🌸味方をおいて1人逃げた徳川慶喜
⛳最後の将軍のしたたかな面
☆政奉還で朝廷に政権を返上した、最後の将軍は第15代の徳川慶喜
*「王政復古の大号令」が発せられ徳川幕府は崩壊した
☆彼には、軟弱で無策な将軍のイメージが付きまとうが
*実際の慶喜は非常にしたたかな策士だった
*朝廷に従ったのも作戦のひとつ
*弱腰に見える彼の言動の裏には
*保身のために立ち回るもうひとつの顔が隠されていた
⛳慶喜、権力を保持するための計画が失敗した
☆大政奉還は、討幕派と朝廷を煙に巻く一発逆転の裏技だった
*朝廷に屈服して政権を返してしまえば
*倒幕派は幕府を倒す理由がなくなる
*長年政治から離れていた朝廷に政権を担う力などなく
*政権運営は、自分を頼ってくると見越していた
*慶喜には政権を手放すつもりなど初めからなかった
☆討幕派が巻き返しを図った王政復占のクーデターに対し
*慶喜は次々と反撃の手を繰り出す
*諸外国の公使には「主権は我にあり」と宣言
*討幕派に加担しないよう根回しをした
☆慶喜の目的は、新政府で主要な地位を獲得することだった
*朝廷に従うふりをしつつも、その裏では
*権力を維持できる新政府づくりの中心人物となる活動していた
☆実現の一歩手前までこぎつけていた計画
☆鳥羽・伏見の戦いをきっかけにもろくも崩れ去ってしまう
*幕府軍、慶喜の新政府入りを快く思わない薩長の挑発に乗せられてしまう
*幕府は朝敵となってしまった
⛳慶喜、味方をおいて単独で逃げる
☆薩長が掲げた、官軍の印である「錦の御旗」を前にした慶喜
*驚くほどの早さで転身する
*それまでの野望をかなぐり捨て、保身ヘと突っ走る
☆鳥羽・伏見の戦いでは、大坂城を抜け出し
*味方を置き去りにしたまま江戸へ逃げ帰った
*江戸城もすんなりと明け渡してしまう
☆大政奉還を盾にして、自分の命を優先する道へと乗り換えた
*その後は、新政府に不満を持つ士族の動きには静観を決め込み
*政治にはまったく関心がない態度を貫き通した
*慶喜、晩年には名誉が回復されて公爵の地位まで得た
☆多くの幕臣が命を落としたなか
*慶喜は76歳まで生き延びて天寿をまっとうした
☆写真に残されている慶喜の顔は鋭いまなざしが印象的
*この表情にこそ策士の本質が表れているといえる
今後ともよろしくお願いいたします。
コメント有難うございます
日本で起きた『維新』鉄の道文明論研究家の文章にある様に、色々ありますが、正にその通りと思います。
①一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたち
➁自らの階級を破壊する、独創的な革命で”維新”と呼んできた
③中身は「革命」いや「大革命」だった
何時もコメント有難うございます。