慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

お墓と埋葬文化の歴史

2021年11月07日 | 聖地
🌸お墓と埋葬文化の歴史

⛳現在でのお墓とお墓建立の目的
 ☆石塔や墓標を建て、故人を納めて供養するためのもの
 ☆お盆やお彼岸、命日など定期的にお墓参りに行く
 *故人の存在を忘れないようにする
 *先祖様に感謝の気持ちを伝える大切な場の役割を果たしている
 ☆国王や皇帝など権力者が建てるお墓
 *偉業を後世に伝えるモニュメントとしての側面も持つ
 ☆有名なお墓(世界遺産等)
 *大仙古墳・ピラミッド、霊廟タージ・マハル等

お墓を建てる文化が世界各国で共通していない
 ☆仏教の母国・インドでは、火葬したご遺骨を川や海に流す
 *遺体をそのままガンジス川に流す「水葬」が行われている
 *人々は、お墓は持たない
 ☆チベット高地では遺体を鳥に食べさせ天に還す「鳥葬」
 *人々の間では一般的な葬儀
 ☆日本国内でも、遺体を里山や河川に還す「自然葬」行われていた
 ☆庶民がお墓を建てられるようになったのは
 *檀家制度(寺請制度)の始まった江戸時代中期頃

江戸時代の「檀家制度(寺請制度)」
 ☆「どこかのお寺の檀家となるよう民衆に義務付ける」という制度
 ☆幕府は寺院を通して民衆を管理できるようになった
 ☆お寺は、現代の役所での「戸籍」の役割を担っていた

人類の埋葬の起源
 ☆故人を供養するという行為
 *人類がその進化の過程で何千年も費やして手に入れたもの
 *猿人や原人のような進化の古い段階にあった人類
 *現代の人々と同じように埋葬をしていない
 ☆現在確認できる最も古い埋葬の跡
 *ネアンデルタール人のものが知られている
 ☆日本で確認できる最古の埋葬は縄文時代
 *故人を弔うため、穴の中に故人の身体を折り曲げていた
 *石碑や墓標を建てる「お墓」の形式にはなっていない

日本のお墓の歴史
 ☆古墳時代
 *「古墳」という形式の非常に大規模なお墓が登場
 *古墳は王家や豪族のみが埋葬され、権力の象徴としてのお墓
 *庶民のお墓は、縄文時代と同じで折り曲げて埋葬していた
 ☆古墳の建造「大化の改新」で規制される
 *地方豪族が古墳を建てることはなくなった
 ☆平安時代
 *仏教の影響で、貴族などの特権階級の間で火葬が取り入れられる
 ☆鎌倉時代
 *仏教が庶民の間にも浸透し、庶民も火葬をするようになる
 *火葬後の遺骨は棺に納めて土中に埋めるのみ
 *墓石や墓標も置かれていない
 ☆江戸時代
 *土葬が主流となるが、その理由は諸説ある
 *江戸は人口密度が高かった
 (「火葬の際に出る煙と臭いに悩まされていた」から)
 *遺体は死に装束を着せた状態で棺に納められた
 *土中に埋葬し、その上に土を盛って「土饅頭」を作る
 *武士のお墓には板塔婆や石塔婆が建てられた
 *庶民にもそれが広まり、卒塔婆や墓石を設けるようになった
 *現代のお墓の礎は、江戸時代に築かれた
 ☆明治時代
 *公営の墓地として青山墓地や天王寺墓地が開発された
 *宗教を問わない霊園も開かれるようになる
 *埋葬方法、土葬は難しくなり、火葬が一般化し始めた
 ☆大正時代
 *各自治体が火葬場を設けたが、土葬が主流の地域もあった
 ☆昭和初期までは、火葬と土葬の割合は半々

