狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

新説・沖縄語講座 Ⅲ ジュリは料理

2006-04-05 09:18:10 | 沖縄語講座

◆「花風」(はなふう)といえば沖縄に在住する人なら一度は目にしたことのある琉球舞踊だろう。

沖縄の色んな催しで披露されるし県下に多数ある琉球舞踊研究所(舞踊教室)でも必修科目だという。

 筆者も高校の学園祭でこの踊りを見た記憶がある。

王朝舞踊に対して雑踊りといわれ庶民の心情を表現した琉球舞踊の準古典と言われている。

とりあえず、唄の歌詞を紹介しよう。

 三重城に登て 手巾持ち上げれば  速船のならいや  一目ど見ゆる (花風節)

朝さも御側 拝み馴れ染めの  里が旅せめて 如何す待ちゆが (下出し述懐節)

(訳) 三重城に登って、別れの手巾をうち振っていたら、船足が速く一瞬しか見えないです。(花風節)

朝夕いつもお側に寄り添っていた方を旅立たせて、私はどのようにしてお待ちすればいいのでしょう。(下出し述懐節)

前段は花風(はなふう)節で、1人の遊女が愛する人を那覇港の先にある三重城(みいぐいく)で船送りをする様子を美しい所作で表現している。

紺地(くんじ)のかすりの着物をウシンチーという着け方をし、沖縄髪(うちなーからじ)を粋な形に結い、左肩に花染手巾(はなずみてぃさじ)、右手に藍紙の日傘を持って、別れのつらさを強調。

歌詞の「手巾持上げれば」で、左手で振る花染手巾の所作、「早舟の慣れや」で左手の花染手巾と、右手の藍紙の日傘の所作は、この踊りの見どころ。

後段は、「下出述懐節」(さぎんじゃししゅつくえーぶし)で、船送りした後の遊女の心境と家路につくやるせなさを、右手の日傘を使って、叙情的に見せる。

 歌詞の「里や旅しめて」で、日傘を開いて見せる所作と座って上手先への悲痛な目付(みじち)は、一幅の絵を見る所作といえる。

ここで狼魔人は何が云いたいのか。

沖縄で現在日常の生活に慣れ親しまれている琉球舞踊にも出自を問えば遊女、尾類にまつわることが沢山ある、・・・と云いたい。

話が随分脱線したが、尾類馬行列に話を戻そう。

尾類馬行列を反対する女性団体の理由は尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでなく「尾類」という単語の文字そのものにあるような気がしてならない。

少年時代に読んだ冒険小説に「魔境の有尾人」と言ったようなタイトルがあったような気がする。  ≪天外魔境に棲息する奇怪な有尾人を探索する波乱万丈の怪奇大冒険小説・・・・≫ と言ったオドロオドロしたイメージが記憶の隅にある。

そう、「尾類」という文字をを見たときの連想はまさにこの奇怪な「有尾人」のイメージであった。

まさに差別のイメージだ。

沖縄の方言で尻尾(しっぽ)のことを「ジュ」という。

それで「ジュリ」をそのまま「尾類」という漢字を当てた。

女郎の訛りが「ジュリ」という説もあるがこれは正確ではない。

話が突然変わるが、スペイン料理で「パエーリャ」と言う炊き込み御飯がある。

 ところが地域によっては「パエーヤ」、とも「パエージャ」とも言うらしい。

ここで音声言語学のウンチクを、というつもりではないが「リャ・リ・リュ・レ・リョ」は「ヤ・イ・ユ・エ・ヨ」又は「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」に変化する事はよく知られている。

 「パエーリャ」はその例のひとつだ。 

これはスペイン語だけではなく発音がローマ字発音によく似ている日本語にも例は多い。

西郷隆盛の弟西郷従道の本名が隆道と云うことはあまり知られていない。 

それが従道に変わった経緯もこの音韻の訛りにあった。

隆道が明治新政府の役人に名前を名乗った時「サイゴウ・リュウドウ」と言ったのが、薩摩訛りが出て「ジュウドウ」に聞こえ、そのまま名簿に「西郷従道」と記録されたと言う。

本人も特に気にせず結局「従道」のままであったというから昔の人はのどかだった。

 「リュ」が「ジュ」に訛った例である。

 沖縄は慶長の「薩摩入り」以来薩摩の役人が多数沖縄に駐在した。

そのため沖縄方言は薩摩訛りの影響を受けた。 

特に「らりるれろ」の付く発音にそれが著しく見られる。 

標準語が昨今のように普及する前、家庭では方言しか話さない学童達は国語の朗読で苦労をした。

そのとき、今では見られなくなったが、道路の事を「ローロ」と発音する子供達がいた。

 因みに鹿児島市内に石灯篭通りと言う地名があり「イシズロ通り」と発音するらしい。(ローロが更にズロに訛った)

