫
■五木寛之は軍人勅諭を暗記した
先日NHKラジオで聞いた作家の五木寛之のインタビュー番組で、戦時中の朝鮮の平壌の想い出話が出た。
その中で「小学校時代、教育勅語と軍人勅諭は必死になって暗記したので、今でも復唱できる」といった談話があったが、「戦陣訓」は話題にもならなかった。
当時の小学校には配属将校が軍事教育をしていたというが、軍人さえ良く知らないという「戦陣訓」が、教練の中にないのも当然だったのだろう。
戦時中の沖縄の学校で、将来軍人を目指す秀才達が必死になって「軍人勅諭」を暗記した逸話が県立ニ中(現在の那覇高校)の卒業生の文集に記録されている。
だが、ここでも戦陣訓の話は出てこない。
そもそも「教育勅語」も「軍人勅諭」も「勅」の字が付くのでも分かるとおり天皇陛下のお言葉(勅語)を文字化したものである。
従って当時の学生が「勅諭」や「勅語」を暗記しようと努力した気持ちは当時の時代背景から判断してもよく分かる。
ところが一方の「戦陣訓」は臣民である東条英機が発令したもので、軍人ならともかく、これを一般住民が必死に暗記したとは考え難い。
ましてや「戦陣訓」を自決命令と捉える「戦陣訓軍命説」は、戦後マスコミが作り上げた神話にすぎない。
沖縄の場合でも、当時のエリート高であった県立二中(現那覇高校)や県立一中の中でも当時の憧れであった士官学校への進学を希望する秀才達が競って暗記したのは「軍人勅諭」であった。
一般の小学校で「戦陣訓」を叩き込まれたという沖縄マスコミの論調は真っ赤なウソであることが分かる。
■那覇高校の大先輩も軍人勅諭を暗記した
以下の文は関東在住の「城岳同窓会(二中・那覇高同窓会)会報」よりの引用である。
城岳同窓会会報 第五号
座談会「素晴らしき青春―吾がニ中時代」を語る
日時:平成14年7月22日 場所:如水会館(東京・神田)
(略)
軍人勅諭を全文暗記したつわもの
北村:先生の話が出たところで、宮良(小宮)君関連のエピソードを一つ紹介しましょう。
四年のとき教練の赤嶺先生(アカンミー)から「一週間以内に軍人勅諭を全文暗記して来い」との指示がありました。覚えてくる奴はまず居るまいと前文と忠節、礼儀の項だけを覚えて授業に臨みました。案の定、覚えきれた者はなくほぼ全員が失格。しかし、ここに居る宮良(小宮)君ただ一人が全文を正確に暗誦し遂げました。
さすがのアカンミーもそこまでは期待して居なかったのでしょう、宮良君の熱意と頭の良さを口を極めて称賛していました。私は海軍に入ってからも軍人勅諭を全文暗記している人に出会ったことはありませんでした。
司会:皆さんの中には軍人学校に進学された方もおられますが、どう言う動機で受験されたのか。北村さんの場合はどうだったのですか。
北村:私の場合は、海軍の佐久間艇長殉職の記録に感銘を受け,どうしても潜水艦に乗りたいと思って、海軍兵学校を志望したのですが視力が0.3で駄目、結局は海軍経理学校を選択しました。入校して驚いたのは中学四年修了の"坊や"から3浪の"おじさん"までが混在しており、5歳の年齢差があったことです。訓育の標準は概ね一浪に合わせてあったので身体未成熟の四年修了や五年修了の連中は付いていけず随分苦労していました。幸い私は二中時代に柔道と「まちまー町廻い」で鍛えてあったので、カッター、陸戦、遠泳など、激しい訓練もそう辛いとは思いませんでした。
◇
■教科書検定意見撤回と普天間移設の不思議な関係■
現在進行形の「普天間基地移設」問題で、結論は「辺野古」で決まっているのにも関わらず、鳩山首相が「県外」と、かなわぬ夢で県民を扇動している意味は何なのか。
「県外移設」というパンドラの箱を開けてしまった鳩山首相は、「辺野古決着」の後、巻き起こる沖縄の県民の「怒り」「恨み」を鎮めるために「教科書検定意見撤回」というバーター条件を出す公算が強くなってきた。
鳩山首相は自分が撒いた種(「対等の付き合い」というパーフォーマンス)のため、ここまで追い詰められたら、
もはや残る助け舟は「教科書検定意見撤回」以外には考えにくくなってきた。
昨日、日米閣僚級作業グループの初会合が行われた。
鳩山首相のコメントがこれだから呆れる。
「結論がまとまれば一番重い決断として受け止める」
当たり前だろうが。 結論は既に出ているではないか。
国家間の合意は重いということにまだ気が付いていないのか。
グレグソン米国防次官補はこういっている。
「唯一実行可能な案は現行計画だ。これは米政府全体の考えだ」
この意見はゲーツ国防長官の恫喝以来、大統領演説まで終始一貫している。
国家間合意が重要である例え話に、TBS「朝ズバッ!」で片山元鳥取県知事が徳川幕府が米国と合意した「不平等条約」で説明したが、非常にわかりやすい。
明治新政府は前政権の徳川幕府が合意した「不平等条約」を政権が変わったからといって、これを白紙にすることなく時間をかけて苦労しながら「条約改正」に努力した。
現代の鳩山首相は、前自民党政府が合意した日米合意を白紙に戻すという。
鳩山首相は、明治政府の要人より外交の遵法精神に欠けていることになる。
とんだ人物を首相にしてしまったものだ。
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チャンネル桜取材の「沖縄集団自決の真実」の動画をまとめた大和魂☆FOREVERさんを引用します。
●沖縄集団自決は軍命令ではない!PART1-渡嘉敷島・赤松隊長編
●沖縄集団自決は軍命令ではない!PART 2
●沖縄集団自決は軍命令ではない!PART 3-梅澤裕元少佐への独占インタビュー
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