ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

人の世は色々とありますが。

2021-05-10 13:24:06 | 身の回り
週末に実家の東京へ。
高速道路の休日割引が無いので深夜割引で。
そのまま東京へ行っても今や日本の汚染地帯と化した東京をうろつくわけもいかず、色々と寄り道しながら
急ぐ訳でもないので山の中の新東名ではなく景色の良い海沿いの東名高速で。浜名湖SAのレストランは誰もおらず。
さすが、お茶の産地静岡県。給茶機のお茶にも特徴が

夜明け前の浜名湖
朝食後、外へ出て早朝の涼しい風に
浜松から一般道へ。
東海道沿いなので旧街道跡も
金谷で寄り道


石畳が残っています。
現代の靴で歩いても結構、足の裏に衝撃が来ます。まして草鞋のような薄い底の時代には相当の脚への負担があったのだろうと。
金谷で寄り道したので、大井川鉄道の拠点、新金谷駅へ。


日本初?のトラストトレインとして蒸気機関車の運転を。



今ではトーマスとコラボした機関車、バスも。
更に経営も楽ではないので色々な商品開発も。
早朝なので売店は営業しておらず、今度はここを目的に訪れようかと。
ここからはひたすら東京へ。

途中、昔ながらの並木道。
そして箱根越え









車も少ないので芦ノ湖スカイライン経由で。
箱根の中心部へ向かうとやはり車は少ないです。とは言え昨年の最初の緊急事態宣言の時にはほとんど関東圏の車は無かった(高級外車以外は)のと較べると車は多いです。そして昨年はほとんどのお店がシャッターを下ろしていてゴーストタウン化していた箱根湯本もほとんどのお店が店を開けて、観光客もそれなりに。ただ、車は神奈川県ナンバーが殆ど、その他の関東圏の車は少なかったです。
そのままたまにお昼に寄る国府津の”のんき亭“さんへ。



美味しくいただきました。
途中、神奈川県登戸の父親の墓参りをして夕方に東京の実家へ。
買い出しついでに駅前に行くと緊急事態宣言前には昼呑みで溢れかえっていた飲食店も休業

街中も、気のせいか人も少な目。
そのためかいつも買うお惣菜屋さんも売れたのか品数少なかったです
いつまでこんな状況が続くのかな。
翌朝、母親のワクチン接種会場の下見を。
4月30日から75歳以上の受付開始、65歳から74歳までは5月6日からの受付。ということで4月30日に北海道の宿でインターネット予約。でもこれが高齢者にとっては大変。最初に初期パスワードを入力し無ければなりませんが、この初期パスワード、西暦の生年月日です。高齢者にとっては元号になれていてまず西暦は??ということに。そして少しでも間違えると(入力し直そうとすると)エラーが。大変でした。
その下見に。
昔、通っていた高校の目の前


とある宗教団体の学校
本部大聖堂も、懐かしいです。
この学校、40年近く前、東京で私立高校としては学費が2番目に安く、更に近所、しかも宗教団体の学校ですが宗派には関係なく受験できました。同じ様な宗教団体の学校ありましたが受験申込書に宗教を記載させられましたがこの高校の申込書にはその記入欄がありませんでした。勿論自分自身は信者ではなく、当時はクリスチャンの先生、生徒もいました。
今は無き大講堂があり、高校時代当時、世界的な指揮者、ヘルベルトフォンカラヤンがベートーベンの交響曲全曲のコンサートを開催しました。通常よりもこの宗教団体関係者には安くチケットを販売していましたが、一回の公演料金が当時の一月の授業料よりも高かった記憶が。また、当時、本当かどうか知りませんですが、カラヤン側が講堂の使用料を聞いてきたときに、この宗教団体が“お気持ちで”といったとかいわなかったとか?
また、内幸町からNHKが渋谷に移転したときホールが無くてこの大講堂を使用しようとしたがやはり特定の宗教団体の施設は問題とのことで急遽NHKホールを作ったのも懐かしい思い出。この大講堂は解体されるまでは世界的にも音響が素晴らしく吹奏楽の全国コンクールを開催していました。
今となっては懐かしい。
下見をしてから東名高速で名古屋へ。
途中、どんな感じかな、と足柄SAへ寄りましたが観光バスもおり、人も結構いましたが、少ないです。とは言え相変わらず無防備、マスク外して食べ歩き、しかもマスクをしても大声で。更に千葉県ナンバーのマイクロバスで部活の高校生達も多数。当然彼等はマスクは申し訳程度にして食べ歩き、大声でふざけています。
最小限の用事を済ませて人を避けながら車へ
人も少なく景色の良い由比PAへ。
富士山も黄砂の中で見え隠れ。
この日は強風で立っているのがやっと、その上、物凄い黄砂で霞んで目が。マスクを外すと口の中がいがらっぽく。
由比PAの2階の(誰もいない)展望室で休息。
ここからしばらく走り静岡インターで一般道へ。
そして浜松の浜松餃子を