                  

 ◆再び話を「尾類」に戻して結論を急ぐと、「ジュリ」は「料理」と書くのが正しい。

「リョウ」が「ジュウ」に訛った例だ。

 従って「ジュリ」が居る所「ジュリヌヤー」は「料理の家」つまり「料理屋」で、言葉を変えれば「料亭」になる。

料亭だってその出自を問われれば現代では存在できなくなる。 

 「ジュリヌヤー」に勤める女たちの事を「ジュリ」というようになったのである。

だから「尾類」ではなく「料理女(おなご)」(ジュリ・イナグ)が正しい。

「ジュリの家」は単なる売春宿ではなかった。 

「料理屋」或いは「料亭」は元々料理を提供しそれを食しながら歌舞音曲を楽しむところであった。  

 そこで働く「ジュリ」と薩摩からの単身赴任の役人や士族の師弟とが恋に落ちるといった話も良くあった。

これが冒頭に挙げた「花風」や「述懐節」で唄い、踊られた風景である。

 因みに料亭という言葉は元々沖縄方言には無い。

これに相当する料理屋をサカナヤー (魚屋)といった。

薩摩の影響でサカナヤーが料理屋になり、明治以降更に料亭となった。

≪サカナヤーは男の遊び所≫と言った言い回しがあるくらいだ。

 現在の常識で過去を断罪する事は人間の傲慢であり、大愚である。

「ジュリ」は尾類ではない。 料理のジュリからの転用である。

     ◇         ◇         ◇

★蛇足1:本稿は想像力で書いた随筆の類であり、学術論文でないことは云うまでもない。

★蛇足2:「尾類行列の中止」については塩月亮子(日本橋学館大学人文経営学部助教授 )が論文を書いている。

http://homepage2.nifty.com/RYOKO/jyuriuma%20ronnbunn.htm

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横浜優勝 おめでとう!

2006-04-04 15:02:11 | 県知事選

センバツ決勝戦。 横浜が期待通り決勝戦で21対0の大差をつけて圧勝した。

 大差の記録としては新記録のおまけ付きで。

これで八重山商工も準優勝の実力がある事を天下に知らしめたことになる。

前稿でトーナメント戦の不条理に一寸だけ触れたが、今「トーナメント戦の法則」を発見した。

その法則とは「自分が応援するチームに勝った相手チームを応援すれば、結局そのチームは優勝する」。

WBCで負けた日本チームを最後まで批判した韓国の愚は冒すまい。

 「知って得する!トリビアの泉」(ブログ名)さんから次のようなTBを貰った。 

≪私の希望としては長崎清峰に勝利してもらいたい。横浜は今まで何回も優勝しているので、初優勝を清峰にしてもらいたい。私は関西出身なのでPL学園を応援していたのであるが、あっさり6:0で勝ってしまった清峰学園を応援する。皆さんはどちらを応援しますか?≫

では、PLを応援していた「知って・・」さんはPLに勝った長崎清峰を応援した、・・が決勝で横浜に負けたではないかって?

そう、応援する清峰に勝った横浜を応援すれば結局応援したチームが優勝したことになる。

 屁理屈言ってスミマセン「知って・・・」さん!

とにかく横浜優勝おめでとう! 清峰もよくやった!

