慶喜

心意気
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「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日光街道散策(08/10/25)

2008年10月25日 | Weblog
「旧日光街道」を歩こうで今回北千住界隈を歩きました。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の嶺幽に見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。千住といふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の泪をそそぐ。"行春や鳥啼き魚の目は涙"これを矢立の初めとして、行道なほすすまず。人々は途中に立ならびて、後影の見ゆるまではと見送なるべし。」

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の”発端”と”旅立ち”の文章です。
芭蕉は谷中を出発しています。

千住で船を降りて、一句読み、これを旅の句の初めとしています。
終わりは、岐阜県の大垣です。
私のブログの大垣散策で芭蕉に関して記載しております。

<千住宿場 横山家>
千往宿は、宿場として重要な役割を果してきています。
日光街道のルートは、日本橋から千住を経て宇都宮まです。
宿場の主な仕事は、幕府の公用者や参勤交代の大名・家臣の輸送や荷物の運搬や宿泊休憩を確保することでした。
千住宿の「横山家」は元地漉紙を商う問屋で、屋号を「松屋」と言い、現在の建物は昭和11年に改修をしています。 

<名倉医院>
骨接ぎと言えば名倉といえば、関東一円に有名だったようです。
現在でも、古風な長屋門をかまえた旧名倉医院と、近代ビルの新名倉医院が並んで建っています。
古風な建物とその外灯に「金町屋平尾医院」の名があって、そのなごりをとどめています。

<塩大福(吉田屋)>
北千住駅を東口に降りると駅前に「お菓子の吉田屋」さんがあります。
塩大福を頼むと奥のお爺さんがお餅をこねて目の前で塩大福を作ってくれます。
お餅が命の塩大福です。

是非とも一度散策下さい。
 
コメント
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