ハネ付、美味しかったです。
久しぶりに人の多いチェーン店に入りました。勿論隣の席は離れていてアクリル板もあります。殆どの人達は家族連れも含めて静かにしていましたが、近くのお婆さん、娘さん、お孫さんのグループ、大声で喋るので周りの人達も気にしていました。勿論我が家もマスクを。実は、ファミレスでの感染、増えているようです。ファミレスの性質上、食前、食後に話し込む事もあり、当然、食後には外したマスクせずに大声で。
まぁ、この問題家族、食べ散らかして周りを汚し放題、後片づけのバイトの高校生達も呆れていましたので、この非常識な家族固有の話かもしれませんね。
とにかく、周りを気にしながらの食事というのは中々シンドイですね。
あとはひたすら東海道を名古屋へ。

ところで東名高速を運転していて、東京から厚木まではそれなりに車の量は多いですね(とはいっても通常の渋滞するほどはありませんが)。やはり休日割引が無いので近場へ、厚木あたりまで混んでいるので多分、江ノ島、鎌倉あたりですかね。そういえば土曜日に神奈川県へ入ると、スマホへ神奈川県の黒岩知事のメッセージ、“お願いですから神奈川県へ来ないで!”という悲痛なもの。
そして、レンタカーを含めて普段、遠出しない人達が増えたのか、運転マナーがどんどん悪くなりますね、顕著なのは、走行車線がガラガラでも悠然と追い越し車線を走る車の多いこと。多分、高速走行中にハンドルを切るのを怖がっているのかな?また、自分は最高速度を守っているのだから何故、譲らないといけないのか?と頑な運転手が増えたのかな?と。
最近は”煽り運転“だけではなく”煽られ運転“の取り締まりも強化されているようです

人の世に色んな事があっても自然はいつもと変わらず
週明けの名古屋の朝、大須観音
目に刺さるような新緑
いつまで、こんなことが続くのかな?
























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天気の悪かったゴールデンウィーク

2021-05-05 23:18:47 | スキー
ゴールデンウィークは北海道へ山スキー。
朝早く名古屋を出て新潟港へ
途中、中央高速道路、恵那山トンネル入口に何かを発見。近づくと段々と大きくなってきて、なんと天然記念物のニホンカモシカが。
そこで人生初めての110番通報。
“事故ですか?事件ですか?”
ニホンカモシカのことを伝えました、早朝なので車も殆どいませんが、カモシカが怪我をしたり、また、ぶつかると車も大事故に。
しばらくすると警察から連絡があって、現場にはニホンカモシカは見当たらなかったとのこと。山に戻ったようです。良かった!
そして、これも人生初めての高速道路の入り直し。岡谷JCを長野道へ入らず直進してしまったので最初の諏訪インターで乗り直し。有人の料金所で書類を貰って入り直し(さすがに逆走はしませんでした)。
北陸道へ入って好きな鯖サンド
鯖の独特の香りと味がネギとレモンで引き立ちます。
新潟でお昼の海産物を購入してフェリー埠頭へ
街中からもフェリーの煙突が。
これから”旅立つ“その気持ちが高まります








出航の銅鑼は素敵なのですが、帰りの船、ラベンダーでは省略。寂しかったです



お昼は蘭越町の松原農園さんのお気に入りのワイン
そしてフェリー埠頭近くの海鮮市場で購入した新潟県のお魚を使ったお昼。さすがに地元、お手頃価格です。

売店で最近新潟県でよくみるご当地お菓子、サラダホープを。たべはじめると止まりません。
夜はグリルで。このフェリーの関係会社が小樽のホテル。そこで監修されたディナーコース。

ワインは十勝ワイン。アイヌ語で”寒い土地“の意味だそうです。

そしてここ何年もお世話になっているYさんと記念撮影

時節柄のマスク付と無し

小樽には予定通り




小樽港は雨が強く降っています



とりあえず当初の予定の積丹岳方面へ
積丹岳は中腹から上部は雲の中、更に雨も強くスキーは中止
積丹半島付近をドライブ
途中、鹿も

積丹半島へ。

天気悪いので積丹ブルーは今日はおあずけ

寿都のかき小屋へ



今が旬の生牡蠣と寿都特産の寿牡蠣


中々“寿牡蠣”はお目にかかれません。以前来たときは売り切れてなかったです。多分、このご時世、観光客も少ないため食べることができたのかもしれません。濃厚な味、”海のミルク“そのもの。
寿都からは風力発電所の中の道を通って蘭越町の松原農園さんへ。