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センバツ決勝戦 頑張れ横浜

2006-04-04 08:16:51 | 県知事選
息子が小学校の頃、よく親子で将棋を指した。

沖縄将棋連盟の大会などには二人で参加したりした。

ある時息子の友達も誘って三人で参加した。

因みにその頃の棋力は私が初段程度で、息子が2級程度。

息子の友達は息子に三度やって三度とも負ける棋力。

息子達は小学生の部に参加した。

結論から先に言うと、息子は二回戦に対戦した相手が強くそこで敗退した。

一方、息子の友達は弱い相手に恵まれ?て決勝まで勝ち進んだ。

決勝の相手は息子を二回戦で打ち負かしたあの強敵だ。

当然の如く友達は敗退した。 これも当たり前のことだが、友達は準優勝の栄誉に輝いた。

表彰式で栄えある準優勝の賞状と副賞を貰って友達は喜色満面。

息子は参加賞を手にして、初めて遭遇する人生の不条理に納得いかない様子。

口にこそ出さなかったが心情は≪何度指しても負けない相手が準優勝で、何故自分は参加賞だけ?・・・。≫といったところだろう。 ワカル。

よっぽど悔しかったのか将棋の腕を上げて、翌年は中学校の部に参加して優勝してしまった。

え?・・・友達はどうしたかって?  あの準優勝以来息子とは将棋を指さなくなっていた。

何が幸いするかわからない。

しかし、トーナメント戦で貴重な人生体験をしたようだ。

その息子も今は大学生だが、あれ以来将棋を指さなくなった。

かく云う自分もあれ以来将棋とは縁遠く、この前久し振りにパソコンソフトと対戦してみたら、3級程度の設定で見事に負けた。


◆さて今日はセンバツ大会の決勝戦だ。

八重山商工に二回戦で辛勝した横浜が長崎の清峰と優勝を争う。

横浜は2度にわたる打者一巡の攻撃などで、岐阜城北を12対4の大差で降し、決勝進出を決めた。

普通、我が家ではこういう場合同じ九州勢という事から長崎の清峰を応援する。

しかし、こうなったら横浜に優勝してもらいたいものだ。

昨日の対岐阜戦での圧勝振りを見てると、今更ながらのように八重山商工の健闘が光る。

横浜が優勝すれば八重山商工の健闘は少なくとも準優勝の価値があったといえる。

トーナメント戦の敗退を悔しがるのはWBCで日本に敗れて「負け犬の遠吠え」をした韓国を連想するので、この辺で止めておこう。

とにかく、横浜頑張れ! チバリヨー!

          ◇         ◇         ◇

八重山商工の健闘を称え『対横浜戦の詳細記録』と
地元石垣紙、八重山毎日新聞の記事を転載する。

◆第78回選抜高校野球大会 試合速報 第7日

▼2回戦 2006/03/29(水) 横浜(神奈川)-八重山商工(沖縄)
11:32                    計
横 浜   0 0 1  6 0 0  0 0 0  7
八重山商工 0 0 0  0 0 1  0 5 0  6

3回表横浜2死、岡田が中堅右に先制のソロ本塁打を放つ。投手金城長
【投手】
(横)川角、浦川-福田
(八)金城長、大嶺-友利

【本塁打】
(横)岡田1号ソロ(3回、金城長)
(八)金城長2号ソロ(6回、川角)

【戦評】
 横浜は三回、岡田が先制ソロ本塁打。四回は守備の乱れに3長打を絡め6点を奪った。八回に1点差とされたが、2番手の浦川が好救援。一死二塁から併殺に打ち取り、九回二死二、三塁のピンチも守り抜いた。
 八重山商工は八回、金城長からの6連続長短打で5点を奪った。九回にサヨナラの好機をつくったが、あと一歩及ばなかった。

【打撃成績】
横 浜 打 安 点 打率        1  2  3  4  5  6  7  8  9
(二) 白井 史弥 3年 5 0 0 .375 中飛 - 右飛 三振 - - 一飛 - 三振
(三) 古城 知明 3年 4 1 0 .143 中飛 - - 右三 三振 - 三振 - -
(遊) 高浜 卓也 2年 4 0 0 .125 三ゴ - - 二失 投ゴ - - 三ゴ -
(捕) 福田 永将 3年 3 0 0 .000 - 二ゴ - 三ゴ 遊ゴ - - 四球 -
(右) 佐藤 賢治 3年 4 1 2 .250 - 左飛 - 中二 - 三振 - 三振 -
(中) 下水流 昴 3年 4 2 1 .286 - 三振 - 右三 - 三振 - 中安 -
(左) 越前 一樹 3年 3 1 0 .333 - - 遊ゴ 四球 - 左安 - 遊ゴ -
(投) 川角  謙 3年 3 0 0 .000 - - 三ゴ 三振 - 遊ゴ - - -
投 浦川 綾人 2年 1 0 0 .000 - - - - - - - - 三ゴ
(一) 岡田 龍明 3年 3 1 1 .333 - - 左本 四球 - - 三振 - 左飛
計 34 6 4 .203 犠 0 盗 1 失 2 併 2 残 3

八重山商工 打 安 点 打率      1  2  3  4  5  6  7  8  9
(捕) 友利真二郎 3年 5 2 0 .333 投ゴ - 左安 - 二ゴ - 三振 - 中安
(遊) 東舟道大介 3年 5 2 0 .333 右二 - 左安 - 三振 - - 右飛 三飛
(投二) 金城 長靖 3年 5 4 1 .556 中安 - 三ゴ - - 左本 - 左安 左安
(三) 羽地 達洋 3年 4 1 0 .250 投併 - 四球 - - 三振 - 右安 一ゴ
(中) 仲里 拓臣 3年 5 1 1 .222 - 遊ゴ 二飛 - - 中飛 - 右安 遊ゴ
(左) 金城 賢司 2年 3 2 2 .600 - 左安 - 右飛 - 四球 - 左安 -
(一) 新垣 哲平 3年 4 1 0 .333 - 遊失 - 中飛 - 三ゴ - 左安 -
(二) 嘉数  駿 2年 1 0 0 .000 - 遊ゴ - - - - - - -
投 大嶺 祐太 3年 3 1 2 .286 - - - 三ゴ - - 三ゴ 右二 -
(右) 奥平  結 3年 4 0 0 .286 - - 遊ゴ - 二ゴ - 一邪 投ゴ -
計 39 14 6 .338 犠 0 盗 0 失 1 併 0 残 8


