狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

④島民のために自ら十字架を背負った、元陸軍少佐・梅澤裕氏

2021-05-06 15:52:24 | ★改定版集団自決
 
ブログ「毎日の生活で感じたこと」の引用です。
 
2020.08.13
カテゴリ:感動
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​もうすぐ終戦記念日…
しかしほとんどの日本人は、大東亜戦争の真実を知らずに過ごしています。
​​​真実を知らなければ、自虐史観から逃れることはできません。​​​
そこでおすすめは、8月10日配信の『サンケイ・ワールド・ビュー』
サンケイ・ワールド・ビュー#6 終戦75周年特別企画
(なお、ハンカチのご用意をお忘れなく)


沖縄集団自決問題で冤罪と戦い続けた、元陸軍少佐・梅澤裕氏。​​
​「不要な死は必要ない」と、温情のある戦いをされた方。​​
​大陸では、空に発砲・銃声をとどろかせ、中国兵を降伏させました。​
​後ろに爆雷のある『マルレ』は、通常敵艦に体当たりする水上特攻。​
​「若い部下を、俺は死なせなくない」と、必死で作戦を考えた梅澤氏。​
​敵艦の手前でUターンし、遠心力で爆雷を投げる訓練を何度もさせました。


​米軍が上陸する省昭和20年3月、朝鮮人軍夫に海岸に集まってもらい、​
​「日本軍と共に戦うか、米軍に投降するか」を、たずねます。​
​​下を向き、米軍に投降するしぐさをする朝鮮人軍夫たち…​​
「じゃあ、また生きていたら会おう!」と、彼らに別れを告げました。

​戦後『軍の命令』にしなければ、島民たちが援護金がもらえないことを知り、​
​「私の命令があったということで、島民の命が救われるなら。」​
赤松嘉次陸軍大尉・梅澤裕元陸軍少佐は、あえて十字架を背負いました。

『軍命令の集団自決』を確立させたのは、
1950年8月出版の「鉄の棒風」
(編集:沖縄タイムス社 朝日新聞社)
​これは、日本軍と沖縄県民の分断工作のために書かれた本。​
​米軍の命令で書かれたことを、執筆者が口を滑らせています。​

​この本は1970年に第2版が出版されましたが、米軍に対する謝辞が削除。​
​​沖縄県民が米軍を憎むように仕向けるため、意図的に削除されました。​​

​​​この本の中では、梅澤さんは戦死したことになっています。​​​
​実際に梅澤さんがお亡くなられたのは、平成26(1918)年(享年97歳)​
梅澤さんに直接会ってお話を聞いたところ、
​朝鮮人慰安婦の方は、戦後東京六本木で飲み屋経営、羽振りがよかったそうです。​


この本を補強する形で出されたのが、
1970年9月発売の大江健三郎氏著「沖縄ノート」(岩波新書)
​大江氏は、沖縄での取材は一切行わずに、この本を書きました。​
​中国へ行き「日本軍はひどいことをした」と吹き込まれ、帰国後に執筆。​
多分、中国の『歴史戦』の一環だったのでしょう。​​

赤松大尉にフォーカスを当て、大江氏の欺瞞を暴いたのが、曽野綾子氏。
1973年5月「ある神話の背景ー沖縄・渡嘉敷島の集団自決」(文芸春秋)

座間味の梅澤さんにフォーカスを当て、実際がどうだったのかを書いたのが、
2015年2月大高美貴著「強欲チャンプル 沖縄集団自決の真実」(飛鳥新社)

長年沈黙してきた梅澤さんですが、

​「そろそろ本当のことを話してもいいのでは?」との周囲の声を受け、​
​2005年「沖縄ノート」に対し、名誉棄損の裁判を起こします。​​
​自決命令があったことは認めないが、名誉棄損は認めないとして棄却。​
なんともわかりにくい裁判結果でした。
​この裁判のことを、人民日報が「軍命令確定」と嘘の記事を掲載!​​