⛳新しい供養
 ☆人々はその時代ごとに応じた、埋葬・お墓を作ってきた
 ☆お墓を建てる目的の根底にあるもの
 *「亡くなった方を供養したい」という想い
 ☆現代の多様化する家族構成
 *お墓の形が変わりゆくことも考えらる
 *両親のお墓が地元にあるけれど
 *子供にお墓の面倒をかけたくないからと墓じまいして
 *お墓を移す方(樹木葬等も利用)もいらっしゃる
 ☆今後、ご家族にとり最適なお墓を選ぶことが重要
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『松戸家HP』



お墓と埋葬文化の歴史
(ネットより画像引用)
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日光東照宮8(聖地で起きた歴史的事件)(最終回)

2021年03月26日 | 聖地
🌸日光東照宮8(聖地で起きた歴史的事件)

 ☆徳川家の権威を高めた日光東照宮建立計画

⛳神君家康を祀る聖地
 ☆日光東照宮は、日本を代表する神社
 *創建当初は今とは別の場所にあり、建物は地味なものだった
 ☆現在のような豪華絢爛な構造になったのは
 *家康を神とあがめて徳川家の権威を拡大する
 *その様な思惑を、幕府が抱いていたからだ

神格化を狙った家康の思惑
 ☆江戸幕府の支配が250年以上も続いた理由
 *一つは、家康が徳川家の安泰を脅かしうる勢力排除すること
 *死ぬまで気にかけたから
 ☆病床にあった家康
 *側近の以心崇伝に遺言を残した
 *自身の死後に遺体は久能山に納め、 一周忌を過ぎたら日光に移す
 *家康は、八州の鎮守として幕府を守護するとした
 *1年後日光に造営した社へ改葬
 *朝廷から「東照大権現」の神号を賜つた
 ☆3代将軍家光は、豪華絢爛な神社に変貌させた
 *それにより、家康の神格化政策を推し進めた
 ☆家光は、東照社から東照宮に改称した
 *日光山全体で2万石もの社領を与えられる
 *日光は山岳信仰だけでなく
 *徳川信仰の聖地として政治的な意味を持つ

⛳東照宮が焼かれかけた戦い
 ☆幕末に一度だけ焼失の危機を迎えたことがあった

 ☆江戸幕府は新政府軍に恭順の意を示し、江戸城を開城した
 *旧幕軍残党はこの決定を受け入れず関東・東北で抵抗を継続
 *宇都宮方面で敗北した土方らの部隊が日光に逃亡した
 ☆東照宮は新政府軍に降伏の意思を示していた
 *居座る敵軍に業を煮やし新政府軍は最後通告をした
 *神官たちも仰天して、旧幕軍を日光から追い出す
 ☆徳川のプライドを守ることに固執しなかったことで
 *日光東照宮は戦火から守られた
                         (敬称略)
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⛳投資は自己責任、自己判断、自己満足で
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⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」



 日光東照宮8(聖地で起きた歴史的事件)(最終回)
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豊国神社の耳塚7(聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月16日 | 聖地
🌸豊国神社7(聖地で起きた歴史的事件)

 ☆秀吉の恐ろしさを物語る

⛳豊臣秀吉による朝鮮半島侵攻
 ☆豊国神社は、秀吉を神として祀った神社である
 *明治天皇の勅令によって再建された
 ☆秀吉の偉業を今に伝える神社だが、非道さを伝えるスポットがある
 *「耳塚(鼻塚)」」塚には、上には巨大な五輪塔が立つ
 *塔の下に、朝鮮出兵で犠牲になった人々の耳や鼻が葬られている

首の代用品となった耳と鼻
 ☆戦国の世で、軍功の証となったのは敵の首
 ☆敵を討ちとった者は、首を携え本拠地へ戻っていた
 ☆戦場と本拠地が離れている場合
 *首の輸送が困難で、耳や鼻が首の代用にされる場合があった
 ☆朝鮮出兵時の耳鼻削ぎは、このケースである