【投球成績】
横 浜     回数   打者  球数  被安  奪三 与四 失点  自責  防御率
川角  謙 3年 71/3  35   133   12   3  2   6   5    2.76
浦川 綾人 2年 1 2/3  6   18    2   0  0   0   0    0.00

八重山商工   回数   打者  球数  被安  奪三 与四 失点  自責  防御率
金城 長靖 3年 32/3  18   74    4   2  2   7   3    7.36
大嶺 祐太 3年 51/3  19   76    2   8  1   0   0    0.63


▽三塁打 古城、下水流
▽二塁打 東舟道、佐藤、大嶺
▽残塁 横3八8
▽併殺 横2(川角-高浜-岡田)羽地=1回(浦川-古城-高浜-浦川-白井-福田-白井)=8回、八0
▽暴投 大嶺2=4回、川角=6回
▽盗塁 越前
▽失策 高浜、佐藤、嘉数
▽審判 (球)赤井、桑原、善積、辻
▽観衆 16000人
▽試合時間 2時間15分

                    ◇


◆八重山毎日新聞 2006-03-30 | スポーツ |


八商工惜敗 さわやかに散る/終盤の猛追、あと1歩及ばず

V候補の横浜 1点差まで追い詰める

【兵庫=選抜高校野球取材班】第78回選抜高校野球大会で八重山商工は29日の第2試合で横浜と2回戦を行い、6-7で惜敗した。0-7から1点差まで追いつく粘りの野球で、最後まで優勝候補の横浜を追いつめた。八商工は2回戦で姿を消したが、初戦の高岡商で離島勢初の勝利を上げ、この日も劇的な好ゲームを展開、センバツ甲子園に八商工の名を刻んだ。



この試合、先発を任されたのは金城長靖(3年)。金城は順調な立ち上がりで強打の横浜打線を2回まで無安打に抑えた。ところが3回に甘く入った直球を9番打者に本塁打、4回には失策をはさんで3連続長打を浴び3失点。ピンチで継投した大嶺祐太が2個の暴投で3点を失った。

0-7となった時点で横浜圧勝のムードが漂った球場内を興奮の渦に包んだのは八商工打線の怒濤(どとう)の攻撃だった。6回に金城長の本塁打で1点返し、6点差で迎えた8回。金城長から6連打で5点、1点差まで詰め寄った。9回にも一死一、二塁の好機をつかむが、適時打が出ず、あと1歩及ばなかった。




■悔しいが選手はよくやった

伊志嶺吉盛監督 勝たなければ意味がないが、粘れたということでいいのではないか。悔しいというのもあるけど、(継投機などで)ベンチが下手で負けた。選手はよくやった。



■いつ逆転されるかと不安だった

横浜・渡辺元智監督 いつ逆転されるか不安でならなかった。八重山商工はチームがしっかり鍛えられている。素晴らしい八重商工と対戦できた収穫は大きかった。



■甲子園は楽しかった

友利真二郎主将 横浜が強かったが、甲子園は楽しかった。試合が終わってベンチを出たあとも試合のことが頭によみがえった。2回戦でもこんなにたくさんの人が応援に来るとは思わなかったので、うれしかった。