​『「沖縄ノート』勝訴に、なぜ誰も注目しないのか』と。​​
(誇らしげに記事にすることからして、中国が関与した可能性濃厚)

​平成25年3月31日、大澤さんに会い、裁判を起こした理由を尋ねると、​
「大江健三郎がこの本で、いくら儲けたとかで起こしたのではなく、
 ​​戦友の名誉と日本の将来がかかっているからだ。」​​


梅澤さんが一番つらかったのは、
真実を言いにくい雰囲気に、飲み込まれた戦友たちが多かったこと。
​そんな中、一人だけ梅澤さんを信じてくれた人がいました。​
​「カワムラという男が、ずっと俺を信じてくれた。​
​『梅澤は、住民自決の軍命令を出すような人間でない!』​
​ 俺をずっと支え、座間味まで来て、俺を励ましたくれた。」​
​当時を思い出し男泣きする梅澤氏の姿に、長年のつらさが伝わってきました。​
大高美貴「この本を、手渡しできなかったことが残念でなりません。」
 


​中国の『歴史戦』に対し、産経新聞大阪正論編集長:小島新一氏が発言。​
​日本軍の名誉を回復させる戦いは、今も続いています。​
​これを僕らが引き継いで、やっていかなければならない。​


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ファイザー「笑いが止まらん」 ビルゲイツ「テーヘンダ!テーヘンダ!コロナは儲かるぜ」

2021-05-06 10:30:19 | 医学・健康

 

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感染の80%が家庭と病院だとか。

そうすると、このコロナ騒動は完全に茶番劇ということになる。

なんで発病してもいない人たちまでも感染者といって毎日毎日カウントしているのか?

知事や市長らが真剣な顔で「出かけないで!」と言っているのが滑稽にしか見えない。

遺伝子型ワクチンの販売が最大量になるように諸々のことが仕組まれていると思うが、どうだろうか。

私の周囲には一人もコロナ感染者の話を聞かないと思っていたら、

やっと1人、コロナに感染してダウンしてたと言う知り合いの知人の話しを聞く事が出来た!!


コロナと判定されたのは、PCRが検査陽性だったってだけだって(笑)

これではコロナによる死亡者よりコロナ禍による一家心中の方が多くなるかも。

 

2021年 5月 5日 (水)
ファイザー製薬「いやー笑いが止まらんwww」
17時 5分 更新  |  海外ニュース

ファイザー製薬「いやー笑いが止まらんwww」

ファイザー製薬「いやー笑いが止まらんwww」
ファイザー「笑いが止まらんwww」 
lif2012180027-p1

1: アイアンフィンガーフロムヘル(ジパング) [CN] 2021/05/04(火) 22:45:36.34 ID:c5JSVkm50● BE:723460949-PLT(14000).net
ワクチン売上高見通し2.8兆円 / 米ファイザー、上方修正

【ニューヨーク共同】米医薬品大手ファイザーは4日、ドイツのバイオ
企業ビオンテックと開発した新型コロナウイルスワクチンについて、
2021年12月期の売上高見通しを上方修正し、従来予想と比べて約1.7倍に
当たる260億ドル(約2兆8千億円)程度になることを明らかにした。
 4月中旬までの契約に基づき、年内に16億回分の供給を見込んでいる。
https://this.kiji.is/762305934583840768?c=39550187727945729



10: 毒霧(千葉県) [US] 2021/05/04(火) 22:49:35.96 ID:Y4GFQm0b0.net
ファーw



引用元: ファイザー「笑いが止まらんwww」

 
スポンサーリンク5: ローリングソバット(千葉県) [US] 2021/05/04(火) 22:47:04.32 ID:z3v4AJDk0.net
エア出荷だからエア利益
 
