慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「王政復古」「慶喜の戦略」「錦の御旗」

2024年02月28日 | 歴史

🌸味方をおいて1人逃げた徳川慶喜

 

最後の将軍のしたたかな面

 ☆政奉還で朝廷に政権を返上した、最後の将軍は第15代の徳川慶喜

 *「王政復古の大号令」が発せられ徳川幕府は崩壊した

 ☆彼には、軟弱で無策な将軍のイメージが付きまとうが

 *実際の慶喜は非常にしたたかな策士だった
 *朝廷に従ったのも作戦のひとつ

 *弱腰に見える彼の言動の裏には

 *保身のために立ち回るもうひとつの顔が隠されていた

 

⛳慶喜、権力を保持するための計画が失敗した

 ☆大政奉還は、討幕派と朝廷を煙に巻く一発逆転の裏技だった
 *朝廷に屈服して政権を返してしまえば

 *倒幕派は幕府を倒す理由がなくなる
 *長年政治から離れていた朝廷に政権を担う力などなく
 *政権運営は、自分を頼ってくると見越していた
 *慶喜には政権を手放すつもりなど初めからなかった
 ☆討幕派が巻き返しを図った王政復占のクーデターに対し

 *慶喜は次々と反撃の手を繰り出す

 *諸外国の公使には「主権は我にあり」と宣言

 *討幕派に加担しないよう根回しをした
 ☆慶喜の目的は、新政府で主要な地位を獲得することだった
 *朝廷に従うふりをしつつも、その裏では

 *権力を維持できる新政府づくりの中心人物となる活動していた
 ☆実現の一歩手前までこぎつけていた計画

 ☆鳥羽・伏見の戦いをきっかけにもろくも崩れ去ってしまう
 *幕府軍、慶喜の新政府入りを快く思わない薩長の挑発に乗せられてしまう

 *幕府は朝敵となってしまった

 

慶喜、味方をおいて単独で逃げる

 ☆薩長が掲げた、官軍の印である「錦の御旗」を前にした慶喜

 *驚くほどの早さで転身する

 *それまでの野望をかなぐり捨て、保身ヘと突っ走る
 ☆鳥羽・伏見の戦いでは、大坂城を抜け出し

 *味方を置き去りにしたまま江戸へ逃げ帰った
 *江戸城もすんなりと明け渡してしまう
 ☆大政奉還を盾にして、自分の命を優先する道へと乗り換えた

 *その後は、新政府に不満を持つ士族の動きには静観を決め込み

 *政治にはまったく関心がない態度を貫き通した
 *慶喜、晩年には名誉が回復されて公爵の地位まで得た
 ☆多くの幕臣が命を落としたなか

 *慶喜は76歳まで生き延びて天寿をまっとうした
 ☆写真に残されている慶喜の顔は鋭いまなざしが印象的

 *この表情にこそ策士の本質が表れているといえる

                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』
 
「王政復古」「慶喜の戦略」「錦の御旗」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ポリコレ」「ダンバー数」... | トップ | 「持明院統と大覚寺統」「長... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
千年の大局観 (グローバルサムライ)
2024-03-05 14:37:45
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。なにやら多神教的というか日本らしさようななにかによって。
返信する
御礼 (慶喜)
2024-03-05 18:44:58
コメント有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
科学と宗教のダイナミクス (鉄の道文明論研究家)
2024-08-23 13:38:01
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
返信する
御礼 (慶喜)
2024-08-24 07:12:59
鉄の道文明論研究家様

コメント有難うございます
日本で起きた『維新』鉄の道文明論研究家の文章にある様に、色々ありますが、正にその通りと思います。
①一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたち
➁自らの階級を破壊する、独創的な革命で”維新”と呼んできた
③中身は「革命」いや「大革命」だった
何時もコメント有難うございます。
返信する

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事