狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

事件は金武町でおきた!国会でおきたわけではない!

2009-06-13 07:03:53 | 金武町流弾事件
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沖縄二紙は依然として星、上原両氏の告発に応えようとしていない。

沖縄二紙の卑怯な沈黙はこれだけではない。

号外まで出して大騒ぎした金武町伊芸区の「米軍流弾被災事件」のことを、しつこい当日記が忘れたわけではない。

国会での「政治決着」はさておいて、事件の真犯人を読者に報告するのが地元紙の最低の義務ではないのか。

それとも真犯人を報道できない事情でもあるのか。

マッチポンプとは自分で火をつけポンプで消すことだが、沖縄紙は自分で火をつけ、その後始末もせず自然鎮火を待つつもりらしい。

以下は「再掲」です。

                    ◇


刑事ドラマよくあるシーンにこんなのがある。

主人公の敏腕刑事が綿密な聞き込み調査の結果、犯人の鉄壁のアリバイを崩し、いよいよ犯人逮捕を目前にして課長に呼ばれる。

捜査課長:「アリバイはそのままにして、これ以上この事件を追及するな」

敏腕刑事:「何故ですか。 理由を言ってください!」

課長:「俺にもわからん。 上からの命令だ!」

刑事:「ここで事件がウヤムヤになるのは悔しくないですか!」

課長:「俺も悔しいが、ここは我慢してくれ、上には逆らえん!」

刑事:「うーん、政治決着ですか」

夕暮れの屋台でコップ酒をあおりなが悔しがる二人を背景に、ここで物語りは・・・・[完]

 

事件が、現場の捜査を無視して政治的に決着することは小説の世界だけと思うだろうが、沖縄の米軍がらみの事件では珍しくはない。 

沖縄では「県民感情」が法律に優先するものらしい。

米兵女史中学生暴行事件」、

米兵比女性暴行事件

などのように事件性はなくとも、新聞が騒げば「県民感情」に配慮していずれも「政治的決着」で終わっている。

昨年12月以来沖縄紙が号外まで出して大騒ぎした金武町伊芸区の「米軍流弾事件」は、米軍側のアリバイ調査にもかかわらず、上記ドラマの逆バージョンで終わりそうだ。

米軍の調査団はこう言って悔しがっているだろう。

「事件は現場で起きている。日本の国会で起きているわけではない」と。

まさに事実は小説より奇なり、である。

沖縄タイムス 2009年05月23日 政治 

12月10日で米軍認識/伊芸流弾発生 警察庁説明「理解を得た」【政治】
 【東京】金武町伊芸区の流弾事件で、発生日が県警と米軍で異なっていることについて、警察庁の西村泰彦審議官は22日の衆院外務委員会で「4月中旬の(日米)協議の場などにおいて、県警が12月10日と説明し、米軍側の理解を得たと承知している」と述べ、発生日の認識が一致したとの見解を示した。赤嶺政賢氏(共産)に答えた。

 これまで、県警は12月10日として米側に再三伝えていたが、米軍側は同月11日との考えを示し、食い違いがあった。米軍の最終報告書でも「事件発生は訓練終了以降の11日」と書かれていた。

 赤嶺氏は報告書撤回を米側に求めるよう促したが、中曽根弘文外相は「継続中の日本側捜査の結果を見ながら適切に対応する。現時点で調査結果の見直しを求めることは考えていない」と述べるにとどめた。

 一方、県警が米側に要請していた基地内への立ち入り調査について、西村審議官は「米側の同意が得られていない。現在まで実現に至っていない」と説明。「(県警は)米軍と協議を重ねて、関係者からの事情聴取やさまざまな情報収集に努めている」とした。

                    ◇

読めば読むほど奇怪な記事だ。

事件の検証を現場で行うシーンはテレビでもよく見る。

現場検証というヤツだ。

それを国会で行う不可解さはさておくとしても、

県警と米軍では事件発生日に1日の違いがあったはずだ。

県警の主張を米軍が「理解した」というのなら、当然米軍の最終報告書が間違っているわけで、直ちに報告書を書き変えるのが筋だろう。

更に不思議なことに、米軍は「流弾は第三者が細工した」として米軍の関与を否定していたわけだから、それを翻して「県警の主張=米軍犯人説」を認めたのなら、

沖縄タイムスは号外はともかく、一面と社会面のトップで大きく報道しているはずだが、報道されたのは二面の政治面である。 

通常だったら社説やコラムもこの「朗報」を見逃すはずはないが、これもない。

目立たない「政治面」で報道したことが事件の政治決着を暗示する。

米軍が県警の主張を認めたのなら、

「卑劣な米軍に抗議する県民大会」を開催するのがいつものパターンではなかったのか。

県警が米側に要請していた基地内への立ち入り調査について、西村審議官は「米側の同意が得られていない。現在まで実現に至っていない」と説明

基地内に立ち入り出来ないのが調査の妨げになっているような印象操作記事だが、

事件は民間住宅街で起きており、県警が調査するまでもなく沖縄タイムスの機動力を持ってすれば簡単に聞き取り調査できる極めて単純な事件だ。

何もここでわざわざ基地内に立ち入り調査するほどの事件ではない。

琉球新報を読むと謎は更に深まる。

県警の主張は認めながら、「発生日変更求めず」?

琉球新報

伊芸被弾事件、発生日変更求めずl2009年5月23日
 【東京】2008年12月、金武町伊芸区の住宅地で発生した民間乗用車のナンバープレートへの被弾事件で、事件発生日時に関し米軍と沖縄県警察で認識が異なっている件について、警察庁の西村泰彦長官官房審議官は22日、衆院外務委員会で「発生日時について米軍は4月中旬の協議の場などにおいて、県警察が12月10日である旨を説明し、米軍側の理解を得たものと承知している」と述べ、これまで日本側が主張する事件発生日を否定していた米側の姿勢に変化が生じていることを明らかにした。
 赤嶺政賢氏(共産)の「事件の発生日に関し、米軍は認識を改めたのか」との質問に答えた。
 米側が11日を事件発生日とする当初の主張を撤回した場合、米軍と被弾事故とは無関係とした米軍の3月の最終報告書の信ぴょう性が問われることになる。
 委員会での質問に先立ち、警察庁から説明を受けた赤嶺氏によると、4月中旬に行われた県警と米捜査当局との協議で日本側が事件発生日を12月10日と説明した際、従来の協議では「10日発生説」に異論を唱えていた米軍が同日は反論しなかった。
 発生日について米側の姿勢に変化が生じているものの、22日の衆院外務委で中曽根弘文外相は「現時点で米側に調査結果の見直しを求めることは考えていない。引き続き日本側への捜査への協力を要請していく」と述べるにとどめた
 県警によると、9日と10日には発見現場に隣接する米軍キャンプ・ハンセン内で、被弾事件と同型の実弾を使った射撃訓練が実施されており、被害者の聞き取り調査などを基に10日が発生日だとしている。米側はこれまで、事件発生日は11日とし、3月に発表した最終報告書でも米軍と被弾事件は無関係としている。

                   

さすがに新報は「米軍基地への立ち入り調査云々」の目くらましは報じていないが、国会で追及したのは沖縄県選出の共産党・赤嶺議員。

米軍と被弾事故とは無関係とした米軍の3月の最終報告書の信ぴょう性が問われることになる」というのなら、

もっと大騒ぎして米軍の最終報告書の訂正まで追及すべきではないのか。 少なくとも「しんぶん赤旗」に「米軍の捏造報告書」くらいの記事が出るのが通常だが、今回は赤旗には赤嶺議員が国会で追及したことさえ報じていない。

沖縄タイムス、琉球新報は昨日の記事で自分が点けた火を消火したつもりなのか。

以後沈黙を守るつもりならとんだ考え違いである。

事件のあった日は県警の主張と米軍の主張どちらが正しいのか、はっきり読者に知らせる義務がある。

ん?

国会で「県警の主張を米軍が理解した」って?

だったら、米軍の最終報告書を捏造報告書だとして、訂正するまで大キャンぺーンをする責任があるだろう。

それでもダメなら「抗議の県議会決議」⇒「抗議の県民大会」といった一連の得意技があるではないか。

関連エントリー:

 どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

金武被弾事件一覧、 琉球新報記事

 

沖縄タイムス、琉球新報の記事は不可解だと思う方、

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コメント (3)

続・勇気ある会見!暴露された言論封殺、琉球新報の

2009-06-12 06:49:25 | ★集団自決

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星、上原両氏の勇気ある告発にも関わらず、沖縄メディアは己が行った言論封殺を否定しているが、

次の点では筆者(狼魔人)が何時でも証言できる立場にある。

>「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。・・・・・ 富田詢一・琉球新報社編集局長の話「上原氏への圧力はありません」

琉球新報の読者であった筆者は、読者に一言の説明もなく突然「無期限中止」になった上原氏の連載記事に対し、何度も問い合わせの電話をした。

だが、対応した新報職員は中止の理由も、再開するかどうかについても納得できる説明はできず、「目下調整中」の一言しかなかった。 その詳しい経緯については当日記でもしつこくエントリーしてある。

⇒ 【再掲】琉球新報の言論封殺に抗議します

琉球新報の上原正稔氏についての言論封殺については、さらには筆者(狼魔人)は、その年(2007年)の月刊誌『WILL』8月増刊号でも「偏向報道ウォッチング これが沖縄の言論封殺」と題する小論を書いている。

⇒ 本日発売!「狙われる沖縄」 雑誌『WILL』 緊急増刊号

月刊誌『WILL』の一部を引用するとこうだ。

・・・平成19年6月19日は、琉球新報の長期特集記事(火曜から土曜の夕刊に掲載)の第二話「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」の掲載予定日であった。 第一話「みんないなくなった 伊江島戦」が前日で終了、19日からは第二話「慶良間で何が起きたか」が始まる予定であった。 筆者上原正稔氏は掲載日の前、知人に「集団自決」に関するもので、圧力に屈することなく執筆する」と語っていたという。
「集団自決」というテーマは地元二紙を中心に沖縄メディアが“民意”を煽っている最もホットなテーマのはずだった。 言うまでもなく慶良間とは「集団自決」に関する「軍命令の有無」が問題になっている座間味島と渡嘉敷島を含む、慶良間諸島のことを指す。 
だが、その特集記事は、読者に何の断りもなく、突然、中止になった。執筆者あるいは新聞社側の「お知らせ」や「弁明」等は一行も掲載されていなかった。 
地元を代表する新聞が、「集団自決」に関する連載記事を突然中止したことに対しては当然、いろんな憶測が飛び交った。
「新聞を中心に展開されている教科書検定運動に水をかけることになる内容になるため」だとか、「編集担当者の態度に変化があり、今回の事態になった」とも言われた。 偏向記事で知られる沖縄紙ではあるが、連載中止という非常手段に打ってでるのはよっぽどのことがあったに違いない。 
上原氏の連載が中止された日の朝刊、文化面のトップに林博史関東学院大学教授の「沖縄戦」特集の第一回目が掲載されていた。 林教授といえば日本軍は残虐非道だと糾弾するサヨク学者で、「集団自決訴訟」でも被告側の証拠を収集したことで知られている。
上原氏の記事「慶良間で何が起きたか」には、一体、琉球新報を動揺させるどんな内容が書かれていたのだろうか。
>(月刊誌『WILL』より)

上原氏の封殺された原稿には、まさに琉球新報が動揺するような「慶良間島の真実」が描かれていたのである。

上原氏は琉球新報のあからさまな言論封殺に遭い、遂に地元の文芸誌『うらそえ文藝』に「慶良間島で何が起きたか」の内容を発表するという非常手段に訴えたのだ。

そして地元二紙が『うらそえ文藝』発刊後一か月経過しても黙殺を続けているが、上原氏は沖縄紙の黙殺という卑怯な態度に業を煮やし、記者会見に踏み切ったのである。

さて、琉球新報に突然の連載中止を受けた後、琉球新報は読者に向かってその顛末をどのように説明したのか。

当日記はこれについても、しつこくエントリーしている。

 ⇒再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか?

四ヶ月にも渡る長期中断の後(その間に「11万人集会」が行われた)、連載再開に当たって琉球新報は連載中止には一言も説明せず、卑怯にも執筆者に苦しい弁解を強いてお茶を濁していた。

『WILL』にその後の経緯についても書いてあるので、引き続き同記事を引用する。

10月16日、連載再会の冒頭で、執筆者の上原氏は次のような弁明をした。《「パンドラの箱の順序も中身もちょっと変更を加えることにしたのでご了承お願いしたい。 だが、読者が「あっ」と驚く話が続くことには何ら変わりはない》
前述のように事前の予告では「慶良間で何が起こったか」を明らかにしし、集団自決の真実を白日の下にさらすとのことだった。 
しかし、再会した上原氏の原稿タイトルは「軍政チームは何をしたか」であった。 「集団自決」が起きた1945年3月下旬の慶良間を飛び越えて、4月以降の沖縄本島の米軍上陸、投降住民の管理の模様を記しており、「慶良間に何が起こったか」については触れていない。
>(『WILL』より)

では、『うらそえ文藝』で上原氏は自分が琉球新報から受けたあからさまな言論封殺をどのように語っているのか。

そうですね。現在でもある意味では統制されているわけですからね。

 上原 もう完全に右も左も統制です。僕は琉球新報のM記者たちに「パンドラの箱…」の掲載をストップさせられた。怒鳴りつけてやった。「君らは表現の自由を知ってるか」ってね。しかし動じる様子もなかった。連載は二〇〇七年四月から四ケ月も中断した

  社の方針に反するということだろうね。それはまたその人たちも統制の枠の中にいるってことだが、意識してないかもしれない。

 上原らはまず沖縄の知識人、自分たちは文化人だと思い込んでいるんですよ。それで自分たちの発言や行動はすべて正しいと思っているわけです。

 正しいかどうかは何十年か何百年か経たないと分からない。

 上原 いつも彼等は正しいと思ってる。だから、僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。これは新報の編集方針に反するからといってね。僕は二回にわたって四人組の記者から吊し上げられ、連載を申止させられた。一番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。彼等も統制のオリの中にいるわけですよ

産経新聞の那覇支局は、県庁近くの琉球新報の旧本社社屋内に事務所を間借りしている。 

沖縄タイムス社内に事務所を構える朝日新聞那覇支局なら、お互いに同じ論調なので問題はないが、琉球新報が大家さんに当たる産経那覇支局としては、大家が報道しない記者会見を報じるのは大家の顔に泥を塗るとになるとでも思ったのか、昨日の記事でも記者会見そのものについては触れていない。