7: 膝靭帯固め(神奈川県) [NO] 2021/05/04(火) 22:48:10.22 ID:gutd+1Ww0.net
効くかどうかわからんワクチンを毎年2回、78億人に注射するのか
効かないならまだましだけど、3年後とかに副反応でとかかないよねまさか
なにせ治験時間、数か月の薬だからね
 
20: 膝十字固め(長野県) [US] 2021/05/04(火) 22:53:56.43 ID:Nw1TtfC40.net
>>7
オレもこれ心配してる。ほぼ全人類に同じ薬使うなんて前代未聞だもんな
 
29: アキレス腱固め(東京都) [US] 2021/05/04(火) 22:55:59.77 ID:4IZbAExV0.net
>>7
メッセンジャーRNAを人体に適用するのは史上初だから何があるかわからんよ実際..��
62: 頭突き(光) [US] 2021/05/04(火) 23:11:19.78 ID:JuouohKF0.net
>>7
重大な副作用が判明した。その副作用を防ぐにはこの薬を注射せよ

とか言い出したら無限に儲かるなファイザー
 
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③本音を吐いた39年前の金城重明氏の証言

2021-05-06 07:55:48 | ★改定版集団自決

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前回の記事で渡嘉敷島に駐屯した赤松次隊隊長が事実上沖縄メディアに「鬼の赤松」として登場したのは1970年3月27日付沖縄タイムスの記事に端をなすと書いた。

その同じ記事で後に集団自決・軍命派の象徴となる金城重明氏が「首里教会牧師」という肩書でコメントを述べている。

集団自決があった当時17歳の重明少年は兄の重栄氏と二人で自分の家族を殺害したことで知られている。

重明氏はその後島を出てキリスト教に入信し、沖縄キリスト教短大学長の肩書で「集団自決は軍命だった」と全国を講演して廻り2050年の大江・岩波集団自決訴訟の被告・大江側証人として証言をしている。

兄の重栄氏は渡嘉敷島に残り農業を営んだが、2009年12月30日、84歳で亡くなった。


 
以下は過去ブログ39年前の金城重明氏の証言! 軍命はわからない! 2009-02-09
の引用である。
 
 

                  *

沖縄の文芸雑誌『裏訴文藝』編集長の星雅彦氏は、「軍命あり派」が主張する軍命に関し、早い時期に集団自決の聞き取り調査をした。

その貴重な経験から、「(軍命の)伝達経路が判然としない」として当初から軍命に疑念を呈していた。

「軍命あり派」の重要証言者である金城重明氏でさえも、軍命については「わからない」と証言している。

沖縄返還前の沖縄タイムスのインタビュー記事では、後年訴訟が起きるとは想定していなかったのか、金城氏は記者の誘導するような質問にも(一箇所を除いて)正直に答えている。

一箇所の明らかなウソとは、「私自身母親や兄弟を兄弟を殺し」のくだり。

金城氏は「父親殺し」に関しては故意に隠蔽している。

もし30数年後に「軍命の有無」で裁判が起きると想定していたら、金城氏も沖縄タイムスももっと違った対応をしていただろうに。

結局、この記事は星氏の「軍命の伝達経路は判然ととしない」という疑念をさらに深める貴重な資料となった。.

詳しくは改めて論考してみたい。

 

1970年3月27日付沖縄タイムス

集団自決の生き残りとして

ー牧師となった金城重明さんの場合ー

記者:当時の状況はどうでしたか。

牧師:わたしは当時16歳だったが、当時のことはよく覚えている。しかし、あくまで自分の考えていたことと自分のやった行為だけだ。

記者赤松大尉が村民に自決を命じたといわれているが。

牧師直接命令を下したかどうかはっきりしない。 防衛隊員が軍と民間の連絡係りをしていたが、私の感じでは、私たちの間には生きることへの不安が渦まいていた.。 つ、あり敵に捕まったらすごい仕打ちを受けるとか生き恥をさらすなというムードだ。 そして戦況も、いつか玉砕するというところに少なくとも民間人は追いこまれていた。