⛳ノルマまで課された耳鼻削ぎ
 ☆戦国時代の日本では、戦闘地域の住民を兵士が捕まえられ
 *売り飛ばす「人取り」「乱取り」が行われていた
 ☆秀吉は敵を多く討ち取った者への褒美としてこれを認めた
 *それにより、部隊の士気を高めようとした
 ☆本来は敵兵を倒すことが目的だった
 *耳鼻削ぎ自体が目的化し一般人の被害が拡大した
 ☆秀吉の子飼いの武将、加藤清正
 *「家臣1人につき鼻3つ」とのノルマを課した
 *数合わせで、非戦闘員の耳と鼻を奪う者まで現れた
                         (敬称略)
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枚岡神社の井戸6(聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月15日 | 聖地
🌸枚岡神社の井戸6(聖地で起きた歴史的事件)

⛳格式高い神社に存在する不吉な丼戸
 ☆生駒山の麓にあり枚岡神社という神社(河内国の一之官)
 *境内に「楠正行公縁の井戸」(楠木正成の息子正行)
 ☆後醍醐天皇を主君と仰いで鎌倉の武家政権を倒した二人
 *正行の父・正成は、鎌倉幕府打倒の立役者
 *正成と同じく幕府を倒すのに大きく貢献した足利尊氏
 *二人は、幾度も軍事衝突を繰り返した
 *正成が敗れて自害に追い込まれている
 ☆楠木正行は父の遺志を継ぐべく、足利政権打倒に向け邁進した
 *正行は、幕府軍と衝突して大敗
 *正行は、 一族郎党とともに自害に至った
 *正行の首を洗ったのが、枚岡神社の井戸
 ☆井戸は、かつて「正行首洗いの井戸」と呼ばれていた

⛳源義経、吉良上野介の首を洗った井戸
 ☆人の首を洗ったと伝わる井戸は、枚岡神社だけではない
 ☆横浜市に「護良(もりよし)親王の首洗い井戸」がある
 *護良親王は後醍醐天皇の第三皇子で、征夷大将軍の地位にあった
 *足利尊氏と対立したために鎌倉東光寺に幽閉された
 *親王は後に暗殺され、その首を洗った井戸
 ☆藤沢市に、源義経ゆかりの「伝義経首洗い井戸」
 *義経の首は鎌倉に送られた後
 *腰越の浜に捨てられ里人により、この井戸で洗い清められた
 ☆東京都港区の泉岳寺にある首洗い井戸
 *仇討ちで吉良上野介の首打ったのち吉良の洗った井戸
                         (敬称略)
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枚岡神社の井戸6(聖地で起きた歴史的事件)
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御霊神社5( 聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月14日 | 聖地
🌸御霊神社( 聖地で起きた歴史的事件)

怨霊を鎮める御霊信仰
 ☆御霊神社は、死んだ人間の魂を鎮めるために建てられた神社
 *古代の人々は大事故や災害を悪霊の仕業とした
 *霊を神としてあがめ奉れば、平穏が戻ると考えた
 *このような信仰体系が「御霊信仰」
 ☆京都市にある二つの御霊神社
 *上京区にあるほうは通称を「上御霊神社」
 *中京区のほうには下御霊神社が鎮座している
 ☆室町時代の「応仁の乱」は、上の神社から始まる
 ☆下の神社の祭神は、政治抗争で謀殺された皇室の親子もいる

室町時代最大規模の戦い
 ☆応仁の乱が始まった地、上御霊神社
 ☆室町幕府はナンバー2の座にあった管領家細川勝元、事実上の支配者
 ☆管領家の畠山家で義就と政長が跡目争いを起こす
 ☆他の有力者を巻き込んで騒動を複雑化させていく
 *将軍の義政が政長を失脚させた
 *勝元の後ろ盾を得た政長は、強気の姿勢に出た
 *政長は、約3千人の兵を率いて上御霊神社に陣を構えた
 *義就は、管領家の山名宗全の援軍を含めた約3千人で攻撃する
 ☆京を中心とした全国的な大乱が勃発する