だが、産経は昨日の記事で、上原氏が琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」というくだりに関して、富田詢一・琉球新報社編集局長の裏付けのコメントを取っている。

当然のごとく富田詢一・編集局長は「上原氏への圧力はありません」と上原氏の発言を否定しているが、

執筆者が前日に予告までした最も書きたい記事、同時に読者も最も読みたがっていたその記事が掲載予定日になって、何の断りもなく「無期中断」を強いられた。 富田編集局長は、これが新聞社の圧力でなければ一体誰の圧力だったと強弁するつもりだろうか。

まさか、悪逆非道の日本軍の圧力があったとでも・・・。 

いや、直接の圧力の有無は問題でなく、「右傾化した政府のタテの構造による無言の圧力」とでも・・・。

この「圧力の有無」で訴訟が起きるとは思わないが、その時は「狼魔人日記」と『WILL』記事が大きな証拠物となるであろう。(笑)

何しろ電話で問い合わせたときの新報職員の動揺ぶりはただ事ではなかった。

なお『WILL』(2008年8月増刊号)の記事にはほかにも、小林よしのり氏が琉球新報の罠にかかって、沖縄紙を根城にする「サヨク知識人」たちに袋叩きに遭う様子も「罠にかかった小林よしのり」という項目を設けて書いているので、興味のある方は一読をお願いしたい。

『WILL』増刊号は現在でも発売中とのこと。⇒公式ホームページ

 

今回の星、上原両氏の沖縄マスコミへの挑戦とも言える言動に対して、沖縄タイムスや琉球新報に相手にされないのでその鬱憤晴らしの記者会見といったデマを流しているサヨクブログがあるようだが、

両氏のことは、沖縄では直接知らなくともその名を新聞などで知る知名人であり、上原氏は琉球新報に長期連載記事を書いていたし、星氏は沖縄紙の文化面の常連ともいえるほど頻繁にその論が掲載されており、昭和44年3月には第3回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞を受賞しているくらいで、両氏とも沖縄メディアに冷たくされるどころか、大変重宝されていた知識人である。

サヨクブログの誹謗は両氏の勇気ある発言に動揺し、これに反論しようとしても、やっかみと中傷の暴言を吐く以外に打つ手がないのであろう。

これをゴマメの歯軋りと人はいう。

沖縄タイムスは、星氏が、今年のテーマである「薩摩の琉球侵攻」を語る「普通の文化人」である限り、つい最近まで、このように記事にしていたのに・・・。

沖縄タイムス「魚眼レンズ」星雅彦さん

                   ◇

 先週の土曜日の「太田・佐藤講演会」で、佐藤優氏が小林よしのり氏の沖縄の言論に関する主張に次のように反論した、

①「沖縄紙は偏向していない」、

②「沖縄は全体主義の島ではない」と。

この二つの論点は表裏一体で緊密に繋がっているが、これに対する反論は何もわざわざ小林氏や宮城教授の登場を待つまでもなく、

当日記の読者なら容易に反論できるだろうし、本日のエントリーで引用した産経記事や、『WILL』の記事だけでも充分な反論になる。

何よりも冒頭に述べたように、沖縄県庁での記者会見の内容を、沖縄県民が地元紙の報道ではなく全国紙で知るという異常な事態こそ「沖縄紙が偏向している」生きた見本ではないか。

さらにもう一つ生きた見本がある。

沖縄出身の宮城教授が小林よしのり氏の沖縄での活動に協力したという理由だけで、自身のブログを閉鎖せざるを得ないほどのプレッシャーを受ける異常な状況こそ「全体主義の島」の証左ではないのか、佐藤さん。

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勇気ある記者会見!産経と世界日報が報道!

2009-06-11 07:42:00 | ★集団自決

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沖縄県庁の記者会見室で、沖縄の新聞に頻繁に寄稿している沖縄の知識人が、今沖縄で最もホットな話題である「沖縄集団自決」についての記者会見を行った。

だが、この記者会見の内容を報道したのは沖縄紙ではなく、全国紙の産経新聞と世界日報である。

回りくどい表現をしたが、リンカーンの言葉を借りて簡単に言うと、「県民の、県民による、県民の為の記者会見」を、沖縄二紙が報道しなかったということ。

記者会見をした星、上原両氏の主張の是非はともかく、「11万人県民大会」のテーマである集団自決の記者会見を読者に伝えるのは地元紙の使命だと考えるが、

沖縄タイムス、琉球新報の地元二紙は報道機関としての使命も誇りも捨て去って、黙殺という卑怯な手段でこれに応じた。

沖縄県庁での記者会見を全国紙で知る異様な状況でも、

「言論封殺魔」は「沖縄の新聞は偏向していない」と強弁するのであろうか。

世界日報 平成21年6月10日

集団自決の軍命はなかった」

作家の星雅彦、上原正稔氏が会見 沖縄県庁

 第二次世界大戦末期の沖縄戦で多くの民間人が犠牲となった問題で、作家の星雅彦氏と上原正稔氏は9日、沖縄県庁で記者会見し、軍による自決命令はなかったことを強調し、濡れ衣を着せられている元隊長に謝罪すべきだと訴えた。沖縄県出身の有識者が軍命説を真っ向から否定するのは初めて。
 星氏は「集団自決はこれまで隊長命令と信じられていたが、その誤解を解きたい」と記者会見を開いた理由を述べた。今年5月1日に出版された総合文芸誌「うらそえ文藝」第14号で、両氏は集団自決問題をテーマに対談し、論文を発表。慶良間諸島の赤松嘉次隊長と梅澤裕隊長が軍命を出した事実は一切なく、県内のマスコミによってスケープゴートとされているという内容が、大きな波紋を投げ掛けている。

 上原氏は「あたかも2人を悪者に仕立てた沖縄タイムスと琉球新報の責任は非常に重い」と強調。「真実が明らかになった今、沖縄県民は2人の隊長に謝罪し、人間の尊厳を取り戻すべきだ」と訴えた。

                      ◇

産経新聞

沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事
2009.6.10 21:15
  第2次大戦末期の沖縄戦で守備隊長が住民に自決を強いたとされる「沖縄集団自決」について「軍命による自決ではなく、切羽詰まった住民が自殺した悲惨な事件だった」とする特集記事が沖縄県浦添市文化協会発刊の「うらそえ文藝」第14号に掲載され、波紋を広げている。特集には、自決現場を目撃した当時の米軍の報告書や住民の証言などが収録され、問題の発端となった地元紙、沖縄タイムス発刊の「鉄の暴風」こそが訂正すべきと結論づけている。

 「鉄の暴風」で自決を強いたと名指しされた守備隊長や遺族らは、この記述を元に書かれた大江健三郎氏の「沖縄ノート」に対し出版差し止めなどを求めているが、昨年秋の2審判決では訴えが退けられ、現在、最高裁で争われている。

 この特集記事を書いたのは同誌編集長で沖縄県文化協会長の星雅彦氏と沖縄戦ドキュメンタリー作家として知られる上原正稔氏の2人。

 上原氏は長く「鉄の暴風」を疑ったことがなく、現地調査した作家の曽野綾子氏が1973年に「ある神話の背景」で疑問を呈したさいも、軍命による集団自決を事実として信じて疑わなかった。ところが、沖縄タイムスや琉球新報などで沖縄戦に関連した連載記事を書くうちに、新たな住民の証言や米軍の報告書などを入手、「(『鉄の暴風』は)現地調査しないまま軍命による集団自決をでっち上げたという結論に達した」という。

 上原氏によると、こうした結論を2年前に琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。

 また、星氏も沖縄県史編纂(へんさん)で40年ほど前に、集団自決事件の起きた渡嘉敷島を訪問した際、住民の話から軍命の存在に疑問を抱いたが、「鉄の暴風」が沖縄県民の間で定着し、疑問を差し挟めない状況だった。しかし、「今回は勇気を持って真実を知らせるべきと決心した」と、話している。

 富田詢一・琉球新報社編集局長の話「上原氏への圧力はありません」

                        ◇ 

同記者会見に出席した知人による記者会見の詳しい状況を次に引用する。 

<本日、午後1時より沖縄県庁5階 記者クラブにて両氏の会見が行われた。
両氏は、沖縄のジーャナリストの中で集団自決の現地調査を行っている希少な存在であり、主張の強弱はともかく、一貫して『軍命ありき』に疑問を投げかけている方々だ。
 今月発行された『うらそう文藝』では、両氏が対談の形式で、『軍命ありき』の論陣を張る沖縄のメディアとその出版物に決定的な断罪を下している。 

 赤松、梅澤両隊長から自決命令は出されていない。両隊長は人格的にもすばらしい人物である。『鉄の暴風』の記述は出たら目であり、沖縄タイムスや琉球新報は嘘で作り上げている。これまでの集団自決報道の責任を取らなくてはならない。両隊長の汚名を晴らし、負ってきた錘を解放してあげなければならない。そうしなければ、沖縄県民は人間の尊厳を失うこととなる。その危機的な状況が現在である。僕は(上原)そのために力を尽くしたい。
 本日の歴史的な記者会見がこのような貧相な記者クラブで行われたとは、普段派手な演出に慣れている、映画好きからすると寂しくもあったが、えてしてこれが、本当の歴史を刻むという事かも知れない。

残念なことに、両氏の重大な決断と発言の価値を理解できる当地の報道者は無く、両氏が期待したような質問はあがらなかった。

これから、沖縄戦の真実を 書き残す。米国の戦時記録、ニューヨークタイムスの記事と沖縄戦の陣中日誌の内容は一致している。現在でも5年分書ける資料はあるが、赤松隊が武装解除した時の黒人部隊の資料も探しだすつもりだ。

以上が私の記憶した概略ですが、詳細は世界日報や産経新聞で確認頂きたい。

 

上原正稔氏の言葉:戦争は人間の真実の姿が浮き彫りになる。僕は沖縄戦のフイルムを買い求めたが、そこに映し出された子供たちの目の輝きは、現在の子供には無い。壕から降伏して出てくるときの老人達の堂々した姿は県民の皆に見せたあげたい

                     ◇

勝ち馬に乗るという言葉には、 優勢側につくとか、時流に乗るという意味がある。

その伝で言えば「集団自決訴訟」で一審、二審とも原告側の全面敗訴で、残された最高裁では事実審議はしないという現状で、勝ち馬は大江・岩波という被告側であろう。

星、上原両氏も勝ち馬に乗って時流におもねるなら被告側の応援をした方が文筆家としては稼げただろう。 

そうすれば上原氏も琉球新報に連載中の記事を突然掲載中止させられるような屈辱的仕打ちを受けなくても済む。

ウソまみれの勝ち馬を拒否した両氏は、裁判の結果に関係なく、あえて茨の道を選んだ。

『うらそえ文藝』(4号)の集団自決特集を読むと、星、上原両氏は裁判の勝ち負けにはそれほど関心を示しておらず、事実審議が一審、二審と原告側の敗訴に終わった現在、最高裁でも原告敗訴を予想したような節が例えば次のようなくだりからも垣間見れる。

 それでね、この裁判は最高裁までもっていかれても現在の動向では、結果は同じになるだろうと思う。ただね、ここには厳しい教訓があると思うんです。
  ・・・・・・・・・・              
 この裁判によって勝った沖縄側の心の傷は深まるばかりでなく、本当の反省資料を見失うことになりそうだ。沖縄側はこの問題に対して真剣に取り組んだかどうかというと、私にほ疑問が残るんです。要するに、怒りで一丸となったというのはおかしいけど、驚くほど多数が賛同している。県民総決起大集会とマスコミの力で裁判も国も動かしたわけね。一一万人の県民が集まって。しかし、あの人数は眉唾だと思います。実際は半分以下でしょうね。(『うらそえ文藝』より)


そして、両氏は早い時期に集団自決の現地調査に関わった者としての責任感から裁判の結果はともかく、

沖縄県民が沖縄タイムスを先頭にした左翼グループに扇動され、歪曲された歴史を沖縄の歴史として刻むことに良心が耐えられなかったのだろう。

その意味で言えば両氏は「大江・岩波」という勝ち馬に乗るどころか、火傷も覚悟で火中の栗を拾う役目を買って出たのである。

 

沖縄タイムスと琉球新報は産経と世界日報の報道を見て恥ずかしいと思わないのだろうか。

沖縄メディアがどのように歪曲報道をして県民を扇動しようとしても、

「天網恢恢疎にして洩らさず、天知る地知る 読者知る」ということを肝に命ずるべきである。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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敵前逃亡のラスプーチン 佐藤優沖縄講演会

2009-06-10 07:04:08 | 未分類

 

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筆者が佐藤優氏の名前を知るようになったのには、三つの段階がある。

先ず最初は、2002年頃から数年間にわたりマスコミの標的になった頃、「疑惑のデパート」鈴木宗雄氏の腰ぎんちゃくの外務官僚として背任横領で刑事被告人となり、鈴木氏の個性的なキャラも相まって、テレビの画面を通し、彼のギョロ目の顔と名前を知った。

次は、一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕などを記した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版して文壇に登場したころ、その旺盛な執筆活動とラスプーチンという怪異を連想する呼び名に、改めて彼のギョロ目の風貌とその名を再認識する。

その後は、一昨年の2007年、集団自決に関わる教科書問題で沖縄のフィーバーが全国区になった頃、佐藤氏は頻繁に沖縄マスコミに接近し、沖縄紙に寄稿したり講演会などをするようになって、三度目には沖縄二紙を通じて彼の名を認識をするようになる。

だが、佐藤氏が「自分の血の半分は沖縄の血だ」という殺し文句を武器に沖縄に接近するまでは、不覚にも佐藤氏が沖縄の関係者であることを知らなかった。

当初は佐藤氏の思想的立場は保守も保守、天皇を崇拝し北畠親房の
『神皇正統記』を愛読書にする右翼だと聞き及んでいたので、左翼で固めた沖縄論壇とどう折り合いをつけて行くのか興味があったが、その接着剤ともいえる「半分は沖縄の血」という殺し文句に沖縄左翼は、一もニもなく取り込まれてしまう。

以後沖縄での左翼講演会には頻繁に出演するようになる。

だが、その頃は既に沖縄に関しては先輩格の小林氏が『沖縄論』を出版し沖縄ではベストセラーとなったり、沖縄最大の収容席を誇るコンベンションホールでの講演会を満席にするなどで沖縄の保守派の支持を得ていた。 つまり、佐藤氏は沖縄に関しては、母の沖縄の血を引くという特権を利用する前に、「純粋ヤマトンチュ」の小林氏に大きな遅れを取ったということになる。