記者自決命令についてはどう思うか。

牧師:わたしの感じでは、離島にあって食料にも限界があったし、民間人が早くいなくなればという考えが軍にあったように思う。 しきりにそうゆうことがささやかれ、村民の中では、足手まといになるより自決して戦いやすくしたら・・・ということがいわれていたし、こうした村民の心理と軍の命令がどこかでつながったか、はっきりしない。

記者自決命令は別として西山盆地に集結させたのは軍の命令ですか。

牧師:わたしたちは阿波連にいたが、とくに集結命令というものはなく、人づてに敵は南からくるもので北部に移らなければならないということがいわれた。 事実、米軍の攻撃も南部に集中し、南部は焼け野原になっていた。 二日がかりで西山についた。

記者村民の集結から自決までの間が不明だが。

牧師:集結した村民は米軍の攻撃にさらされ、絶望のうちに一種の陶酔が充満していた。軍部もすでに玉砕したというのが頭にあった。肉親を殺し、自分もしぬという集団自決がはじまった。今にして思えば、まったくの異常心理としかいいようはないが、とにかくあの光景は軍部をぬきにしては考えられないことだ。 私自身母親や兄弟を兄弟を殺し、自分も死ぬつもりだったが、どうせ死ぬなら敵に切りこんでやれということで米軍のいる方向へむかった。 しかし、そこで玉砕したはずの日本軍が壕にたてこもっているのをみて、なにか悪夢から覚めたようになった。 この壕は赤松大尉がずっとたてこもり村民を近づけなかったところで、住民を保護すべきはずの軍隊が渡嘉敷では反対になっていた。はっきり言って、沖縄戦で最初に玉砕したのは渡嘉敷であるが、日本兵が最後まで生き残ったのも渡嘉敷であった。

記者:赤松大尉のこんどの来島をどう思うか。

牧師:わたしの立場からすれば、赤松大尉個人を批判するつもりはない。しいていえば、天皇のために死ねという軍国主義教育が渡嘉敷の悲劇で、赤松大尉が何の目的で来たのかわからないので何とも言えない。 しかし悲劇の島、渡嘉敷をしっかり確かめ、戦争は二度といやだという気になれば意味があると思う。 当時の責任者として今後平和運動のため証人としてやっていく気持ちがあれば・・・・ということだ。 わたしが聖職についた直接の動機はこの集団自決事件だ。 わたしは自ら肉親の生命を断ったが、なぜ戦争に責任のない肉親たち、村民たちがあんな死に方をしなければならなかったという疑問を解くために。 そしてわたしはいま渡嘉敷の生き残りとして平和を守ることに努めたい。 

記者:戦争の傷跡をわすれないということですか。

牧師:戦争の傷跡というのも、ただ被害者意識だけでいつまでも思い悩んでいては意味がない。 済んだことは済んだこととして、大事なことは過去が現在にどう生きているかということだ。その意味ではわたしは戦争は絶対に許せない。 赤松大尉にも、渡嘉敷の責任者だった人として、いま何をどう感じているかその戦争責任をきびしく問いたい。(1970年3月27日付沖縄タイムス)

                   

続・39年前の金城重明氏の証言 2009-02-10 

                   ◇

集団自決論争のいろんな場面で「軍命」が使われているようだが、金城氏の場合は「西山盆地に集結したのも軍命ではなかった」と証言している。

現在でもそうだが、沖縄人は概して時間にルーズであり、集合時間にもなかなか定刻に集まらないとは良く聞く話だ。

沖縄県民の習性を熟知するその当時の村役人が、何事かを村民に指示するとき「軍命」を借用して村民に敏速な行動を促したことは容易に想像できる。

同じ「軍命」でも「○○に集合」程度なら、軍から直接聞かなくとも(現場に軍人がいなくとも)村役人よりの伝聞のみで容易に「軍命」に従うだろう。

だが、「自決せよ」という生命に関わる重大な「軍命」に対して、伝聞やウワサだけで、発令者の臨場もなく自主的に実行できるものだろうか。 教師の同席しない「自習」は「遊び」と昔から相場は決まっている。