政争で殺された人々の怨念
 ☆下御霊神社も黒い一面のある神社
 *上・下御霊神社の祭神
 *政争に巻き込まれた人物もおり、皇室の親族もいる
 ☆下御霊神社に合祀された伊予親王は桓武天皇の実子
 *最後は母親もろとも自殺に追い込まれた
 ☆上御霊神社に祀られる早良親王
 *暗殺事件への関与を疑われ、護送の途中に憤死
 ☆藤原広嗣も政治抗争の最中に謀反を起こして死んだ人物だ
 ☆死者たちを神とあがめてたたりを鎮め建立した神社
 *彼らを殺した罪を浄化しようとした
 *上・下御霊神社は、平安貴族たちが抱いた罪悪感の表れでもある
                         (敬称略)
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中尊寺金色堂4( 聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月12日 | 聖地
🌸中尊寺金色堂4( 聖地で起きた歴史的事件)

 ☆奥州の権力者のミイラを祀る中尊寺金色堂

⛳黄金に輝く国宝の御堂
 ☆平泉にある中尊寺は、金色堂がある
 ☆内部に置かれた32体の仏像までが金一色の堂舎
 ☆奥州藤原氏が、地上に極楽を再現しようとした
 ☆金色堂の下には、奥州藤原氏のミイラが眠っている

奥州藤原氏、黄金郷の栄枯盛衰
 ☆豊富な金を背景にして京に匹敵する繁栄を謳歌していた
 ☆莫大な経済力を武器に金色堂を建立
 *御堂を黄金色に彩って極楽浄上を再現しようとした
 *藤原家4代のミイラが安置されている
 *御堂が極楽浄土そのものとして尊ばれたから
 ☆頼朝にとり義経が平泉に逃げ込んだことは好都合
 *頼朝は東北への圧力を強化する
 *家督をついだ泰衡はこれに屈し義経を自害に追い込む
 *頼朝は義経の死を知りながら平泉征伐を決行
 ☆平泉の都は大部分が焼け落た
 *泰衡は家臣の裏切りで死亡した

⛳調査で判明したミイラの実態
 ☆1950年、初めてミイラの学術調査が行われた
 ☆ミイラは、人工物ではなく自然にできた
 *遺体に人為的な形跡が少なく、保存状態にばらつきがある
 ☆ミイラは、今も金色の御堂の下に今も眠っている
                     (敬称略)
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厳島神社3( 聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月11日 | 聖地
🌸厳島神社3( 聖地で起きた歴史的事件)

 ☆平清盛に愛された厳島神社-平家の繁栄と衰退の象徴

⛳中国地方の世界遺産
 ☆厳島神社は、古くは島全体が聖地とされていた
 ☆鎌倉時代までは神職ですら祭礼時を除いて上陸できなかった
 ☆縄文時代から聖地で、社殿が創建されたのは平安時代に入ってから
 ☆平家の棟梁・平清盛は、厳島神社を支援した
 ☆平家の支援で神社の知名度は全国に広がる
 *神社は、清盛の栄光と没落を象徴する地である

⛳平家の繁栄と衰退の象徴
 ☆平清盛は、武士として初めて権勢を極めた
 *源氏を政治中枢から排除し、朝廷に一大勢力を築いた
 ☆厳島神社は、清盛が熱心に信仰した
 ☆中国大陸の宋との交易に目を付けた清盛
 *海上交通の要衝であった瀬戸内海を主要航路とした
 *厳島周辺を整備していた
 ☆厳島神社は、交易の安全を祈願するために尊ばれた
 ☆天皇の座を退いた高倉上皇は、厳島神社への参拝を計画した
 *反対意見多かったが、天皇の厳島への参拝を清盛は強行した
 *全国の寺社に平家への不信感を根付かせることになった
 ☆平家は、寺領取り上げなどで敵に回した寺社が多かった
 *源頼朝が平家打倒を掲げて決起した際、大寺院は平家を見限った
 *平家は、厳島の加護を失ったように敗北を重ね減亡した

