⇒最初にクリックお願いします
ここまでくると、バカの極致、としか言いようがない。
やはりバカは死んでも治らない。
70代アベガー男性が油をかぶり焼身抗議、最後のアベガー祭で過激化が止まらない/嘘で故人を貶めると刑法230条2項「死者の名誉毀損罪」20220921
ここまでくると、バカの極致、としか言いようがない。
やはりバカは死んでも治らない。
沖縄戦の体験者が減って、沖縄が米軍の統治下にあったことを知る県民も少なくなった。
同時に現在は鹿児島県の一部である奄美諸島が米軍統治下にあった事実を知る国民はほとんどいない。
「差別」を声高に叫び、それを商売道具のように扱う勢力がある。
沖縄左翼もこの言葉を、相手を黙らせる呪文のように唱え、百年前の一業者が行ったことを、今でもイデオロギーに利用していると書いた。
そのエントリーで、沖縄人が奄美大島出身者に対して行った差別について次のように書いた。
<差別を声高に叫ぶ人間が、本人は意識していなくとも、実は差別主義者である場合が多い。
琉球新報社説 2008年12月27日
奄美諸島が25日、本土復帰55周年を迎えた。戦後、1946年2月に米軍統治下に置かれた奄美が53年、沖縄より19年早く本土復帰を実現した。
「民心の結集と血潮みなぎる情熱、行動力」で、主義主張や党派を超え、一滴の血も流さずに平和裏に本土復帰を実現したことが、いまでも奄美人(アマミンチュ)たちの誇りだ。
25日に奄美市内で開かれた記念行事でも、復帰運動で示した奄美人の底力を「後世に語り継ぎ、力強い未来を建設しよう」と誓いを新たにしている。同じ“琉球弧”の一員としてエールを送りたい。
「奄美の特徴は、自然と文化、長寿と子宝、亜熱帯の温暖の気候」と奄美市長の平田隆義さんは言う。
奄美は、もともとは琉球王国の一員だった。1609年に薩摩藩による琉球侵攻で分断されたが、言語、民謡、食文化など共通点はいまなお多い。
三線と島唄、8月踊り、亜熱帯性海洋気候を生かした観光、基幹作物のサトウキビ、黒糖をフレーバーに使った泡盛と同じ黒糖焼酎、大島紬(つむぎ)など織物文化などだ。
沖縄より先に本土に復帰した奄美では「沖縄振興開発特別措置法」の源流ともいえる「奄美振興開発特別措置法」の下で政府のキャッチアップ政策が展開された。
しかし沖縄同様、本土との所得格差や高失業、高い公共事業依存の第3次産業に特化したいびつな産業構造と、悩みや課題も重なる。
異なるのは、奄美には広大な米軍基地がないこと。そして、人口が減少し続けている点だろう。奄美群島の人口は本土復帰時の半分の12万人にまで減っている。
いま「健康長寿」「癒やしの島」を核に国際港湾の整備によるクルーズ船誘致など観光での地域振興を模索している。島しょ型観光では沖縄の経験が役に立つ。
折しも来年は薩摩の琉球入りから400年の節目だ。戦後、別々の振興法下できた奄美と沖縄が「琉球弧」連携を強化し、新しい島しょ型振興策で相乗効果を発揮したい。
◇
きれい事を書き連ねたこの記事を読んでも、沖縄人が奄美出身者に行った差別に関しての記述は一言もない。
他人に対しては些細なことでも「差別」だと騒ぐ者は己が行った「差別」を語ることはない。
同じく「奄美復帰55年」を連続特集した沖縄タイムスはどうか。
米軍統治下の沖縄で生活した多くの奄美出身者に、当時の沖縄、そして故郷奄美大島の状況を取材しているが、
「大島差別」については連載三回目に
「強い反感、休職も厳しく」と題しては触れているが・・・。
加計呂麻島(鹿児島県瀬戸内町)出身で、現在も那覇市に在住の内山照雄さん(75)が当時の苦労話を語っている。
だが、タイムス記事には「差別」という言葉は一言もない。
該当部分を抜書きするとこうなる。
<(沖縄での就職で)面接票に「奄美大島」と書いた途端に門前払いされた。半年たっても仕事が見つからない。 なのに、「大阪」とごまかして書いたらすぐに採用された人もいた。
「事件があれば『大島か宮古』といわれた。 騒然とした時代、周辺の島々から食っていけない人がどっと、押し寄せていたから、反感もあったのでしょう」>
内山さんは、自分が受けた沖縄人の冷たい仕打ちに対して
「騒然とした時代、周辺の島々から食っていけない人がどっと、押し寄せていたから、反感もあったのでしょう」
と、恨み言を言うのでもなく「反感」という言葉を選んで、「差別」という言葉は使っていない。
だが、まぎれもなく、この仕打ちは差別以外の何物でもない。
これが逆の立場だったら沖縄タイムスは「沖縄人差別だ!」と、大見出しで騒ぎ、抗議集会でも煽っていただろう。
沖縄人の「奄美差別」に関しては、地元紙は黙して語ろうとしないが、
