狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

拳の下ろし所 普天間移設

2006-04-13 12:28:56 | 普天間移設

名護市長の「普天間移設沿岸案」合意を受けて北部市長村会は市長の意志を尊重し、一致結束し支援する」との基本合意を承認する声明を発表した。

琉球新報 2006年4月13日http://ryukyushimpo.jp/
「名護市長の意志尊重」 北部市町村会が支援声明

 【名護】米軍普天間飛行場移設に関する政府と名護市の基本合意を受け、北部市町村会(会長・宮城茂東村長)は12日午後、名護市の北部会館で臨時総会を開き、「名護市長の意志を尊重し、一致結束し支援する」との基本合意を承認する声明を発表した。声明では同時に、現在の北部振興事業の継続と新たな振興事業制度の創設に向けた政府と地元との協議機関の早期設置を求めている。

 総会には12市町村のうち前田政義伊是名村長を除く10首長と名護市の末松文信助役が代理出席した。
 総会後、会見した宮城会長は「異論もあったが、最終的には12市町村が一つになって対応していくことで一致結束した」と述べ、名護市長支援が北部圏域の総意であることを強調した。
 協議の中での異論としては、沿岸案拒否の姿勢を崩していない稲嶺恵一知事への配慮の必要性や、
基本合意が地域住民などに十分に理解されていないことなどを理由に、声明発表が時期尚早との意見があったという。
 基地受け入れの見返りに振興策を求めるリンク論について、宮城会長は「ナンセンスだ」と否定する一方、「リンクしていると指摘されれば、致し方ないとしか言えない」と述べた。
 新たな北部振興策について儀武剛金武町長は「北部振興の継続と新たな協議機関の設置を求めていくことを確認した」と説明し、今後、政府に申し入れる考えを明らかにした。


一方、今朝の読売新聞は一社独占スクープで「『普天間』沖縄県容認へ、負担軽減を評価」と報道した。

◆読売新聞2006年4月13日http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060413it01.htm
「普天間」沖縄県容認へ、負担軽減を評価

 沖縄県は、在日米軍再編の最終報告で日米両政府が在沖縄海兵隊員の8000人削減、沖縄本島中・南部の基地返還、嘉手納基地の戦闘機訓練の移転などの負担軽減策に正式に合意すれば、政府と名護市が基本合意した米海兵隊普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部移設案を含めた再編案全体を評価して容認する方針を固め、政府に非公式に伝えた。

4月中にも最終報告がまとまり次第、稲嶺恵一知事が小泉首相と会談し、歓迎の意思を示す方向で調整している。これにより、在日米軍再編の最大の焦点である普天間飛行場の移設問題が決着する見通しとなった。

 米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に滑走路2本をV字形に配置する普天間飛行場の代替施設案について、稲嶺知事は8日の額賀防衛長官との会談で、反対姿勢を崩さない一方で、「名護市が主体的に判断したもので、尊重する」とも述べた。

 稲嶺知事は、沖縄の負担軽減策について「全容が明らかになっていないので『一定の評価』と言ってきたが、県の要望に沿った内容になれば『評価』に変わる」と周辺に語っている。

 昨年10月の中間報告の際は、「県民の目に見える形での負担軽減が評価基準となる」とコメントしており、最終報告の内容を見極めたうえ、「名護市の判断を尊重する」という形で容認を表明する意向だ。

 日米両政府は既に海兵隊員8000人削減などで合意しており、県の要望する負担軽減策が最終報告に盛り込まれるのは確実だ。

稲嶺知事も振り上げた拳の下ろしどころと見たのだろう、・・・と思った矢先、先ほどの地元「QABテレビ朝日」(11時45分頃)は県庁知事室に押しかけた地元記者団に揉みくちゃにされなが「(読売報道は)事実では無い」と繰り返す知事の姿を映し出した。

沖縄県は読売に訂正記事を求めるという。

もうそろそろ拳を下ろす時期だと思うが・・・どうなる事やら。

稲嶺知事が頑なに公約として主張する「15年使用期限」と「軍民共用」はもう既に反故となってしまった「海上案」についての条件。

その「海上案」は土俵の上にはもうない。

 

 

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オヤジとオムライス

2006-04-13 08:59:22 | 年金・老人・身辺雑感

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、

安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。(以下略)

( 『青春の詩』 原作 サミエル・ウルマン 邦訳 岡田 義夫 )


1944年3月、第二次大戦中フィリピン・コレヒドール島の日米争奪戦に敗れたマッカーサーは「アイ シャル リターン」の捨て台詞を残しオーストラリアへ敗走した。

その時彼は64歳の初老にさしかかっていた。

退役後、アジア地域の経験を買われて極東総司令官になった異例の任官であった。

敵の司令官本間中将はまだ四十代の働き盛り。

ともすれば萎えがちのマッカーサーーの心を奮い立たせたのはウルマンの「青春の詩」であった。

「青春とは・・・心の様相を言うのだ。・・・逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、・・・年を重ねただけで人は老いない。・・・・歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。・・・」。

フィリピン・コレヒドール島の地下要塞の司令室には「青春の詩」を書いた額が掲げられていたという。

若い敵の司令官の猛攻に耐えて、老いた司令官はこの詩を口すさびながら自分を奮いたたせリベンジを誓ったのであろう。

「青春の詩」はマッカーサーにとって回春の詩でもあった。


           ◇         ◇         ◇

OLD MEN, BE AMBTIOUS!  

オヤジ族よ、大志を抱け!  野心を持て!  ワルになれ!

今、チョイワルオヤジがモテモテらしい。
 
云うまでもないが、チョイワルオヤジとは中高年になっても老け込まずおしゃれに気使う、一寸不良っぽいオヤジのことを指すらしい。

勿論、ここが肝心なところだが、若い女の子にモテルのが必須条件。

これでモテなければただの「ヘンナオヤジ」。

沖縄のオヤジが★「肥満タンメー」になって行く一方で、東京のチョイワルオヤジは外食の時オムライスを注文して、そのウンチクを傾けるのが流行っているとか。 
 
オムライスでチョイワルオヤジが「チョイグルメオヤジ」に変身らしい。
 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1841410
/detail

 
子供の頃は大好きだったオムライスもオヤジになってからは、外で食べる事は殆ど無くなった。

別にオムライスが嫌いになった訳ではない。

何故か注文するのが気恥ずかしいのだ。  まるでガキのようで。


★蛇足1:「沖縄はは日本一のデブ県」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-10523-storytopic-11.html

★蛇足2:「タンメー」とは沖縄方言で「オヤジ」と云うより「ジジー」の事。
「短命」だから「タンメー」と言うかどうかは定かではない。

厳密に云うと「タンメー」は士族のジジー、で庶民のジジーは「ウスメー」と云う。これも「薄命」だからウスメーというかどうかも定かではない。又「おばあさん」の事を「ハンシー」と云うが、これも「半死」だから云うかどうかは謎。

因みに「オヤジ」は「オトー」と云う。

                   *


街が消え始めた。 

昔からの電気屋が消えた。 薬屋、写真屋、本屋そして★マチヤーグァーも消えた。

みんな大型チェーン店に変わってしまった。 街は大型店に消されてしまった。

国道58号線を北に向かい浦添市に入りしばらく行くと、屋富祖通りに右折する信号がある。

そこを起点にして南北国道沿いに、時代に取り残されたような怪しい店が点在する。 

北に向って国道の左側一面に広大な米軍基地が広がる。

右側に立錐の余地の無いように色んな店が並んでいる。

辛うじて看板等を出している店の隣は、貸し店舗の張り紙のベタベタ張られた店等が軒を連ねている。 この様な風景は今時は何処の町でも珍しくは無い。

浦添屋富祖通りに右折する界隈に時の流れに逆らうような怪しい店が点在している。

先ず角から那覇向け2件目に知る人ぞ知る★ティビチ屋がある。
http://www.u-r-u-m-a.co.jp/03genchi/03eat/soba02/hikari.htm

復帰前からある店だが外見は全く変わっていない。入り口の両側に、門柱のつもりか使用中の業務用の大きなプロパンガスボンベが数本立てかけてあるのが目印だ。
でも味には昔から定評がある。

ティビチ好きなら一度は訪ねて見る価値がある店。 ティビチが苦手には沖縄ソバもある。何しろ敗戦直後賑わった石川市の商店街が当時人気の有ったアシティビチで町興しをしようとこの店にティビチの手ほどきを乞いにわざわざ弟子入りしたくらいだ。

但し入り口のブロパンボンベが爆発しても責任は持てない。

その角から北に向うと、復帰前からのペンキ塗り看板が透けて見える異様な店。
今でも何屋さんか判らないが営業しているようなような気配はある。
その先には古道具を通り一杯に張り出した店があるが,人の出入りするのを見たことが無い。

先ほどのティビチ屋から4,5軒南に戻った所に問題の店はあった。

復帰前から変わらずに看板の無い(見えない?)店である。

全体的に板のようなモノを貼り合わせて茶色のペンキを塗って食べ物屋さんらしい感じはする。 しかし何しろ店が古ぼけて空家と言えば、そうも取れる雰囲気だ。
扉には「営業中」の札が下がり,時たま「ローマ人(老耄人)」風の客(?)が出入りしている。
それに時々掛かっている札が「本日休業」に変わったりするのできっと営業はしているのだろう。

ある夏の日の事、屋富祖界隈を車で通りががかった。 
丁度昼食の時間だったので路地裏に車をとめて例の店の前に立った。 
扉に掛かっている「営業中」の札で開店はしているらしいが,まるで人の気配がしない。 扉を開けなければ中を覗う事も出来ない造りになっている。