■ラスプーチンの「集団自決論」は「売れない評論家」への丸投げ■

同じ頃、「集団自決訴訟」の被告人の一人である大江健三郎氏を敬愛して止まない山崎行太郎氏が、「文学的に大江健三郎に劣る曽野綾子が大江を批判するのは怪しからん」といった論調で「曽野綾子の誤字・誤読論」を自ブログでぶち上げた。

曽野綾子氏の批判なら何にでも食いつく琉球新報が、ダボハゼのようにこれに食いつ付くのは当然の帰結。 新報が何の検証もなくその「幻の誤字・誤読論」を掲載して大恥を晒したことは何度も触れた。

佐藤氏は琉球新報に三日に渡り寄稿した事実だけで、山崎氏が沖縄論壇に認知されたと勘違いしたのか、今度は山崎氏に急接近し、「集団自決問題」が出る度に、彼の名を出して彼の論に丸投げしてこれを自論に替えている。 

山崎氏も元々保守派を自認していたと聞くが、売名のチャンスと見るや沖縄左翼に揉み手をして近づくあたりに彼の節操のない態度に同じ臭いを嗅いだのだろうか。 

佐藤氏が推薦し、かつ丸投げする山崎氏の苔むした「曽野綾子の誤字・誤読論」とはこれ。

誤字論⇒幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

誤読論⇒「屁理屈ジャンケン」


左右論壇を徘徊する佐藤優氏という出版会の「虚塊」、いや「巨魁」が小林よしのり氏にケンカを売った理由は、こう考えられる。

佐藤氏は「沖縄の血」と護憲を売りものに沖縄問題に首を突っ込んできたが、沖縄問題では先輩格の小林氏が、目の上のタンコブだった。

目の上のタンコブを除去するのがインテリジェンスの要諦かどうかは知らないが、とりあえずラスプーチンとしては沖縄で団結する小林一派を駆逐する必要があったのだろう。 

だが、少なくとも集団自決に関する限り、佐藤氏の論は付け焼刃であり、良識ある県民を愚弄する噴飯モノというのが筆者の認識である。

佐藤氏の視野にある沖縄は、沖縄の偏向マスコミだけであり、マスコミを篭絡すれば沖縄の世論なんてチョロイものとでも考えているのだろう。

                     * 

さて、前置き?が長くなったようだが、講演会で聴衆の質問にこたえて、佐藤氏はこう答えた。(参考までに質問も引用)

 

(質問;「次回は小林よしのりさん本人と直接の討論を期待しますが、聞くところによる小林さんが討論を申し込んでも佐藤先生が拒否しているそうですが。」)

これに対する佐藤氏の回答。

事実は違います。 小林氏の議論は次の点で討論の体をなしていないので断っているのです」

「先ず、討論は論点を提示しなければ議論にならない。 次に討論は最低のマナーが必要だが、小林氏にはこれがない。 小林氏は金儲けのために討論を申し込んでいるが、彼の金儲けに協力するつもりはない」(要旨)

前回、佐藤氏の回答は「逃げ口上」過ぎないと書いたが、両者の「戦争」を知る者なら、小林氏が彼の回答どおりの条件で討論を受けていることは周知のことである。

佐藤氏はこれまでも再三「論点がないので論争にはならない」(日刊「サイゾー」)といっているが、小林氏は『SAPIO』の欄外で次のように論点を絞ってきている。

わしと「言論封殺魔」との間の論点は明確である。 「言論封殺魔」発議の論点で議論するのを怖がって逃げている。

①集団自決は「軍命」か否か?

②独立論は沖縄の良心的な人々の意見といえるか?

③沖縄の新聞は偏向していないか?

④沖縄の言論空間は全体主義ではないか?

このように論点を絞って挑戦されているにも関わらず、佐藤氏が依然として「論点がない」と強弁するのは敵前逃亡といわれても仕方がない。

上記四つの論点については、ここではコメントしないが、当日記は三年前の開設以来、「偏向した沖縄の新聞」をネタにして本日まで続いているので、③と④に関しては一番の証言者である。

従って、勿論ここで「沖縄の新聞は偏向している」そして「沖縄の言論空間は全体主義である」と言っておく。

佐藤氏が知る沖縄は地元マスコミを通しての沖縄であり、沖縄紙の色眼鏡を通して見た沖縄である。

日刊「サイゾー」記事の「沖縄は全体主義の島だ」という言説を出している沖縄の知識人がいます。彼らは沖縄での発言力もあるし、琉球新報で発言しようと思えばできるのに、その努力もしないで内地に行って発言してばかりで、リスクを負おうという姿勢が感じられません」

というくだりは沖縄の新聞の実情を全く知らないか、あえて知らない振りをしている「インテリジェンス作戦」なのかもしれない。

 私は琉球新報に「ウチナー評論」という連載を書いています。私が思想的に右寄りに位置する保守的な人間だとわかっていながら、琉球新報は私にコラムをもたせている。これも、沖縄と内地の溝を埋めたいと思っているからです。琉球新報の人たちはリスクを負っている。少しずつリスクを負いながら、どこかで共通の言葉を見出せないか努力しているわけです。一方で、「沖縄は全体主義の島だ」という言説を出している沖縄の知識人がいます。彼らは沖縄での発言力もあるし、琉球新報で発言しようと思えばできるのに、その努力もしないで内地に行って発言してばかりで、リスクを負おうという姿勢が感じられません。私はこのことを言いたくて、「ウチナー論評」でも書いた。それを見た小林さんは、「『沖縄は全体主義の島だ』という有識者」を自分のことだと決めつけて、今回私を攻撃してきたわけですが、はっきり言って小林さんは念頭に置いていない。内地に行って小林さんと連携する沖縄の有識者たちの行動様式を問いたかったわけです。(日刊「サイゾー」:)

                    ◆

佐藤氏が沖縄の新聞の偏向性に関連して、先日の田母神さんの講演会を沖縄二紙が黙殺したことを、沖縄二紙の見識の表れと絶賛したが(拍手あり)、これと「沖縄紙は偏向していない」とを、どのように整合させるのか。 凡夫には理解の外で、流石は佐藤インテリジェンスと、ただ関心するのみだった。

その一方で佐藤氏は、田母神氏に対しては沖縄紙が示すようなアレルギー反応どころかむしろ好意を示しているような節さえある。

田母神論文問題を引き起こしたアパグループ代表・元谷外志雄の著作『報道されない近現代史』(産経新聞出版刊)の広告に推薦文を書き、

そこで「異能の実業家、元谷外志雄氏が描くグローバリセージョン後の帝国主義的国家対立の姿に戦慄した」と絶賛している。(ウィキぺディアより)

一方では田母神講演会を黙殺した沖縄マスコミに揉み手をして「見識がある」と褒め上げ、他方では田母神氏の論文の母体となったアパグループ代表の著書に嬉々として推薦文を書く鵺のような男。

いや、鵺ではなく狢だという目取真氏の忠告を待つまでもなく、「くれぐれも狢には騙されないように」と言っておきたい。

次に佐藤氏が提示するマナーに関しても、「漫画という非対称の手段では討論にならない」としていたが、

これに対して小林氏は「漫画を使わずに文章で勝負してもよい」と佐藤氏の土俵の文章での勝負を挑んでいるが、佐藤氏はこれにも答えていない。

最後の「小林氏の金儲けに付き合う気はない」に対しても、小林氏に「討論に関しては、原稿料は要らない」とまで言われていながら、これにも答えようとしていない。

つまり佐藤氏は小林氏の再挑戦に対しても同じ回答を繰り返すだけで、小林氏の挑戦をことごとく避けているとしか見て取れない。

これを人は敵前逃亡と呼ぶ。

そのくせ、沖縄での協力者の一人にしか過ぎない宮城沖縄大学教授を「沖縄人のくせに」とでも言わんばかりに執拗に攻撃する。

インテリジェンスの世界では勝つ為には、卑怯もクソ(失礼)もないのだろうが、

普通の考えの人間ならこれを卑怯とも卑劣とも呼ぶ。

さらに佐藤氏は「沖縄は全体主義の島ではない」と沖縄左翼に媚を売りながら、沖縄文学界の重鎮大城立裕氏にも「大城立裕氏に学ぶ」といった歯の浮くような文章を書いているようだが、肝心の大城立裕氏が沖縄の言論空間を「異論を許さない雰囲気に危うさを感じる」(西日本新聞)と指摘していることは最大の皮肉である。

 

佐藤さん、宮城教授への攻撃はお門違いですよ。

敵は本能寺ならぬ、よしりんですよ!

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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緊急記者会見!「軍命はなかった」と上原、星両氏が

2009-06-09 19:12:09 | ★集団自決

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速報です

本日午後5時半の沖縄テレビ(フジTV系列)ローカルニュースで、沖縄在住のドキュメンタリー作家上原正稔氏と作家星雅彦氏が「独自の調査の結果、

慶良間島の集団自決には隊長命令はなかった」旨の記者会見を行った、と報じた。

短い時間ではあったが会見をするご両人の映像も放映された。

                     ◇

5月11日発売の『うらそえ文藝』(14号)で、星雅彦氏上原正稔氏が衝撃の「集団自決論考」を発表して以来、一か月経過するが沖縄メディアは予想通りの黙殺を決め込んでいる。

だが、沖縄メディアが構築した巨大な虚妄のダムは今蟻の一穴で亀裂が入り、正に崩壊寸前の状況にある。

沖縄メディアは反論すればするほど民意という水圧で亀裂が深まるのを恐れ嵐の過ぎるのを沈黙して待つだろうから、明日の沖縄二紙は両氏の勇気ある記者会見も黙殺するであろう。

沖縄二紙の沈黙に対抗して、読者諸君のコピペによるこのニュースの全国拡散を期待したい。

狼魔人

 

【集団自決の真相解明のための三点セット】

これを読んで世論を喚起しましょう!

そしてプチッで応援してください。

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続・佐藤優vs小林よしのりの沖縄大戦争

2009-06-09 06:57:58 | 未分類

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民の力生かせ 大田昌秀・佐藤優両氏対談

2009年6月7日

沖縄の未来について議論する大田氏(左)と佐藤氏=6日、沖縄大学
会場を埋める公開討論の参加者=6日、沖縄大学

 元県知事の大田昌秀氏と作家で起訴休職外務事務官の佐藤優氏を招いた公開討論「沖縄の未来を語る」(沖縄大学地域研究所主催)が6日、那覇市の沖縄大学で開かれた。未来を切り開くための沖縄の課題について大田氏は「人材を育てきれていない」と指摘した。佐藤氏は「潜在的な力があるが、具体策を示せていない」と語った。会場から質問も相次ぎ、あふれるほどの観客が2人の討論の行方を見守った。
 討論会は沖大土曜教養講座として開かれ、司会を沖大地域研究所所長の緒方修氏が務めた。定員300人の教室に約450人が詰め掛け、教室内は超満員。舞台上にも客席が設けられたが、それでも入りきれず廊下に人があふれた。
 佐藤氏は沖縄について「潜在的な力はあるが具体的にできていない」と指摘。県内外でみられる右傾化の動きなどに対し「黙っているのは現状のままでいいということ」と懸念を示し「意見の違う人との意見交換も大いにしないといけない。言葉に出さないことは実現できない」と促した。(略)
 

                                           ◇

開演前から超満員の会場で2、3人の聴衆に聞いてみたらお目当てはやはり佐藤優氏だけで、それも琉球新報のコラムで暗示していた小林よしのり氏に佐藤氏がどのように言及するかが興味の的とのこと。

三台のテレビカメラを含めマスコミ各紙が取材に来ていたが、新報が写真入で大きく報じたのに対し、沖縄タイムスの報道は思ったより地味だった。

「全体主義」に反論を

講座で佐藤優氏が強調  沖国大

<・・・・佐藤氏は、日本の新聞が世界では珍しいほど扱うテーマが重なっていると指摘。 その上で、沖縄が全体主義とする外部の言説に触れ「そういう自分は全体主義ではなく自由だという高みから批判している」と述べ、反論の必要性を説いた。・・・・>(沖縄タイムス 2009年6月7日)

タイムスが小さい記事の割りには佐藤氏の言いたいこと(小林氏への宣戦布告)を記事にしているのに対し、大きく報じた琉球新報はあえて火種の部分は避けた。

かつて琉球新報は小林氏と沖縄在住の作家目取真俊氏との論争を掲載し、「沖縄イニシアティブ方式」という卑劣な手段で小林氏を袋叩きした経緯があり、これを雑誌『WILL(平成10年6月増刊号「狙われた沖縄」特集)で批判されたことがある。

佐藤氏の連載コラムを継続中なので、極力トラブルを避けたいとでも思ったのだろうか。

この件に関しては当日記でも取り上げた。⇒小林よしのりvs佐藤優の大戦争!罠にかかった小林よしのり

沖縄二紙の得意技「沖縄イニシアティブ方式」については。⇒沖縄紙の卑劣な言論封殺手段⇒「沖縄イニシアティブ」方式

 

                     ◇

佐藤氏は10項目のテーマを要領よくまとめたが、40分の持ち時間で冒頭の10分ほどは、「大田先生は久米島では、学力、品行その他で頭の良い、『島始まって以来のすごいヤツ』といわれていた人物」と、太田氏を目前にして、お世辞チャラチャラで時間を浪費した。 

おかげで、他の項目は広く浅く上滑りしただけの、つまらん内容だった。(ほとんどが一昨年の講演の繰り返し)

佐藤氏は、心に秘めた「対よしりん大戦争」を宣言すれば、他のテーマなんかどうでも良かったのだ。

時間をかけた「褒めゴロシ」で沖縄左翼の象徴ともいえる太田元知事を誑かすあたり、さすがは狢、いや、インテリジェンスの達人。 

太田御大を篭絡することなど、お茶の子サイサイってとこだろう。

『正論』から『週刊金曜日』にいたるあらゆるメディアに登場して左右の読者に媚びる節操のなさは、鵺(ぬえ)という得たいの知れない怪鳥を連想するが、沖縄在住の左翼作家目取真氏は彼を狢(むじな)に例えて警報を発している。 

夜道を歩くときに注意をしなければならないのは、より化かすのがうまい狢の方だろう。〈右翼であり、国家主義者〉とは対立する立場と思われる沖縄の知識人とも、佐藤氏は積極的に関係を作ろうとしている。接近する前に相手を褒め殺しに近いほど持ち上げ、対談や往復書簡、シンポジウムなどで関係を作っていくという手法は、何とも見え透いているのだが、一定の効果は挙げているようだ。>