最近刊行された異色の沖縄レポート『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野真一著)でこれに触れた記述がある。
この沖縄現代史の恥部とも言うべき「奄美差別」について記した部分を同書から抜書きしておく。
<1953(昭和28)年12月、奄美諸島は沖縄に先駆けて本土復帰を果たした。それから本格的な奄美差別がはじまった、と奥はいう。(・・・)問題は、彼らに対する沖縄人の露骨な差別と非人間的な扱いだった。この事実はほとんど知られていない。というより、沖縄の戦後史の暗部として、なかったことになっている。(・・・)>
<「いま沖縄には奄美出身者が5万人いるといわれていますが、自分から奄美出身者だと名乗る人は、めったにいません」>
本土から差別されたと拳を突き上げ絶叫する沖縄人は、その一方では奄美人を差別する。
那覇の国際通りの基礎を作ったのは、実は奄美出身者だったことは昔の国際通りを知る者には公然の秘密である。
「奄美差別」を知る沖縄人も今は少ない。
過去の沖縄人による差別を糾弾する奄美人の声を聞かない。
沖縄左翼もそろそろ被害者意識を商売道具に使うことを止めませんか。
「本土の沖縄差別」を声高に叫んだら、奄美出身者に笑われますよ。
「お前だけには言われたくない」って。
結局、差別を作り出しているのは、他ならぬ「差別だー」と叫んでいる本人たちでしょう。
この人達の特徴は、人を攻撃するのは平気だが、自分たちが非難されることには、我慢が出来ないみたいです。
公営住宅の家賃の未払い、税金の未払い、学校の給食費の未払い、異常なクレームをつけるモンスターペアレント。やり得を許さない為にも、行政も国民も毅然と対応すべきです。
自分の権利は声高に主張するが、相手の権利は全く無視。そんな人達が増えてきたのは、やはり戦後民主主義教育の闇の部分でしょうか。
ちょっと、脱線しましたが沖縄の左翼団体にも、通じるような気がします。結局、他人から信頼されるも、嫌われるも自己責任でしょう。
奄美二世です。
奄美諸島は今は鹿児島県ですが、基底に琉球弧としての文化があり、親類が米軍基地で働いていたり現在でも沖縄で家庭を持っているので身近な問題です。
私の政治の風は鹿児島から吹いてきましたが、心の風は沖縄から吹いてきていました。
私の感覚では、奄美諸島は自分たちが思っている以上、沖縄や鹿児島の方たちが思っている以上に大きな勢力を秘めているのではないか、と考えています。
声をあげない島んちゅも多く、意識的にか無意識的にか透明なアイデンティティになっている場合も多い。
戦後の沖縄での奄美差別(大島人差別)は、島んちゅは体感してますし浮かび上がらせないといけないと思います。
私は、沖縄では島のアイデンティティをサヨク運動に利用されていると感じる時がままありますし、それが個人的には不快なものですから。
ただ、あくまでも仮定ですが例えば奄美諸島が経済的に繁栄し沖縄が食うや食わずの状態になって、奄美諸島に沖縄から大量に人が流入すればそこで少なからず“沖縄差別”が起こると思うんです。
歴史的に奄美諸島が沖縄に対して、また鹿児島に対してそのような位置づけになったことはありません。我々の血は常に差別される側ではありましたが。
差別・被差別の問題は問題本体でなく、とかくウヨサヨの党争のカードとして使われがちかな気がしますので難しいです。
古いエントリーを読んでいただきありがとうございます。
差別がいけないことは当然だとしても、普通の人なら意識しないような些細なことを針小棒大に取り上げて叫ぶ連中が実は差別主義者だという例は多いです。
よくテレビ番組の最後で「ただ今は不適切な発言云々」と謝罪することがあります。
ほとんどがどんな不適切な発言か分かりません。
試しにテレビ局に電話で問い合わせをしたら「差別発言」とだけで具体的には教えてくれませんでした。
syomuさん
沖縄では「差別糾弾」と左翼が結びついていますが、沖縄左翼のほとんどは離島出身者を差別し、自分は「武士の出」などと時代錯誤な自慢をする連中が多いです。
中には久米出身を自慢する差別主義者もいます。
奄美は沖縄と似た文化・風土を持ちながらいち早く復帰したためか、米軍基地が無いためなのか、沖縄に比べて経済的差別を受けていますね。
沖縄復興に奄美人が尽くした功績は大きいと思いますよ。
奄美二世も奮起すべきですよ。
>差別・被差別の問題は問題本体でなく、とかくウヨサヨの党争のカードとして使われがちかな気がしますので難しいです。
差別の問題はイデオロギーと分離して論ずるべきだと思いますね。
⇒最初にクリックお願いします