軍命による村民の自決とは、どのような状況が考えられるか。

村民が銃剣で装備した軍人に囲まれ、自決拒否や逃亡をすれば直ちに銃殺されるような状況に追い込まれたのなら、やむなく自分で自分の命を断つことも考えられるだろう。

だが、渡嘉敷島の集団自決は、自決実行の現場に隊長は勿論、自決を強制する軍人の姿はない。

それどころか、自決実行の際は、金城氏は「軍部もすでに玉砕した」というのが頭にあったというではないか。

だとしたら自分の生命に関わる重大な「軍命」を下した命令者は、自決実行の際すでに死んだと思われていたことになる。

既に死んでしまった人の命令を厳守して「親兄弟を殺害する」のはいかにも不自然ではないか。

自分がパニック状態による「まったくの異常心理」肉親を殺害しておきながら、

「とにかくあの光景は軍部をぬきにしては考えられないことだ」と強弁するのは責任転嫁もはなはだしい。

命令を下したとされる軍部は「既に玉砕している」と考えられていたのだ。

インタビューをした記者は「軍命」を何とか引き出そうと、次のような核心を突く質問を連発している。

だが、「自決」という生命に関わる重要な命令を直接軍から聞いた者は一人もいない。

「赤松大尉が村民に自決を命じたといわれているが」

「直接命令を下したかどうかはっきりしない」

「自決命令についてはどう思うか」

結局、軍命令による集団自決はウワサであり、伝聞であり、幻であった。

もう一つ疑問がある。

金城重明氏は早い時期から母親と兄弟を殺したことは告白していながら父親を殺害していたことを何ゆえ長期間隠していたのか。(去年になってジャーナリスト鴨野守氏が金城氏が隠蔽していた父親殺害を暴きだしている)

沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

多くの証言によると、自分で自分の命を断つことのできない女子供は父親や祖父などの年長者が手を下したという。

だが、金城氏の場合、未成年の重明、重栄兄弟が壮年の父親を殺害したという他に類を見ない特異な例である。

 

参考エントリー;

軍に救われた金城重明氏 

金城氏の偽証濃厚! 父親殺害で

金城氏は罪の巨塊か

NHK集団自決番組が「軍命」で自爆

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②高嶋伸欣琉大教授の妄言!ひめゆり学徒は慰安婦だった!

2021-05-06 06:57:00 | ★改定版集団自決

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妄言!ひめゆり学徒は日本軍の「性奴隷」だった! 2012-03-03

 

第32軍司令部壕の説明文から「慰安婦」「住民虐殺」などの文言を削除したことについて、最近の仲井真知事の発言は従来とは何か一味違った切れ味がある。

これまでのように沖縄2紙の顔色を気にしながら曖昧な発言を繰り返すのではなく、自信を通り越して余裕さえ感じる。

それも極悪複合体が、しつこく同じ質問を繰り返せば繰り返すほど自信の度合いが強くなっていると感じる。

 1日の県議会で、仲井真知事は「(慰安婦が存在したという)証言が確証を得られないと言って入る中で、書くべきかどうかというのは常識でわかるものではないか。したがってこれは書かない」と文言復活を強く否定した

前日は記者団の質問に対し、文言削除は「良識の問題」としていたのを、県議会では「常識の問題」と一歩踏み込んだ発言をした。 

共産党の前田政明氏が「知事の良識は、県民の願いを踏みにじる判断だ」と食い下がると、仲井真知事は「ご冗談を」と一蹴したという。

ということは、しつこく文言復活を迫る前田氏や沖縄2紙は県民の「良識」どころか人間としての「常識」さえ欠落した連中と県知事が公言したことになる。

お見事である。

彼らの「非常識」を認めて文言復活を認めでもしようものなら、彼らの「非常識」の輪は一気に拡大し、今度は「ひめゆりの搭」の説明文に「ひめゆり学徒は日本軍将校の慰安婦だった」などの文言を書くように迫るようになるだろう。