同じ沖縄左翼でも太田御大と違って、目取真氏は佐藤氏の正体を先刻お見通しのようだ。

太田元知事との対談などどうでも良いことで、佐藤氏が今回声を大にして叫びたかったのは次の二点に尽きた。

①沖縄は全体主義の島というキャンペーンについて。 

②沖縄における歴史修正主義について(なぜ、一部の沖縄出身の知識人や経済人が、歴史修正主義に過剰な迎合姿勢を示すのかについて)。

新報は完全スルー、タイムスは「全体主義」とだけ記しているが、佐藤氏はこの件に関し沖縄2紙が小林氏に反論しないことにご不満の様子。

つまり、小林よしのり氏が「沖縄は全体主義の島だ!」と主張することに対して、沖縄のマスコミがもっと激しく反発すべきだと。

前回の講演会でも感じたのだが、そんなにご不満なら佐藤氏自身で小林氏に公開討論でも申し入れればよいと思うのだが、

もっぱら沖縄で小林氏に協力したとして、沖縄出身の宮城教授を名指しで攻撃した。

宮城教授は会場である沖縄大学の教授であり、当日の主催者でもある沖縄大学地域研究所の前副所長でもあるのだが、佐藤氏の攻撃に遠慮は見られない。

会場に臨席?の桜井学長を意識したのか、次のように一気にまくし立てた。

「今回宮城先生と討論しようと思ったのだが、体調を理由に断られた」

「次回は宮城先生のお仲間を同伴でも構わないので、是非討論したい」

「聴衆を受付で選別し、お互いの支援者を半々にしてもよいし、宮城先生の支持者を多くしても構わない」などと。

 

「小林よしのり講演会」に協力した沖縄青年会議所にも批判の矢を浴びせた。

「沖縄は全体主義だという小林氏一派は、自分たちは自由な日本に住んで、一段高い所からエラそうに沖縄を見下しているのだ」と。

どうやら、佐藤氏は雑誌『SAPIO』で「言論封殺魔」と命名されたのがよっぽど悔しいのか、小林氏の名が出る度に声のボルテージは上がりっぱなし。

その怒りを小林氏本人ではなく、小林氏の沖縄での活動の協力者の一人に過ぎない宮城教授に向ける佐藤氏の姿勢は不可解である。

宮城教授を「小林氏のブレーン」だとして、名指しで攻撃する姿勢は「お門違い」と思うのは筆者だけだろうか。

沖縄で取材活動をしたり、講演会を催す場合、地元の有志に協力を依頼するのはごく当然のことであり、

宮城教授のような沖縄県人が協力するのを許さない空気こそ「全体主義」といわれても仕方がないではないか。(佐藤氏が小林一派を批判するときは満場の拍手があった)

更に佐藤氏の小林氏への挑発は続く。

沖縄戦での高級参謀八原博通大佐のイメージについて、戦後放映された映画「沖縄決戦」で仲代達也が演じる八原大佐は、知性溢れるスマートな青年将校で沖縄住民のことも憂慮する良識派軍人として描かれていたという。

佐藤氏によれば、八原大佐は第32軍の将校の中でも際立った知性派だったが、知性派が必ずしも良い人物でないことは役所勤めでいやというほど知らされたという。 従って歴史を映画や小説で学ぶと大きな間違いを犯すとのこと。

そして、ここでも小林氏への攻撃の手を緩めない。

だから、『沖縄論』『戦争論』などの漫画で歴史を学ぶことは危険である、と。

佐藤氏は、どの話題でも必ず小林氏に結びつけるようで、その粘液質な執念には、さすがインテリジェンスの達人とミョウに関心をさせられた。

質疑応答の最初の質問で、誰もが考えている疑問をぶっつけた人がいた。(前もって配られて質問票に書いたものを司会者が代読)

「次回は小林よしのりさん本人と直接の討論を期待しますが、聞くところによる小林さんが討論を申し込んでも佐藤先生が拒否しているそうですが。」

これに対する佐藤氏の回答。

「事実は違います。 小林氏の議論は次の点で討論の体をなしていないので断っているのです」

「先ず、討論は論点を提示しなければ議論にならない。 次に討論は最低のマナーが必要だが、小林氏にはこれがない。 小林氏は金儲けのために討論を申し込んでいるが、彼の金儲けに協力するつもりはない」(要旨)

この質問と回答がが終わったところで中座したので、その後の様子は不明だが、佐藤氏の回答に納得できないのは筆者だけだっただろうか。(会場からは佐藤氏に拍手もあったが・・・。)

これまでの両者の「戦争」の経緯を知るもにとって、佐藤氏の回答は、回答になっていない「逃げ口上」としか取れないし、「言論封殺魔」のアダ名が的を射た絶妙の命名と思えてくる。

 

本筋を外れるので、書き漏らしたが、歴史修正主義の関連で、慶良間島の集団自決に話題が及んだので、佐藤氏がどのような独特の論考を提示してくれるかと期待したのだが、・・・いきなりお友達の山崎行太郎氏に丸投げして、彼の『月刊日本』に掲載の「曽野綾子氏の論はおかしい。 大江健三郎・岩波書店は正しい」という論考は素晴らしいとか、氏の苔むした「誤字・誤読論」を褒め上げて自分の不勉強ぶりを曝け出した。

苔むした「曽野綾子の誤字・誤読論」

誤字論⇒幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

誤読論⇒「屁理屈ジャンケン」

文学的に曽野氏は大江氏に劣るという山崎氏の個人的趣味で両者の「集団自決認識」を判断する愚かさは『うらそえ文藝』(14号)でも星雅彦氏が手厳しく批判していた。 それに対して反論すると山崎氏がいきまいていたように記憶するが、その後反論したというウワサも聞かない。

佐藤氏は集団自決問題で自分の不勉強を、琉球新報に寄稿したという理由だけで山崎氏の論に丸投げしたようだが、その琉球新報が山崎氏のその後の寄稿をボツにし、現在は一顧だにしていない事実をご存知ないようだ。

どうやら佐藤氏は丸投げする相手を間違えたようだ。

 

で、太田昌秀元知事の話はって?

時間がないので一言で失礼すると、こうなるのか。

「沖縄の未来を考えるには、沖縄戦の醜さを直視する必要があり、直視をすれば悪逆非道の日本軍が炙り出される」

⇒「沖縄の未来を考えるには、先ず日本を憎悪せよって?」

なお、「討論」は二人が別々のことをしゃべり、討論にはなっていなかった。

佐藤氏の質問への回答が「逃げ口上」と思える理由については次回へ。

続く

幻の討論会 「小林よしのりvs糸数慶子(沖縄県知事候補)」

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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小林よしのりvs佐藤優の沖縄決戦!佐藤優の沖縄講演会

2009-06-08 07:26:11 | 未分類

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【眼光紙背】小林よしのり氏とパチンコ問題
2009年06月05日11時00分 / 提供:眼光紙背
 佐藤優の眼光紙背:第51回
政治漫画家の小林よしのり氏のキャラクター『おぼっちゃまくん』がパチンコになったことが問題になっている。6月3日発売の『SAPIO』(小学館)で、小林氏が以下の釈明をしている。この釈明を読んで、筆者ははじめて小林氏の台所事情がわかった。

<作品は6人がかりで一日12~13時間描き続けても、一日2枚しか上がらない。だが原稿料の作画にかかる経費のことは一切考えられていないので、ものすごく安い! 毎月、累積する赤字を単行本の印税で補填するしかない! 単行本が年30万部以上売れなければ大赤字が出る。この出版不況でそれだけ売るのは、益々、困難になってきた。

わしが30年以上やってこれたのは、子供を諦めて働き、貯蓄し、ヒットが出ない時は、貯金を切り崩してピンチをしのぐようにしてきたからだ。

こんな不況の中で、一般誌に連載していない『卑怯者の島』を2~3か月、原稿料なしで描ける余裕などない。だがパチンコがヒットすればそれも可能になる。これはありがたい!>

実に正直な告白だと思う。ちなみに小林氏はこの釈明の中で、筆者についてこう言及している。
<佐藤優と鈴木宗男とその腰ぎんちゃくや金魚のフンどもが奇妙なことを言った。小林よしのりは金儲けのために描いている!>

確かに私はそのような認識をもっている。しかし、筆者はそれを「悪い」とはひとことも言っていない。筆者を含む職業作家は、誰もが「金儲け」のために仕事をしているからだ。問題は、どのような言説で金儲けをするかである。筆者は、小林氏のいくつかの言説に強い異論をもっている。そのことで筆者と小林氏の間に諍いが生じた。この点については他の媒体で詳しく論じているので、ここでは繰り返さない。この諍いの過程で、筆者は小林氏が、北方領土が千島列島に含まれるか否かという、領土問題の基本認識ができていないのではないかという疑念をもつようになった。これは些細な問題ではない。1951年のサンフランシスコ平和条約2条c項で日本は千島列島を放棄している。「北方四島は千島列島ではない」ということは、領土問題の基本中の基本だ。筆者は、現役外交官時代を含め、北方領土問題には真剣に取り組んできたつもりだ。沖縄問題、アイヌ問題についても小林氏の言説には違和感があったが、北方領土問題をめぐる小林氏の態度を見て、この人の思想に対する基本姿勢が筆者とは根本的に異なるという認識が決定的になった。

小林氏が、子供を諦めて働き、貯蓄し、ヒットが出ない時は、貯金を切り崩してピンチをしのぎ、パチンコであてて何を表現したいのだろうか? 筆者にはそれがまったく見えない。

小林氏は、<身を持ち崩すような毒もパチンコにはあるかもしれないが、それこそ自己責任だ>と自己責任論を展開する。また、小林氏は批判に対して、<ネット右翼は、商売を汚いことだと見なす社会主義的な体質がある。>、<パチンコひとつでガタガタ言っているような匿名のカスなど眼中にない!>と言い切る。ほんとうに小林氏はそう思っているのだろうか? ネットで本件について書き込みをしている人々の多くは、小林氏の愛読者で、小林氏のことを心配しているのだと思う。小林氏の釈明を読んで、何とも形容しがたい悲しみを覚えた。(2009年6月3日脱稿)

                                             ◇

次々と有名雑誌が休刊に追い込まれ、出版業界も厳しいとは思っていたが、小林よしのり氏ほどの人気漫画家でも台所事情は厳しいというのは大きな驚きだが、これを書いた人が目下小林氏と冷戦中である天敵・佐藤氏となると別の興味が湧いてくる記事だ。

実際の戦争にせよ、法廷闘争にせよ、争いごとは経済的裏付けがなくては、勝利を勝ち取るのは困難だ。

戦争相手の経済的困窮をチャンスと見、「眼光紙背」のギョロ目を向いて戦闘を仕掛けるあたりは流石インテリジェンスの専門家と感心させられる。

何しろ佐藤氏は「佐藤バブル」と称されるほどのべストセラー作家で、台所事情でいえば当代最強の経済力を持っているはず。

敵が弱っているときを勝機と判断したのだろうか。

 

■沖縄決戦■

沖縄に飛んだ佐藤氏は6月6日の講演会で、一時中断していると思われた小林氏攻撃の狼煙を上げた。

 土曜教養講座第445回 『沖縄の未来を語る 大田昌秀×佐藤優』

日時:2009年6月6日(土)13:00~17:00
場所:沖縄大学

主催:沖縄大学地域研究所
協力:JAROS21/21世紀フォーラム
   フォーラム久米塾 
                     
   

佐藤氏は演題のいたるところで小林氏の名を挙げ、小林よしのり氏を執拗に挑発した。 

その講演会は沖縄大学の地域研究所主催で、太田昌秀元沖縄県知事と佐藤優氏の講演と両者の討論ということだったが、

聴衆の大部分は佐藤氏に興味があり、佐藤氏のテーマの中でも、特に小林よしのり氏との「戦争」に興味が集中していたようだ。

だが、佐藤氏は当面の敵は小林氏ではなく、沖縄での小林氏の支援者である宮城能彦沖縄大学教授を最初の攻撃目標としているようだった。

「佐藤さん、敵は本能寺、いや、よしりんですよ!」といいたくなる講演会の参加報告です。

 いつになく豪華なプログラムに、普段は人影の少ない筈の土曜の昼下がりの沖大キャンパスは、オジーとオバーの時ならぬ「巣鴨銀座」と化した。 

豪華メンバーの割りに無料ということももさることながら、流石人気評論家佐藤優氏の顧客動員力は大きく、

ご本人が琉球新報に連載中のその日の「ウチナー評論」に次のように書いてあれば、暇をもてあましたオジーオバーが大学に集結するのも納得だろう。

琉球新報 6月6日『ウチナー評論』 佐藤優

半年ぶりに沖縄を訪れている。 6日午後1~5時まで、沖縄大学で開かれる土曜教養講座第453回「沖縄の未来を語る・・・(略)・・・に参加するためだ。
このシンポジウムでは、タブーを一切なくして、時間が許す限り、あらゆる問題について太田氏と議論したいと考えている。具体的には、筆者は以下のテーマを考えている。
沖縄は全体主義の島というキャンペーンについて。 沖縄における歴史修正主義について(なぜ、一部の沖縄出身の知識人や経済人が、歴史修正主義に過剰な迎合姿勢を示すのかについて)。(以下略)

佐藤氏は天敵小林氏が経済事情が苦しいという情報を得た瞬間、前もって決まっていたテーマを「小林攻撃」に急遽変更し、その日の琉球新報コラムで告知するというインテリジェンスの達人らしい素早い行動を取った。

「コラム」では名指しこそしていないが、去年の沖縄講演会で同時刻に講演がかち合った小林氏を意識したテーマだし、

さらに沖縄大学の教授であり、当日の主催者である地域研究所の前副所長でもある宮城教授に、挑戦状を叩きつけるような但し書きを見れば興味はなお倍加する。

なお、オジーとオバーの群と書いたが、聴衆はほとんどがオジーであり、オバーの姿は1割にも満たなかったが、大学という場所柄かパラパラと学生らしい若い女性の姿も見え、くすんだ会場の雰囲気に活気を与えていた。

沖縄の有名人では宮城広岩氏の顔もみえたし、桜井沖縄大学学長らしき人も聴講していた。(間違っていたらゴメン)

佐藤優氏の一昨年の講演会にも参加したので、両者の確執を復習したい方はここを。

戦争勃発!小林よしのりvs佐藤優

同講演会での佐藤氏の発言を上記エントリーで次のように述べた。

「全体主義の島」を煽る小林よしのりを、支援する沖縄の知識人がいるのはおかしい、

と「小林講演会」にも出演したM教授を名指しで非難し、

M教授との公開討論を企画してくれと、会場の記者に要請していた。 

それだったら小林よしのり氏本人との公開討論が本筋だと思うのだが。

本人が相手では怖いのか。

それにしても小林よしのり氏を沖縄の知識人が応援するのが何故悪いのか理解できない。 

佐藤氏に名指しで公開討論を挑まれたM教授と思われる方のブログはこれ⇒影のスタッフ ⇒【追記】宮城教授のブログは現在封鎖されています。 封鎖せざるを得ないほどの「同調圧力」が沖縄にあるようです。

 

佐藤氏の執拗とも思える「小林一派」への挑発は続くが、以下は次回へ。

(続く)

 

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関連エントリ:

 沖縄は「全体主義の島」だ

欄外乱闘!よしりんvs言論封殺魔

小林よしのりvs佐藤優の大戦争!罠にかかった小林よしのり

佐藤優の「丸投げ評論」

教科書は人民裁判で 「佐藤優の教科書論」

佐藤優氏の歴史認識の誤り 保革超えた政治闘争?