クーラーが作動している気配に勇気を出して、扉を押して店に入った。
床はコンクリート張りの20坪あまりの殺風景な空間が目の前にあった。

6人ほど座れるテーブルが五つ程置いてあり、夫々に先客らしき人が1人ずつ座っていた。
皆揃って食事中のところへ部外者が入り込んだと言う感じだった。

食事を中止して一斉にこちらを見る視線が全身に突き刺さった。 
視線の圧力でに押し出されそうになるのをかろうじて堪えた。

「食事出来ますか。」と間抜けな質問をした。

キッチンらしい奥のほうから「いらっしゃい」と声がした。
上半身ランニング姿の主らしき男が姿を現した。

相席でお願いしますと促されて背広姿の男のテーブルに座った。
「オムライスですね。」とごく当然のように聞いた。 

不意を突かれた注文取りにうろたえて周りを見ると、向かいの男も含めて5人の先客は揃ってオムライスを食べていた。

釣り込まれるように「オムライスお願いします。」と言ってしまった。
ランニングの男がキッチンに引っ込んだ後、気を落ち着けて周りを見回した。

コンクリートに白っぽいペンキを塗っただけの壁にマジックで紙に書いただけの品書きが張り巡らせてあった。 別にオムライスだけの専門店でもないらしい。

最初に「和洋中華 冷やし者一切」と大書してあり、ソバ、ソバ大、野菜炒め、等々普通の食堂のメニューが並びその中にオムライスもあった。 その他にはラーメンがあった。

きっとオムライスの美味い店なのだろうと1人で納得しようとした。
しかし向かいの相席の男の食べかけのオムライスを見ても特別のモノには見えない。
黄色のタマゴの隙間から見えるチキンライスはやけに赤が強かった。 
向かいの男はケチャップをたっぷりかけて豪快に口に放り込んでいる。
口の周囲がケチャップでまみれて子供のようだ。

先ほどから気になっていた部屋の中の不思議な雰囲気の理由がやっと判ってきた。 
5人の客が皆押し黙って黙々と同じオムライスを食べているだけでも奇妙に見えるのに、彼らは申し合わせたように同じような黒っぽい背広の着ていた。
おまけに暑い盛りなのにネクタイをきちんと締めていた。 
この店では「かりゆしウエア」は流行っていなかった。

ランニングの男がオムライスを運んでくると同時に新しい客が入ってきた。 
その客もごく当然のように背広にネクタイの姿だった。 
そして開いてる席に座り当たり前のようにオムライスを注文した。

目の前のオムライスに思いっきりケチャップをかけながら考えた。 

外食でオムライスを頼んだのはいつの事だったろう。  
記憶を辿っても思い出せない。 
少なくとも成人になってからは無かったような気がする。

特に美味しいとも思わない(かといってまずくも無い)オムライスをスプーンでかき込んでいると、向かいの男が話し掛けてきた。 自分のぶんは既に食べ終わっていた。 
「たまに食べたくなるんですよね」。


意味がわからんまま無言でうなずいた。 
「皆で食事するときって、オムライス頼みにくいんですよね,四十も過ぎると」。

そういわれてみるとオムライスを食べているのは40歳から60歳前後の中高年の男ばかりだった。

「皆さんお知り合いですか」。

「いや、偶然入ったら、皆オムライスを食べていたので・・・」。

「1人で食事する時、オムライスが食べたくなると此処に来るのです」。

「皆さん顔は知っていますが殆ど口は利きません」。

「何となく判る気がします」、スプーンでかき込みながら答えた。

「皆さん夫々職場では責任ある立場の人達ばかりみたいですよ。 中には高級車で運転手が送り迎えする人もいますよ」。

食べ終えて表に出ると、真夏の太陽が眩しく、国道の車の騒音 が何時もの世界に引き戻した。
 
どこかでセミがせわしく鳴いていた。


秋が過ぎて冬の風の強い日。 

昼間だと言うのに雲がどんよりと垂れ下がった暗い日だった。 

何故か急にオムライスが食べたくなってあの店の前の扉の前に立った。

風でプラスチックの札が大きくゆれていた。 
カラカラと音を立てて「本日休業」になったり「営業中」になったりしていた。 
扉は軋んだ音を出して開いた。

中は静寂があるだけだった。 

テーブルと椅子はそのままだった人影がなかった。

壁に貼られた「オムライス」の品書きが風でヒラヒラと揺れていた。

「和洋中華 冷やし者一切」の紙は剥げ落ちて床に落ちていた。

風で扉がばたんと音を立てた。

半年前のざわめきはもう其処には無かった。

風の寒さと黄色いオムライスの記憶でブルッと全身が震えた。

大きく一つくしゃみをしてその店を出た。
 
又店が一つ静かに消えていた。              


★蛇足3;「マチヤーグァー」→町家小(グァー)と書いて街の雑貨やの事。小(グァー)とは小さい意味を含む沖縄独特の接尾語。(例:子供→童小→ワラバーグァー)

★蛇足4;「アシティビチ」→豚足を煮込んだ沖縄の高級料理の事。

★蛇足5:「かりゆしウェア」http://www.u-r-u-m-a.co.jp/04special/kariyushi/kariyushi03.htm



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異人さんに連れられて 同文同種の幻

2006-04-12 08:37:32 | 年金・老人・身辺雑感

  赤い靴  はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった  

よこはまの 波止場から 船に乗って
 異人さんに つれられて  行っちゃった 
 
 「赤い靴」
作詞:野口雨情/作曲:家本居長世

                                                 *

異人と言う言葉は何時の頃から使われだし、何時の頃から使われなくなったのだろう。

異人とは異邦人のことなのでアジア人でも良いはずなのだが、上記の悲しげな童謡から我々が想像するのは「碧顔紅毛の大男」であり中国人や東南アジア人ではない。

異人は死語になり、今では外国人、外人ともいう。

日本にいる外人はおそらくアジア人が一番多いと思われるが、外人と言えばやはり青い目の白人を連想する。

青い目にせよ黒い目にせよ、文化の土壌の異なる外人・異人とお互いに理解し合う事は思うほど容易ではない。

                    *


去年の今頃、日中間で「反日デモ」で大騒動が起きていた。

その時デモの被害にあった日本総領事館や日本の民間企業は一年経っても未だに総額1200万円にも及ぶ損害賠償はされていないと言う。

それどころか、反日団体の幹部は「日系企業を相手に民間損害補償を中国で提訴する」という。http://www.sankei.co.jp/news/060405/kok031.htm

「盗人猛々しい」という言葉は何処の国の言葉だったか、この国とお互いに理解を深める難しさを改めて感じる。


その一方、昨年の反日デモ最中北京で「日中友好書道展」が開催されたと当時のNHKラジオが伝えていた。

日中間が緊張しているのその時期に「日中友好」の催しを報道するのはメディアとしては扱いにくかったのか、それともニュース価値が無かったのか、当時の新聞報道では伝えられなかった。


この「日中友好書道展」に出品されたのは「躾」(しつけ)という1文字だけだったと言う。

漢字は中国から伝わった。

が「躾」と言う漢字も概念も中国には無かった。

躾という文字はその必要性から日本で作られた和製漢字で、国字と言うらしい。(NHK教養講座)

漢字を中国から教わった昔の人は得意の応用力を発揮してカタカナ、ひらがなを生み出したが和製漢字も数多く作っている。

例を挙げると「辻・峠・雫・鰯」等々・・・、寿司屋の湯飲みに書き連ねてある魚偏の文字は殆ど和製漢字だと言う。

そもそも中国には海産物が少なく、魚の名前の表記には今でも苦労しているようだ。

日本ではイワシは傷みやすい魚なので鰯と簡単に一時で表現した。

ところが、本来表意文字である漢字のふるさと中国ではイワシを表意文字に頼った。

「沙丁魚」と書いてサーディンと英語音で呼ばせるらしい。

「可口可楽」と書いてコカコーラと読ませる類である。

和製漢字の他に、カタカナ、ひらがなを発明した先人達に感謝すべきであろう。

                  ◇

話を「躾の書道展」にもどす。
 
中国では漢字は日本に教えたが、「躾」と言うマナーは自国には欠落していた。

躾を日本から学ぼうという動きが今度の「躾」書道展開催の動機だそうだ。

皮肉な事に現在の日本では「躾」と言う言葉も概念も死語となりつつある。

それどころか「しつけ」を子どもの虐待の口実に使っている事件が多い。


          ◇         ◇        ◇


最近の日中両国の対立をを見ていると、両国とも漢字を使いながらお互いの間に理解できない大きな溝、いや埋める事の出来ない大河の存在を感じる。

終戦の年まで国際都市上海に日本の大学があった。

全国各県選抜の俊才達が日中間の掛け橋たらんと夢見て此処で学んだ。

その名を「東亜同文書院」と言う。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2

≪中国と日本は同じ文字(漢字)を使う兄弟民族だから理解し合える≫と言う理想が大学の名前に現れている。

しかし「同文同種」と言うのが間違いの元だった。

「埋められぬ大河を埋める愚」を冒したのが全ての誤解の元凶だったのだ。

「躾」の他にも根本的に理解不可の言葉がある。 

「嘘」(ウソ)という言葉、概念は中国には無い。 

中国人が嘘をつかない、と言うのではない。 

その逆で、嘘を吐(つ)くのはごく普通で騙される方が悪いのだ。

パソコン翻訳で試してみると・・

 「彼は嘘を吐(つ)く 」は中国語で  「他吐 言 」と言う。

吐(つ)くのは言であって嘘ではない。

日本語の「嘘」と言う時は中国では「無」と言う意味に近い。

空虚、虚空などの虚がこれにあたり、日本語のウソと言う意味はない。

ちなみに「彼は躾が成っていない」を翻訳すると「教育没成他」即ち「彼は教育が無い」となる。 

此処に埋めがたい文化の「大河」がある。

言うまでも無く、日本では教育があっても躾の出来てないものがおり、教育が無くても躾の行き届いた者がいる。

日本人の夫婦は大声で夫婦喧嘩をしていても他人が来ると突然休戦して仲の良い振りをする。 それほど他人の目、世間体を気にする。

逆に中国人は夫婦喧嘩になると表に出て大声で罵り合って他人に自分の正当性を訴えると言う。

これらはどちらが正しいと言うものではなく、拠って立つ文化の相違に過ぎない。

どの国とも仲良くする事に越した事は無い。

皮膚の色や目の色が異なっているからと言ってあらぬ偏見や予断を持つのは厳に慎まなければならない。

同時に髪の色や皮膚の色、更には使う文字(漢字)がが同じだからと言って、即お互いが理解できると、思うのもある種の「偏見と予断」である。

似て非なるものと言う言葉もあるくらいだ。

お互いに違う文化の土俵に立ちながら「同文同種の幻」を背負って幾ら議論しても「大河を埋める愚」を行う事になる。


 