なにしろ反日左翼複合体には日本国民としての良識はおろか人間としての最低の常識さえ持ち合わせいないのだ。

「ひめゆり学徒は日本軍将校の慰安婦だった」と公言してはばからない人物がいる。

高嶋伸欣琉球大学名誉教授のことである。

八重山教科書問題で「識者の見解」などとデタラメな情報を垂れ流し、反日活動の場面では必ず顔を出してくる。

この人物の言動を辿れば、沖縄2紙・沖教組・サヨク学者など極悪複合体が反日という共通目的のため地下茎で強く絡み合っていることがわかる。

彼らは日本を貶め、沖縄を貶めるためには手段を選ばず、あらゆる反日活動の場面には登場する。

先日予告した「ひめゆり学徒は日本軍の慰安婦だった」に関連する雑誌『WILL』の対談の関連部分を再度引用する。

小林
先日、「報道2001」に出ていた高嶋伸欣琉球大学教授は「ひめゆり部 隊が慰安婦になっていたことがある」と発言したことがあるんですよ。全くの嘘 話なのに、ひめゆり部隊の語り部さんたちは抗議の声を上げないんです。結局、 反戦平和側の人間だから、仲間割れすれば右派・保守派を利すると考えたんでし ょう。これには腹が立ちました。「ひめゆり部隊」の名誉をしっかり守れ、と言いたい。

上坂 
私がこんな説教がましいことを言うのも、この歳になったからであって、 当時の空気を知る世代がいなくなれば、言ったもん勝ちになって、嘘の証言が事 実として通ってしまう。だから私は生きているうちに声を大にして言っておきた いのよ。
高嶋伸欣氏が東京の高校教師をしていた頃、とんでもないでたらめな本を出版している。 ひめゆり学徒を慰安婦と貶めた著書 『教育勅語と学校教育-思想統制に果した役割- 』(岩波書店 、 1990年11月20日)である。
 
その後高嶋氏は琉球大学の教授となり沖縄紙で「識者の意見」などと称して沖縄県民を貶めてきたことは周知の通りである。
 
高嶋氏のトンデモ本をこれを断罪する上杉千年氏の著書『検証「従軍慰安婦」』(全貌社1996年9月)から該当部分を引用する。
 
高嶋氏は、沖縄県民を『皇国民』に仕立て無意味な戦争に駆り立てた「皇民化教育」の象徴として「天皇・日の丸・君が代」への徹底的攻撃が学校を中心に実施されてきた。
 
しかし、反日左翼複合体にとっては、こうした運動だけでは「皇民化教育」の実態を暴露するのは不十分と考えた。
 
そこで、『皇民化教育』に踊らされる県民の愚劣な実態を捏造し公表する以外にないと判断した。
 
そのためには、沖縄で最も聖なる存在である『ひめゆり学徒』に代表される殉国の乙女とその引率教師を汚し辱めることこそ効果的として、"ひめゆり学徒にも従軍慰安婦がいた”という妄言の論文の公表となってくる。
 
■「ひめゆりの乙女」おも汚す究極の「反戦平和」
 
沖縄の反戦平和論の支柱をなしているのが「皇民化教育」批判であるである。 そこで、『皇民化教育』の実態を暴露するために『ひめゆり学徒隊』の「忌まわしいい事実」を捏造し公表するという究極の反戦平和論が進行したのである。 

それは、筑波大学付属高校社会科教諭高嶋伸欣著『教育勅語と学校教育』(平成2・11・20、岩波ブックレット)によってである。
 
それには、平成55年の社会科地理研究大会が那覇市開催された折に、記念講演をした「地元の歴史学者」が、次のように発言したと紹介している。
 
足手まといの「ひめゆり学徒隊」
沖縄戦といえば先ず最初に連想される「ひめゆり部隊」についても、美化されすぎているとし、「実は正規の看護婦からみれば、足手まといになったような状態もかなりあったようです」と述べた。(2頁)
 
従軍慰安婦もいた『ひめゆり学徒隊』
 
中には、これもいいたくないことですけど、真実を語るべきだ思いますのでいいますが、彼女たちは単に野戦看護婦であっただけでなく。ときには高級将校の慰安婦の役割まで押し付けられた子どもたちもいたのです。・・・」と。 私たちは衝撃を受け息を飲んだ。たしかに当時の日本軍の性格からすれば、ありうることと思えた。≫(2~3頁」
 
≪さらに「ひめゆり同窓会」(沖縄県立女子師範・沖縄県立第一高女の同窓会で結成)の関係者や沖縄の研究者たちをたづねてまわった。「残念だがそれが事実です」という回答が数人からあった。 ただし、「ひめゆり部隊」の少女の中に該当者がいたとしても一人か二人だろう。 むしろそれ以外の若い女性が大部分のはずだとのことだった。≫(4~5頁)
 
高嶋氏は、沖縄の乙女たちが従軍慰安婦を志願した理由は講演後に質問した所、講師は次のように回答したという。
 
≪身も心も”お国”(天皇)のために捧げることこそ最高の美徳だと徹底して“教育”洗脳されていた所で、その天皇の軍隊”皇軍”の将校の求めだったのだから、女でもお役に立てるのだと思いこそすれ、疑問を感じる余裕などなかったのだ。
 
求めている側の日本軍の将校の地位が高ければ高いほど名誉なことだとして、地元の側でも指導者層が進んで身内の子女から生かせたくらいだ≫(3~4頁)」
 
以上が「沖縄戦の悲劇と公民か教育」(2~70頁)の要旨である。
 
この論旨よりして「ひめゆり学徒隊」に従軍慰安婦がいたのだから、その他の学徒隊、即ち、県立の第2高女、(白梅学徒隊)・第三高女(名護蘭学徒隊)・首里高女(瑞宣学徒隊)私立の」積徳高女(積徳学徒隊)でも、「指導者層」である引率教師により、「名誉なこととして」「すすんで」提供されてということになり、すべての学徒隊の教師と生徒の名誉は汚されたことになる。

 ■”根も葉もない話し”と訴える「ひめゆり関係者」

高嶋氏のあまりにもデタラメナ記述に怒り心頭の上杉千年氏は早速反論のための調査を開始する。

高嶋氏は、沖縄国体に向けて「沖縄戦・国土が戦場になったとき」(昭和52年・青木書店)で、「将校用慰安婦と皇民化教育」と題して執筆したが、「そのような事実はないという反論が沖縄の人々から提起」(10頁)されなかったとしている。

しかし、それは「同書」では、「沖縄住民に将校用の慰安婦の提出を求め、それに対して多くの若い女性たちが応じていた」という漠然とした表記であったからであろう。

それに対して、今回の論文は、極めて具体的である。 そこで「ひめゆり学徒隊」の関係者に意見を伺った所、次の回答を得た。

生徒の遺族・金城和彦国士舘大学教授より

金城氏は2人の令妹を「ひめゆり学徒隊」に捧げた方で、「嗚呼・沖縄戦の学徒隊」(昭和53年,原書房)等の著者でである。 また、ご尊父和信氏は「ひめゆりの塔」等を建設された方である。 
「ひめゆり部隊」の女学生は、軍属として野戦病院壕で負傷兵の看護(第一線で)に命の限りを尽くしたのが実相で、慰安婦になったのがいたというのは、絶対にありえないことで、それは為にする左翼の常套手段で、散華した乙女たちの御霊に対ししても絶対許してはならない暴言である。

