般若心経
聖書
葬儀で、「お経」聴きお経道散策
「お経」とは、お釈迦様の説法ですが、何故参列者に解らない言葉で唱えるのか?
「お経」葬儀に参列し聞き、常に感じていました
お経の概要
大乗仏典は、サンスクリット語で編纂されています(般若経典群、法華経、他です)
言語的には、漢語、チベット語、モンゴル語、満州語のものがあります
お経は、釈迦や、弟子たちの言行録を集めたものです
お経は、我々が現代を生きる為に、お釈迦さましてくれる、説法の内容です
お経の疑問点
お坊さんが「お経」を勤めるとは、中国語を棒読みしているだけです
「お経」聞いている人は、意味の解らない中国語を、只聞いているだけです
一般の人が「お経」が呪文と思っている点は、意味が「分からない」からです
聖書
仏教にとっての「お経」はキリスト教にとっての「聖書」と同じ意味を持ちます
聖書は現在2000以上の言語に翻訳されています
15世紀迄、聖書を翻訳することは、タブーで、つまり神学者や聖職者だけの聖書でした
日本に於ける現在のお経と同じでした
16世紀のマルティン・ルターが聖書をドイツ語訳しました
聖書翻訳の歴史は「民衆の聖書」としてイエスの教えが浸透していった歴史です
般若心経の意味
観音さまは、この世界をなす五つの要素に実体はないと知り、苦を離れ、悟りを得られました
姿あるものは、移り変わる、姿を変えるのが我々が生きる世界の在り方です
でも目に映り、感じ、想い、行い、知り得たと想うことに、実体はないのです
仏の目で見れば、この世は移り変わっているだけで、増えも、減りもしていません
移り変わる世界で、自分が目にし、心に思い、行い、知ったと思うことも実は存在していなく、
迷い、悟り、老い、死、となることも空そのものなのです
過去・現在・未来の三世のなかでこの真理に目ざめる人々は、永遠の安らぎを与える般若波羅蜜多の
智慧によって、この上ない悟りの状態に入ります
さとりの真言、無言の真言、無比の真言であり、全ての苦しみを取り除きます
(仏の世界へ渡らん。渡らん。悟りの岸へ全く渡らん。無情の悟りにはいり、安らぎを成就させたまえ。)
お釈迦様の説法の一つです
「死んだ子供を生き返らせる薬」の話です。
若い母親が幼子を病の為に死なせてしまい、息子を生き返らせる薬を探してました
釈尊に相談しました母親は「死んだ子供を生き返らせる薬をください」と懇願しました
お釈迦さまは「その薬を作るから、死者を出したことの家から、芥子の実を貰ってきなさい」と言いました
母親死んだ人のいない家を探すことなど出来なく、彼女は疲れ切りきづきました
「死んだ人のいない家などないんだ。生きている人より死んでいった人の方が多いのだ・・・」と
お釈迦様は言いました「あなたは自分の子供だけが死んだと思っていましたね、しかし、
生あるものは必ず死があるのです、生き返らせることはできないのです」彼女は尼になりました
生まれたものは必ず死にます、これはどうしようもありません
この法則をあるがままに受け入れても、死んだ子供が生き返るわけではありません
そこから、また新しい生き方を学ぶということが教えの本分です