佐藤優氏の歴史認識の誤り 保革超えた政治闘争?

幻の討論会 「小林よしのりvs糸数慶子(沖縄県知事候補)」

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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続・「転向者」- 二足の草鞋を履く男

2009-06-06 07:17:55 | 未分類

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■やはり最強の「転向者」は宮城晴美氏■

「集団自決訴訟」の被告側証言者たちが、次々と前言を翻し「転向」する例を林博史関東学院大学教授を例に挙げ、

その「転向」の強弁を検証した。

だが、数ある「転向者」の中でも最も非難されるべきは、母の遺言を破棄して沖縄左翼に魂を売り渡した宮城晴美氏であろう。

彼女の「転向」について当日記でも再三述べた。

今話題の『うらそえ文藝』でも星氏と上原氏の対談でこれについて語っているので引用する。

星: それからこの裁判で、証言者たちが前言を翻して、逆な発言をするのも不思議な現象だ。例えば、宮城晴美さんのお母さんの宮城初枝さん、以前は宮平初枝さんだが、その人が軍命につぃて嘘の証言をしたこことを告白したのを、娘が後でまた裏返してあの告白は嘘だったという経緯がある。その上、戦後生まれの宮城晴美さんは自分の証言の真実性を訴えたりする。また、二重の虚言的な操作をする人が出てきたりして、非常に疑心暗鬼になる。ただ、住民が本当のことを言えなくて、奥歯にものの挟まったような状能で証言するのを、私は数人から何度も感じてきたわけです。
 
 また、四〇年ほど前に渡嘉敷島と、座間味島に宿泊して、私は当時の村長と駐在巡査と宮城初校に会って話を聞いたわけです。そのとき何かしっくりせず隠しているなと感じたものです。隊長命令があったとは誰も言わなかったし、なかったとも言えないふうに、非常に曖昧だった。私は七一年の「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれど、わざとぼかして書いた。ある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。

上原: 集団自殺と関係者の発言はまさに援護法というものが作用しているんです。実は一九五一年九月八日に「サンフランシスコ平和条約」が締結され、それで沖縄は日本から切り離されて、沖縄から抗議の声が上がったわけですよ。どこにもこの記録はないんですが、僕の推定では、沖縄の声を日本の政府は開き入れて、沖縄はアメリカに自由に使ってくださいと提供したが、そこで沖縄に申し訳ないという気持ちがあったわけですよ。そのために沖縄にお金を落とすことにしたわけでですよ。これが援護法の拡大適用というやつです。
 それで、この援護法というのは、本来は軍人と軍属だけにしか下ろされないものなんです。ヤマトでは東京でも大空襲の被害者にはお金は一銭も下りてません。また、原爆被害者にもお金は一銭も下りていません。それは原爆手帳というかたちの診療を受ける権利しかないわけです。それなのに、日本政府は自国民には一銭も出してないが、沖縄には集団自決者にも援護法を拡大適用して給付金を出した。沖縄の人たちはそれを隠し通したわけですよ。

星: 一般住民にも遺族年金が支給されたのは、『鉄の暴風』が隊長命令で集団自決が起きたと書きたてたために、後で援護法が適用されるようになったと、そんなふうに解釈している人もいる。

上原: いや、『鉄の暴風』が書かれても書かれなくても援護法は、拡大適用されたのです。沖縄だけなんです。

星: 「沖縄住民に特別配慮を賜つた」わけだ。

上原: この援護法というものに、厚生省は条件を付けた。それは軍協力者であるということ。そうであれば五歳以上の者は受ける権利があるということだった。後年、幼児も含めるようになつたようです。

星: 隊長の命令とは関係ないが、追いつめられ住民は軍民一体にさせられた・・・。

上原: それでね、渡嘉敷村役場でも、それから座間味村役場でも偽の報告書を作ったわけですよ。それぞれ「赤松隊長の命令によって我々は集団自決しました」と。座間味でも「梅澤隊長の命令によって集団自決しました」と出して、遺族年金がもらえることになったわけです。それで、それに立ち会つた県援護課の照屋登雄(ママ・引用者注;昇雄の誤植と思われる)さんは非常に重要な証人なんですね。まだ那覇に健在の照屋さんは、、二〇〇六年の一月の産経新聞のインタビューの中で、そのことを証言している。

■沖縄側研究者の「転向者」-大城将保氏■

学者にあるまじき強弁をくり返す、林博史関東学院大学教授もさることながら、沖縄側の研究者の中にも大城将保しのように、その「転向」の強弁を書き連ねた本『沖縄戦の真実と歪曲』を出版し、儲けのネタにする強かな人物もいる。

大城氏の略歴とその「転向」ぶりについては『ウィキペディア』が要領よくまとめているのでそのまま引用する。

大城将保 (おおしろまさやす、昭和14年(1939年) - )は、沖縄県出身の歴史研究者、作家。ペンネーム「嶋津与志」(しま つよし)で作家活動を行っている。沖縄国際大学講師。「沖縄平和ネットワーク」代表世話人。特定非営利活動法人沖縄県芸術文化振興協会理事長、新沖縄県史編集委員。

沖縄戦での住民の被害調査、平和研究、小説執筆などを行っている。沖縄戦研究では沖縄県史の編集に携わった後、県立博物館長などをつとめた。嶋津与志名では『琉球王国衰亡史』や映画『GAMA―月桃の花』のシナリオ作品などがある。また家永教科書裁判や大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判では原告側(集団自決への日本軍による強制を否定する側)の引用文献著者として登場する。2007年、沖縄戦「集団自決」の教科書検定意見撤回運動の高まりの中で、教科書検定の内容、「集団自決」訴訟での状況について告発書『沖縄戦の真実と歪曲』を執筆した。

大城氏の「転向」ぶりを書く前に、一昨年の「11万人集会」の熱気も覚めやらぬ頃、氏が東京で行った講演会に触れたエントリーから1部加筆して抜粋引用する。

以下引用

大城将保氏の講演会の参加人数はタイムスも新報(ウェブサイトには記事自体が無い)も参加人数については何故か触れてないが、実際に参加した人の情報によると「40名~50名」の小規模集会だった模様。

ウェブサイトに載せたタイムス記事には特に目新しい内容は無いが、ネットを避けた?新報には突っ込みどころが満載だ。

津堅島で住民が「集団自決」に」追いつめられたとき、女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった事例を紹介し、「軍命から逃げられない。 隊長の一言が生死を分ける。 梅沢隊長は本当に『自決するな』と」言ったのか。自己弁護に過ぎない」と強調。 隊長が住民を制止していたら「集団自決」は起こらなかったと訴えた。≫(琉球新報 2007年 10月26日 夕刊 ウェブサイトには無い)

講演会は「集団自決」は軍の命令以外にはありえない、といった主旨で、

大城氏は独自の調査でそれを証明しているつもりのようだが、新報記事が正しいとすれば、

逆に「軍の命令は無かった」と証明したことになる。
 
>住民が「集団自決」に」追いつめられたとき、女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった・・・

誰に追いつめられたかを具体的に書いていないが、文脈からいって「米軍の上陸、艦砲射撃によるパニック」追いつめられた、としか考えられない。

女児の泣き声で我に返るくらいだから「パニック」から我に返ったのだろう。

という事はこの事例は、命令が無くとも孤絶された島で、あのような状況になれば誰でもパニックに陥るということの証明になる。

「死を思いとどまった」ことは自分の意思で「自決」を中止したことになる。

>軍命から逃げられない。

係争中の裁判の証人・金城重明氏を始め、軍命を主張する人は多数いるが、全て「軍命を逃れて」生きているではないか。

何よりも上記新報記事の「女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった事例」があるではないか。

>隊長が住民を制止していたら「集団自決」は起こらなかった・・・

梅澤隊長は自決現場にはいなかった。

現場に居合わせていない隊長に対して、「制止していたら・・」とは単なる言いがかりに過ぎない。

参加者の情報によると、講演内容は「日本軍の悪行」の追求に終始したという。

≪「軍隊は国民を守らない、米軍より日本兵のほうが怖かった、命どぅ宝、」、この3つの言葉は集団自決体験者がみんな口をそろえて言った≫、これを特に強調していたとの事。

講演の結びで次のように言ったと聞き、あきれ返った。

「慶良間諸島での軍命の有無についても、なかったとする隊長の証言を裏付けるものはまったくない」。

軍の命令で自決を強制したと糾弾する相手に「軍命が無かったとする証言」に裏付けを要求するとは、これこそ「悪魔の証明」だ。

当日は講演の始めに、大城氏の小説を原作にし、アニメ映画『かんからさんしん』の最後の部分が上映されたとのこと。

講演会でも研究者、作家と二つの顔を交互に出して「暴虐非道の日本軍」を糾弾すれば、聴講者は虚実の境目が分からなくなる。

                     ◇

引用終了ー

続きを読みたい方は⇒「沖縄戦」都内で講演会  作家と研究者二足の草鞋を履く男 (コメント欄がおもしろい!)

                   ◇

大城氏の講演会についてはこのブログが詳しい。

沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回

同ブログで大城氏の主張を箇条書きにしてあり、読む方は分かりやすいがツッコミどころ満載で一々対応するのは疲れる。

一部取り上げると以下のようなもの。

●生き残った者には、後ろめたさ、加害者意識もある。大城氏自身も5歳のときに本土に疎開したことがいまだ後ろめたい。

⇒大城氏自身が軍が住民の安全を考えて県外疎開させた見本ではないか。

大城氏の集団疎開はこれにも矛盾する⇒

≪「軍隊は国民を守らない、米軍より日本兵のほうが怖かった、命どぅ宝、」、この3つの言葉は集団自決体験者がみんな口をそろえて言った≫


●読谷村の米軍上陸地点に近いチビチリガマでは「集団自決」があったが、その近くのシムクガマではなかった。旧日本軍がいて、義勇隊も含め、竹槍での最後の斬り込みを行うといった状況も同じだ・・・略

⇒チビチリガマには日本軍はいなかったが集団自決は起きた。

●裁判の原告は、大城氏が、自ら執筆した「沖縄県史」において隊長命令のことを覆したと主張している。そんなことはありえない。単に主張だけなら自由だから、「研究紀要」に掲載されただけだった。

⇒こんな開き直りで、己の「転向」を強弁することに納得できる人がいるのが不思議。


●そして慶良間諸島での軍命の有無についても、なかったとする隊長の証言を裏付けるものはまったくない

⇒軍命があったとする証言を裏就けるものはまったくない、というのが論争の基本ルールでは?

本職の作家でありながら「沖縄戦史の研究者」という二束のわらじを履く大城将保氏は、ここでもが主張する「軍命から逃げられない」は実は生き残り証言者の心の葛藤に深く突き刺さる言葉である。

「軍命に逆らって」生き延びた金城重明氏。

沖縄県人なら誰でも密かに考えることだが口に出し難いことがある。

集団自決という「肉親殺し」は、自分で一生十字架を背負うべきことである。

「肉親殺し」の汚名から逃れるためには、何が何でも軍の命令でやったことにしなければならないという態度こそ歴史のわい曲ではないのか。

続く

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鳩山邦夫「正義の乱」?渡辺ジュニアの二の舞か

2009-06-04 13:48:18 | 県知事選

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 日本郵政:社長人事 「イスかけ続投阻止」 外堀埋まる総務相

 <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR 政治>

 日本郵政の西川善文社長の再任を巡る問題で、鳩山邦夫総務相が3日、「(麻生太郎首相が社長続投を容認した場合でも)認可権限を行使して認可しない」と語り、同社の取締役人事に対する総務相の認可権限をたてに、あくまで続投阻止を貫く姿勢を強調した。首相官邸は、衆院の解散・総選挙を控えて政局の混乱を避けたい思惑もあり、西川社長の再任支持の方向で調整が始まっているが、孤立感を深めている総務相は、妥協案なしの強硬姿勢で社長更迭を迫る。麻生首相は事態をどう収束させるのか。長引く人事問題に、官邸の調整力不足も指摘されている。【望月麻紀、坂口裕彦】

 鳩山総務相は3日朝、自宅前に集まった報道陣に、西川社長が続投した場合は総務相辞任もあり得るとの考えを示した。

 だが、同日午後には東京都千代田区で「社長の続投が決まれば辞任するつもりか」と改めて質問されると、「私が(西川社長の再任を)認可しないのだから、何で私が辞任する必要があるのか」。今度は、自分が辞任する前に認可権限という「伝家の宝刀」を抜く考えを初めて明言した。

 鳩山氏は「かんぽの宿」の一括売却先決定を「出来レース」と言い、「(西川社長に)責任がないということを認めれば、私の正義感を捨てることになる」と繰り返してきた。ただこれまでは「認可権は慎重に行使する」と述べるにとどめていた。

 鳩山氏が認可権限を行使できるのは、6月29日にある日本郵政の株主総会の後だ。日本郵政の100%株主は国。株主総会には財務省の担当者が出席するため、株主総会で承認された取締役人事に鳩山氏が反対すれば「閣内不一致」の批判は免れない。鳩山氏は、与謝野馨財務相とのすり合わせに期待をかけ、後任の社長候補まで物色しながら、政府内の流れが社長交代に傾くのを待っていた。

 しかし、日本郵政グループが5月22日発表した09年3月期連結決算は4227億円の最終黒字。計画全体は未達成だが、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の金融2社の「10年度めどの上場」という目標は変えていないなど、社長の手腕を否定することはできない。決算発表会見で西川社長は「金融2社が上場できればいいが、上場の準備が整う状態になることが(自分の任期の)一つのめど」と続投への意欲を語っている。

 かんぽの宿の売却手続きなどを点検してきた日本郵政の第三者検討委員会は5月29日、「違法性はない」と報告した。西川社長の再任案を決めた日本郵政の指名委員の中には「総務相が社長人事を認可しなかったとしても、再び西川社長の再任案を出すことになるのではないか」という空気も強まる。時間がたつにつれ、鳩山氏が振り上げた拳の下ろしどころが見つからなくなっている

 ◇続投容認 首相、軟着陸探る
 麻生首相は日本郵政の西川社長の続投方針を固めており、鳩山氏のメンツを立てつつ軟着陸させるための落としどころを懸命に探っている。首相が最も懸念するのは、鳩山氏が西川社長の辞任にこだわり、鳩山氏の更迭という事態。内閣の足並みが乱れれば、衆院選への悪影響は必至だ。

 河村建夫官房長官が3日の記者会見で「首相の方向が決まり、それに鳩山総務相が抵抗している図式ではない」と強調したのもこのためだ。

 鳩山氏の懐柔策として首相官邸が検討しているのが、日本郵政に業務改善命令に対して真摯(しんし)に対応させることだ。河村長官は同日、「総務相の指示に郵政側はきちんと答える説明責任がある」と配慮をにじませた。

 与謝野馨財務・金融・経済財政担当相も3日の衆院財務金融委員会で、「総務省の業務改善命令に、会社側がきちんと答えているか検証する必要がある」と、歩調を合わせた。

 西川社長側近の日本郵政幹部を続投させないなどの妥協案も出ているが、「そこまで民間に介入していいか」との慎重論もあり、「最終的には首相が出ていくしかない」(自民党幹部)との声も出ている。

 首相は3日夜、「鳩山総務相が所管大臣、株主は財務相、人事(の調整)をやるのが官房長官。3者で話し合うことだと思う」と記者団に語った。

                          ◇       

吉田茂の孫が、鳩山一郎の孫を恫喝した。

「引き際を考えろ!」

「渡辺ジュニアの二の舞になるぞ」

鳩山一郎の孫といっても友愛・鳩山のことではない。

弟の正義・鳩山のこと。

昨日の国会後方席で、麻生首相と鳩山総務相が並んでナニやらヒソヒソ話をするテレビ映像があった。

それを読唇術?で解析したらこんなセリフになったらしい。

ジュニアの二の舞?