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必殺のVサイン

2006-04-11 10:00:35 | 普天間移設

「市長『V字型』に驚く」

普天間移設・沿岸案合意に特集記事を掲載した琉球新聞記事の見出しである。

島袋名護市長は何度も上京し沿岸案には頑なに反対して来た。

その一方防衛庁長官に「産婦人科医官」の名護派遣を依頼したりで超多忙。

とても真剣に「より良い移設案」を考える余裕は無かった。http://ryukyushimpo.jp/variety/storyid-11874-storytopic-12.html

その島袋名護市長が「V字滑走路図面」に目玉を剥いて驚く姿が想像されて、不謹慎にも思わず笑ってしまった。

≪沿岸案か、海上埋め立て案か≫--を巡る政府と名護市の攻防。

この二つを隔てる距離は僅か数百メートル。

新報の特集記事によると防衛庁首脳が「(名護市が納得する)新案」をほのめかせ「言わぬが花」と記者にもったいぶったのは4月初旬。

だが、共同配信と思われる新報の解説記事では「『切り札』は三月中旬に浮上」していたという。

しかし、毎日新聞によると「必殺のVサイン」つまり「滑走路二本案」は一月には極秘に指令されていたと言う。

その辺の裏事情を毎日新聞の綿密な取材が興味深く報じている。http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/news/20060409ddm003010136000c.html
(保存のため文末に貼り付け)

「一本の滑走路でも反対していたのに。 合意したら二本になっていた。 訳がわからんさー」

ローカルテレビのインタビューに答える「街の声」。

まるでコンとのネタだ。

「必殺のVサイン!」、さすが偏差値の高いキャリア官僚が考える事は違う。

島袋市長がビックリするのも良く分かる。

一方から見たら「沿岸案の修正」、別の見方をすれば「海上案の修正」。

何れにも反対をする琉球新報は今朝のコラムで「V型滑走路」を「だまし絵」に例えている。http://ryukyushimpo.jp/variety/storytopic-12.html

≪・・・・(V型滑走路案は)たちの悪いだまし絵を見せられた気分だ▼しかも、このだまし絵には。本質(飛行場の危険性)を隠して見るもの(地域住民)を欺こうとする意図が透けて見える。ほくそ笑んでいるのは一体誰か。しっかり見極める必要がある。≫

コラム子が防衛庁の出した「必殺のVサイン」に一旦驚き、やがて悔しがっているのが文面に漂っている。

当然の如く地元二紙は稲嶺知事の合意反対を支持して、何時までも拳を挙げつづけるように熱い声援を送っている。

★蛇足1:沖縄タイムス4月10日社説http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060410.html#no_1

★蛇足2:琉球新報4月10日社説http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html


          ◇         ◇         ◇


◆毎日新聞4月9日クローズアップ  

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/news/20060409ddm003010136000c.html
在日米軍再編 普天間移設・シュワブ沿岸案合意
 ◇「2本案」、1月極秘指示

 沖縄の基地負担の象徴とされてきた米軍普天間飛行場の移設問題は、キャンプ・シュワブ沿岸案の滑走路をV字形に2本設ける防衛庁の「秘策」を名護市が受け入れ、急転直下、地元合意が実現した。沿岸案か、海上埋め立て案か--。距離にして数百メートルの隔たりをめぐり繰り広げられた政府と名護市の攻防を検証した。【上野央絵、古本陽荘】

 ◇額賀長官の夢まくらに「浮上」

 ■いったんは封印

 「滑走路を2本にした図面を作ってくれ。このことは絶対に外に漏らしてはいけない」

 額賀福志郎防衛庁長官が防衛施設庁の技術系職員らを長官室に呼び、極秘の指示を出したのは1月下旬だった。防衛施設庁の官製談合事件の対応に疲れ、眠りについた前夜、シュワブ沿岸部に2本の滑走路が描かれた地図が頭をよぎり、跳び起きたという。できあがった修正沿岸案は、着陸用と離陸用に分けられた滑走路の飛行ルートがそれぞれキャンプ・シュワブ沿岸部から海上方向に延びていた。

 周辺住宅地を飛行ルートから外せる半面、埋め立て面積が大幅に拡大し、「環境への配慮」が売りの沿岸案のメリットが薄れる。建設費が膨らむため地元の建設業界は喜ぶかもしれないが、工期が延びて移設が遅れる。額賀長官は「名護市が微修正で納得しなければ、最後はこれで説得するしかない」と思いつつ、いったん封印した。

 その後、合意に至るまでに複数の修正案が検討された。3月25日の名護市との協議で防衛庁側が示したのは滑走路を反時計回りに10度傾ける案。これなら南西方向の豊原地区が飛行ルートから外れるが、その先の宜野座村松田地区が飛行ルートにかかる。

 そのため、水面下の交渉で浮上したのが滑走路を20度傾け、南西の飛行ルートを海に出す案だった。これだと逆に北東方向の「カヌチャリゾート」の真上を通ることになる。防衛庁側はリゾート運営会社に接触、「経営を国や名護市と一緒にやる第三セクター方式にしてはどうか」と事実上の買い取りを提案した。運営会社は前向きな姿勢を示したが、名護市が「陸地の上を飛ぶのは容認できない」と拒否し、「幻の案」となった。

 ◇山崎氏「200メートル」、首相は「1センチだ」

 ■譲歩幅地元に不信

 3月17日、名護市に隣接する北部4町村の一つ、東村で催されたつつじ祭り。自民党の山崎拓前副総裁が宮城茂村長らと泡盛を酌み交わす中で、「首相を説得できる距離は最大200メートル」と語った。小泉純一郎首相の盟友・山崎氏の発言だけに、「政府側の譲歩のサイン」としてすぐに島袋市長らに伝えられた。

 しかし21日以降、額賀長官と協議を重ねても、政府側は一向に200メートル修正案を示さない。

 同市に対し、隣接の宜野座村など北部4町村が「決裂したら北部振興策が打ち切られる」と譲歩を働きかけてもいた。動いたのは名護市だった。

 3月26日、額賀長官と島袋吉和名護市長の会談に同席した同市の末松文信助役が「飛行ルートは辺野古、豊原、安部地区の陸域にかからない範囲内にしてほしい」と、地図のシュワブ沿岸部の海上を指でなぞった。

 沿岸案の滑走路を280メートル南側に移動させると、この飛行ルートになる。名護市が400~500メートル南側の海上埋め立て案を主張してきた経緯からすれば、「海上案のバリエーション」ギリギリの大幅な譲歩。だが、ここでも防衛庁側は移動は「3ケタにならない範囲(100メートル未満)」と主張、物別れに終わった。

 同月28日夜、東京都内のホテルの日本料理店に額賀長官と山崎氏を呼んだ首相は「政府案(沿岸案)を基本に考えているが1センチたりとも動かさないというものではない」と「微修正」での決着を指示。大幅修正を念頭に置いていた山崎氏は「1センチではなく1メートルと言ってはどうか」と進言したが、首相は「地元に誤ったメッセージを与える。1センチだ」と譲らなかった。

 「200メートル」のシナリオとは何だったのか。振り回された形の名護市側には政府、防衛庁への不信感だけが残った。

 ◇突然の協議延期、米から「圧力」

 ■「切り札」発動へ

 「ローレス国防副次官が議会に呼ばれたので、次回協議を延期したい」

 首相指示のあった3月28日、米国防総省から防衛庁に連絡が入った。日米両政府は3月中の最終合意を目指し30、31日にワシントンで在日米軍再編の審議官級協議を予定していた。突然の延期通告に防衛庁は「米国の圧力」をかぎとった。

 昨年10月の中間報告にあたり、米側はシュワブ沖の海上埋め立て案を主張、外務省も同調した。当時外相の町村信孝氏や石破茂元防衛庁長官らが今回も海上案の旗を振った。額賀長官が島袋市長を直接説得し実現した4月4日の再協議当日、自民党の日米安保・基地再編合同調査会は修正要求の大合唱となった。

 「沿岸案=首相と防衛庁」VS「海上案=地元と米国、政府・与党の一部」という昨秋の対立構図の再現に、防衛庁は「最後の切り札」を切らざるを得ないと判断。4日の協議で「辺野古、豊原、安部の上空は飛ばない」と、譲歩を伝えた。

 7日の最終協議で額賀長官が示した案は2本の滑走路がX字形に交差し、離陸用滑走路の飛行ルートが北東の安部地区付近にかかる。島袋市長は南側にずらしV字形にするよう要求。長官は合意を優先し譲歩した。

