★謎の女、小池百合子(71)
エジプト留学時代に同居していた北原百代さんが実名で「文藝春秋」に手記を寄せ、カイロ時代の小池百合子の嘘を告発した。
北原さんが初めて小池百合子に会ったのは、カイロのペンションでした。
百合子さんは19歳、私(北原)は30歳、1972年の春のことでした。
商社マンのAに連れられてやって来た百合子さん、同居相手としてAが私に紹介してくれたのです。半年ほど前にカイロへ来て、カイロ・アメリカン大学に通っている百合子さんだと紹介されました。
私(北原)は同居を快諾し、百合子さんと2人でアパートを探しました。そしてザマレックのアパートで同居生活を始めたのです。
百合子さんは冗談好きで明るく、料理上手な楽しい人でした。
19歳の百合子さんは、ほとんどアラビア語を話せなかった。
でも「お父さんが、来年からカイロ大学の2年生に編入できるように取り計らってくれているの」と言ってました。お父さんは石油関係の仕事もされていたので、そのコネがあるということでした。
ところが1973年2月、語学学校で知り合ったB男と結婚し、彼のアパートに移っていきました。
私(北原)は旅行ガイドの仕事をするようになり、そのままカイロで暮らしていました。すると1975年の年末、百合子さんが、「また北原さんと一緒に暮らしたい」と言われ、驚きました。B男と離婚して行く場所がなく困っている様子でした。
辞書も持っていなかった百合子さん。
百合子さんは日本大使館で夕食を作るアルバイトをしていました。
日中は机に向かっていましたが「辞書を貸して」と言われ驚きました。
「辞書も持たずどうやって勉強していたんだろう」と。
7月、進級試験の結果が掲示板に張り出されました。
結果を見に行った百合子さんは肩を落として帰って来たのです、「落ちちゃった」と、暗い顔をしていました。
進級試験に落ちた百合子さんは、JALの現地スタッフとして働き始めました。
チケットの販売係の仕事でした。
そしてある時、百合子さんは仕事を終えて帰宅すると、興奮した様子で、私にこう言いました。
「急いで日本に行かなくちゃいけなくなったの。でもお金が足りない」
サダト大統領夫人の来日でした。これを知ったお父さんから電話があり、「日本に帰って大統領夫人のアテンドをしろ。話はつけてあるから」と言われたというのです。
あなたは身の回りの物を売り、航空券を買うお金を工面しました。
私もあなたのアイロンなどを買い取りました。そして日本へ一時帰国をしました。10月初めのことでした。
11月半ば、カイロに戻って来た百合子さんをひと目見て、とても驚きました。別人のように晴れやかな顔をしていたからです。そして荷ほどきをしながら、「これ見て」と新聞を差し出しました。
百合子さんの顔写真が大きく載っていて私は驚きました。「カイロ大学社会学科を日本人女性として初めて卒業した」と紹介されていたからです。
私は思わず尋ねました。
「そういうことにしちゃったの?」
百合子さんは、
「うん」
と、屈託なく言いましたね。
驚いている私にこう続けました。
「私、日本に帰ることにした」
そして、明日は帰国するという別れの晩がやってきました。あなたは私の部屋に来て、「これ、プレゼント。絶対に人にあげたりしないでね」
それは模造真珠のブローチで、ケースには「JAPAN AIRLINES」とありました。
その後、百合子さんは自民党の国会議員になり、大臣になり、総理候補にもなり、そして都知事に上り詰めたのでした。
(カイロで共に暮らした友への手紙 、北原 百代、文藝春秋 2024年5月号から抜粋)
★中国人が街の中で堂々と排便
韓国の済州--で6月19日、中国人観光客の母と子供が公共の路上で排便する様子がネットで拡散され、炎上した。
路上で母親が見守る中、子供がしゃがみ込み排便をしていた。
周りの韓国人が英語で「ダメ、ダメ」と注意したが無視されたという。
(じゅうめいコメント)
中国人はこれだからね、社会のマナーも常識もない。
路上で糞をするのは中国人の常だが、、まるで犬猫と同じ。
野良犬と中国人、日本入国禁止。
(じゅうめい)