そういえば、一時マスコミの人気者だった渡辺ジュニア(喜美)の存在を、最近トンと忘れていた。

「首相の指導力がない」というマスコミ批判に答えて、恫喝という指導力を発揮したのか。

                    *

鳩山大臣が西川社長の辞任にこれほどこだわる理由は?

「曲がったことが嫌い」

「(西川社長に)責任がないということを認めれば、私の正義感を捨てることになる

コレが真意ではないだろう。正義の味方月光仮面じゃあるまし。

一方、西川氏が社長ポストにこれほどこだわる意味も不可解だ。

かんぽの宿売却に関し、第三者委報告書が「不適切な点はあった」 というのなら、法的責任の有無はともかく、

最高責任者の西川社長がここらで引責辞任してもおかしくはない。

辞任しても、派遣や臨時社員の突然の解雇と違い、生活が苦しいわけではないだろう。

一生かかって社長になれない人は五万といるが、西川 善文氏は、既に70を越え、社長のポストは、このとおり飽きるほど経験し、既に功なり名をとげているではないか。↓

住友銀行、三井住友銀行元頭取。三井住友フィナンシャルグループ元社長。元全国銀行協会会長、第2代日本郵政公社総裁。初代日本郵政代表取締役社長。

更にウィキを調べると、今でもこのように公職も多い。

財団法人社会経済生産性本部理事
財団法人大阪大学後援会理事長
特定非営利活動法人おおさか大学起業支援機構評議員
財団法人懐徳堂記念会理事長
有限責任中間法人住友経営テクノロジー・フォーラム理事長

何も意固地になって大臣と首を賭けて張り合う歳でもなかろう。

だが、事態は西川氏の一存で決められるほど単純ではない。

西川社長が辞任となると、小泉改革の目玉である郵政民営化の後退と受け止められる。

それでは、西川氏を総裁・社長に引っ張り出した小泉元首相の顔に泥を塗ることになる。

顔に泥を塗ろうが、砂をかけようが、どうせ小泉元首相は引退声明を出したレイムダックだから関係ない、と言い切れないところに麻生首相の悩みがある。

小泉元首相は政治的にはレイムダックでも、選挙には抜群に強い実績があり、

総選挙目前の麻生首相にとって小泉元首相の面目を潰し、敵に廻すことは極力避けねばならぬ。

以前、麻生首相が「郵政改革には元は反対だった」と本音を述べて、小泉氏の怒りを被ったことは記憶に新しい。

一方の鳩山大臣は3度の総裁選で麻生首相を支えてきた盟友であるから、冒頭の読唇術解析の「渡辺ジュニア云々」は恫喝というより、むしろ「友情ある説得」と言った方が適切かも知れない。

連日鳩山大臣に「ヤメロ!」と面罵される西川社長の本音は、

「そっちに言われなくとも、こちらから辞めてやる!」と大臣に辞表を叩きつけたいところだが、

すっかり小泉改革のシンボルにされてしまった郵政会社の社長のポストは、もはや西川氏の一存でやめることさえ出来ない状況になっている。

鳩山大臣が西川社長の辞任にこだわる理由は、自民党内の郵政民営化に反対・見直しのグループが西川更迭で突破口を開こうとしているという読みもあるが、果たして麻生首相の「友情ある説得」の効果や如何。

「西川さんでなくても民営化はできるでしょ」とは街の声だが、これは正論。

                  ◇

それにしても、誰が見ても明らかな内閣不一致があるのに、友愛・鳩山氏が、声高に攻撃しないのは弟に対する友愛、いや、兄弟愛なのか。 

いずれにせよ愛は心に秘めてこそ尊いものであり、

やたらと標語のように愛を連発する者は、結婚詐欺師くらいのもので、こんなヤツにろくな者はいない。

弟が「正義」で騒ぎ立てれば結果的に、兄の友愛・鳩山氏を巻き込み、政界再編→新党結成に動くのではとの見方があるが、鳩山氏は民主党の代表になったばかり、正義・鳩山新党に加わるはずはない。

一方、弟はこれまで民主党のことをボロクソに罵倒してきた手前、今さら民主党入りは考え難い。

それとも兄弟手を取り合って「愛と正義党」でも立ち上げる?

バカバカしい。

正義に酔って一人で飛び出し、渡辺ジュニアの二の舞にならないよう望みたいものである。

 

【追記】朝日新聞がこんな社説を。

郵政社長人事―麻生首相の重大な責任

散々、麻生首相の責任を追及するのは、民主党政権を望む朝日としてはお説一々ごもっともだが、さて朝日の事態解決方法は?

結局こういうことらしい。

政治がいまなすべきは、トップのクビをすげ替えることではない。むしろ西川氏に透明で信頼される企業への改革を徹底させることではないか。

何~んだ、どっち付かずのいわゆる「落としどころ」ってヤツ?

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マスコミが犯人の長崎・雲仙普賢岳噴火災害

2009-06-04 07:34:47 | 県知事選

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毎年同じ時期に同じような行事が行われ、同じような記事を新聞が報道する。 

長崎・雲仙普賢岳噴火の犠牲者追悼会のことだ。

 

その典型がコレ↓「火砕流から18年」って? で、来年は?

火砕流から18年、犠牲者を追悼 長崎・雲仙普賢岳
2009年6月3日21時48分

写真:雲仙岳噴火災害犠牲者追悼之碑に献花する市幹部や遺族たち=3日午前8時30分、長崎県島原市、中山尭撮影雲仙岳噴火災害犠牲者追悼之碑に献花する市幹部や遺族たち=3日午前8時30分、長崎県島原市、中山尭撮影

 43人の死者・行方不明者を出した長崎県・雲仙普賢岳の大火砕流惨事から丸18年を迎えた3日、「いのりの日」と定めているふもとの島原市で犠牲者を追悼する行事があった。

 噴火災害で家を失った被災者たちが移り住んだ同市仁田団地にある雲仙岳噴火災害犠牲者追悼之碑に献花所が設けられ、雨の中、こうべを垂れる人が続いた。

 市内13小中学校では、子どもたちが校長や被災体験者の話を聴き、「いつまでも語り伝えよう」と誓った。大火砕流が発生した午後4時8分には市内でサイレンが鳴り、市民に黙祷(もくとう)を呼びかける。

                    ◇

18年前の噴火災害となると恐らく30歳以下の人は「自然災害は怖い」程度の認識しか記事からは読み取れないだろうが、これは自然災害ではなく「人災」であり、それも「マスコミの傲慢」がもたらした「マスコミ災害」ともいえる。

だが、記事には「己がもたらした災害」に対する微塵の反省も見ること無い。 恐らくは来年も同じ時期になると、「火砕流から19年」と、無反省な記事を書き連ねることだろう。

>「いつまでも語り伝えよう」

子ども達にもこのことは伝えて欲しい。

「暴力団もマスコミがカメラを構えると一瞬怯むが、火砕流はカメラを構えても何の躊躇も無く彼らを直撃する」と。

そう、火山が噴火するのは花が咲き、花が散るのと同じく自然の営みの一環であり、そこに土足で踏み込んだマスコミが被害を被るの「天罰てきめん」といわれても仕方がないが、

彼らの無法な「定点」(立ち入り禁止点)越えの行動を警戒して、事故に巻き込まれた多くの消防団員や警察官の死は、マスコミの傲慢な行動が無ければ、起こる筈のない無念の事故死である。 

これを指摘されると彼らは得意の開き直りで、このように抗弁する。

「なぜ、もっとはっきり警告しなかったのか、また強力な規制がなぜできなかったのか」などと。

だが、亡くなった12人の消防団員のほとんどは、普段は農業をする若者であり、彼らが押し留めたとしても功名心に駆られておっとり刀、いや、おっとりカメラで現場に駆けつけた傲慢なマスコミが、警告に従っていただろうか。

彼らの日頃の言動を見ると、否の一言に尽きる。

恐らくは「報道の自由」だとか「事故を読者に伝える義務」とか戯言をほざいて、同じように「定点」を越えていただろう。

 

新聞は己が引き起こした「人災」には頬被りして反省を見せないので「消防博物館」の記事からマスコミの犯した犯罪を読み取って欲しい。

まさかの噴火-「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」より-

2大惨事発生

なぜ消防団が犠牲に

  土石流の危険がなくなったということで、5月26日から出ていた避難勧告が上木場地区を除いて6月1日にはいったん解除されました。この日までは消防団も安全な白谷の公民館で連日警戒活動に当たっていました。
  この間、一部の報道関係者が留守宅の電気や電話を無断で使用するという事件が発覚しました。
  マスコミは、当時、火砕流がもっともよく見える北上木場地区の「定点」といわれた場所で、火砕流の迫真の映像を撮影しようと毎日のように取材を行っていました。この「定点」を含む地域一帯はすでに避難勧告地域に指定され、住民は全員避難していて、住宅には誰もいませんでした。報道関係者は、この無人となった家に上がり込み、テレビカメラのためにコンセントから無断で電源を盗用しました。このため消防団は、土石流の警戒に加え事件の再発を防ぐ目的もあって翌2日には再びこの「定点」の近くの北上木場農業研修所に警戒本部を設けることにしました。そして6月3日の夕方4時8分、それまでにない大規模な火砕流が発生し、この「定点」付近にいた人たちを一瞬のうちに飲み込みました
  亡くなった12人の消防団員のほとんどは、農家の大切な跡取り息子たちでした。彼らを失ってしまったために、遺族の生活再建や地域の復興は困難を極めました。
  この惨事の後、マスコミは地元住民から痛烈な非難を受けることになりました。他方、当時、その場所が本当に危険な状況であったのなら、なぜ、もっとはっきり警告しなかったのか、また強力な規制がなぜできなかったのかなどを指摘する人もいました。さらに消防団の指揮命令系統のあり方にも大きな課題を残しました。

   
6月3日前の定点風景(マスコミはここで毎日火砕流を撮影していた)。
6月3日はこの場所にいたほとんどの人が亡くなった(提供 テレビ長崎)

北上木場の農業研修所では消防団員と
警察官の14人が火砕流で亡くなった
(手前が焼失したパトカー)
(H4夏 撮影・杉本伸一)
被災直後の北上場農業研修所(写真下中央)
(H3.6.5 撮影・太田一也)


                     ◇

関連エントリー:

マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」

浅間の噴火 雲仙・普賢岳の教訓を忘れるな!あれから18年

 

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「腐食の構図」石井民主党議員を事情聴取か!

2009-06-03 10:19:02 | 県知事選

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「国策捜査」という言葉を流行らしたのは、「起訴休職外務事務官」という長ったらしい肩書きを持つ佐藤優氏だと記憶するが、最近では「第二国策捜査」が流行らしい。

この伝で行くと特捜が動く度に、友愛・鳩山氏は「第三国策捜査」、「第四・・・」と、浜の真砂がつきぬ限り、永遠に叫び続けることになる。

ご苦労なことです。

疑惑があれば、捜査をするのが特捜の職務だと思うのだが。

                   ◇

「答えられない」繰り返す  郵便悪用で部下逮捕の厚労省局長

 参院厚労委で答弁する厚労省雇用均等・児童家庭局の村木厚子局長=2日午後

 障害者団体向け郵便制度悪用事件に絡み、逮捕された厚生労働省係長の上司だった村木厚子雇用均等・児童家庭局長が2日、参院厚労委に政府参考人として出席し、障害者団体の偽の証明書発行に関与したとの疑惑について「(現職の)局長として呼ばれており、所管外の問題について答えられない」と繰り返した。

 民主党や共産党の議員の質問に答えた。

 係長の上村勉容疑者(39)は2004年4月下旬に「凜の会」(現・白山会)の証明書発行に向けた決裁手続きが進んでいるように装った稟議書を偽造した疑いで逮捕された。村木局長は03年8月から05年9月まで障害保健福祉部企画課長で、当時、上村容疑者の上司だった。

 凜の会を設立した倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で逮捕=は、村木局長の関与について「偽の証明書を直接受け取った」「面会した際に、目の前で当時の日本郵政公社幹部に電話をした」と大阪地検特捜部の調べに供述していることが、捜査関係者への取材で既に判明している。

