今日、55歳になった。
昭和の時代なら定年を迎える年である。当時はここから先が老後、または第2の人生などと呼ばれ、リタイヤ生活が始まった。まぁ、今よりも寿命も短かったし、当時の55は現代の55歳に比べると姿かたちはもっとおじさんだったから、それに違和感を感じることなどなかったけれど、令和の今だとプラス15年、おおよそ70歳くらいにならないと、老人という言葉と合致しなくなっていると感じる。とはいえ寿命が延びたのは主に医療の発展によるものであり、現代の55歳の人の細胞が当時の人と比べ、結して若返っているわけではないという。つまり見かけがいくら若くなっているからといっても、当時の人と同じように確実に老人化は進んでいるわけで、気力や体力の衰えは、それほど変化はないのだという。
だからなのか、この秋から急に労働意欲が沸かなくなってきた。先月も今月もまったくやる気が出ない。更年期かと思ったが、身体はまったくの健康体で運動も雑用も、つまり仕事以外の事ならこれまでと変わらずにやれるのに、なぜか仕事だけがしたくない。やればやれないことはない、けれどできればしたくない。これはもう細胞の老化による勤労意欲の低下しかないんじゃないかと思う。やっぱり55歳定年は理に叶っているんだなと、なんとなく思う。いや、怠けか…?
なので2か月前から休みを多くして、仕事を抑制している。人件費はかさむけれど、幸いやる気のある代わりがいるので、年末の12月も最大限休みを多めに確保している。年明けから少しづつということで、年内はこんなペースで良いと思っている。
そろそろまた、大掃除の続きでもしよう…。
昭和の時代なら定年を迎える年である。当時はここから先が老後、または第2の人生などと呼ばれ、リタイヤ生活が始まった。まぁ、今よりも寿命も短かったし、当時の55は現代の55歳に比べると姿かたちはもっとおじさんだったから、それに違和感を感じることなどなかったけれど、令和の今だとプラス15年、おおよそ70歳くらいにならないと、老人という言葉と合致しなくなっていると感じる。とはいえ寿命が延びたのは主に医療の発展によるものであり、現代の55歳の人の細胞が当時の人と比べ、結して若返っているわけではないという。つまり見かけがいくら若くなっているからといっても、当時の人と同じように確実に老人化は進んでいるわけで、気力や体力の衰えは、それほど変化はないのだという。
だからなのか、この秋から急に労働意欲が沸かなくなってきた。先月も今月もまったくやる気が出ない。更年期かと思ったが、身体はまったくの健康体で運動も雑用も、つまり仕事以外の事ならこれまでと変わらずにやれるのに、なぜか仕事だけがしたくない。やればやれないことはない、けれどできればしたくない。これはもう細胞の老化による勤労意欲の低下しかないんじゃないかと思う。やっぱり55歳定年は理に叶っているんだなと、なんとなく思う。いや、怠けか…?
なので2か月前から休みを多くして、仕事を抑制している。人件費はかさむけれど、幸いやる気のある代わりがいるので、年末の12月も最大限休みを多めに確保している。年明けから少しづつということで、年内はこんなペースで良いと思っている。
そろそろまた、大掃除の続きでもしよう…。