第四の権力と言われる新聞等のメディア。
ペンの権威を盾に嘘を吐き放題の沖縄タイムス阿部岳記者が、ひろゆき氏の「正論」(嘘はいけません)のツィッターで、反基地活動家の暴状が暴露され、全国に恥を晒してしまった。
ひろゆき氏が風穴を開けた新聞の嘘つき体質について考えてみた。
人間は活字になった文字を無条件に信じる性癖がある。
古来文字や文書は、政治や国家、宗教とのかかわりが大きく、行政の記録や官報のほか、キリスト教、仏教など宗教に関連するものが大部分を占めていた。
つまり文字はそれ自体権威そのものだった。そして、複製する方法は、木版のほか石版なども使われましたが、書き写した写本が中心でした。
活版印刷が発明され新聞が登場すると、新聞は民主主義の根幹である三権分立を監視する社会正義を担う役目を担い、当初言論の自由は報道の自由、freedom of the pressと呼ばれ、第四の権力と位置づけられるようになった。
表現の自由を求め続けた歴史
時の政府を批判して 「自由に論評する」新聞は、「表現の自由」「報道の自由」を求めて闘い続けその公益性を主張するが、その一方、大東亜戦争で実像や反戦を伝えきれなかった反省もある。
現代の新聞は、その過去を重く受け止めたうえで、フェイクニュースとSNSの時代にあって、ジャーナリズムの正しい在り方を体現する、という重い社会的責任を負っていると言える。
新聞記者も人間である以上百%恣意的判断を押さえて社会正義を具現するというのは極めて困難だ。
■ひろゆき氏の正論「ウソはいけません」
ひろゆき(本名西村博之)氏が3、4日の両日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前を訪れた際、反基地活動家がおらず、ツイッターに「誰もいなかった」と書き込み、「新基地断念まで座り込み抗議3011日」と記す掲示板について「0日にした方がよくない?」とツッコミを入れた。
ひろゆき氏の言動を琉球新報と沖縄タイムスも大きく取り上げ、玉城デニー知事にまでコメントを求めている。沖縄タイムスはひろゆき氏に謝罪と撤回を求めているが、「ウソはいけません」は正論であり謝罪や撤回はあり得ない。
筆者も県外の知人を案内して問題の座り込み現場に行ったことがあるが、週末には誰もいないことが多い。ひろゆき氏のツイッター(提案)には同意できる。 行く前に想像していた「座り込み」と現場の景色と全く違うのだ。
これまで「沖縄米軍基地問題」をタブー化してきた沖縄メディアの総反撃にあったひろゆき氏のネット反響はすさまじい。座り込み抗議看板の写真付きの投稿は9日の時点で約3万7千人がリツイートし、約28万3千人が「いいね」を押している。「本当のことを言って何が問題なのか」など、ひろゆき氏に共感する書き込みが大半を占めている。
ひろゆき氏が辺野古を訪れて書き込んだことがきっかけで、ゲート前で実際は何が行われているのかが、多くの国民に知れ渡った。ひろゆき氏が沖縄ではタブー化されていたパンドラの箱をこじ開けた結果となった。
ひろゆき氏の「事実陳列罪」問題を、「子どもの喧嘩」(北村晴男弁護士)とか、「くだらん」「めんどくせー」(ほりえもん)などと矮小化し、自分はひろゆき氏より沖縄問題に詳しいと言ったマウント取りする「知識人」がいるが、かれら知識人が言いたくても言えなかった重要問題だ。反日活動家を擁護するために「ウソはいけません」というだけの話であり、「子どもの喧嘩」どころか県民栄誉賞の価値がある。
■沖縄タイムス―「新聞社が嘘を書くはずがない」お得意の印象操作
かつて伝聞記事満載の『鉄の暴風』を出版して、梅澤・赤松両隊長に「自決命令を出した残虐非道な日本軍」という濡れ衣を着せた沖縄タイムスの太田良博記者は、作家曽野綾子氏との討論で、現地取材もせず伝聞と噂のみで書いたと批判され、「新聞社が嘘を書くはずがない」などと開き直り、曽野氏に「素人の戯言」と一刀両断された。
太田良博記者の後輩である阿部岳記者は、沖縄問題をタブー化させウソ記事乱発しながら、記者の特権を使って他県の識者の批判を排除してきた。今回ひろゆき氏が、「嘘はダメよ」の発言に発狂した阿部記者。正論では負けるので論点をすり替えて「沖縄差別」などと、応戦したが負け犬の遠吠えは誰の目にも明らかだ。ひろゆき氏の速射砲のような弁舌に対し「構造的沖縄差別」などと論点ずらしの本土側左翼も返り血を浴びる有様だ。玉城デニー知事までもがひろゆき氏の「事実陳列罪」に反応し「現場でずっと3千日余り(抗議行動を)続けてこられた多くの方々に対する敬意は感じられない」と発言したが、これらすべてが論点ずらしであり、問題は「嘘をつく活動家を支援してはいけない」と極めて単純な問題である。