 沖縄県の稲嶺恵一知事は8日、額賀長官との会談で政府側との協議に応じる考えを示したが、反対のこぶしは下ろしていない。政府と県の本格協議は日米の最終合意後になる見通しだ。

毎日新聞 2006年4月9日 東京朝刊
 

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カレーは煮込んだほうが旨い

2006-04-10 18:49:34 | 年金・老人・身辺雑感

日曜日ののんびりとした朝。

先ほどから妻は外出の準備で慌ただしい。

着替えをしながら夫に昼食の指示をしていた。

「昨日の残りのカレーがあるので、温めて食べてください」。

「カレーは一晩たった方がおいしいんですって」。

妻は隣の奥さんと一緒にデパートに買い物に行く予定。

それで朝からうきうきしている。

自分たちはきっとホテルかどこかで美味いものでも食ってグルメを気取るのだろう。

「それからもう一つ。 云い忘れていたことがあるわ」

「昨日保険屋さんから電話があったわよ」

「ガン保険か」

「いえ、この家の火災保険が昨日で期日だ切れるんですって。 土・日なので月曜日に契約お願いしたわ」 

「判った」「いいから早く行きなさい」

カレーだ、保険だと出る間際になって慌しいことだ。

                *

妻が出かけた後は台風一過の静けさだ。 

しかし1人で留守番するのもたまにはいいものだ。 

テレビを見ながら背伸びをして大きなあくびをした。

すこし早いと思ったがカレーの鍋に火を入れた。

其の時玄関のブザーが鳴った。 

宅急便だった。

「ここにサインと印鑑を下さい」。

印鑑の置き場所がわからず一寸慌てたが何とか用を済ました。 

宅急便屋が帰ると同時に隣のご主人が尋ねて来た。

「女房どもは外でうまいもの、亭主族は内で残り物、これでは割が合いませんなー」。

隣のご主人とは将棋の相手で親しくして貰っている。

「近くに日本蕎麦屋が開店したそうですよ」。

「一緒に昼ご飯食べに行きませんか」。

彼の提案を断る理由は無かった。 

近所だということで下駄履きで出かけた。

隣のご主人は前もって食べたいものが決まっていたらしい。

メニューを見る間もなく注文を決めた。

「私は天ぷら蕎麦にします。 貴方は・・・?」

私はメニューをじっとにらんで何を食べるか考え込んだ。

「そうですね~、蕎麦屋のカレーはうまいですよね」

「私はカレーうどん・・・・? カレー ?」

「しまった! カレーだ!」

私は裸足で蕎麦屋を飛び出した。

全力で走り着いた我が家の前は野次馬の人だかり。 

消防車のホースの先には黒焦げに焼け落ちた我が家があった。

「しまった! 火災保険は昨日で切れていた!」

 

★蛇足:この物語りはフィクションでありで実在の人物、お店には何の関係もない。

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ヘプバーンとヘボン先生

2006-04-10 16:54:17 | 年金・老人・身辺雑感

映画「ローマの休日」が那覇で上映されたのは、半世紀(50年)ほど前、正確には狼魔人が中学1年の時だった。

何故中学1年の時と断言できるかと言うと、当時の担任の先生が映画上映とほぼ同時に髪型を「ヘプバーンカット」にして学校中の話題になっていたからだ。(名前は大城登美子、独身の若い先生だった。)

上映当時、主演のヘプバーンは妖精のような容姿で話題になっていた。http://www.geocities.jp/yurikoariki/audrey

しかし妖精とは似ても似つかぬ(先生ごめんなさい)姿形の我らの先生が、大胆にもボーイッシュなショートヘアスタイルで颯爽と登校したのには学校中が驚いた。

皆で陰でボロクソに悪口を叩いたのを懐かしく思い出す。(もう一度ごめんなさい)

以前、マイクを持った外人がいきなり通行人に英語で話し掛けて、応対にどぎまぎする様を笑うテレビ番組があった。

たいていの人は言葉に詰まって、妙なアクセントの日本語で答えたりして、それが笑いを誘った。

中には英文科の現役大学生がしどろもどろの返事をしたりして、改めて日本の英語教育の成果に疑念を持った。

中学、高校と6年間「主要科目」として英語を勉強し、大学にでも進めば更に4年間、延べにすると実に10年間も学習するのである。 

それで果たして何人の人が英語でコミュニケーションが出来るようになるのか。

明治の頃の先達は外国よりの情報、学問を習得するため専ら原書の読解力を要求された。 

会話や発音等は2の次だった。

例えば「He comes here」を平気で「へ コメス ヘレ」と発音していたそうだ。

幕末から明治にかけて日本の英語教育に貢献したアメリカの宣教師ヘボン博士は James Hepburn と綴り、今風に発音するとへプバーン博士になる。 

あのヘボン式ローマ字のヘボン博士である。 http://eigo.be/expressions/hepburn.htm

明治の人はヘボンと発音していたし、本人もそれを認めて日本語で「平文」と称していたそうだ。
 
話を戻すと、あの妖精のような「ローマの休日」の主演女優へプバーンと明治時代の「ローマ字教育」のヘボン先生が同姓だったとは・・・。 

この二人のイメージはどうしても重ならない。

日本人は今も昔も英語の発音では苦労させられている。

英語の発音と言えば、高校の頃クライダーという外人の先生がいたのを唐突に想いだした。

erの発音にしつこく時間をかけた。 

舌を巻いて「ア~ ア~」と何度も繰り返させられた。

そのほかは何も記憶に無い。


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稲嶺知事は何に苦渋しているのか

2006-04-10 14:16:35 | 普天間移設

今日は二カ月おきに行っている病院の日で、更新が遅れた。

血圧その他良好だが、最近一寸肥り気味。

油断大敵、火の用心。

運動不足は肥(ひ)の用心。

                        *

2005/10/27 の神戸新聞社説が「普天間移設」について「沖縄の声が届いていない」と題して象徴的な記事を書いていた。

 ≪普天間移設/沖縄の声が届いていない

・・・名護市・辺野古沖を埋め立てる現行計画は、さんご礁やジュゴンの生息環境への影響から反対が強く、事実上、棚上げ状態だ。・・・中略・・・

 在日米軍施設の75%が、国土面積の1%に満たない沖縄県に集中する。その現状を考えると、現行計画を見直すなら「県外移転しかない」という稲嶺恵一知事の主張は十分に理解できる。・・(略)・・・

ここで象徴的というのは社説の論旨ではない。

論理ではなく感情にに訴える常套句が羅列されている事だ。

いわく「在日米軍施設の75%が、国土面積の1%に満たない沖縄県に集中する」そして
さんご礁やジュゴンの生息環境への影響」。

が、これは黄門様の印籠と同じだ。

これを出された瞬間、現実的な考えは全て思考停止に陥って凍結される。

早速昨日、9日の沖縄タイムス社説は早速ジュゴンへの影響を持ち出した。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060409.html#no_1

某ブログで「基地問題で反対しさえすれば、沖縄県知事は誰でも務まる」と皮肉った発言があった。

それに当ブログは「基地問題で反対しさえすれば、沖縄の新聞の社説は誰でも書ける」と書き加えておこう。

稲嶺知事の態度は更に事態を複雑化させている。

政府案に合意した島袋名護市長についてのコメントを求められて「関係自治体の意見として尊重するが、県は県のスタンスで行く」。

県のスタンスとは、当初案である辺野古沖移設計画を県が「軍民共用施設」「十五年の使用期限」の条件付きで受け入れたことを指す。

この鵺(ぬえ)のような判りにくい発言はどの民意を代表しているのか。

「無いものねだり」と本人が一番知っているはずの「15年期限付き」と「軍民共用」を未だに振りかざすとは。

沖縄タイムスの師匠とも言える朝日新聞は「苦渋の知事」と大見出しで稲嶺知事をヒーローに持ち上げている。

そして「知事の気持ちは多くの県民に共通するものだろう」(9日朝日社説http://www.asahi.com/paper/editorial.html)と勝手に決めつける。

政府と名護市の基本合意には「政府は沖縄県・関係自治体すべての了解を得る」ことが盛り込まれている。

とくに移設の際の海水面の埋め立てには公有水面埋立法に基づく知事の許可が必要であり、沖縄県の対応が焦点になる

今回合意された案はこうした県の主張が顧みられていないと知事は反対しているわけだ。

だが、選挙公約とした十五年の使用期限が認められないとして、当初案を頓挫させたのも稲嶺氏である。

初心に返ろう。

稲嶺知事は「何でもかんでも反対」の大田前知事に対して、「普天間基地移設容認」の立場で初当選したはずだ。

10年前の1996年日米特別行動委員会(SACO)が普天間飛行場移設が決まった。

97年  4/9・・・名護市長が普天間飛行場の海上移転のための調査受け入れ表明。
   

97年 8/13・・キャンプ・シュワブ沖でボーリング調査開始。

97年 12/24・・比嘉・名護市長が橋本首相を訪ね、ヘリポート受け入れと市長辞意を表明。

98年 2/1・・・名護市長選告示。玉城義和・前県議と岸本建男・前助役が出馬。

    2/6・・・大田知事がヘリポート建設反対を表明。普天間基地返還暗礁へ。

    2/8・・・名護市長選でヘリポート推進派の支援を受けた岸本氏が当選

98年、県知事選で移設容認稲嶺氏が初当選した。

99年、県の同意を得て沖合移転が閣議決定される。

2002年 稲嶺知事は、15年使用期限、軍民共用空港とすることを条件としてきた。

2002年、新設基地の基本計画で政府と自治体側が同意したのだが、建設作業は反対派が小船を繰り出して妨害、遅々として進まなかった。

知事は拱手傍観でこれらを見過ごして来た。

もうそろそろ振り上げた拳をを下ろす時期では。


 

