狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「人類館」のウソ演劇が国立劇場を占拠!

2009-11-29 08:15:52 | 未分類

 

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 ブログセンターランキングへクリックで応援願います。

大田昌秀元県知事が琉球大学教授時代にばら撒いた「人類館」にまつわるウソの歴史が、沖縄紙に取り上げられると「情報ロンダリング」され、いつしかウソが定説となると書いた。

さらにこれが本土全国紙に記事として取り上げられるとウソが遂には「真実」となってくる。

レーニンが言ったという「ウソも百篇つけば真実となる」の正しさが、沖縄では容易に証明されることになる。

「人類館」のウソが日本一発行部数の多い新聞によって「情報ロンダリング」された例がこれ。

<19>沖縄差別(読売新聞記事)

写真:写真説明
沖縄だけに適用される駐留軍用地特別措置法(特措法)の改正案に反対する座り込みには「沖縄差別」と書かれた横断幕が掲げられた(那覇市内で、1997年4月10日)

【沖縄差別】明治以降、就職などで本土に渡った沖縄出身者は、言葉や生活習慣の違いから差別や偏見にさらされることが多かった。1903年、大阪で催された内国勧業博覧会場外の民間パビリオン「学術人類館」で沖縄の女性がアイヌや台湾の高砂族などと共に見せ物とされた。戦前には、出身者が多く住む阪神地区や京浜地区では家を貸す時、「琉球人お断り」の札が下げられたり、就職や給与で差別されたりすることもあった。沖縄県内では方言撲滅運動が推進され、小中学校で方言を使うと罰として木札「方言札」を首からかけさせられた。

             ◇        ◇

もっとも読売記事は、高倉倉吉琉球大学教授の意見として、時代を遡れば個人的な差別、偏見は別として、日本政府が沖縄に対して差別をした政策や制度は存在しない、と述べている。 

読売新聞より抜粋し以下に引用する。

歴史的に観察すれば、1879年(明治12年)春の琉球処分=沖縄県設置以降、確かに沖縄はヤマト(沖縄以外の日本)と制度上区別されたことがあった。琉球王国時代以来の旧制度を全国並みの制度に変革するまでの間、中央政府(明治政府)はいわゆる「旧慣温存」路線を敷いたが、その特別制度は大正期に終焉(しゅうえん)する。(略)

アメリカ軍基地が沖縄のみに偏在しているという不公平さを除くならば、わが国において沖縄県のみが区別され、「差別」を受けるような特別制度はない。2012年3月期限の、沖縄県のみを対象とする振興計画が推進されているが、それは沖縄側が望んだものである。(略)

 そのことをふまえても、日本国憲法体制下にあって、沖縄という地域のみが他と区別され、誰の眼にも明らかな「差別」的境遇を強いられ続けているという決定的事実は存しない。不公平の是正や、基地優先主義の是非などを問う論点は確実に存在するものの、制度をめぐる「差別」論を唱えうるような実態はないと私は思う。》

高倉教授は言葉を続けて、「沖縄の文化が、『差別』されるような状況は存在するだろうか」と疑問を投げかけているが、

沖縄紙の紙面を飾る識者達の文章を読む限り、「沖縄は差別され固有の文化や言語を奪われた」といった印象を植え付けられるし、さらには国連まで担ぎ出して「琉球民族は文化を奪われた先住民族」だから国は先住民族の認定をせよ、といったトンデモ意見まで出てくる始末である。

本当に沖縄が文化を奪われたのか。

とんでもない。

沖縄県が日本一芸能の盛んな県であり、琉球舞踊や琉球民謡の研究所の数が沖縄ほど多い県はないということは、彼ら識者達が一番知っているはずである。

沖縄の盆踊りとも言える「エイサー」などは沖縄県の地域を飛び出して、今では東京、大阪は勿論全国のお祭りを占拠しているではないか。

沖縄方言に関しても、沖縄の大学には「沖縄方言講座」があるくらいで、筆者も昨年、名桜大学の週一回の「方言講座」を社会人コースとして受講したくらいである。

さらには膨大な国費を投入し、沖縄伝統の組踊り保存のため、国立劇場まで創設しているが、そこで行われる演目不足で、遂には「人類館」まで上演される始末である。

国費を投じた国立劇場で、「日本政府が沖縄を差別した」というウソ塗れの「反日劇」を上演し、県民の反日感情を煽るとは、ウソの発信元である大田元県知事の高笑いが聞こえるようである。