⛳島を守るためのタブー
 ☆平家滅亡後も厳島神社は源氏の庇護下で発展した
 ☆鎌倉時代には島内にも集落が形成された
 ☆島民は環境を破壊しないよう、禁足事項を守らされた
 *死や血に関する事柄は、忌み嫌われた
 *女性は生理を迎えると小屋に軟禁された
 *出産では、母子は島内から出て、島外で100日過ごした
 *死者を葬るのも、対岸の赤崎で行われた
                     (敬称略)
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比叡山延暦寺2( 聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月10日 | 聖地
🌸比叡山延暦寺2( 聖地で起きた歴史的事件)

 ☆巨大な軍事力を有した比叡山延暦寺

⛳焼き討ちされた総本山

 ☆比叡山は、伝教大師こと最澄が開いた霊峰である
 *最盛期には3千を超える御堂が建つ
 *法然、日蓮、親鸞といった名僧が多数輩出された
 ☆織田信長は敵対する浅井・朝倉家の兵を匿った理由で
 *延暦寺への焼き討ちを決行、約4千人が虐殺されたとされている
 ☆敵対者を助けただけで攻撃し、信長も非道な仕打ちと言われている
 ☆当時の比叡山と延暦寺を知ると、違った見方も浮かび上がる
 *戦国時代の比叡山は聖地でない
 *自前の兵で周辺地域を脅かした軍事勢力でもあった

軍事組織としての比叡山
 ☆比叡山は、平安時代後期から江戸時代まで
 *独立した武装勢力で、「寺領」と呼ばれる独自の経済圏を持っていた
 *そこから得た収入で兵力(僧兵)まで保持していた
 ☆平安中期から治安の悪化、朝廷の支配力低下などが表面化する
 *寺院同士の対立や派閥争い、朝廷への示威行動に僧兵は動員された
 ☆比叡山は、経済力を背景に巨大な武装勢力を築き上げた
 *僧兵の数は最盛期には4千人、末社をすべて含めると数万規模
 ☆比叡山の横暴に、朝廷や幕府はなす術もなかった
 *幕府管領の細川氏が比叡山を焼き討ちしたが、すぐに復興された
 ☆寺院は、砦のように強化され武装集団のアジトのような有様

信長でも焼き討ちを躊躇していた
 ☆比叡山の焼き討ちを決行した信長、当初は攻撃を躊躇した
 *対話による解決を試みていた
 *信長は、比叡山との交渉でにかなり譲歩していた
 ☆信長の要求を比叡山が一切無視したので比叡山の攻撃を決めた
 ☆信長は比叡山への攻撃の理由として、僧侶の堕落を挙げている
 *比叡山には妻帯する僧侶多数おり、肉食や飲酒などの生活
 *金貸し業に手を染める僧侶もいた
 ☆焼き討ちにより比叡山は弱体化した
 *信長が死ぬまでは再建は許されなかった
 ☆復興が本格化したのは豊臣や徳川の時代に入ってから
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石舞台古墳1( 聖地で起きた歴史的事件)

2021年03月09日 | 聖地
🌸石舞台古墳1( 聖地で起きた歴史的事件)

 ☆蘇我氏の報復で破壊された石舞台古墳の歴史の闇

⛳石造りの古墳に隠された真相
 ☆明日香村には変わった石舞台古墳がある
 *石舞台古墳は石棺をおおう石室がむき出しになっている
 *使用されている石の総量は約2300トンに及ぶ古墳
 ☆埋葬者は、石室がむき出しになることのない人物のはず
 *飛鳥時代に起こった大規模な政争が関係している

皇室を私物化した伝わる豪族
 ☆石舞台古墳の被葬者、蘇我馬子の説がある
.
 *石室がむき出しになっているのは古墳が破壊されたから
 ☆蘇我馬子の墓が破壊された理由
 *馬子後継者の蘇我蝦夷・人鹿親子は権勢を誇る
 *蘇我一族は645年の乙巳の変で滅ぼされる
 ☆蘇我本宗家を減ぼした中大兄皇子ら
 *馬子が眠る石舞台古墳にも攻撃の手を加えた
 *石室を露わにすることで、馬子を罰しようとした
 (副葬品の大部分は盗まれていた)
 ☆死者への罰としては、厳しいものだった