遠くに泊原発を。

手作りの家の松原農園さん


奥さんと楽しいお話(ご主人は午前中の作業の後の食後の休憩中=午睡中)。
今年の分のワインの予約を。
そして蘭越町産100%のスパークリングワインをいただきました。
松原農園さん、長年苦労されてワイン畑を開拓、ワインを作られてようやく最近、規模を拡大しています。ここのワイン、白しかありませんがその味、風味は葡萄そのもの。値段も普段呑みができる程度のお手軽な価格。
そして雨のニセコへ
夜は個人的には日本で1番美味しい焼き鳥と思うbangbangさんへ。











ホテルへ戻ってホテル内にある“Toshiro’s bar”へ
新潟県の八海山がニセコで醸造所を作りジンを。そのうちにここで米を使ったウィスキーを作ろうと。ちょうど新潟県で作られた試作品のウイスキーをいただきました。米のねっとりとした感触
美味しいものをいただき、美味しいものを呑んで移動の疲れも有りよく眠ることが。
翌朝はbangbangのオーナーのSさんからアンヌプリへのお誘い。といってもSさんは最近怪我をされて治療中なので今回は同行せず、何度もご一緒させていただいている俱知安の役場の職員であるSさんと。
合流してアンヌプリへ
風が強く、1番上のリフトは運休。そのために頂上へは行かず北斜面へトラバース。
イワオヌプリ
ワイスホルン
途中、Sさんとはぐれてしまいましたが、昔から通っている地なので地形は熟知、結果的に合流
一瞬の晴れ間の間を狙って春スキーを楽しめました
迎えに来てくれたSさんと羊蹄山をバックに記念撮影。



夕方には羊蹄山がくっきりと
夜はbangbangさん、Toshiro’s barさんへ




サントリーの山崎で作られた梅酒
ホテルのエレベーターにはこんなポスターも

三日目は天気悪く、雨が降ったりやんだり。
この日は当初の計画通り室蘭と白老町へ
洞爺湖サミットの名残のモニュメント
洞爺湖駅から洞爺湖までの桜並木
そのまま噴火湾沿いに室蘭へ
室蘭で作られた映画“モルエラニの霧の中”のロケ地巡り。名古屋で映画を観ました。時と共に失われていく記憶と記録、その美しさ、哀しさを描いた映画でした。ちなみに”モルエラニ“とはアイヌ語で坂を下った街の意味で“室蘭”の語源だそうです。
この一本桜、この桜の下に大杉漣さんと香川京子さんが。
映画では遠くの風力発電設備は映っていませんでした。
大杉漣さん、小松政夫さんの最後の映画。本当に素敵な役者さん、惜しい方を。









この円形校舎の学校もロケ地
室蘭は工業の街、製鉄所も。
また、世界有数の風力発電装置製造会社もあるせいなのか風力発電設備が沢山あるのも特徴です。
ここから白老町へ
ウポポイ、”民族共生象徴空間“へ
賛否両論ある、施設
中の博物館は事前の予約が必要、予約時間前なので昼食を。
でも、レストラン、飲食店は物凄い“密”状態、しかもお客さんの車のナンバーは札幌。今の時期、名古屋市の2倍近くの武漢肺炎感染者が出ている札幌。名古屋よりも危険な状態でしかも土地柄かマスクしていても大声での会話。ということで外でテイクアウト。




鹿肉カレーと野菜カレー。日本的なカレー、涼しい風(ちょっと寒い風)の中身、美味しくいただきました。















時間になって博物館へ。
ただ、展示物はあまりにも昔のアイヌの人達とはかけ離れた、”綺麗な物“ばかり。展示物も少なく、似たようなものばかり。何年か前にウポポイができる前のコタン村のときの方がもっとアイヌの人達の生活に密着していたような気がします。また、やたらと刀、金属製のもの、多く展示されていますがアイヌの人達の伝統で“鉄”の文化はかなり後と(刀鍛冶みたいなものはあったのかしら)。本当にキレイなものばかり並べたてる感じです。中学校の頃から知里幸恵さんの”アイヌ神謡集“を読んで以来アイヌ文学には興味あり色々と接してきたつもりですが。
以前のコタン村あの時にあった木工品のお店は皆無、お土産にもありませんでした。現代作家の人達の”アイヌ文様“のものばかり。