 厚労委では、証明書に企画課長の公印が押されていたことなども問われたが、村木局長は「所管外の問題で答える立場にない」と述べた。

2009/06/02 19:14   【共同通信】

                     ◇

村木局長は上村容疑者の上司で課長当時の事情を聞かれているのであって、現職の局長としての事情を聞かれているわけではない。

だとしたら村上の次の答弁は公務員にあるまじき「答弁拒否」をしたことになる。

「(現職の)局長として呼ばれており、所管外の問題について答えられない」

一方の業者側の倉沢被告は、「局長が目の前で郵便局会社副社長(当時・日本郵政公社東京支社長)に電話をかけた」と既にゲロしているではないか。

松本清張ミステリーの腐食の構図「政・官・産(業)」のトライアングルから官と業が炙り出されてきたが、

もう一つの政の方はマスコミが「国会議員」の記載だけで必死に民主党の綻びを抑えている。

だがネット上では「国会議員=石井一民主党議員」は周知のこと。 

当然本人の事情聴取が取りざたされているが、マスコミに出ないうちには流石の友愛・鳩山氏も「又しても国策捜査だ!」と叫ぶわけには行かない。

ネット上では既に「第二国策捜査」だとか「国策捜査第二弾」とかの声が走り回っている。

石井議員側は「凛の会は知らない。口利きした事実は全くない」(読売記事)と全面的に否定しているのなら、誰かがウソをついていることになる。

だが、「腐食のトライアングル」の官と業の証言が食い違うとなると残るは政の証言を得るために特捜が事情聴取するのは職務の遂行である。

事情聴取も時間の問題だろう。

検察の情報に詳しい司法ジャーナルの編集長もこのようにいっている。

●本誌編集長のコメント
「周知のように元障害保健福祉部長宅は大阪地検の捜索を受けている。「凛の会の障害者団体証明書の交付」に関し国会議員の部長に対する直接の電話は千金の重みを持つ。その効果で証明書を出すことに組織ぐるみで動いたのではないか。倉沢被告、元部長の検察官に対する供述か、読売が取材した議員の応答のいずれかがウソということになる。
大阪地検特捜部は倉沢被告が秘書を務めていた国会議員からの事情聴取に踏み切る公算が強い
」(司法ジャーナル

 

                  ◇

知らぬ存ぜぬを通している石井ネズミ議員も、

「答えられない」の村木局長

彼らに群がった悪徳業者たちも、

身体障害者という弱者救済の制度を食い物にしたという点では、

悪は悪でも、義賊ネズミ小僧が犯した悪とは程度が違うとは読者のコメント。

これら悪の権化どもを早急にお白洲に引きずり出すのが、

御奉行さま、いや、特捜の仕事ではないのか。

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琉球新報の弁明記事?糸満市の不発弾「当たり屋詐欺」で

2009-06-03 06:55:45 | 未分類

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5月30日に行われた田母神前空幕長沖縄講演会を沖縄二紙がどのように報じるか。 

沖縄タイムスをチェックして、その余りにも目立たない記事の配置に見落としてしまったことを報告したら、琉球新報が二面に小さく掲載した記事を見落としたと読者のコメントがあった。

少なくとも二人の読者が期せずして二紙の掲載を夫々見落としたわけだから、二紙の「目立たなく掲載する」という意図は 一応成功したことになる。

今朝(3日)の沖縄タイムス2面最下段に、これも誰にも見られたくないような風情の10行余のベタ記事がある。

見落としそうなその見出しはこれ。

見舞金金支給 自民党に報告

不発弾事故で糸満市長

予想の三倍の見舞金を政府から脅し取った糸満市なら、その成果を、ド派手に報道するのが沖縄紙のはずだたが・・・

この読者の目を憚るような記事は一体何だ。

 

さて、新聞は自己の主張を社説などで繰り返し主張するが、時折自論と異なる意見をオピニオン欄を使ってバランスを取る姿勢を示す。

糸満市で起きた不発弾事故について、政府側が妥協案を出したことで一件落着のつもりなのか、最近の沖縄タイムスには関連記事を見なくなった思ったら上記のベタ記事だ。

琉球新報はオピニオン欄を利用してアリバイ記事を掲載したようだ。

逆風って気持ちいい!」さんがアップして下さったので孫引きさせていただきました。

以下引用。

昨日の琉球新報より

昨日(5月31日)付け琉球新報のオピニオン欄より

糸満市で起こった不発弾爆発事故について、「国の責任」の声が上がっているが、少し異論を申し述べてみたい。

 当該爆発事故は起こるべくして起こった可能性はないだろうか。つまり、「誰か」の義務責任の放棄が引き起こした事故ではないか?ということである。県内世論の動向をみると「戦争を起こしたのは国なのだから、国の責任である」としているが、そうとばかりも言い切れないのではないのか。

 国を免責するつもりは毛頭ないが、今回の事故は糸満市で起きており、水道管敷設工事の発注者は糸満市である。筆者は、糸満市にこそ責任がある「誰か」であると思っている。その糸満市は「国の責任」と強弁しているようだし、被害者に対し公式に謝罪したという話も聞かないが、自らは免責されて然るべきとの認識なのだろうか。もしそうであるなら無責任にも程がある。

 たしかに公共工事における磁気探査には法的義務がない。よって、糸満市側に法的責任はないのかもしれない。しかし、沖縄戦当時、激戦地だった糸満市が法的義務がないことを盾に取り、磁気探査を実施しないというのは市民の安全を守る立場にある自治体の取るべき態度ではないはずだ。探査費用にしても、各々の工事によりばらつきはあるものの、費用の半分以上を国が負担している。にもかかわらず、今回の工事で磁気探査を実施しなかった理由として、岩盤が固く事前の不発弾情報がなかったとしているのには、呆れ果てて開いた口がふさがらない。

 乗用車を運転する心構えにも「だろう運転」よりも「かもしれない運転」という慣用句があるではないか。まして地中に埋まっている「かもしれない」のは、破壊力未知数の不発爆弾である。人命を第一義に置くならば、糸満市の磁気探査非実施の対応はあまりにもお粗末であり、非常識であったと断言してよい。

 戦後から現在まで、同市発注の道路整備事業において磁気探査を実施したのはわずか数件、という事実が本紙の取材で明らかになっている点を見ても、「だろう運転」を続けてきたのは明白であろう。

 起きてしまった事故を無かったことにすることはできないが、糸満市の今後の対応には注視していきたいと思う。最後になるが、事故により被害に遭われた方には一日も早い御回復を祈念いたしております。>

                                          ◇

縁側さんは「この投稿者は俺のブログを読んだのだろう」と皮肉っていたが、「糸満不発弾事故」の真相を知る読者なら皆縁側さんと同じ考えを持っただろう。

沖縄二紙はまるで申し合わせたように糸満市の責任は棚上げして、ひたすら「国の責任だ」と社説などで政府を追及してきた。

結局政府が予想の三倍の補償金を支払うことで決着したが、

政府側の正直な心の内は担当役人に代わり麻生首相が、

糸満市が探査費をケチったのが自己の原因だ」(要旨)と正直な気持ちを吐露している。

「 麻生首相の不発弾発言は正しい!」から一部抜粋するとこうなる。

不発弾探査「工事費高くなるからしない」 首相、国会で答弁2009年2月5日 琉球新報
 < 麻生首相は「今でも(事故が)起こっていて極めて問題だ」としながらも、発生経緯について「(不発弾の探査には)かなりの金がかかり、工事費がかなり高くなる。したがってそれをしない。そうなると、とたんに不発弾に当たってユンボ(パワーショベル)がいきなり吹っ飛ぶというような話になっている」と述べた。>

 <県選出・出身の野党国会議員は事故経緯の発言について「政府の責任は棚に上げ工事費が高くなることを理由に探査しないことが事故につながった、と受け止められる発言だ。不発弾の探査、処理に苦しむ沖縄の現状を理解せず、配慮に欠ける」と指摘。>

                                            ◇

首相答弁は正しい。

担当役人が「県民感情」を恐れて、曖昧な表現にしているのに代わって首相が自ら事故の真相を語ったのだ。

それを「県民感情配慮」といった抽象的表現で、責任を曖昧にする新聞がおかしい。

事実を見つめ事故の再発を防がなければ同じ事故は永遠に続く。

真実を言われて逆切れするのは左翼集団の特徴だが、沖縄では新聞もその仲間だから始末におえない。

事実を直視しないで「配慮に欠ける」といった常套句で責任転嫁をするのはやめにしよう。

責任転嫁で実際に被害を被るのは今回のような工事人や近隣の住民ではないか。

このような事故にまでイデオロギーをからませるのは、もうそろそろ止めにしたらどうだろうか。

法律で義務化しなければ金をケチって事前探査しないのが沖縄の実情ではないのか。>

 

糸満市の事故責任については行政に甘い沖縄県警も

業務上過失致傷容疑の適用も含めて捜査したい」としていたが、その結果を沖縄二紙は報じていない。

業過致傷容疑も視野 糸満不発弾事故/県警250キロ爆弾と断定【01月23日】

 <日高清晴刑事部長は「今後は火薬の鑑定を進めながら、行政や請負業者が不発弾を予測できたかどうかを調べ、業務上過失致傷容疑の適用も含めて捜査したい」と話した。一方、糸満市の上原裕常市長ら庁議メンバーで構成する市不発弾対策本部会議は同日、事故の物損被害について「早急な対応が必要」として、老人福祉施設などの復旧工事に伴う費用を一時的に立て替えるため補正予算を計上し対応することを決めた。

                  ◇

激戦のあった糸満市での公共工事であれば、糸満市が事前に不発弾の予測ができたと素人でも分かること。

だとしたら糸満市の業務上過失致傷は適用されて当然だろう。

例えマスコミがお目こぼししたとしても、糸満市長は先ず被害者に対して己の不明を詫びるのが先決ではないのか。

糸満市も糸満市なら、責任転嫁にてを貸し手県民を扇動する沖縄二紙の罪はもっと大きい。

マスコミがいくら真相を隠蔽しても、懸命な読者は事件の真相を既に知っている。

琉球新報よ、県警も疑義を持っているくらいだから、糸満市の責任にマスコミがこのまま知らん顔では、読者への裏切りだろう。

オピニオン欄の読者の投稿を利用するなんて姑息な手段を持ち図に、堂々と糸満市の責任を追及、いや、今さら追及は気が引けるならせめて、責任の所在くらい自分の記事で明確にしておいたらどうだ。

 

そうそう、沖縄二紙は金武町伊芸区の「米軍流弾事件」については沈黙を守っているが、これで読者が納得するとでも思っているのだろうか。

 

関連:エントリー

タイムス夕刊廃止と不発弾被害補償

不発弾事故の責任は糸満市にある!

麻生首相の不発弾発言は正しい!

「当たり屋詐欺」だろが!糸満市の不発弾事故

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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石井一民主党議員の名が「黒革の手帳」に!「電話で頼まれた」 元厚労省部長

2009-06-02 07:08:39 | 県知事選

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5月30日の「田母神前空幕長沖縄講演会」予想を超える大人数の参加があり大盛況で終了しましたが、参加者の方から未だ余韻の残る熱いメールなど頂いています。

下記は大会実行委員として汗を流して頑張ってくださったNさんの大会運営の実情を伝えるメールの一部抜粋です。

 

< 会場は、昨年12月小林よしのり氏の講演会が開催された会場で、最大席数が800の所です。動員の状況を把握出来るまでの組織の立ち上げが出来なかった為、雰囲気を頼りに会場のイスの数を決めなければなりませんでした。当初は650を目標にして参りました。街角に横断幕を張り、新聞に小さな広告打つと、連日10件余りの問い合わせが掛かって参りました。そのほとんどが、熱い思いを伝えるものでした。・・・・・・・

・・・開演二時間半まえからお客様が来られ、開演時にはすでに立ち見になっており、通常配置しない所にイスを補充する状況でした。来場者は850~900ほどかと思います。数が把握出来ないほど実行委員会の立ち上げが出来ないまま臨んだ講演会でしたが、お客様からクレームもなく、超満員になった背景には、憂国の思いを持ち、田母神氏の勇気に感動を覚える方々が沢山居るという事だと思います。

 

大会当日の様子を伝えるブログ

 ⇒田母神前空幕僚長 講演会

沖縄での田母神俊雄前空幕長講演会 大勝利!(写真)
http://plaza.rakuten.co.jp/hisahito/diary/200905300000

                    ◆

■石井一前民主党副代表が電話で依頼!?■

2009年6月 1日

「民主議員から頼まれた」 元厚労省部長供述 郵便不正

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、「凛(りん)の会」(解散)に対する障害者団体証明書の発行について、当時の厚生労働省障害保健福祉部長(57)=退職=が大阪地検特捜部の任意の事情聴取に、「民主党の国会議員から電話で凛の会への対応を頼まれた」という趣旨の供述をしていることが31日、分かった。

 この議員の事務所は産経新聞の取材に対し、「議員本人は『凛の会なんて知らない。便宜をはかったことは一切ない』と話している」とコメントしている。

 同会関係者によると、同会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=は平成16年2月、証明書の発行を求めるために厚労省を訪問、議員の名前を出して交渉を始めた。元部長の供述などでは、議員から電話がかかってきたのはちょうどこの時期だったという。

 厚労省ではこの後、凛の会の件を「政治案件」として扱っていた。倉沢容疑者の供述では、交渉過程で元部長と面会したほか、当時の企画課長=現局長=から偽の証明書を直接受け取ったとされる。

 このため、特捜部は、厚労省係長、上村勉容疑者(39)=虚偽公文書作成などの容疑で逮捕=に、元部長ら上層部が何らかの指示をしていなかったか、慎重に捜査を進めている。


(2009年6月 1日 07:48)

                   ◇

補正予算が採択され国会の会期延長も決まり、総選挙まで秒読み段階に入ったとも言われる今日この頃。

マスコミが必死になって矮小化を試みる事件、それが「郵便不正事件」。

何のために?

