最初は、時系列が中々繋がらず頭の中で整理しながら観ていましたが、すぐに、“生まれ変わり”の流れが。
輪廻的な、生まれ変わり、一つの思いが世代を超えて繋がる事を。
俳優さん達も素敵でそれなりに楽しめる映画
たった1週間、しかも名古屋ではミニシアターで1日1回の上映。
観てみて、素敵な映画と。
自殺に失敗したシェフが助けてくれた人のレストランを任されます。でも、最初は自殺する人の最後の晩餐を出すためのレストランとして。
しかし、家庭内暴力から逃げてきた女子高生との交流、自らの自殺の原因と向かい合い、助けてくれたレストランのオーナーも自然共に、そしてそのオーナー自身の“死ぬことから生きること”の変化によって、シェフ自身が”生きていくこと“に光明を見いだしていく、その変わる姿を。
表情の変化は少ないシェフ、しかし、ほんの僅かな目元、口元の変化、見事に。
本当に素敵な映画なのに、大手の流通にのらないと多くの人の目に入らない、もったいなさを感じる、本当に素敵な映画
室町時代から始まり、後には幕府への献上品として重用された山形の紅花
戦争中は贅沢品として生産を禁止。戦後、奇跡的にみつかった種からの復興
その紅花にかける多くの人達の思いを描いたドキュメンタリー。生産地山形のみならず、その”紅色“を出すために必要な“烏梅(うばい)”を作る唯一の生産者のいる奈良県月ヶ瀬村、その輸送を担った近江商人、その安全祈願のための大阪住吉大社、その紅花を使った染め物をする京都の職人達。その多くの人達の強い思いが、閑かに、でも、力強く感じます。
学生時代に仙台にいたので山形の紅花のことは知っていましたが、あの、黄色い花から”紅花“ができるのはとても不思議だったのを思いだしました。また、その当時、仙台発山形経由新潟行きの急行の名前が“べにばな”だったことも。
辺見じゅんさんの実話に基づいた著作の映画化。
満州からの引き上げについては、生まれる前に亡くなった祖父が満鉄で満州におり、そこで育った母親から昔よく聞きました。
この映画では命からがら逃げる日本人が描かれていますが、母親からの話ではもっと悲惨な、過酷な状況だったと。
悪名の高い、ロシアのシベリアの収容所の悲惨さは多くの人達が著しています。その中で、生きること、日本に戻るその希望を失わなかった主人公のその生き方には深く思うことがあります。そして、その彼が仲間たちへ影響を与えていく、その姿を俳優さん達が見事に演じています。
この映画の本当の思いは、やはり原題の”収容所(ラーゲリ)からの遺言“のほうが良かったかもしれませんね。
記憶の中にある、その人への思いが現れると。
16年ぶりの続編。
過去の映像は一切使わず。
当然これだけの年月が経つと社会情勢、島を取りまく状況は大きく変わっています。元は、無医村となる島の診療所の医者の問題として始まった映画。しかし、年月経つと、無医村の問題に加えて、高齢化、町村合併の問題が加わります。この年月はまさに、ある意味衰退した日本の姿を映し出しています。この問題は、離島の問題ではなく、大都会東京でも同じ、深刻な問題。高齢化、病院不足、人との繋がりの希薄。月に数回行く実家のある東京都某区、実は日本の近い近未来の姿として政府が色々と。確かに、子供に出会うことは少なく、逆にお年よりばかり。車で行くので東京の道路を走りますがデイサービスの車ばかり。母を病院へ連れて行こうとしたときにも病院不足、中々観てもらえず。無医村とは言わなくても“少医都会”。
しかも映画の孤島は人との繋がりありますが、都会では孤立。
この映画の歳月の経過、とても厳しく感じます。
とはいえ、とても大きな社会的課題をこの映画では人々は繋がりあってなんとか乗り越えようと。
主演の吉岡秀隆さんは、もう、終わり、と言っていますが、是非、時の過ぎたコトー先生を見続けていきたいと。