とはいえ、時節柄、アイヌ文様のマスクを
少し、なにかしら消化不良のような。何しろ巨額な国のお金が投入されていて、中身のみならずお金の問題も賛否両論。
まぁ話題の場所なので。
内地(本州)ではあまり見受けられない一面の牧草地の中をドライブ。
夜は
いつものお店
マスク付
マスク無し

翌日はbangbangのオーナーのSさんの(3年がかりでてきた)新居へのご招待を。俱知安の町へガソリン補給と手土産を。
冬のシーズンにはニセコヒラフのスキー場にお店を出しているMmountain Kiosk coffee店さんへ
ここのコーヒー、スキーをして戻るときに飲むと心が和む、そんな素敵なコーヒーです。
新潟上越高田で日本初のスキーを指導したレルヒ中佐像。上越高田では“少佐”。俱知安駅前にある旭山スキー場でスキー指導をしたそうです
羊蹄山は雲の中
ご自宅からは素敵な光景
Sさんご夫婦と楽しくお話を、そして美味しいお昼をいただき小樽港へ





小樽の市場へ行ったらもう閉店していたのでフェリーの中でお土産

哀しい事にこのラベンダーでは出航の銅鑼、省略。寂しいですね。去年の夏も小樽発のフェリーでは省略されていました。
日本海は波が、高く、最初はピッチング、そのうちローリングも。大浴場へ行くと風呂が波の出るプール状態で、チャッポンチャッポンと。深く座って入っていると溺れそうな状態




夕食も初めは大きく揺れている船内でしたがそのうちおさまってきました(酔いが回ったのかも?)


翌朝は穏やかな朝



仲間たちと昔カヤックで遊んだ粟島

新潟港へ入ると友船の”ゆうかり“
このフェリーはグリルに窓があり夕食のときに夕陽を観ながら食事できました。今の小樽-新潟航路には新造船が導入されてこのゆうかりは別航路へ。
新造船にはグリルに窓がなく、趣も大幅に減ってしまい残念ですね。














新潟港に着岸後、写真を撮っているとちょうど佐渡汽船の船が出航
新潟港から戻るときには必ず寄る燕の背脂ラーメンのお店、まつや食道さんへ。
美味しい背脂ラーメン
大きな餃子
そして柿崎の米山を観ながら代々菊酒造さんへ
吟田川“ちびたがわ”
美味しいお酒でいつも買わせていただいています
おじさん、おばさんと4時間近く楽しくお話。日本酒のお話、新潟県の酒蔵の興味深いお話、ワインの話から、色々と。そしておばさんから朝獲れたてのタケノコを
ありがとうございました!
名古屋へ戻った夜にいただきました。美味しく。
妙高への道すがら、国道で旧地の知人と車ですれ違い。手を振ったけれど気がついたかな?と思ったら夕方に働いている農園のキノコをもってきてくれました。名古屋へ戻っていただきましたが濃厚な味で美味しかったです。Kさんご馳走様でした。
夜は知人と赤倉で。
北海道では食べなかった“粉もの”を
武漢肺炎のお陰で閑散とした温泉街、寂しいですね。
3月末でお店をたたんだ”うどんの歩“のYさんから葉物野菜をいただき名古屋へ
高速道路は使わず越後路、木曾路を。そしていつものお店てお蕎麦。


美味しくいただきました。
お店にはちょうど藤の花が。
いつも、夕食用に蕎麦寿司を注文するのでもう顔馴染みとなったお店の人とお話をすると色々と。
19号線ではこのお店側には他に蕎麦屋さんはなく、反対側に何軒かお蕎麦屋さんが。そちら側は中津川インターからの道なので中津川インターを降りた車がお昼に立ち寄ります。するとこのゴールデンウィーク、反対側のお店には大阪、神戸、京都の車が多数で地元の人達もお客さんは欲しいがやっぱり複雑な気持ちとのこと。確かに関西を朝、出発するとちょうどこのあたりがお昼時間。我が家がいつも利用させていただいているお店は反対側なので戻る東海地方の車の利用者が多いので少しは安心している、とのこと。

今回の、というか昨年からの武漢肺炎、世界中の文化、生活を破壊、それを当初は中国が傍若無人に、その後は日本という国の“世界に冠たる官僚機構”であったはずの無能さ、能力の低下を図らずも明らかに。未だにオリンピックと騒いでいる政治の無能さも。札幌では戻った日にプレオリンピックのマラソン大会。それが終わった途端に蔓延防止の申請、更に夜には学校の遠足、修学旅行の中止が発表。この国の官僚、政治家はどこの国のために働いているのか、本当に情けなくなる今日この頃を感じる北海道旅行。





















































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