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新説・沖縄語講座 Ⅱ ジュリは尾類ではない

2006-04-03 14:08:00 | 沖縄語講座
テレビのクイズ番組で「京都の三大祭は何か」という問いに、はたと考え込んだ。

答えは「葵祭」、「祇園祭」それに「時代祭」。

云われてみると、どれも聞き覚えがある。

が、改まって聞かれるとなかなか名前が出てこない。

地元沖縄の祭りではないせいなのか。

沖縄にも三大祭りがあると云う。

これも聞かれると何人のウチナンチュが正解できるやら。

三大祭りとは、5月のハーリー(舟漕ぎ競争)、10月の大綱引き(那覇祭り)、そして2月の「尾類馬行列(尾類馬祭り)」を指すという。

ハーリーと大綱引きは、テレビでも放映され、沖縄観光の目玉として観光客にも知られている。

だが、尾類馬行列についてはあまり語られる事はない。

それどころか現在中止されているという。

中止の理由はその「尾類(ジュリ)」という言葉にあった。


             ◇

沖縄の解説本によるとジュリは尾類と書いて、女郎の事とある。

女郎とは今では既にに死語になりかかっているが、遊女、おいらん、娼妓のこと。 要するに遊郭で、遊客と枕をともにした女のことである。

尾類馬行列が中止になった理由は戦前は主に経済的理由であったらしい。

景気が良くなれば行列を景気よく繰り出し、不景気になれば中止する。

話は明快だった。

ところが施政権が返還されて沖縄県になってからの中止理由は簡単明瞭にはいかなくなった。

婦人団体が「尾類行列祭りの存続は公娼制度の復活につながる」と尾類行列に反対運動を起こしたのだ。

勿論、その一方尾類行列存続をを訴える意見もある。

自治会や市の観光課が「観光振興・地域活性化」と言う理由で尾類馬行列の復活を訴えているらしい。

だが現在中止されているところを見ると、反対派の意見が勝ったようだ。

観光振興だけでなく、伝統保存の立場からも復活を望む声もある。

こういうとき検索が威力を発揮する。

2003年3月23日の沖縄タイムスのオピニオン面に「ジュリ馬行列は立派な芸能」と題する屋部邦秀(65歳)さんという方の投稿があった。(文末に転載)

その中で尾類馬行列を「売春云々」の面だけを捉え伝統芸の面を無視してはいけないと主張している。

この手の問題に反対する婦人団体に異を唱えるのは容易な事ではない。

議論が熱すると話は一気に飛躍する。

「貴方は売春制度を支持するのか」

「貴方は女性差別主義者か」

更には論理を超えて感情的になるともう手におえない。

「貴方の趣味は買春か」、に始まり挙句の果ては「エロオヤジ」、「女性の敵」と自宅を女性団体の糾弾の声で包囲されかねない。

話は多少大袈裟だが、ご婦人方を敵に回すのはかくも恐ろしい事だという覚悟が必要だ。

戦後、学校で剣道の部活を反対する婦人団体があった。

いわく「剣道は人殺しを練習する術だから反対」ということだった。

これに異論を唱えると「人殺しを認めるのか。 戦争を賛美するのか」の感情論で大変だったようだ。

東京都の「はとバス・おいらん道中ツアー」の例を待つまでも無く、現代の常識で過去の伝統行事の是非を判断するのは愚だ。

伝統歌舞伎だって元を辿れば遊女歌舞伎から始まったという。

第一、歌舞伎者という悪いイメージの言葉さえある。

お座敷遊びについてはウンチクを傾ける知識は無いので、映画などの受け売りに頼ってみよう。 

映画の中では今では京都観光のシンボルともなっている花柳界でも旦那とか身請け、借金による身売りと言った今の常識では許せない言葉が飛び交う。

それを根拠に現在の舞妓さんや芸子さんの出自を問うのは野暮と言うものだろう。

唐突に結論を持ってくると尾類馬行列に反対する女性団体の理由は尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでない。

「尾類」という漢字の当て字にある。

「尾類・・・有尾人・・・」と言った奇異なイメージ・・・。


                  ◇


◆≪[わたしの主張あなたの意見]/「立派な芸能」ジュリ馬行列/屋部邦秀=65歳

 二月十一日の辻自治会の紹介に、三百年以上の伝統を誇り、那覇の三大祭りの一つであった「ジュリ馬行列」が「売春肯定になる」との批判から市の補助も絶たれ、その伝承に苦労している、とある。

 「売春云々(うんぬん)」の考え方を否定はしませんが「ぜひ伝承していきたい」と懸命に努力なされている人がいることも考えてほしい。


 なぜ「売春云々」になるのか。もし、ジュリの踊りだから、というのであれば、金細工や花風の歌や踊りもジュリの歌、踊りだが「売春云々」の話は聞きません。むしろ、立派な芸能として、歌い、踊られているのでは。ジュリ馬行列も立派な芸能と考えます。


 異なる考え方を受け入れる寛容さが社会をつくるための大切なことでは。私の考えが正しい、ほかはだめ、否定、抹殺すべきである、ではいびつな社会にしかならない。


 私たちの時代で途絶えさせることなく、次の時代にも確実に伝承させなければならない「立派な芸能」と考えます。(那覇市) ≫

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中国主席発言にどう答える

2006-04-03 07:44:33 | 県知事選
日本の次期総理大臣候補に下した「口頭試問」について、今朝の毎日新聞が「次期首相候補はどう答える」と題した社説を掲載した。