引率教師の未亡人・玉代勢秀子女史より

玉代勢女史の夫君玉代勢秀文沖縄師範学校女子部助教授は、「ひめゆり学徒隊」の引率教師として散華されている。そして女史は、夫君の音信30通を「ひめゆり教師の手紙」(昭和63年、二戸来社刊)として敢行されている。その返信は、「根も葉もないこんな恐ろしいことをでっち上げる人間もいたものですね。聖なるひめゆり学徒、戦火を潜り抜けた生存者に対して残念極まりない思いです。生き残りの親しい友人に聞いていましたがそのようなことは絶対ないということでした」

ひめゆり同窓会長・嶺井百合子女史より

私は「ひめゆり同窓会」会長に書面を事前に送付し4月15日(平成4年)に電話をした。その要旨を示してみよう。

問:「ひめゆり隊」にも従軍慰安婦がいたという話は本当でしょうか・

答:「そいうことは、ありうることではありません。

問:「貴方のご年齢は・・・。そうすると「ひめゆり隊員」ではなかったのですね。」

答:「ひめゆり」のことは良く知っています。絶対にそのようなことはありません。

問:「金城国士舘大学教授も強く否定してみえますが、そうですね。」

答:「金城さんの仰る通りです。」

        ☆

故上杉千年氏の「検証『従軍慰安婦』(全貌社)の引用で、高嶋伸欣琉球大学教授の「ひめゆり学徒日本軍の慰安婦」説がいかにデタラメであるかは自明であるが、ひめゆり学徒の高齢化で生存者がほとんどいなくなったのを見越して、高嶋教授がテレビなどで発言しているとしたら人間の屑として唾棄すべきである。

上記インタビューに応じていた嶺井女史も既に逝去されている。

嶺井百合子さん死去/ひめゆり同窓会前会長(1999.10.18)

この高嶋という人物、沖縄左翼の代弁者として沖縄紙に頻繁に登場するが、学者というより極左活動家と言う方が相応しいと何度も指摘してきた。

ソースは安仁屋昭沖国大教授

だがここで疑問に思うのはいくら活動家とはいえ、全く根も葉もないことを言いふらすはずもない。

どからか流れ出た伝聞情報にちがいない。

その伝聞の情報源は本人の著書ではこう説明されている。

昭和55年の社会科地理研究大会が那覇市開催された折に、記念講演をした「地元の歴史学者」が、「ひめゆり学徒には日本軍の慰安婦もいた」発言したと紹介している。

ここでは「地元の歴史学者」とだけ記しているが、こんな重要問題を自著やテレビで公開に名前を伏せているのはいかにも不自然である。

この件について現在沖国大と「言論封殺」の戦いを続行中の、惠隆之介氏が一体どこの歴史学者がそんなことを言いふらしているのかと高嶋氏に直接問いただしたところ、その歴史学者とは安仁屋政昭沖国大教授のことだと明言したという。

では全くの嘘話なのに、何故ひめゆり部隊の語り部たちが抗議の声を上げないのか。

何故これほど明らかなデタラメが活字になったりテレビで公開されていつというのに沖縄メディアが沈黙しているのか。

■嘘でも許すー反戦平和は免罪符

「反戦平和は免罪符」という法則が働いて、高嶋教授や安仁屋教授の主張がどんなに嘘八百でも、小林氏の指摘するように、同じ反戦平和側の人間だから、仲間割れすれば右派・保守派を利すると考えるのだろう。

何という恥知らずな輩だ。

極左学者、沖縄メディア、反戦語り部たちが同じ反日左翼複合体の構成員である。

その意味では八重山問題も第32軍壕説明板問題も「ひめ百合学徒慰安婦説」も地下茎ではしっかり結びついているということが出来る。

ひめゆり学徒を冒涜し沖縄を貶め、日本国の解体を企む反日左翼複合体を沖縄から放逐すべきと考える人、

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