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牛を見ながら墓参り

2006-04-09 22:10:25 | 未分類

今日は墓参りに行ってきた。

墓参りといえば故人の命日か彼岸の墓参。

彼岸とは春分、或いは秋分の日の前後三日を言うらしい。

今年の春分の日は既に過ぎ去ったがその日には墓参りはしなかった。

沖縄では彼岸ではなく清明の頃に墓参りをする。

清明は清明節或いは清明祭とも呼ばれる。

今日はその清明節の日曜日に当たるのでどの墓地も食事持参の家族ずれで大賑わいだったろう。

沖縄の墓は広く作られており重箱にご馳走を詰めてピクニック気分で墓前に家族が集まり先祖と一緒に食事をする。

沖縄では中国の風習が残っており、お盆は今でも旧暦で行う。


                    *

他県から沖縄に嫁に来た女性の初めての春。

うららかな或る春の日、姑に牛見物を誘われた。

「次の日曜日は牛見(うしみ)に行きますよ」

牛見と聞いたお嫁さん≪闘牛場か牧場にでも行くのか≫と思った。

が、深い詮索をする事も無く素直に姑に従った。

「牛見ですか? ハイ、何か準備がありますか」

「持っていくのは三枚肉にカマボコ、それに昆布とコンニャクの煮付け。 そう、ゴボウの煮付けも要るね」

「私が作るんですか」

「昔は全部自分で作ったものだが、今ではスーパーで売っているよ」

件の嫁さんここでハタと考え込んだ。

≪たかが牛を見に行くのに準備が大袈裟すぎる。 沖縄ではそんなに牛が珍しいのか≫


先にタネを明かすと姑は牛の見物に嫁を誘ったのではなく、シーミーに誘ったのだ。

シーミーとは清明のことで沖縄方言で御を付けて御シーミーとも云う。

ところが母音の「お」(御)は沖縄方言では「う」に変化するので(タバコ→タバク)、御清明はウシミ(牛見)と発音される。

正確にいうと「ウシーミー」だが早口で言うと初めての人には「ウシミ」にも聞こえる。

牛の見物ではとんだ間違いをしたが、ヤマト嫁さん一家がご馳走を沢山準備して先祖の墓前で楽しい一時をを過ごしたのは間違いでは無かったようだった。

最近では墓参りも他人任せで墓参代行業が有ったりするらしいが、「ネット墓参り」には流石に驚いた。(ネットで墓参りhttp://www.i-can.jp/nethakamairi.htm)

 

 

★蛇足1:清明(せいめい)は二十四節気の1つ。4月5日ごろ。および、この日から穀雨までの期間。

★蛇足2:二十四節気 
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨 立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降 立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒 


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普天間移設で 揺れる沖縄

2006-04-09 09:36:43 | 普天間移設

今日は日曜日でこれからシーミーに墓参りに行く予定だ。今のところ晴れてるが降らなきゃよいが。

                    *

今朝の琉球新報は一面トップを初め「普天間移設」関連の大見出しが各ページで躍っている。

地元に深く関わる問題だから当然といえば当然だろう。

 新聞は見出しと記事の取り扱いの大小、それに編集のサジ加減で読者の印象を自分が狙う方向にリードできる。

活字離れにより、記事本文を細かく読むのはよほどの暇人か一部の変人に限られつつある昨今ならなおさらの事。

沖縄では琉球新報、沖縄タイムスの二紙と関連放送局も左翼に偏向した報道をすることで知られている。

「一握りの民意」を「島ぐるみの総意」と針小棒大に報道するのはお得意の技だ。

 今朝の新報を見る限り、又地元テレビ局のローカル報道を見る限り「県民ぐるみ」で「普天間移設案合意」に反対しているかの印象を与える。(「それぞれの民意」参照)

                  *

先月6日、普天間基地のある宜野湾市で「県民相決起大会」が開かれた。

それを、琉球新報2006年3月6日朝刊は「沿岸案移設阻止35000人終結 普天間移設で」の見出しで写真入記事を掲載した。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-11683-storytopic-3.htm

 同じ日の沖縄タイムスも上記の「阻止」が「反対」に変わっただけの見出しで同じような記事を掲載した。http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060306.html#no_1 

沖縄には新聞は上記の二紙しかなく、両者で実に93㌫の占有率を誇る。

本土全国紙は配送時間、輸送経費の関係上一般には殆ど読まれていない。

これらの報道からは35000人の県民が集結して「沿岸案阻止」のシュプレッヒコールで気勢ををあげた印象を誰もが受ける。

ところが実際に参加した人や警察発表によると、当日の参加者は6000人だったという。 (『諸君』2006年5月号記事・192ページ)

6000人が35000人になったからそれがどうしたと言うかも知れない。

が、二つしかない地元新聞が申し合わせたように35000人の数字を掲げ、県民は他に情報を得る為の新聞選択の自由がないというのが問題なのだ。

それに警察発表の6000人と二紙の35000人では一寸数字の違いが多すぎる。

二割三割増しでもなく、・・・二倍三倍でもなく、実に六倍近くの差があるなんて。

 地元メディアよ、地元県警よ、君達の目は一体何処に付いているの!

                    *

今朝の全国五紙では読売を除いて、四紙が「普天間移設合意」を社説で取り上げた。

 読売新聞社説は一足先の8日に「普天間合意沿い記移設へ 着手に作業を進めよ」http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060407ig90.htmと主張している。

 読まなくても論旨がわかるのが朝日の社説だが、相も変わらず沖縄ニ紙の師匠といった論調。

その中で地元県民でも比較的わかり易いという事で日経の社説を下記に貼り付ける。          

             ◇         ◇         ◇

◆日本経済新聞 2006年4月9日  社説1 

稲嶺知事は額賀・島袋合意に協力を(4/9)  

額賀福志郎防衛庁長官と島袋吉和名護市長は、米軍普天間基地の名護移設をめぐる新たな建設案で合意した。合意は滑走路を2本建設し、離着陸のルートを分散して集落への騒音被害を軽くする狙いがある。  額賀長官との会談で説明を受けた稲嶺恵一知事は反対を表明した。普天間の危険な現状を1日も早く終わらせるのが沖縄全体に責任を持つ知事の立場であるべきであり、メンツを捨てて協力してほしい。  名護移設をめぐっては昨年10月に日米間で在日米軍基地再編の中間報告をまとめる段階で防衛庁が陸上案、名護市と米軍が浅瀬案を主張した。妨害運動を排除しやすい陸上案は「つくりやすさ」を重視し、浅瀬案は騒音の少なさなど「使いやすさ」を重視した。浅瀬案は地元への経済効果が大きいともされた。  中間報告の日米合意は一部陸上、一部海上の折衷案だった。1月の名護市長選で島袋氏は、この案に賛成せず「政府から地元が納得する案がでれば協議に応じる」との姿勢をとって当選した。額賀・島袋協議はこの延長線上にあり、日米合意に地元の要請をいれて修正した。  これに対し沖縄では「小手先の回避対策」(琉球新報社説8日付)とする批判もある。普天間基地の代替施設の県外移転を求める立場からすれば当然だが、重要なのは市街地に囲まれた普天間の危険を1日も早く取り除く現実的な努力だろう。このために額賀、島袋両氏は話し合いを重ねた。東京と沖縄の間のこれまでの不信感を考えれば、両氏が並んで記者会見する姿は画期的だった。  15年の使用期限付きの軍民共用空港案を掲げて1998年に当選した稲嶺氏の立場は今度の合意で厳しくなる。15年問題は米側の壁が厚く、普天間移設を遅らせる要因となっている。那覇から車で1時間程度の名護に民間機が就航しても赤字ローカル空港が増えるだけとされるのが現実でもある。  沖縄県内の自民党関係者の間でも今回の合意を支持する声もあるとされる。合意に協力することは新たな事態への対応であって公約違反ではない。メンツにこだわって抵抗すれば、現状の固定化に手を貸すだけの結果になる。5―7年以内に普天間を返還するとの日米合意がなされたのは96年であり、10年たつこれ以上の先延ばしはできない。  今回の合意は地元に巨大な公共事業をもたらす。担当するのは現在の防衛施設庁にあたる組織であり、談合などによる税金の無駄遣いがないか、監視を強める必要がある。

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朝日の敵前逃亡 「侵略→進出」

2006-04-08 18:52:17 | 歴史

一週間前の日曜日のフジテレビ「報道2001年」に安倍晋三、麻生太郎、桜井よし子の三氏が出演した。
これはその日の当稿「靖国参拝は踏み絵か」で取り上げた。
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/e390e9611cb7d1d1da69e
55521a4954e

そこでは触れなかったが、安倍氏はその日もう一つ重要な発言をしていた。

新聞の誤報による「侵略・進出 教科書書き換え」についてである。

新聞の誤報が一人歩きして世論を惑わした例として、当日記でも4月5日「従軍慰安婦」を取り上げた。
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/4828261024c6afd7937db097
fdc500d5

数ある「誤報」の中で、これも既に決着がついているはずの「侵略・進出 教科書書き換え」について安倍晋三官房長官はその日概ね次のような趣旨の発言をした。

検定によって華北への『侵略』が『進出』に書き換えられたと報道され、中韓両国から抗議を受けた。当時の官房長官談話で謝罪したが、そのような書き換えの事実はなく、結果として、大変な誤りを犯した」という趣旨だ。