愈々日本全国で、誰が胡主席のご意向に沿う日本の指導者かを探る大運動が始まる。

                 ◇

◆毎日新聞 2006年4月3日 0時06分

社説:中国主席発言 次期首相候補はどう答える

 中国の胡錦濤国家主席が日中友好7団体の訪中団との会談で、「日本の指導者がA級戦犯をまつる靖国神社に再び参拝しないと約束すれば、首脳会談をいつでも開く用意がある」と語った。逆に言えば、A級戦犯の合祀(ごうし)をそのままにして首相が参拝を続けるなら首脳会談には応じない、ということだ。

 中国の最高指導者が首相の靖国参拝と首脳会談開催を直接結びつける発言をしたのは初めてである。靖国問題では譲歩しないという原則を改めて打ち出してきたことは、中国のこの問題に対する強いこだわりを示している。

 友好団体を招いての会談とあって、日本側には胡主席が日中関係改善への新提案を行うのではないかとの観測もあった。期待はずれに終わったのは残念だ。

 日中間の政治関係は冷え切っている。首脳の相互訪問は4年半も途絶えたままだ。国際会議の場を利用した首脳会談も、昨年4月のジャカルタ会談が最後だ。

 1年前の会談で、胡主席は靖国問題に関連し「反省を行動に移してほしい」と要請した。だが、小泉純一郎首相はその半年後に5度目の靖国参拝を敢行した。東シナ海のガス田開発や上海総領事館職員の自殺問題などもあり、日中関係は国交正常化以来最悪といわれるまでの状況に陥っている。

 中国は、小泉政権下での関係修復は見限ったようである。唐家せん国務委員は「小泉首相にはもう期待していない」と明言しているし、温家宝首相も関係悪化の責任は「中国にも日本の国民にもない」と小泉首相と日本国民を切り離す考えを示している。

 小泉首相の任期はあと半年ある。だが、日本の政界は06年度予算が成立し、水面下ではポスト小泉の自民党総裁選レースが動き出している。中国がこの時期に友好団体を招き胡主席が会談に応じたのも、こうした日本の政治情勢を見計らってのことだ。胡発言は小泉首相への批判以上に、小泉後を狙う次期首相候補たちに向けられたけん制の意味合いが強い。

 小泉首相は「靖国問題は外交カードにならない」と言う。しかし、すでに深刻な外交問題になっている現実がある。首相は、靖国問題は「心の問題」とも言う。だが、中国にしてみれば、胡主席が言うように「被害国の国民の気持ち」の問題でもある。

 胡発言を「内政干渉」と受け取る向きもある。今回のような発言が逆効果になる可能性も否定できない。しかし、靖国問題をどう扱うかは、むしろ日本の国民が一番知りたいところだ。外務省が最近発表した国民の意識調査結果では、約8割が日中関係の改善を求めている。

 胡主席が「日中友好の発展は両国の利益とアジアの平和に結びつく」と言うなら、中国には、原則論に固執するだけでなく関係改善の重要性を踏まえた柔軟な対応を求めたい。また、ポスト小泉をうかがう候補者たちには、胡発言に対する明確な答えを持ってもらいたい。


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靖国参拝は「踏み絵」か

2006-04-02 11:29:30 | 県知事選
今朝のテレビ「報道2001年」に次期首相候補と言われる安倍晋三、麻生太郎と評論家の桜井よし子が出演した。

冒頭桜井よし子上海総領事館員の自殺に触れて、橋本訪中団の胡錦濤国家主席との会談を批判した。

自殺した領事館員も橋本元総理も中国による「女性問題」で国益を問われた。

追い詰められた領事館員は「国を売ることは出来ない」との遺書を残して自殺した。

一方当時の橋本総理は「女性問題」を国会で問われて「個人的問題なので答えられない」と問題をうやむやにした。

その橋本元総理が中国賛美派の要人を引き連れて北京詣でをする。

そして相手の言い分だけを一方的に拝聴している事を批判したのだ。


「日本の次期総理大臣の条件は靖国を参拝しない事」。

これには流石の朝日新聞も驚きを隠せない。

今朝の社説で「・・・ 日本政府は、対中円借款の05年度分の決定を見送った。上海総領事館員の自殺をめぐっては、中国の公安関係者によると見られる脅迫をつづった館員の衝撃的な遺書が読売新聞に報じられた。東シナ海のガス田開発でも対立は解けない。
(略)
 胡主席が語ったのは「日本の指導者が靖国神社をこれ以上参拝しなければ、いつでも(首脳会談を)開く用意がある」という言葉だった。(略)
 しかし、これほど強く、靖国参拝の断念を首脳会談再開の条件に掲げてしまうと、日本では事態をかえって難しくする面がある。・・・・」と胡主席のあまりにも高圧的発言に何時に無く引き気味の論説を述べれいる。