蘇我氏は悪者ではなかった
 ☆皇位寡奪の野望を阻まれ、陵墓を破壊されたとされる蘇我氏
 ☆現在ではその悪評を疑問視する研究者が多い
 ☆蘇我氏の悪行を記した『日本書紀』
 *鎌足の子孫である藤原不比等が編纂に大きな影響を与えた
 *暗殺を正当化するために蘇我氏を悪人として描いた
 ☆蘇我氏を悪党とする通説は、現在通用しない
 ☆石舞台古墳の盛り土がなくなった理由
 *中大兄皇子が蘇我氏を貶めようとしたから
 ☆しかし、石舞台古墳の真相、現在でも古代史の闇の中
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忍野八海10(聖地に伝わる怪異に話)

2021年03月08日 | 聖地
🌸富士の裾野に広がる忍野八海

 ☆神隠しの伝承は、かっての水難事故を表す

⛳富士の裾野にある八海
 ☆日本最大の霊山として信仰を集めてきた富士山
 *歴史をさかのぼると、麓の湖も信仰対象
 ☆富士講の開祖角行が、湖で水行をしたという伝承がある
 *信奉者たちも富士山内外の池沼で修行していた
 ☆修行地
 *地外八海(琵琶湖や諏訪湖といった富士山外にある)
 *富士山麓近辺には、内八海・富士五湖・忍野八海がある
 ☆忍野八海は山梨県忍野村にある湖
 *江戸時代には富士講の修行場として広く知られていた
 *湧き出る池の水は、霊水として敬われていた
 ☆忍野八海の水に関する伝承
 *神の声に従って村人が祈りを捧げたところ、池から水が湧き出た
 *御釜池で洗濯していた娘が、大ガエルに水中へと引きずり込まれた
 *実際多くの水難事故が、忍野八海の地で起こっている

⛳忍野八海のダイバー遭難事故
 ☆忍野八海の一つである湧池
 *地下水が流れ込み、底には水中洞窟がある
 *ダイバーの水難事故が、実際に湧池で起きている
 *忍野八海の水は澄んでいるが、横道の中は光源がなく暗い
 *横道は、複数の道に枝分かれ迷いやすい
 *プロのダイバーでも命を落とすこどのある
 ☆ダイバーが消えた神隠しのような噂、現在まで語り継がれている
 *忍野八海には神隠しにあった伝承が多く残っている
 *水難事故が形を変えて語り継がれるケースがあるのかも
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御釜神社9(聖地に伝わる怪異に話)

2021年03月07日 | 聖地
🌸御釜神社(伊達氏が崇拝した神社)

 ☆御釜神社には、異変を知らせる釜がある

⛳伊達氏も信仰した神社の末社
 ☆塩釜神社は古くから東北各地の諸将に信仰された
 ☆御釜神社はその末社として置かれた小さな社
 *数ある末社の中でも特別な地位を占めている
 *塩土老翁神がもたらした御釜が安置されている
 *塩土老翁神は、人間に海水から塩を作る技法を伝えた
 *釜には神の力が宿っているとされている
 *中に入った水は決して溢れることも枯れることもない
 *大きな地震に襲われても、 一滴も零れることはなかった
 ☆不思議な由来から「日本三奇」の一つに数えられている

⛳災害を知らせる水の異変
 ☆釜の水が透明になっていたら要注意
 *釜の水の色が変わるとき異変が起きる前触れ
 ☆釜の水の色の変化は吉凶の兆しだと信じられてき
 *釜の水の色が変化で藩内で重大な出来事が起きていた
 *世継ぎの誕生などの吉報もあったが、災厄も多かった
 *藩主・重臣の死が近づくと変わることが多かった