これは朝日を筆頭に日本の全マスコミが一斉に誤報した事件である。

その後これが世紀の大誤報ということが判明した。
≪参照:『国際派日本人養成講座(44)・虚に吼えたマスコミ』≫
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog044.html

しかし、誤報と判っても産経以外のマスコミは今もってきちんと訂正していない。

また、当時の官房長官は宮沢喜一氏で、この宮沢談話に基づく「近隣諸国条項」が検定基準に加えられ、中韓両国に過度に配慮した記述が増える一因になった。

安倍氏が指摘した教科書書き換え問題は、政府やマスコミがこれからの近隣外交を考えるうえで、多くの反省点を含んでいる。

そもそも、宮沢談話は誤報に基づいて発表されたもので、見直しは当然だ。

安倍氏は忘れ去られがちなこの問題を改めて提起したのだ。

ところが性懲りも無くと云おうか、案の定と云おうか、その二日後の4月4日、朝日が「侵略と進出 事実を踏まえ論じよう」と題してこれに反論の社説を書いた。http://www.asahi.com/paper/editorial20060404.html(念の為文末に貼り付け★1)

これも予想通りというか、翌日の5日産経が社説ですかさずこれに「論点すり替えはやめよう」と題して反撃を加えた。
http://www.sankei.co.jp/news/060405/morning/editoria.htm
(文末添付★2)

安倍氏はこの朝日の社説についても朝日新聞は社説で教科書報道について『ずさんな取材だった』と書いている。それならば誤報と同じスペースでしっかり報道すべきではないか。報道機関として素直に反省していただきたい。問題をすり替えて批判するのは間違っている」と強く批判した。

朝日は8日現在、5日の産経と安倍氏のきつい反論に答えていない。

朝日お得意の無言の敵前逃亡か。

誤報が一人歩きした例、・・「従軍慰安婦」、「侵略→進出 書き換え問題」そして、他にもまだまだ沢山ある。

最近の朝日の悪あがきは目に余る。

愈々末期症状の到来か。


         ◇         ◇         ◇


★1:朝日新聞 B社説】2006年04月04日(火曜日)付
 社説 http://www.asahi.com/paper/editorial20060404.html

 
侵略と進出 事実を踏まえ論じよう

 中国との外交などをテーマにした日曜日のテレビ番組で、安倍官房長官が82年の「教科書書き換え問題」について発言した。次のような趣旨である。

 教科書検定によって「侵略」を「進出」に改めたと報じられ、中国や韓国から抗議された。日本は官房長官談話で事実上それを認め、謝罪した。しかし、「進出」と書き換えられた事実はなかった。ちゃんと調べて説明すればよかった。結果として大変な誤りを犯してしまった――。

 政府のスポークスマンの発言である。検定で「侵略」という言葉を書き換えさせたことはまったくなかったと受けとめた人が多いのではないか。

 また当時の政府は事実を調べもしないまま、官房長官談話を出して中国などに謝った。そう思った人もいるだろう。

 しかし、いずれも事実とは異なる。

 教科書の書き換えが問題になったのは24年前だ。若い人は知らないし、記憶が薄れた人も多いだろう。そんな中で、事実の一部だけを取り上げ、当時の政府判断を誤りと決めつけるような発言がそのまま独り歩きしては困る。これを機に、事実のおさらいをしておきたい。

 82年6月、高校の教科書について検定結果が報道された。朝日新聞を含め多くの新聞や放送が、「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。

 ところが、その後、「華北に進出」という表現は検定前から書かれていたことがわかった。その限りでは、安倍氏の指摘した事実はある当時のずさんな取材を率直に反省したい。

 では、「侵略」という言葉がすんなり検定を通るような状況だったかといえば、そうではない。中国との関係に限っても「侵略」の言葉を削られたり、「侵入」に変えさせられたりする変更が計4カ所あった。東南アジアについては「侵略」を「進出」に変えた例もあった。

 それ以前の検定では、中国との関係で「侵略」を「進出」に書き換えさせられたこともあった。

 82年の検定では、韓国も独立運動などの記述をめぐって訂正を求めた。

 文部省幹部らが中国へ派遣され、自民党の三塚博、森喜朗両氏は韓国を訪れて説明した。この後、宮沢喜一官房長官が検定のあり方を改める談話を出した。

 「華北に進出」と書き換えられた事実はなかったが、ほかの例や過去の検定を見れば、同じような問題がある。そう判断したからこそ、政府は官房長官談話を出したのだろう。

 これを受けて、検定基準に「近隣諸国条項」が加えられた。アジア諸国との歴史的な関係に配慮するというものだ。

 歴史への反省を踏まえた当時の官房長官談話を否定するかのような、現在の官房長官の発言は、政府の姿勢に疑念を抱かせかねない。テレビでの発言が意を尽くしていないのならば、改めて言葉を補った方がよくはないか。

                   *


★2:産経新聞社説:http://www.sankei.co.jp/news/060405/morning/editoria.htm

平成18(2006)年4月5日[水]
 
【主張】安倍発言批判 論点すり替えはやめよう

 安倍晋三官房長官は二日の民放テレビ番組で、対中外交に関連し、二十四年前の教科書検定問題に言及した。この発言を一部マスコミが問題視している。

 安倍氏の発言は「検定によって華北への『侵略』が『進出』に書き換えられたと報道され、中韓両国から抗議を受けた。当時の官房長官談話で謝罪したが、そのような書き換えの事実はなく、結果として、大変な誤りを犯した」という趣旨だ。

 あえて補足すれば、これは日本の全マスコミが一斉に誤報した事件で、産経以外のマスコミは今もって、きちんと訂正していない。また、当時の官房長官は宮沢喜一氏で、この宮沢談話に基づく「近隣諸国条項」が検定基準に加えられ、中韓両国に過度に配慮した記述が増える一因になっている。

 安倍氏が指摘した教科書書き換え問題は、政府やマスコミがこれからの近隣外交を考えるうえで、多くの反省点を含んでいる。そもそも、宮沢談話は誤報に基づいて発表されたもので、見直しは当然だ。この問題を改めて提起した安倍氏の発言を評価したい。

 これに対し、朝日新聞は四日付社説「事実を踏まえ論じよう」で、安倍氏の発言を取り上げ、「当時のずさんな取材を率直に反省したい」としつつ、一方で「事実の一部だけを取り上げ、当時の政府判断を誤りと決めつけるような発言がそのまま独り歩きしては困る」と安倍氏を批判した。

 朝日はその理由として、「東南アジアについては『侵略』を『進出』に変えた例もあった」「それ以前の検定では、中国との関係で『侵略』を『進出』に書き換えさせられた」などの事例を挙げ、「ほかの例や過去の検定を見れば、同じような問題がある」「現在の官房長官の発言は、政府の姿勢に疑念を抱かせかねない」とした。

 しかし、これでは、せっかくの朝日の反省を帳消しにしてしまいかねないほどの論点のすり替えである。当時、問題にされたのは日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたとする報道であり、東南アジアについての記述やそれ以前の検定は、問題になっていない。

 安倍氏も対中外交の問題として、この教科書誤報事件を取り上げた。朝日こそ事実を踏まえて論じるべきだ。

 

 

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沖縄の食文化雑感

2006-04-08 09:01:57 | 食文化

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ここ数年来の全国的な沖縄ブームには目を見張るものがある。
 