各マスコミが次期総理候補に靖国だけを取り上げ中国の代理人のように「口頭試問」をする。

今朝の「報道2001」でもお決まりのように黒岩キャスターが安倍官房長官に尋ねた。

「貴方は総理になったら靖国を参拝しますか」。

日頃の言動から推察して、安倍は総理になっても参拝を止めないだろう。

・・が、安倍は中国側の「踏み絵」のような質問に対して、

「(沢山ある懸案を抱えて)いたずらに靖国だけを外交問題にするのは私の意とするところではない」といったような趣旨で「イエスかノー」の口頭試問への答えを拒否した。

それで立派な回答だ。 中国の代理人のような「試問」に答える必要は無い。

小泉首相はそんな時ワンフレーズで「適切に判断する」と答えていた。

社会主義国家の中国にとって実は靖国を参拝しようがしまいが痛くも痒くもない問題なのだ。

その証拠に、昭和20年から昭和59年まで戦後12人の首相が59回参拝したが何も問題にならなかった。

ところが昭和60年中曽根首相の10回目の参拝に対し朝日新聞が火をたきつけた。

朝日の「中国が目を光らせている」との報道が原因で、外交問題になり中曽根が参拝を中止をした。

翌年から小泉首相が再開するまで誰も参拝しなかったことは常識だ。

つまり靖国参拝は中国にとって、有効な外交カードと認識したから使っているだけなのだ。

これを外交問題とさせたのはマスコミとそれに怯えた元中曽根首相だ。

中国は「靖国は外交カードになり得る」と判断して、それに便乗したに過ぎない。

靖国問題が解決すれば次のカードを見つけ出すに決まっている。

もしかしたら沖縄の潜在主権は中国にある・・・とか。


1日付けの「人民日報」は橋本朝貢使節団の胡主席に対する感謝を対のように伝えている。

「・・・橋本氏は胡主席の多忙にかかわらず会見してくださったことに感謝し、この場で胡主席の中日関係の発展に関する見解に耳を傾けることができて嬉しく思う。(略)
日中友好7団体の会長たちによると、会見は一時間半にわたり、双方はそのうちの三分の一の時間で靖国神社参拝をめぐって意見交換した。彼らも日本のトップは戦争被害国の感情を考慮すべきだということを認めている。・・・」


         ◇         ◇         ◇


◆産経新聞  平成18(2006)年4月2日[日]

産経抄

 昭和五十七年の教科書検定事件は報道各社の誤報から始まった。高校の教科書に初め「日本軍が華北(中国北部)に侵略」とあったのに検定で「侵略」が「進出」と書き改めさせられた、と誤って伝えたのだ。産経新聞以外きちんとした訂正もしなかった。

 ▼その罪は大きい。だが、コトを大きくしたのは政府や政治家たちの定見のなさだった。中国、韓国から抗議を受けると右往左往、真偽も確かめないまま、検定を間違いとする官房長官談話を発表する。以後、中韓が教科書問題に介入するきっかけを作ったのだ。

 ▼今年発表の高校教科書検定では、島根県の竹島を「日本の固有の領土」と、記述を改めさせられたケースがあった。誤報ではないし、当然の検定である。これに対し、韓国は日本政府に「遺憾と抗議」を伝えてきた。ここまでは二十四年前と同じような推移である。

 ▼違っていたのはマスコミや政治家の反応だった。ほとんどの新聞は韓国の抗議を伝える記事を、ベタ扱いにしていた。政治家もピクリとも動かなかった。歴史認識と領土問題との相違はあるにしても、四半世紀近い間に日本も外交的に一応の「進化」をしたのだろう。

 ▼しかし、少しもそれを感じさせない人たちもいる。「日中関係を改善するため」と中国へ出かけた日中友好議連などの人たちだ。会談した胡錦濤主席から「(首相が)靖国参拝をやめれば首脳会談に応じる」と「内政干渉」発言を引き出してしまったからである。

 ▼今こちらから動けば外交的に利用されるだけなのに、まんまとハマる。しかも団長の橋本元首相らは、ほとんど反論もしなかったという。会談は三十一日だった。「一日早いエープリルフールじゃないの」と言いたくなる稚拙さだった。

コメント (1)

勅命は下った!