塩を引いた牛の石
 ☆御釜神社の境内には、「藤鞭社」という小さな社と池がある
 *池の水底に石と化した神の牛が沈んでいる
 *石になっているが神である
 *深く信仰すれば動物や人の病を癒す
 ☆吉兆を教えてくれるが凶報も運んでくる釜と同様
 *牛石もまた福と呪いの両方を備えた神の遺物
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」




御釜神社9(聖地に伝わる怪異に話)
「本当は怖い日本の聖地」記事より画像引用)
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「早池峰山」8(聖地に伝わる怪異に話)

2021年03月06日 | 聖地
🌸「早池峰山」遠野に伝わる神と妖怪

 ☆遠野地方の嫉妬深い女神&人を襲う大男

遠野地方の妖怪伝説
 ☆遠野地方は、古くは内陸と海岸部をつなぐ交通の要衝
 *日本各地の伝承がもたらされた
 ☆遠野には、江戸時代以前の風習や伝承が村々には残っていた
 ☆柳田著書の『遠野物語』遠野の伝承を世に広めた
 *遠野出身の作家から、柳田は遠野の話を聞いたの
 (妖怪、神話、災害記録などの伝承)
 *遠野は妖怪伝説の残る聖地として日本中に知られる
 ☆早池峰山(修験道の修行場)は遠野の聖地
 *嫉妬深い女神がたたると恐れられる場所

⛳遠野三山に伝わる女神のたたり
 ☆早池峰山は、「遠野三山」と呼ばれている
 ☆遠野三山に天から光臨したのが、三姉妹の女神
 *女神たちは、女性に対して嫉妬深い神だった
 *女性が入山すると強力なたたりを起こすと伝えられた
 ☆遠野三山での伝承
 *巫女が入山しようとした
 *風邪で飛ばされた巫女と牛の体は石になった
 *早池峰山の女神が罪人を助けたという伝承もある
 (女神が男に親近感を覚えたから)

早池峰山に住む山男
 ☆『遠野物語』に「山男」の妖怪がよく登場する
 *山を降りては子どもや女性を誘拐する
 *一方、山男は山作業を手伝ってくれたりする
 *子どもの病死を教えたりする
 * 一概に悪の妖怪とはいえない
 ☆柳田は、山男を単なる妖怪ではないとしている
 *ヤマト王権と争った先住民族の末裔とした
                     (敬称略)
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九頭龍神社7(聖地に伝わる怪異伝説)

2021年03月05日 | 聖地
🌸九頭龍神社7(聖地に伝わる怪異伝説)

 ☆生贄の風習を表す箱根山にある九頭龍神社

⛳仙人が開いた神社
 ☆山岳信仰の修行地箱根山、不思議な伝承が数多く残っている
 ☆芦ノ湖の湖畔にある九頭龍神社
 *良縁結びや金運向上のご利益があるとして、女性から人気を集めている
 *良縁を授けるありがたい神として敬われている
 ☆神社には、九頭の毒龍が祀られている
 *九頭は、湖岸の村々を大いに苦しめ箱根神社の僧侶が戦い祀った

⛳僧侶と毒龍の戦い
 ☆神社の伝承によると、芦ノ湖に出現した龍
 *一つの胴体に九つの頭が生えた巨大な龍神
 *暴風を引き起こし、湖の大波で湖岸の村々を苦しめた
 ☆毒龍の怒りを鎮めるために、村々から若い娘を生贄として出していた
 ☆毒龍を食い止めるべく立ち上がった万巻上人は、祈祷で対抗した
 *昼夜を問わずに神仏へ祈りを捧げたので龍は降伏した
 *万巻は改心した毒龍を呪術の鉄鎖で大木に縛り、水底に沈めて封印した
 *封印された毒龍をあがめるために九頭龍神社がつくられた
 ☆日本神話のヤマタノオロチ伝説をイメージした伝承がある