芸能界を中心に沖縄芸能、食べ物、そして沖縄大和口(沖縄訛り)に至るまで今では全国区に成りつつある。
 
青雲の志を抱いて初めて大和の地を踏んだ半世紀程前に比べると正に隔世の感がある。
 
沖縄大和口で意思の伝達に苦労もしたが、食文化の違いによる珍談、奇談も数々聞いた。
 
そば屋に入って「ソバ」を注文して驚いた人がいた。

ネズミ色のソバらしきものががドス黒い醤油汁に浸っている。

沖縄そばなら普通に入っているカマボコ、三枚肉も無い。

もしかして宮古そばでは、と丼の底を穿り返しても愛しき三枚肉の姿を見ることは出来なかった。

因みに沖縄そばは麺にそば粉を含まずに「そば」を呼称出来る唯一のそば。

従って沖縄そばは黄色で一見ラーメンとうどんが合体したもののように見える。

ダシは作る人によって秘伝があるようだが、主に豚骨とカツオダシが使われている。

味付けは塩だけで普通は醤油は使わない。 

蕎麦やうどんの汁とは違いが一目でわかる。

敢えて云えば塩ラーメンの汁に見た目は似ている。

麺の食感はうどんというより太目のラーメンといったほうが近い。

麺に添える具は沖縄カマボコと三枚肉が定番。

三枚肉は沖縄料理を代表する豚肉の甘辛煮で、間違っても三枚の牛肉のことではない。

     
         ◇         ◇         ◇

 
O君は何事にも探究心の強い男で、路地の店にぶら下がっている赤提灯が気になってしょうがなかった。

居酒屋には違いないが若いオノボリサンのO君には入るのには勇気が必要だった。

それに今とは違って居酒屋を若者が占拠するのが似合う時代ではなかった。

当時の居酒屋は仕事帰りの中年オジサンが昼間の生活の「憂さを捨てる場所」といった暗い雰囲気があった。

昨今のように若者集団がジョッキでイッキ、イッキといった陽気な場所では無かった。

アルコールはビールと言うより清酒、そして勿論2級酒が似合った。

その2級酒という言葉さえ今では死語になってしまった。
 
O君が気になっている店は居酒屋の中でも、より「大衆的」な店だったようだ。

時々出入りする客を見るとタオルを頭に巻いたオヤジさんや地下足袋のお兄さん達が主だった。
 
懐のあったかい或る日の夕暮れ、O君は一大決心の末、初めてその赤提灯の暖簾をくぐった。

≪ヤマトゥーになめられたらいかん≫

≪たかが、安酒場じゃないか≫

≪俺は泡盛で鍛えている、ヤマトゥーには負けんぞ≫
 
O君は気負いで肩に力が入ったままカウンターに陣取った。

「お飲み物は何にしますか。」

店主の声をぐっと飲み込んだ。

≪ここでビールなんか注文したら舐められる≫

「焼酎をくれ!」
 
店の壁には品書きがずらっと張り巡らしてある。
 
夕食前で腹が減っていた。 

何かツマミでも取らなければすきっ腹に焼酎では直ぐ酔ってしまう。

品書を見ても何を注文したらよいのか分からなかった。
 
隣の客はコップ酒を飲みながら★ナカミをどす黒く煮込んだようなモノを肴にしている。

意を決してその客が食べている肴は何かと店主に問うと、

「この店の自慢の、ニコミだよ。 安いよ!」と足元を見すかされるように「安いよ」に力が入ったように聞こえたのは僻(ひが)みのせいだったのか。

ナカミはやはり汁が透明に澄む程洗いこんだものでなければ食えたモンじゃない。

あんなどす黒いドロドロに煮詰まったナカミ―なんかごめんだ。
 
そうだ、先に食事をしよう。

こんな時はお茶漬が無難だ。

飲酒のシメにお茶漬けを好むヤマトゥーの食文化には無縁なO君。

壁に並んだ品書きを仰ぎ見た。

海苔茶漬け、梅茶漬け、・・・・・・・・・・!!

次の品書きを見てO君は全身が固まってしまった。

サ・サケ茶漬け、酒茶漬け!!
 
O君は焼酎をほとんど残したままその店を後にした。

≪やっぱり、ヤマトゥーには負ける。≫

≪いくら泡盛で鍛えてはいても、・・・・・・・・・・≫

≪酒で茶漬けは出来ない≫

 
その昔、アメリカ人にとって日本料理といえばスキヤキとテンプラに限られていた。

刺身や寿司を勧めると眉をひそめられた。

それが今では刺身と寿司を食するのはステータス・シンボルにさえなっている。
 
その頃ゴーヤ―やアシティビチ(豚足)を大和人に奨めたら同じように眉をひそめられたであろう。

それが今ではゴーヤ―はビタミン豊富で健康に良く、アシティビチはコラーゲン豊富で美容に良いと、これらを食するのは今では芸能人たちの「食通」のシンボルとさえなっている。
 
復帰直後初めて沖縄を訪れた客は先ず琉球料理の店を探した。

その頃琉球料理と言えば、料亭で代表される伝統料理が主だった。

ゴーヤーチャンプルーとかトーフチャンプルのような沖縄の庶民料理は「琉球料理」の範疇には入れてもらえなかった。
 
或る時腹を空かした沖縄初体験の客と食事をする事になった。

その男、全国各地を出張で廻るのが仕事で、その土地の郷土料理を食べるのが楽しみだといった。

当然のように琉球料理を所望した。

気を使って琉球料理は特殊なので、口に合わないのではないかと縷縷(るる)説明した。

が、件の男、好き嫌いは無く何でも食べるという。

それで某料亭に案内した。
 
結局、一人前5000円(当時の物価から言えば15000円~20000円)ほどの琉球料理をほとんど残したまま其処を出た。

男の好き嫌い無しも「琉球料理」には勝てなかったようだ。

そして、その男、平然と言ってくれた。

「サー、口直しに寿司でも食いに行きましょう」

念のために付け加えると、その時の勘定は全てその男の奢りだったのがせめてもの救いであった。


★蛇足:「ナカミ」→豚の臓物(中身)を使った料理。 「ナカミ汁」と「ナカミイリチ」がある。
「ナカミ汁」は水を何度も替えて下洗いしたナカミを椎茸等と一緒に澄まし汁にしたもの。
「ナカミイリチ」はナカミの油炒め。 強めに炒めると外側がカリカリして泡盛やビールのツマミに最適。

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靖国神社 奉納相撲

2006-04-07 10:26:52 | 歴史

歴史認識という言葉が新聞の見出しを賑わすようになったのは何時の頃からだろう。

江沢民・前中国主席が人民服で天皇主催の晩餐会に呼ばれ、無礼な説教を垂れたあの頃からだったような気がする。

 それ以来歴史認識という言葉は私にとって、常に中国の国家主席と対で連想されるようになった。

更に 靖国神社という言葉は何時の頃から「歴史認識」と対になったのだろう。

 東京では大学時代を挟んで10年近く生活した。

その間、靖国参拝をしたことは一度も無かったし、関心も無かった。

 私にとっての靖国神社は、沖縄からはるばる上京して「見学」した高校の修学旅行時のおぼろげな記憶にしか存在しない。                  

                     *

 胡錦涛中国主席は北京に呼びつけた橋本元総理に「日本の次期首相は靖国参拝をしない者」との条件を提示した。 

但し、一般の人が参拝するのはお構いなしと鷹揚に構えている。

 しかし、そもそも靖国参拝の可、不可の許可を中国が出す基準は一体何なのか。

日本の国技大相撲が明治神宮で奉納相撲をする事はテレビの報道などがあるのでよく知られている。

 が、中国が蛇蠍の如く嫌う靖国神社にも「靖国神社奉納大相撲」があることを恥ずかしながら知らなかった。

靖国神社の説明によると≪「奉納大相撲」は靖国神社のみたまを慰める為、明治2年(1869)神社創立鎮座祭に初めて3日間行なわれて以来、例大祭及び臨時大祭には、毎年恒例の行事として行なわれてきた伝統のある「大相撲」である。≫との事。

 「奉納」の意味を例によって辞書検索してみると≪神仏に喜んで納めてもらうために物品を供えたり、その前で芸能・競技などを行ったりすること≫とある。

 常識で考えても「奉納」は「参拝」よりその神仏に対する崇拝の念は重く深い。

 参拝で小泉首相はポケットから小銭を出し賽銭箱に投げ入れたが、奉納となると金銭で云えば少なくとも30万円以上は奉納しないと格好がつかないだろう。

 大相撲を開催する費用がいかほどかは想像の外だが、「奉納相撲」は日本相撲協会の役員及び幕内力士が全員が勿論無料で奉仕し「奉納」するという。

 当然の事ながら多くの観客が無料でで観戦できるという。

何事も金銭に換算する俗人の浅はかさだが、金額に換算したら膨大な額の奉納金になるだろう。

大相撲には君が代斉唱と日の丸掲揚が伴う。 

しかも天皇杯を争う日本の国技であり、天覧相撲もある。

 胡錦涛さん、カンベンして下さいよ。

≪個人の靖国参拝は許可する。 だが、技で国歌を斉唱し旗を掲揚する大相撲協会は個人ではない。  それが靖国神社に参拝、・・いや、奉納するのは許可しない! これは中国人民に対する侮辱だ!≫ ・・なんて、云わないで下さいよ。

 ◆その「靖国神社奉納大相撲」が今日(4月7日)開催されるそうだ。 http://www.yasukuni.or.jp/event/sumou.html

靖国神社は桜の名所でもあると云う。 

 去年の「靖国奉納相撲」を写真で見たが、桜を背景に取り組む力士の姿に、国技館の風景とは又違った趣を感じた。

 靖国というと反射的に「歴史認識」・・・というように、ていよく中国に利用されているのには腹立たしい限りだが・・・。

 せめてきょう1日は力士の巨体にあやかって『春風駘蕩』、おおらかに靖国の桜を楽しんでほしい。

           ◇         ◇         ◇

 ★蛇足:奉納大相撲実施要領

奉 納 (財)日本相撲協会

日 時 平成18年4月7日(金) 午前9時から午後3時頃

場 所 靖国神社相撲場

入 場 無 料

内 容 1. 土俵祭(午前9時) 

     2. 取組開始(午前10時40分)初切り・相撲甚句  櫓太鼓打ち分け

     3. 神前参拝(午後1時30分)

    4. 中入(午後2時)  横綱以下幕内力士土俵入

     5. 打出し(午後3時予定)

    6. 収容人員  当日先着順6,000名。       

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クミスクチンとロシアの大統領

2006-04-06 16:10:10 | 食文化

最初は耳慣れない言葉も聞きなれると自然に口から滑らかに出るようになる。

 一昔前、初めて「クミスクチンチャ」という言葉を聞いた時は何度か聞き返した。

 最近では某テレビ番組で紹介されたとかで健康食品愛好家の中では知られた名前になっているらしい。

クミスクチンとはマレーシア語で「ネコのひげ」という意味をもつ植物の名前。

各種ミネラルやカリウムが豊富に含まれているので利尿作用があり腎臓によいとの事。 「ウッチン」「グァバ」と共に沖縄の三大野草の一つだという。

                    *

その「クミスクチン茶」を初めて耳にしたのは、未だ沖縄の健康食品が昨今のように一般に定着する前の事だった。

ヤマト在住の知人から「クミスクチン茶」を送るように頼まれた。 健康食品に疎い私は本土系列の大手薬品スーパーにそれを求めた。

広い店内にはいかにも新入り風の若い店員が2,3人いた。

客の途絶えた夏の昼下がりだった。

 奇妙な商品名に初めから不吉な予感がしていた。

応対に出た若い青年の胸の「見習中」の札を見て不安は更に広がった。

 「クミスクチンチャありますか?」

「クミス・・・?」

 「ク・ミ・ス・ク・チン・チャ!」

 「エッ?・・ナニのチン・・ですか?」

 「クミスクのチンだよ。」

「はー?・・・一寸お待ちください」 件の見習青年、カウンターの中に入って同僚達と何かゴソゴソ相談している様子。

 この手の類の話は当人同士が真剣であればあるほど後で思い出して可笑しくなるもの。

勿論私もその時は大まじめであった。

 戻って来た青年の表情から、求める「・・チン」が何なのか、いや有るか無いか、それさえも分からない様子が読み取れた。

 彼が戻る前に既に私の心は決まっていた。

 ≪訪ねた店が悪かったのか。 いや、慣れない店員が悪かった。 それとも商品名が悪いのか≫

 ≪ 早々に退散しよう。表では車で女房が待っているし。≫

「すみません。 クミ・ス・ク・・」 相手が「チン」を言い終わらぬうちに、「サヨナラ」・・・と、こういう場合あまり適切で無い言葉を彼に残してその店を脱出した。

 店を出際に振り返ると、その哀れな青年「クミスク・・」と言いかけた口をポカンと開けたまま呆然と立ち尽くしていた。

 後で落ち着いて考えて見ると、私のせっかちな行動と不明瞭な発音が、真面目な見習店員の心深く「変なオヤジ」というトラウマを刻み込んだだろうか。

 しかし、こんな場合慣れた店員を置いてもらわなきゃ困る!

≪ロシアの大統領じゃあるまいし≫

 待っていた女房の車に乗り込む時呟いた私の独り言を女房が聞き返した。 

 「ロシアの大統領がどうかしたの?」

「いや、チンの話だよ」

「何のチンですか」

「ロシアの大統領はフリチン、・・・いや、エリチン、・・・でもなくて、プーチンだ!」

 「それがどうかしたの」

車に乗り込んで考えた。

あの見習新人に動揺をを与えたのはやっぱり私のせっかちな行動と不明瞭な発音のせいではない。

クミスクチンのせいだ

           ◇         ◇         ◇

 ★蛇足;「クミスクチン茶」 インドネシアに広く自生するシソ科の多年草で、雄しべが長く伸びたユニークな形から、インドネシア語で「クミスクチン(猫のひげ)」と呼ばれる。 葉から抽出できる薬効成分「オルソシオニン」は、腎炎・水腫・尿路結石などに大変効果的。 ミネラルのカリウムを多量に含んでいるのが特徴。カリウムは血液中の窒素やナトリウムを排出し、血管や筋肉を柔軟にするため、高血圧・美肌・痩身・便秘などにも効果的です。ドイツでは「ニーレンティー(腎臓茶)」、中国では「腎茶」などとも呼ばれ、副作用のない「健康茶」として親しまれ、血液内の脂肪を取り除く「美容健康茶」として愛飲されている。

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「長寿県」は肥満日本一

2006-04-06 12:08:44 | 未分類

死語になりかかった言葉に「健康優良児」というのがある。

小学校の5、6年の頃その栄誉を得た友人がいた。

今で云えば何の事は無い、ただの肥満児であった。

その頃は健康優良児と対極をなすのが栄養失調児であった。

戦後、敗戦国民は皆食糧難を経験した。

肥っている事は裕福と健康の象徴でさえあった。

その頃沖縄では世界一裕福なアメリカ人の生活を間近に見ていた。

金網の中の彼等の生活は羨望を通り越して別世界そのものであった。

アメリカは27年に及ぶ沖縄占領でいろものを沖縄に残した。

昔の沖縄では稀だった「肥満」は、アメリカが残した厄介な置き土産になった。


                  *


復帰(施政権返還)後、沖縄は「長寿県」として知られるようになった。

それを裏付けるような食生活が全国に紹介された。

その中の一つが沖縄では取れない昆布の消費量が日本一。

クーブイリチ(昆布の細切り炒め)や昆布の煮物、確かに昆布は沖縄の食生活にじゃ欠かせない。

その昆布の消費量日本一の座を富山県に明渡したという。

しかもその理由が「調理が面倒だ」というから情けない。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-10778-storytopic-1.html

統計データは正直なもので昆布の消費量減少と反比例してあり難くない日本一の栄誉に輝いた。

なんと肥満日本一の座だ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-10523-storytopic-11.html

肥満という有り難くない栄誉は男女ともに全国1位だ。

特に男性は全国2位の北海道(34・8%)を約12ポイント上回るなど突出している。

肥満のデータは平均寿命の推移に直結する。

2000年の都道府県別の平均寿命で沖縄県の女性は86.01歳とトップを維持した。

が、男性は77.64歳と全国平均(77.71歳)を初めて下回った。

そして5年前の調査の4位から一気に26位まで落ち長寿県の栄誉は既に明渡していた。


「原因は中年世代の死亡率の高さだ」と県医師会の当山護副会長は説明する。

45歳から59歳の死亡率は、脳血管疾患や脳出血、肝疾患、糖尿病などで全国ワースト10に入る。

いずれも生活習慣と関連の深いとされる疾病ばかりだ。

生活習慣病は肥満、そして食生活にその原因を遡る。

アメリカさんも厄介な置き土産を残して行ったものだ。


                   *


そのアメリカが、平均寿命の短縮に直面している。 

アメリカでは既に成人人口の64.5%が太り気味・もしくは肥満体。
(肥満の指標となるBMI値=体重÷身長の2乗は「25」)

2008年には米国の成人の3/4がこの数値に達すると予測されている。

アメリカの肥満はジャンクフードと車社会というアメリカ文明によって作り出されている。

しかし、原因はそれだけではない。

肥満は貧困によっても作り出されているのだ、と指摘がある。

戦後裕福の象徴とされた肥満は貧困の象徴に転落したのだ。

アメリカで肥満度の高い州は、南東部の貧しい地域に集中しているという。

ハリケーン被害の甚大であったというニューオリンズ地域の貧困層と思いがつながる。

アメリカの富裕層はスリムな体形を維持する為、お箸を巧みに操って高級日本料理に舌鼓を打つ。

その一方では、 特大サイズのジャンクフーズに貪りつく大多数の貧困層。

その昔、世界一の金持ち国として隣人生活をした沖縄。

時の流れに今昔の感を覚える。

 

 

 

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やっと決着 「従軍慰安婦」

2006-04-05 15:45:56 | 従軍慰安婦

 

 

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新聞の誤報が一人歩きして世論を惑わす。

その中のひとつ「従軍慰安婦」が昨年の教科書から消えた。

今年は「日本軍により慰安婦にされた女性」という表現を「日本軍の慰安婦にされた女性」に修正された。

主語を日本軍にして、どうしても「強制連行された従軍慰安婦」の印象を残そうとする左翼執筆者の目論みは、主語の無い受身の文への変更で打ち砕かれた。

「日本軍により慰安婦にされた女性」など存在しない。

「日本軍の慰安婦にされた女性」は確かにいた。

が、「慰安婦にされた女性」は内地の「女郎」と同じであり、「慰安所」は戦場における「遊郭」であった。

では主語は誰か。 誰によって「日本軍の慰安婦にされた」のか。

主語は日本軍ではなく「慰安所」の経営者である。

「慰安所」の経営者には朝鮮人もたくさんいた。

例えば、中国人保安隊による「日本人大虐殺」として知られる「通州事件」の被害者の半数近くは朝鮮人だった。

そして、彼らの職業は慰安所の経営者であり女郎であった。

「従軍慰安婦」が存在しなかった事は論議され既に決着がついた話である。

 

ところが昨年の6月、沖縄の琉球新報と沖縄タイムスが従軍慰安婦についての大キャンペーンを行っていた。

当時の中山文部科学大臣が「(教科書から従軍慰安婦という記述が消えたことを受けて)そもそも従軍慰安婦という言葉は当時はなかった。なかった言葉が(教科書に)あったことが問題」と発言したことへの反発だった。

沖縄にはこの二紙しかない。 

新聞購読の選択はこの二紙に限られる。

が、二紙とも同じように左翼への偏向報道で知られている。 

これでは事実上新聞選択の道は閉ざされたことになる。

琉球新報は地元大学教授、歴史学者を動員してこのキャンペーンにあたった。

琉球大学講師山内栄氏は6月16日琉球新報に「日本軍強要は『虚構』か」という論文を発表した。

その中で前述中山文部科学大臣の「当時従軍慰安婦と言う言葉は無かった」発言を受けて「従軍慰安婦」の強制連行があったと主張した。

が、その論旨は基本的な事実誤認のほかに、論旨不明瞭で自ら「従軍慰安婦」の存在を否定するような事を述べたり、その一方結論は「従軍慰安婦存在の証拠は枚挙に暇が無いほどある」と支離滅裂。

とても国立大学の先生が書いた文とは思えぬ代物であった。

これについては二度にわたり琉球新報に質問文を送った。

が完全に無視された。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/13fb2eebb12b5903d
202c015069fd736

流石に今年は「従軍慰安婦」については沖縄の二紙とも妙に大人しい。

やっと誤報の一人歩きが判ったのか・・・。

今年の3月31日の「高校教科書検定・実態を教えるのが大事だ」と題する琉球新報社説から「従軍慰安婦」問題は消えていた。
 
同紙・社説末尾の「・・・教科書は学ぶ入り口であり、しかも記憶に残りやすい。学ぶ際の基本だ。だからこそ、きちんとした表現や記述が大事だ」と言う言葉が空しく聞こえるのは私だけか。

 

琉球新報社説:(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-12392-storytopic-11.html)

沖縄タイムス社説:(http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060331.html#no_1)

【追記】こんな動画が有りました。2006年8月18日記

「戦時売春婦」(所謂従軍慰安婦)http://www.youtube.com/watch?v=5jOuVPbDMxY

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