2006-04-01 09:41:26 | 県知事選
総勢27名の朝貢使節団を率いる橋本は、中国皇帝の賜る「重要講和」の内容については薄々予感があった。

現代の紫禁城・人民大会堂で遂に勅命が下された。

「靖国参拝さえ止めれば拝謁を許す」。

しかし、皇帝はこれまでの経緯から小泉という男が一筋縄では行かない変人である事を思い知らされていた。

≪小泉という男は勅命で動く事はあるまい≫ ≪参拝を続けるだろう≫

それを裏付けるように、小泉は27日の記者会見で使節団の訪中を見越したかのような発言をしていた。

「中国、韓国の政府による批判も、私の参拝を理由に首脳会談を行わないことも理解できない」。

以前にも小泉は「靖国参拝を理由に一国の首脳が会談できないのは中国と韓国だけだ」、と皇帝の誇りを逆なでするような発言をしていた。

≪・・・だとしたら、9月以降の「ポスト小泉」が重要だ。 目下のところミニ小泉とも言うべき安倍晋三が最有力だが。 それは困る。 恭順のの意を表している福田康夫を取り立ててやらねば≫

そこで皇帝は会談後の夕食会で唐家セン国務委員を使った。

「(胡主席の講話は)今の指導者だけでなく、これからの指導者にものべられたもの」、
と「ポスト小泉」にたいする勅命に念を押させたのだ。

誇り高き皇帝は足元ににじり寄る者には寛大だ。

橋本が「首相の時(一度)靖国に参拝した」と懺悔し、親類が出征し、死亡したと弁明すると、胡皇帝は「個人的な気持ちもあるのだろう」と鷹揚に理解を示した。

中国兵法秘伝に従って、2月には恭順を示す二階産経相を歓待し、今回は「女スパイ」による篭絡により玉を抜かれ宦官と成り果てた橋本使節を招いた。

今回の会談、・・・じゃない、拝謁で、靖国参拝のみに過半の時間を取り、尖閣領土問題、ガス田問題、上海領事館員自殺等に関しては口に出すさえ畏れ多い事と、話題にさえならなかった。

会見に出席した中国側は「民をもって官を促し、経済をもって政治を促し」と述べた。

さー! 勅命は下った。 日本の世論分断工作は着実に実行されであろう。

「ポスト小泉レース」は、「靖国非参拝」という錦の御旗を掲げる福田康夫が安倍を一気に抜き去るであろう。

日本国の次期総理大臣は福田康夫で決まり!

これ中国皇帝の勅命なり。


         ◇         ◇         ◇


◆4月1日付・読売社説(2)

 [日中友好訪中団]「『ポスト小泉』に内政干渉は迷惑」

 中国の対日姿勢に変化の兆しがあるのかどうか、注目された「重要講話」だった。

 中国の胡錦濤国家主席は、日中友好7団体の代表と会談し、「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を日本の指導者たちがこれ以上参拝しなければ、首脳会談をいつでも行う用意がある」と語った。

 日中首脳の相互訪問が途絶えている原因は小泉首相にあり、小泉内閣の下で関係改善は困難、と言いたいのだろう。

 「指導者たち」という言い方から、「ポスト小泉」候補が仮に首相に就任した場合は、靖国参拝をすべきではないと牽制(けんせい)する意図がうかがえる。

 あえて「重要講話」としたのも、日本側に明確にメッセージが伝わるようにしたい、ということではないか。

 だが、中国が靖国参拝の中止を声高に要求している限り、首相が参拝をやめれば、日本国内では「他国の圧力に屈した」と受け止められるだけだろう。かえって「嫌中」ナショナリズムをあおる結果を招きかねない。

 胡主席は「争えば双方が傷つく。中日友好を発展させることが、両国の利益に合致する」とも述べ、交流拡大の必要性を訴えた。

 2月の二階経済産業相訪中以来、閣僚レベルの交流は復活しつつある。だが、最も重要な交流の機会は首脳会談だ。

 小泉首相は「靖国参拝という一事をもって首脳会談を行わない国は、中国と韓国のほかにない」と指摘している。その通りだ。

 中国にしても、トップの要求が日本に聞き入れられなければ、江沢民・前主席時代の「反日」愛国教育で育った世代から、体制批判が出かねない。

 いつまでも「歴史」を外交カードにすれば、互いに抜き差しならない事態になるだけではないか。

 中国国内にも、対日政策の見直しを求める声が出ている。

 中国社会科学院の元日本研究所長は最近、「歴史の決着を最優先すれば、両国関係は絶え間ない悪循環に陥る」との見解を中国の専門誌に発表した。

 「絶え間ない悪循環」を避けるためにも、中国は、「歴史」認識と首脳会談再開を絡める姿勢を改めるべきだ。

 「歴史」認識に関する問題は、他国が口をはさめば事態を複雑にさせる。が、そのことは、日本人が「歴史」に無頓着でよいことを意味しない。

 あの戦争は何だったのか。戦争責任をどう考えるべきか。戦没者をどう追悼したらよいのか。「歴史」と向き合い、国民的議論を深めることが必要である。

(2006年4月1日1時46分 読売新聞)
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