⛳人身御供の名残という神事
 ☆水神伝説には、生贄の伝水も付きものである
 ☆箱根神社では毎年九頭龍を祀る「湖水祭」が行われている
 *この神事は人間を生贄にする人身御供の名残だともいわれている
 ☆古代の芦ノ湖周辺の人々は、水害を龍の怒りと考えた
 *これを鎮めるために生贄を捧げていたのだろう
 ☆水神に供物を捧げるという風習自体は日本全国に伝わっている
 ☆河川の氾濫を鎮めるに人間を捧げる「人柱」という生贄もあった
                     (敬称略)
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「しとどの窟」6(聖地に伝わる怪異伝説)

2021年03月04日 | 聖地
🌸しとどの窟6(聖地に伝わる怪異伝説)

 ☆窟で首なしの地蔵を見つけると死ぬ洞窟

⛳源頼朝を救った洞窟
 ☆箱根神社の縁起では、約2400年前が始まり
 ☆平安時代の初期には、修験道の霊山となった
 *霊山に人を呪い殺す「しとどの窟」がある
 ☆源平合戦の頃、源頼朝は平家軍に苦戦を強いられた
 *箱根山近辺の「しとどの洞窟」に身を隠し難を逃れた
 ☆「しとどの洞窟」は、源氏再興の出発点
 *そこには、無数の地蔵(観音像))置かれている
 (死を呼ぶ呪いの像があるかもしれない)

⛳三体見つけたら死ぬ?
 ☆「しとどの洞窟」は、現在も数十体もの地蔵や石塔が設置されている
 ☆「しとどの洞窟」で、首のない地蔵を見つけることもある
 *3体発見したら、呪いが降りかかって死ぬ都市伝説がある
 ☆山奥に無数の地蔵が広がる光景は、薄気味悪い
 *こうした都市伝説が生まれたと考えられる
 ☆「しとどの洞窟」は、頼朝の潜伏以前から地元信仰の霊場だった
 *人が普段は入らない聖域だった
 *心霊話があとを絶たないのは、特殊な環境だったから
                      (敬称略)
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宇佐市大乗院5(聖地に伝わる怪異伝説)

2021年03月03日 | 聖地
🌸宇佐市大乗院5(聖地に伝わる怪異伝説)

 ☆宇佐の地に祀られる巨大な鬼のミイラの姿

⛳ミイラとなった妖怪たち
 ☆妖怪の遺物を有する寺社は全国にいくつもある
 *久留米市の北野天満宮には「河童の手」
 *ミイラの一部を祀る寺社(人魚の骨、天狗のひげ、龍の尻尾等)
 ☆大分県字佐市の大乗院、巨大な鬼のミイラの全身像を保管している

⛳大乗院寺院に祀られる鬼のミイラ
 ☆大乗院、戦後は無住職の状態が続いている
 *ミイラは地元民によって管理されている
 *鬼のミイラは本堂内の祭壇横に安置されている
 *このミイラは、名家の家宝だった
 *名家が没落し売りに出された
 ☆檀家のひとりがミイラを購入した
 *購入した檀家の人が突然に病で倒れた
 *檀家は大乗院の住職に供養を依頼する
 ☆病は治り、ミイラはそのまま寺院に寄贈された

⛳鬼の正体
 ☆鬼のミイラは、数多ある妖怪の遺物の中でも知名度が高い
 ☆大乗院のミイラは、科学的な鑑定が行われている
 *ミイラは、女性の死体に動物の角や爪を付け加えた物
 *鬼のミイラの正体が明らかになった
 ☆オカルト番組などで頻繁に取り上げられて有名になった

⛳最古の即身仏を祀る新潟県の西生寺
 ☆西生寺には、雷獣だと伝わるミイラがある
 ☆即身仏とともに参拝者の注目を集めている
 ☆日本各地の妖怪ミイラの伝承を持つ地のミイラ
 ☆科学では解明不能な「ホンモノ」も混じっているのかも?
                        (敬称略)
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