11月21、22日、国立劇場おきなわで催された「人類館」上演に関する琉球新報コラムを引用するが、

ここでは大田元知事が垂れ流したウソがすっかり「歴史的事実」として書かれている。

国立劇場おきなわ 2009年11月23日
 今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた
▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた
▼さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。

                     ◇

「人類館」上演は沖縄出身の俳優津嘉山正種氏によって演じられているが、「明治政府の沖縄差別」を頭から信じ込んでいるようで、氏のこの演目に対する熱の入れようは並みのものではない。

津嘉山氏の言葉を「劇団「青年座」人類館沖縄公演」から抜粋したものを引用する。

 上演にあたって皆さん今晩は。本日は我が『人類館』へようこそおいでくださいました。史上初の、そして空前の規模で開かれます我が「人類館」は、世界中のいたる所で差別に遭い、抑圧に苦しみ、迫害に泣く人種、民族を、色とりどりに取り揃えてございます……」(戯曲『人類館』より)

知念正真作『人類館』は、1903年に大阪天王寺で開かれた内国勧業博覧会会場前に建てられた「学術人類館」において、琉球、朝鮮、アイヌ、台湾高砂族、インド、マレー、ジャワ、アフリカなどの人々を、民族衣装姿でそれぞれの住居に住まわせ、見世物として観覧させた事件、俗に言う「人類館事件」を題材に書かれたものです。この学術人類館を舞台に近現代の沖縄の歴史と文化、とくに戦中・戦後の沖縄の姿を赤裸々に再現しています。津嘉山正種は、戯曲のウチナーグチ(沖縄語)をそのままに、「陳列された男」「陳列された女」「調教師風な男」の3役を1人で朗読します。

昨年の沖縄公演(キジムナーフェスタに参加)、東京公演(青年座劇場)で大好評をいただき、今回、津嘉山正種後援会のご協力により沖縄公演が実現する運びとなりました。
津嘉山が万感の思いを込めて語る 沖縄の現実 歴史の事実 人間の真実。
ご期待ください。

                    

なお津嘉山氏の「人類館」公演に対する熱い思いは、琉球新報コラム「あしゃぎ」に「人類館にこめた思い」と題して次のようにも述べられている。

折しも沖縄を巡っては、教科書問題や米軍基地問題など、まさに「沖縄への差別」が根底にある・・・。」⇒津嘉山正種ひとり語り“人類館”の沖縄公演

100年以上前の一興行師が行った興行が、「明治政府が行った沖縄差別政策」とういう「反日デマ劇」となって、

国費を使った国立劇場で上演される・・・、こんな間抜けな国は世界中どこにも見当たらないだろう。

さらに付け加えると100年も前の「人類館」が、一世紀の時空を飛び越えて教科書問題や米軍基地問題に関する「沖縄差別」に結びつくとは、

「人類館」で一儲けを目論んだ吉田某なる興行師も今頃あの世で、くしゃみをしていることだろう。

もう一つ、大田元知事が垂れ流した「沖縄への差別政策」というウソをモロに受けた沖縄タイムス記事を引用しておく。

■戦艦大和は「日本の沖縄への差別政策」の表れ!

沖縄県人として地元紙の噴飯モノの記事を晒すの恥ではあるが、「ウソも百篇・・・」の例として、我慢して読んでいただきたい。
 
 
まず、明治以来、日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は、人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と、伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが、そのいきつくところとして、太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが、もっともあくどい仕打ちは、戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う。
 
さて、そこへ大和が攻め込んできて、世界最大最強といわれたその主砲四十六㌢砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか。想像しただけで瞑目するばかりである。おそらく、大和は偵察機による誘導もないので、沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう。その弾は日米軍ばかりではなく、住民をも打ち砕いたであろう。 住民の犠牲者は、更に多数に上り、三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと、恐れる
 

だが、大和は、米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で、沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく、四月七日に、三千人の乗組員とともに撃沈された。
あっ、よかった。戦艦大和が、沖縄のはるか北方の海に沈められてよかったそう言えば、日本国民の多くは激怒するだろうし、やはり琉球人は日本人ではないと、
その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない。
 
沖縄人が、戦艦大和によりさらに多数を殺され、島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば、
それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった。
 
沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋

念のため書き添えるが、この記事は筆者の捏造でも何でもなく、正真正銘の沖縄タイムスの記事である。

それにしても随分と読者をバカにした記事ではないか。(怒)
 

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 ブログセンターランキングへクリックで応援願います。

コメント (5)