そう、民主党のほころびを覆い隠すために。

前回のエントリーでこう書いた。

石井一民主党議員は倉沢被告の関係を否定しているが、ネズミ講も応援する石井議員が巨額の利権のからむ本件に無関与とは考え難い。

推理小説だとこういう場合、全てを知る下っ端役人が自殺して,

「やはりトカゲの尻尾切りで一件落着か。 官と政の闇に潜む巨悪の高笑いが聞こえるようだ」といったところで幕になるが・・・。

倉沢被告を締め上げれば、必ずゲロを吐く。

そこで民主党の命運は尽きる>(倉沢被告が自白!“係長の上司 郵便局に電話” 

悪徳業者と癒着した腐敗官僚の事件のままで封じ込めたいマスコミの目論見はそろそろ限界に来たのか、事件は「政・産・官」の腐敗のトライアングルに発展しそうだ。

松本清張の社会派推理小説に良く出てくる構図だ。

それでも何とか民主党の名を出したくないのか、産経以外は「国会議員」とぼかしているが、

ネット上では産経が抜くまでも無く、「国会議員」は民主党議員であり、倉沢被告が名前をチラつかした議員は石井一前民主党副代表だ。

石井氏の名が倉沢邦夫被告の「黒革の手帳」に記載されていたことは知れ渡ったこと。

それを今回は官側の厚生労働省障害保健福祉部長が「民主党議員に電話で頼まれた」と証言したわけだ。

業者側と官側がゲロしたのだから、くだんの石井一先生を任意ででも事情聴取するのが筋ではないのか。

そうなったら、いくら鳩山代表が「又しても国策捜査だ!」と叫んでもも民主党の瓦解はどうにも止まらない。

「友愛」では政治は出来ないってことに早く目覚めるべきだ。

なにせ、今回は石井ネズミ議員の外に牧ネズミ議員などもからんでいるし、彼ら金の亡者のネズミ族議員にとっては、「友愛」なんてチャンチャラおかしいだろう。

一旦泰山鳴動したらネズミ議員は一匹で済むはずは無い。

疑念があったら任意事情聴取するのは検察の当然の義務。

早々の事情聴取をすべきだろう。 

マスコミが「国会議員」とぼかしても、ネットでは「民主党石井一議員」とは皆知っているよ、共同さん↓

「国会議員から電話で頼まれた」 任意聴取に元厚労省部長
 障害者団体向け郵便制度悪用事件で、障害者団体「凜の会」(現・白山会)の証明書発行をめぐり、当時の厚生労働省障害保健福祉部長(57)が大阪地検特捜部の任意の事情聴取に「国会議員から電話で対応を頼まれた」と話していることが31日、捜査関係者への取材で分かった。(略)

  捜査関係者によると、倉沢容疑者は「2004年春に証明書の発行の件で元部長を訪問した」と供述。元部長は同年2月ごろに「国会議員から対応を電話で依頼された」と説明しているという。

 倉沢容疑者はこの議員の元私設秘書で、現局長で当時の企画課長に面会した際に「国会議員の関係者であることを伝えた」と供述している。

 議員の事務所はこれまでの取材に「勝手に名前を使われ、いい迷惑。口利きの事実はない」としている。(略)(2009/06/01 00:58   【共同通信】)

 

国会議員の名かたる 厚労省に証明書発行圧力

障害者団体向けの割引郵便制度の承認をめぐり、虚偽公文書作成・同行使容疑の共犯として発起人が逮捕された凛(りん)の会(解散)メンバーが、民主党ベテラン国会議員の名をかたり、厚労省側に障害者団体証明書の発行を迫っていたことが26日、関係者への取材で分かった。

凛の会関係者によると、議員の名前をかたっていたのは、同会主要メンバーで郵便法違反容疑で再逮捕された倉沢邦夫容疑者(73)。
20年以上前にこの国会議員の私設秘書を務めており、周囲には「議員は“マブダチ”(親友)だ」と誇示していたという。

河野容疑者は産経新聞の取材に「申請の進捗(しんちょく)状況を尋ねに行っただけ。
倉沢(容疑者)からは『国会議員の秘書に厚労省へ電話をかけてもらった』と聞いていた」と説明した。

 同議員の事務所は「倉沢(容疑者)が30年ぐらい前まで
私設秘書をやっていたのは事実。勝手に事務所の職員をかたった名刺をつくって配ったり、秘書を名乗ったりして困っている」と話している。(産経関西 2009年5月27日)

                  ◇

産経関西が早くから頑張った記事を出していたようだが、ここまで来ても多くのマスコミには「石井一」はおろか「民主党」の名前も伏せているのはこのネット時代に笑止な話だ。

>勝手に事務所の職員をかたった名刺をつくって配ったり、秘書を名乗ったりして困っている

困っているのなら自ら検察に出頭するか、少なくとも記者会見でもして民主党得意の「説明責任」を果たすべきではないのか。

                   ◆





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米軍資料が物語る! 「軍命は無かった!」

2009-06-01 06:59:02 | ★集団自決

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『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編著)に関しては、書評が出るのを期待して、内容の詳細については極力論評を避けてきたが、産経新聞が書評に代わり、同書が突きつけた問題点を改めて提起してくれた。

その一部は偶然にも『うらそえ文藝』で上原正稔氏が突きつけた問題点とも一致する。

米兵の記録した資料や米軍が戦地で押収した資料資料が「集団自決と軍の命令は関係なかった」と証明したのだ!

【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 「住民は避難」が軍の大方針
2009.5.30
  ◆旧軍の極秘文書から

 沖縄県渡嘉敷・座間味両島で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、元隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟は、1、2審とも原告側が敗訴し、最高裁に上告中である。

 この3月に出版された「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」(PHP研究所)で、編者の現代史家、秦郁彦氏が国立公文書館で見つけた旧軍の極秘文書をもとに、沖縄戦当時の政府や現地軍(第32軍)が非戦闘員に対し、どんな方針で臨もうとしていたかについて、興味深い考察を行っている。

 極秘文書は、沖縄戦が始まる3カ月前の昭和19年12月、32軍の高級参謀、八原博道大佐が起草した「南西諸島警備要領」である。文書の存在は八原氏の回想録「沖縄決戦」などで知られていたが、現物がどこにあるかは分かっていなかった。秦氏が見つけたのは、米軍が32軍の62師団から捕獲して英訳したものだ。

 そこには、19年8月に閣議決定された「総動員警備要綱」や同年10月に策定された陸海軍「沿岸警備計画設定上の基準」に基づく老人や子供たちの避難計画が具体的に記されていた。

 「軍の作戦を円滑に進め、混乱を避け、被害を少なくするために島民を適当な場所、あるいは近隣の島々に疎開させる」「『老人、子供』とは、60歳以上の者及び、国民学校6年生以下の者をいう。『戦闘に参加できない者』とは、女性の大半及び、直接戦闘参加を命じられなかった男子をいう」(秦氏の訳)

 疎開先は沖縄本島北部の国頭郡とし、昭和20年4月末までに完了することを目標にしていた。

 ◆あり得ぬ軍の自決命令

 この計画のもとになった「沿岸警備計画設定上の基準」は、地方の特性に応じて老人や子供を危険地域から避難させる措置を求めたものである。

 秦氏は「これらの文書から、政府や大本営、現地軍が、非戦闘員を玉砕させず、安全地帯に避難させる大方針だったことは明らかだ」とし、集団自決について「軍が自決命令を出す動機も必要性もなかった」と断じている。

 昨年10月、2審・大阪高裁は集団自決について「『軍官民共生共死の一体化』の大方針の下で日本軍がこれに深く関(かか)わっていることは否定できず、これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」との判断を示した。

 秦氏の研究は、この高裁判断を根底から覆すものだ。

 昨年2月、座間味島で民宿を経営する宮平秀幸氏から、同島に駐屯した海上挺進第1戦隊長の梅沢裕少佐が村長らに集団自決を押しとどめようとしたという話を取材した(同月23日付産経)。

 宮平氏は一家で避難する途中、日本軍の壕(ごう)で、将校から「死に急ぐことはない」と言われ、軍が保管していた食糧を分け与えられたことや将校らがその後、米軍に斬(き)り込んで戦死したことも話した。

 座間味島では今も、日本軍のことを悪く言う住民は少ない。

 今月、渡嘉敷島に駐屯した海上挺進第3戦隊の中隊長(少尉)だった皆本義博氏から、陣中日誌を送っていただいた

 昭和20年3月下旬の集団自決について、こう書かれていた。

 三月二十九日曇雨「悪夢の如(ごと)き様相が白日眼前に晒(さら)された昨夜より自訣(じけつ)したるもの約二百名(阿波連方面に於(お)いても百数十名自訣、後判明)…戦いとは言え言葉に表し得ない情景であった」「勤務隊、水上勤務隊を以(も)って犠牲者の埋葬を行う」

 「自訣は翌日判明した」との記述もあり、軍命令によるものとはとても考えられない。

 軍命令説のもとになった沖縄戦記「鉄の暴風」(沖縄タイムス)では、日本軍が住民の食糧を強制徴発したとされているが、陣中日誌には「各隊は野菜家畜類其(そ)の他の物資を自由に集収することを厳禁す」などと書かれていた。

 ◆16万人が疎開・避難

 「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」には、元防衛研究所戦史部主任研究官、原剛氏の沖縄の集団疎開に関する論文も載っている。原氏の研究によれば、沖縄県民の総人口(約60万人)の約4分の1にあたる16万人が九州や台湾、沖縄本島北部(国頭郡)などに疎開・避難している

 県民の疎開・避難を先頭に立って指導したのが島田叡(あきら)知事だ。島田知事は沖縄戦終結後に自決し、「沖縄の島守」といわれている。

 それでも沖縄戦は住民を巻き込んだ地上戦となり、軍民合わせて18万8000人が戦死した。その一方で、住民を危険から守ろうとした人たちの努力も忘れてはならない。(いしかわ みずほ)

                                             ◇

 

「集団自決訴訟」の特徴の一つに、被告側が次のような印象操作成功し、裁判官がそれに判断の基準を置いたことだ。

「集団自決訴訟」とは、事実上は「沖縄県民vs元日本軍人の戦いである」

となると当然の帰結として「(悪逆非道の)元軍人」が戦後書残した資料などに裁判官が信頼を置くはずはない。

だが、集団疎開が軍の指導で行われていたことは、紛れもない事実であり、当日記でも再三これを指摘している。

軍・行政が住民疎開に尽力 利用された「軍命」

ウソの「通説」 軍隊は住民を守らない

沖縄の県外疎開の実体

恨み辛みの学童疎開  沖縄戦秘話2

歪んだ眼鏡の沖縄タイムス 日中友好協会が聞き取り調査?

第32軍が、住民の安全を確保するため、集団疎開等を実行していたことは軍人の書残した資料で周知のことではあったが、

その元の記録が米軍側に押収され英文に訳され保管されていたとなると、被告側応援団も「旧軍人が戦後自己弁護のため捏造した」という抗弁が力を失ってくる。

秦氏は米軍側から発見された第32軍の資料により、次のように判断する。

「これらの文書から、政府や大本営、現地軍が、非戦闘員を玉砕させず、安全地帯に避難させる大方針だったことは明らかだ」と。

そして集団自決については、「軍が自決命令を出す動機も必要性もなかった」と。

被告側は赤松、梅澤両隊長が「命令を出した」という証明が出来ないと判断するや、

急遽方針を変え「隊長命令の有無は問題ではない」とし、

「更に日本軍の構造的命令」といった詭弁に切り変え、裁判官もまんまとその手に乗ってしまった。

百歩譲って「隊長命令の有無は問題でない」という被告側の抗弁に同意したとしよう。

だとしても、米軍が現場で押収した第32軍の第一次資料に次のように、書いてあるとなると「軍の構造的命令云々」も、その神通力を失ってくる。

< 軍の作戦を円滑に進め、混乱を避け、被害を少なくするために島民を適当な場所、あるいは近隣の島々に疎開させる」「『老人、子供』とは、60歳以上の者及び、国民学校6年生以下の者をいう。『戦闘に参加できない者』とは、女性の大半及び、直接戦闘参加を命じられなかった男子をいう」

                    *

更に被告側にとって衝撃的なのは、渡嘉敷島上陸作戦に参加し、集団自決の現場を目撃していた米兵が手記を残しており、その内容が「不都合な真実」を語っていることだ。

■渡嘉敷島の集団自決を目撃した米兵の手記■

>三月二十九日曇雨「悪夢の如(ごと)き様相が白日眼前に晒(さら)された昨夜より自訣(じけつ)したるもの約二百名(阿波連方面に於(お)いても百数十名自訣、後判明)…戦いとは言え言葉に表し得ない情景であった」「勤務隊、水上勤務隊を以(も)って犠牲者の埋葬を行う」

集団自決の現場を目撃した戦隊の「陣中日記」は一級資料であるはずだが、これまで、沖縄の研究者達は「日本兵が自己弁護のために戦後書いたもの」だとして、頭からその史料価値を否定していた。 

その一方で、林教授のように米軍側の資料なら捻じ曲げてでも利用しようというのがこの裁判の特徴であった。

上記の陣中日記もそのような扱いを受けていたのだが、この記述が集団自決を目撃した米兵の手記と符合するとなると「軍命あり派」も陣中日記を虚偽だとして否定する根拠を失う。

60数年前渡嘉敷島で敵と味方に分かれて戦った米兵と日本兵の記録が見事に一致する。

この厳然たる事実を否定する方がおかしい。

敵と味方が夫々ウソの目撃記録を書き、それが一致するのは偶然では有り得ないことである。 日本側の記録はともかく、米兵がわざわざウソの記録を書く根拠も見当たらない。

 

上原正稔氏は渡嘉敷島の上陸作戦に参加し、「集団自決」を目撃したグレン・シアレス伍長の手記を入手し、1996年6月、「沖縄ショウダウン」と題して琉球新報に発表している。 当時の琉球新報は約10年後に「集団自決訴訟」が起きるとは夢にも思わなかったのか、寛容にも上原氏の記事を検閲なしにそのまま掲載したようだ。

新報掲載のグレン・シアレス伍長の手記を『うらそえ文藝』から孫引きすると次のようになる。

-1945年4月(ママ・3月の誤植と思われるー引用者)27日夜明け、俺たちは渡嘉敷の最南端の浜に上陸し、山の小道を登る途中で3人の日本兵を射殺し、目的地に着くと信号弾を打ち上げ、味方の艦隊の砲撃が始まった。 「山を下りて阿波連の村を確保せよ」との命令を受けた。 その途中、小川にでくわした。川は干上がり、広さ10メートル、深さ3メートルほどの川底のくぼみに大勢の住民が群がっている。 俺達の姿を見るや、住民の中で手榴弾が爆発し、悲鳴と叫び声が谷間に響いた。想像を絶する惨劇が繰り広げられた。大人と子ども、合わせて100人以上の住民がお互いに殺し合い、あるいは自殺した。・・・(引用者注:凄惨な集団自決の描写が続くが省略する)ー

渡嘉敷島の集団自決を目撃した米兵の手記で紹介した後、上原氏は次のようにコメントしている。

この阿波連のウフガー上流の集団自決については、今進行の「集団自決裁判」でも表に出たことがなく、タイムスも新報も全く触れていない。 だが第三戦隊陣中日記日記は記す。 
「3月29日ー悪夢のごとき様相が白日眼前に晒された。 昨夜より自決したる者約二百名(阿波連方面においても百数十名自決、後判明)」。 グレン・シアレスさんの手記を見事に裏付けている。

上記で紹介した二つの例はいずれも、集団自決を目撃した人物の貴重な第一次資料であるが、被告側がこれまで一方的に信頼してきた米軍側の資料であることに大きな意味がある。

もはや「日本兵の戦後に書いた記録は信頼できない」といった強弁は通用しなくなっている。

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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