慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

皇居散策(10/5/28)

2010年05月28日 | Weblog
1ケ月前から申し込んで皇居参観に行きました
吃驚したのは、
①厳しくない警備ー大丈夫だろうか???? 武器を隠した団体の参観 
②新年祝賀会等で天皇一家が挨拶する宮殿の場所の低さ
③大臣認証式で記念撮影する宮殿の場所の低さ

ご存知の如く皇居は昔の江戸城です
徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜さんが、明治天皇に統治権を返上されました
慶喜さんは、悩みは多かったと思いますが、無血開城の英断をなさった素晴らしい・凄い
ラストエンペラーだったと思います
お墓が、谷中の墓地に有るのもその気持ちの表れと思います
千葉県松戸市の戸定公園を訪れると、自転車に乗った写真・万博会場の訪問写真等
展示されそ無念感が理解できます

京都に住まわれていた天皇は、江戸城である皇居に移られたのです

皇居の中には、現在天皇皇后両陛下お住まいの御所、諸行事を行う宮殿、
宮内庁関係の庁舎、御養蚕所、田んぼ等があるそうです
当然参観では、宮殿・宮内庁関係の庁舎中心にしか見せて貰えません



宮殿(大臣が認証式で記念撮影する階段)


宮殿(天皇ご一家が新年祝賀会で国民に挨拶する場所)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千人武者行列散策(10/5/18)

2010年05月18日 | Weblog

天海僧正は、家康公の意に従い、千人武者行列で、家康公の霊を
日光山へ遷霊しました
但し、生前家康公は一度も日光を訪れておりません

家康公は「神」として江戸幕府を鎮護するには、陰陽道の方位から、
日光が最適の場所と考えていました
家康公は、日光への鎮座の意向を生前から,天海僧正に伝えていました


天海僧正は、1617年家康公の遷霊に際して、騎馬、馬副の布衣侍、雑色・徒走衆
の千人武者行列で、家康公の霊を携え久能山を出発しました
天海は、家康公の霊を日光の恒例山に鎮座しました



輪王寺(日光の要のお寺)

日光の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを「二社一寺」と呼んでいます

東照宮は、徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社です
二荒山神社と輪王寺は、奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されました
「二社一寺」が、このように明確に分離するのは、
明治初年の、神仏分離令の結果に起因します



明治天皇様巡幸の碑
何故明治天皇様が日光に巡幸されたのか ?
会津藩巡幸の帰りの日光巡幸、またまた感心しました ??

歴史を的確に読み、「チェンジ」に対する対応は凄いですね

今の「ヴィジョンが無いピジョン政権」とえらい違いです 
「大将の器」によるのか 固めた周りの「先見性」の違いか


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城散策(10/5/15)

2010年05月15日 | Weblog

小田原城の歴史
北条氏は居館を天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山を詰の城としていました
3代当主北条氏康の時代には、上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えました

徳川家康は、徳川幕府設立後も数万の軍勢を率いて総構えを撤去させました
地方に大規模な総構えがあることを警戒していた
徳川の初期、小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を監督
小田原城は、江戸時代を通して1633年と1703年2度も大地震に遭う
2度目の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けた
その後、天守が再建され天守は明治に解体されるまで存続していました

明治時代に、城内の建造物はほとんど取り壊されました
天守台には、大久保神社・庭には小田原御用邸が設置されました
関東大震災により、石垣・御用邸の大部分が崩壊しました

1960年天守が復元されました
天気が良かった為、天守から太平洋や笠懸山の石垣山城がよく見えました
素晴らしい、見晴らしの天守です
2006年日本100名城(23番)に選定されました


写真ご覧に成ったら、その1日が心豊かになると言われてる大黒天

『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』 とのビスマルクの格言が有りますが、
東海地震 過去のパターンからすると有っても不思議でないです???
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三社祭り散策(10/5/14)

2010年05月14日 | Weblog

浅草の三社祭は、粋で威勢のいいことで 有名な祭りです
江戸時代以来続く東京の祭の中の華と言える祭りです

氏子は浅草地域の北半分で、下町の雰囲気が色濃く残る地域です
三社の名の由来は浅草寺創建の歴史にさかのぼります
85年前後、猟師が隅田川で漁をしていたところ観音像を釣りあげました
ありがたい像だというのでお堂に祭りました、これが浅草寺の創建の縁起ですが

観音像を吊り上げた猟師の兄弟・像を鑑定した老人を併せて神社に祭りました
これが三体の神を祭る浅草神社の由来です

三社祭は毎年5月に催され 東京を代表する風物詩になっています
100体もの神輿が域内を練りまわり ソイヤ ソイヤの掛け声が楽しみです


『あずま橋』から見た風物詩東京スカイツリー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女子GC散策(10/5/7)

2010年05月07日 | Weblog
茨城ゴルフカントリー(カメラ持込禁止の為ゴルフ場HPよりコピー)

ワールドレディスチャンピオンシップ 見学
宮里藍・横峯さくらさん等一流の選手でており、家から近いので
観戦に行きました

強く感じた事2点有ります
私がプレイしてるゴルフ場は、料金確かに安価だ!
しかしゴルフ場でなく草の生えて草原だ、10インチ↑動かしプレイするべきだ!!
茨城GCを見て感じました

女子ゴルファーは体力が無いのに良く飛ぶ
宮里藍さん、ゴルフ場以外で会えば小学生だ
私もスウイング考えよう


空飛ぶうどん
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤・石楠花散策(10/5/1)

2010年05月01日 | Weblog



群馬県立つつじ公園を散策しました
公園の造成には、領内代々の城主が力を注いだそうです
1627年館林城主松平忠次は、新田義貞の妻が遺愛のツツジを移植しました
又城主徳川綱吉が、日光の山より数株のツツジを移植しています 
昭和39年には、両陛下の御結婚を祝し、皇居吹上御所に白琉球と
キリシマツツジが2株が献上されました

当公園を初めて散策しましたが、大変綺麗で、一度は行きたい公園です





散策した時期の藤 & 満開時の藤
足利フラワーパークに行きました
特に大藤は、日本で初めて移植に成功した藤で樹齢140年・500畳の広さだそうです
散策したタイミングが悪かった為、藤は一分咲きでした
人間も、仕事もどんな素晴らしくても、タイミングが重要なのですかね!
(ゴルフも同様??)



志村けんさん寄進の招き猫
成田山赤城寺はシャクナゲ寺として有名な寺です
変わった神仏が多いお寺としても知られています
コロンビアトップさん寄進の「世直しトップ地蔵尊」、志村けんさん寄進の
「招き猫」等、多くの有名人が神仏を寄進しております

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする