ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

秋の研究集会の日程と場所

2007年04月02日 23時25分43秒 | 生活教育
辞令交付のため、朝から大学へ

秋の生活教育研究集会を奈良でという声に後押しされて、K先生と日程を検討してみる。
10月13~14日は全障研の常任委員会、10月20~21日は特別ニーズ教育学会、10月27~28日、11月3~4日は正倉院展の期間らしい。
旅行会社に問い合わせをしてもらって、10月27~28日ならなんとかということで、第一候補として、10月27から28日としてみる。事務局へ問い合わせをすると、土曜日はいいのだが、日曜日は講義棟がつまっている。大学も法人化で、施設を貸し出して、いくばくかの収入を得ないといけないようだ。特に、検定試験の会場として、押さえられているようだ。教育実践センター、小学校多目的ホール、その他の3カ所くらいは何とかなるだろうが…。ついでに、新館2号棟の大型改修で、使えるだろうと思っていた講義室もアウトだ。なんとか、日程を早くきめてもらって、押さえるべきところを押さえたい。

どうなることやら

斉藤貴男の対談集を読んでいる。ジャーナリストの斉藤貴男と斉藤茂男を比べてみる。斉藤貴男は鋭い切り口で、社会の構造を示してくれるが、斉藤茂男は生活にこだわって、その事実を積み上げていく手法で生活の変化や意味を問うているように思う。

第27回寄宿舎教育研究会春期総括研究集会

2007年03月31日 22時46分54秒 | 生活教育
昨日、今日と第27回寄宿舎研春期総括研究集会(3月30日から3月31日)
テーマ:「あたりまえの暮らしとは」
場所:滋賀県立男女共同参画センター・滋賀県婦人会館(近江八幡)
日程
3月30日
12:30 受付
13:00 開会挨拶
13:10 経過報告
13;30 DVD上映(貝塚養護学校学校指定停止問題)
13:50 ミニ講座(1) 「特別支援学校とは」(越野和之)
14:20 ミニ講座(2) 「職場における実践論議とは」(山中憲一)
15:20 パネルディスカッション「あたりまえの暮らしとは」

18:00 拡大常任委員会

19:00前から交流会

3月31日
9:10 文化行事 滋賀県立八日市養護学校卒業生によるバンド演奏
9:30 講演「格差社会と教育の課題」斉藤貴男(ジャーナリスト)

13:10 閉会全体会
13:50 閉会挨拶7

14:00 寄宿舎教育研究会総会

3月31日の講演で司会をする-「斉藤貴男氏の講演にあたって」。

「90年代バブル経済の崩壊からはじまる「空白の10年」、金融再編、そして「痛みをともなう」構造改革の推進、勝ち組・負け組、自己責任のイデオロギー、イデオロギー統制と教育の反動的再編と続く経済・政治・社会の変化の中で、あたりまえの暮らしがあたりまえでなくなっている事態が進行している。だからこそ、社会の生活実践が求められている。親と子どもの状況が厳しくなる中、子どもの生活に直面している私たちの仕事の意味と課題を、現実の社会を見つめて、考えていきたいと思います。」

しがらきから吹いてくる風

2007年03月25日 22時33分12秒 | 生活教育
ドキュメンタリー映画『しがらきから吹いてくる風』(1990年)をみながら、DVDをつくる。

信楽寮を生活の支えとして地域の焼き物などの工場に働きに行く知的障害の人たちが映し出されていた。京都の養護学校を卒業して、寮生活をしながら、実習にいっている自閉症の青年がパニックを起こすところなどもうつされていた。

DVDは、第2びわこ学園のドキュメンタリーのものもつくる。近江学園の成立、その後の展開を映像でたどってみたい。

NHKスペシャル「ラストメッセージ」

2007年03月21日 14時06分04秒 | 生活教育
昨日のNHKスペシャル「ラストメッセージ この子らを世の光に」(京都新聞での紹介)
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 知的障害児の教育施設「近江学園」は、日本国中が窮状にあった1946年に設立された。設立した糸賀一雄は、障害者と健常者が区別なく暮らせる社会の実現を訴え続け、成人・女性・重度障害児のための施設を設立、拡充していった。だが、心臓発作により志半ばで逝く。糸賀にはその活動を支えた二人の友がいた。池田太郎は、大人になった障害者が自活できる「信楽寮(現・信楽学園)」を設立。田村一二は、障害者と健常者とが同じ村人として生活する「茗荷村」を建設した。三人の意志を継ぐ三つの現場にカメラを据え、彼らが目指したものを見据える。

寄宿舎研究会の今後

2006年12月23日 23時56分19秒 | 生活教育
午後から、近江八幡で寄宿舎教育研究会常任委員会。

京都駅からのJRは、大津で人身事故のため遅れていた。早めに出ていたので、影響はなかった。近江八幡で昼食をかきこんで、婦人会館へ(ちょっと分かりにくい所でした)。

和室に、机と椅子のちぐはぐなセッティングで、1時半過ぎから会議が始まる。
1.沖縄集会(生活教育研究集会)の総括-プレ集会との比較で、若手の人たちの成長が報告され、プレ集会の存在の重要性が浮かび上がった。沖縄の、若手の指導員の層が新鮮。しかし、受け継ぐべきものは多くあるものの、それを誰に、どのように伝えるのかは不明なことが寂しい。
2.この間の寄宿舎を取り巻く状況(滋賀の心中事件、貝塚養護学校の学校指定の取り消し問題など)。和歌山の養護学校の統合による寄宿舎の廃舎問題については報告がなかったです。議論で気になったのは、「責任」とか「姿勢」という言い方。機能主義や分担主義への戒めではあるが、しかし無限に努力を強いるような内にこもるような語感がする。
3.春合宿の持ち方-テーマをめぐって、「特別支援教育と寄宿舎」の関係のとらえ方。特別支援学校の中での寄宿舎の位置づけの問題。

 特別支援教育は、障害児の生活現実を視野に入れていないし、寄宿舎の役割を位置づけていないのは、当たり前のことである…官僚の作文なのだから…と思う。そういった作文をしながら、既存の枠組みを変えて、どのように予算をとってくるかが官僚の考えるところである。構造改革はその既存の枠組みを「ぶっこわす」として国民の歓声をあびたのである。新自由主義の席巻の中で、もともと弱かった「福祉国家」論は後退し、教育、医療、社会福祉・社会保障の土台が沈んでいく。そこをみないと、個々の事象の羅列になる。


岩波新書に『ものいわぬ農民』というものがあったことを思い出した。大多数の「ものいわぬ者」の「沈黙」の意味を考えたい。「物言う納税者」というが、しかし、その代表が村上ファンドの代表者のようなものだったりする。しょうもないことを「物言う」人もいる-それで本質が曖昧になったりする。

教育の困難

2006年12月14日 22時32分24秒 | 生活教育
大学の仕事をK先生におねがいして、寄宿舎研の方々と滋賀の近江八幡にいった。主催者は、「調査」といっていたが、「ただただ話を聞く」というつもりだった。「事件は会議室で起こっているんじゃない」というセリフがあったことを思い起こした。
今日は「生活」と「社会」の関係を考えた…教育基本法の改悪案が与党の多数で特別委員会を通過し、明日の会期末には成立するといわれている…重ねて、「社会」と「国家」の関係を考え続けることになろう。滋賀から家に帰って、頭が疲れて、身体が寒くて、布団をかぶって寝た。

おにつかるみ『さとこ先生のホームルーム』(新日本出版社)を読む。毎日新聞京都版に連載された短編を集めたもの。筆者は、京都府の小学校障害児学級のベテラン講師という。
仲間にいえない秘密をもつ子ども、虐待の中で育った障害のある子、ダウン症の子、卒業生で劣悪な環境で働かされている子、アスペルガー症候群の子、不登校の子、義父との関係、学級崩壊の中の教師などなど、教育のドキュメント、実践記録エピソードの短編集とでもいえようか。それぞれ、短編の中で、現代的な教育問題が描かれるが、明日が見える設定となっているところに、「希望が湧く」。しかし、現実はそううまくはいかない。
「教育小説」という言葉をつかったのは、歴史学者家永三郎だった。その系譜にはいる。障害児学級の講師経験が長いのか、障害のある子どもたちがたくさん登場するところが興味深い。

ニューヨーク時間の2006年12月13日10時50分、第61回国連総会にて障害者権利条約が満場一致で採択された。今日の新聞に、小さくその記事が掲載されていた。

命の学校-貝塚養護学校・寄宿舎-の存続を求める緊急アピール

2006年12月03日 23時14分57秒 | 生活教育
命の学校-貝塚養護学校・寄宿舎-の存続を求める緊急アピール

 大阪市教育委員会は、11月7日に大阪市立貝塚養護学校の就学に係る学校指定について、2007年4月1日から停止(転入学できなくなる)することを発表しました。突然の発表に、子ども・保護者・教職員・関係者は、驚愕と怒りと不安の中に放り込まれています。
 私たちの貝塚養護学校・寄宿舎は、多くの子どもたちの健康、こころと命を救ってきた学校です。学校に行きたくても行けないこどもたち、つらい、死にたいと悩んでいる子どもたちがどれほどいるでしょうか。命は大切、自殺なんてやめて!そう思う親たちがどれほどいるでしょうか。貝塚養護学校なら助かる、助けてあげられる…。今、一番必要な学校をどうしてなくすのですか!
 最初は、養護学校と言う名前に後ずさりしてました。寄宿舎に入ることも、驚きでした。しかし、子どもたちは、貝塚にやってきて、心を開いていきました。ともに人生を語り合える友達に出逢うことができました。信じることができる先生と出会いました。貝塚養護学校・寄宿舎は、子どもたちの笑顔を再び呼び戻せる場所です。病気の子ども、こころを病んだ子ども、いじめられた子どもの、こころも体も癒し再生させてくれる学校です。
 悩んでいる子どもたち、親たちはたくさんいます。その人たちのほとんどが貝塚養護学校を知らないのです。貝塚養護学校は、必要がないのではなく、残念ながら存在を知られていないのです。大阪市は、学校指定の停止ではなく、子どもたちのためにその存在を広くアピールすることをこそ行うべきです。
 子どもたちは、卒業後も貝塚養護学校に行きます。生きるために、ちからをもらうために。貝塚養護学校・寄宿舎は、大切な場所です。子どもたちの、こころの居場所をなくすのはやめてください。大阪市教育委員会の皆さん、私たちの、子どもたちの、心の、命の声が聞こえますか?どうか、もういちど考えてください。何が一番大切かを。
 今日、私たち、卒業生・保護者・保護者OB・教職員・教職員OBは、海図か養護学校とのつながりをお持ちの方、教育研究者、医師、弁護士などの皆さんのご支援を得て、「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」を結成し、こころと命の学校、貝塚養護学校・寄宿舎の存続発展のために、一人ひとりの力を結集し総力をあげて活動を進めていくことを表明するものです。
                      2006年12月3日
             「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」結成総会

命の学校-貝塚養護学校・寄宿舎

2006年12月03日 22時55分05秒 | 生活教育
 「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」は、管理職の圧力で、1部・2部形式となった。
 第1部は、体育館で行われ、保護者・教職員・子どもたち・同窓生・職員OBなど当事者が意見を出し合って、存続に向けて気持ちを一つにする場となったようだ。遠くは東京から駆けつけた方、貝塚養護学校となんらかの形でつながった人たちは、「部外者」ということで、寒い中、学校の校門前で貝塚の関係者を勇気づけていた。4時過ぎから、貝塚市役所近くの福祉センターにて、全員での会(第2部)がもたれた。
 会では、保護者や保護者OBのみなさんから、「やっとたどりついた学校」「ひとつでも大切ないのち。また歩き出せる力を培ってくれた学校」との声。学校にたどり着くまで、そして学校で癒される姿を、当事者から聞かせていただき、胸がしめつるけられる思いがした。
 寄宿舎の「寮母」の大先輩・大藤先生は、車いすで駆けつけてくださり、卒業生が寄宿舎に立ち寄る時のことを語ってくれた(写真)。「いろんな困難を抱えている卒業生が寄宿舎に来るんです…。なにもできません。ただ、聞いてあげるだけです…。『くそばばあ』といって、やんちゃしていた子どもだったんですが…。それで、まあ、がんばるかって帰って行くんです…」と。そんな故郷のようなところが貝塚養護学校の寄宿舎なのだと語ってくれた。もちろん、長岡先生が、「好きできた学校じゃない」と卒業生の言葉を紹介してくれたのだが、いろんな事情で来た学校ではあるけれど、そこが魂の故郷になっているのだ。
 寄宿舎教育研究会の代表の大泉先生は、「希望」を「あきらめない志」といってこの取り組みが長期にわたることを示唆していたが、貝塚養護学校・寄宿舎は、子どもたちや関係者に「希望」を培っていたのだとすれば、それは今後の「あきらめない志」ともなっていくと思う。

教育行政の仕事とは?(教育基本法と貝塚養護学校)

2006年12月03日 22時18分25秒 | 生活教育
 現行教育基本法第10条には、「(教育が)国民全体に対し直接に責任を負って」おり、「教育行政は、この自覚のもとに…教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」と規定されている。この規定を、今回の「改正」によって、教育行政は、「国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適切に行わなければならない」と規定し直している。
 読み方によれば、常々行われる「国」と「地方自治体」の責任の押し付け合いを合理化し、法律に書き込んだということではないか? 国は、「地方が自立的にやることだ」といい、地方自治体は「国からの指示がないのでやれない」という、このようなことを役人言葉で「適切な役割分担及び相互の協力」というらしい。その一方で、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」はないがしろにしている。
 いじめ自殺、不登校、ストレスなどなど、心がとても傷ついている子どもたちがいる。そんな子どもたちための居場所となっていた学校を、大阪市の教育行政は、教育委員会での審議もなく閉じようとしている。文部科学大臣は子どもに直接死ぬなと訴えているが、その一方で、国と自治体の教育行政は子どもの生きる場を奪おうとしている。そのことを、当事者は「静かなる殺人」と呼んだ。
 ともに困難をかかえた子どもたちを守ろうと、今日、「貝塚養護学校の子どもと教育を守る会」が結成された。

子どもたちにとってどうしても必要なところ(貝塚養護学校)

2006年11月24日 16時33分19秒 | 生活教育
昨日、貝塚養護学校の方から電話をいただいた。大阪市が学校指定の停止を発表したことに対して、保護者が中心となって守る会ができつつあること、その集まりが12月3日(日)にあることなどを知らせていただいた。

これまで、貝塚養護学校の教育実践に接する機会があり、軽度発達障害や困難をもった子どもたちにとってどうしても必要な寄宿舎をもつ学校だと強く感じているので、以下のような意見を書いた。大阪市の教育委員と議会に送っていただくようお願いした。

貝塚のみなさん頑張りましょう

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寄宿舎のある貝塚養護学校の教育実践の意義を再確認し、学校指定停止の撤回を求めます。

来年度より全面的に実施される特別支援教育が、その対象を広げようとしているなかで、大阪市立貝塚養護学校の学校指定の停止が発表されたことは、いかにも拙速であり、性急なものといわざるを得ないと考えます。なぜなら、特別支援学校が困難で難しい課題をもった子どもたちの受け皿となり、今後の特別支援教育の全面実施の中で重要な役割をもつものと想定されているからです。
 子どもの発達をめぐる問題は、いじめや暴力、対人関係の問題などいっそう複雑化してきており、発達のゆがみやもつれが複合化・多様化してきています。病弱教育の中心は、かつて喘息、腎炎、ネフローゼなど慢性疾患でしたが、しかし、小学校3~4年生から中学生頃におこってくる情緒や思春期的な問題を抱えた子ども-特に心身症として扱われる不登校などの問題を持つ児童・生徒が、小児科や精神神経科に通院や入院をし、治療・教育を受ける事例が全国的に増え、病弱教育の直面する課題となっています。
 なかでも不登校問題は、通常の教育の中でも大きな問題で、すそ野の広い教育問題となっています。不登校児への対応も、担任教師を中心にクラスづくりの工夫、スクールカウンセラーの派遣による相談室での受けとめや養護教諭による保健室への登校、地域での適応指導教室の設置などが展開されていますが、まだまだ十分でありません。また、近年では、学習障害、注意欠陥/多動性障害等によって、周囲との人間関係がうまく構築されない、学習のつまずきが克服できないと言った状況が進み、不登校に至る事例は少なくないとの指摘もあります。広汎性発達障害、アスペルガー障害やADHDなど軽度発達障害で、集団への不適応を起こしたり、いじめられたり、いじめられていると思いこんだりするなどして、二次障害的にこじれてしまうケースもあります。学校での不適応ばかりではなく、家庭や地域での生活にも影響を及ぼします。逆に、家庭での養育力が乏しいことによって、状態が悪くなる場合もあります。不登校問題の背景には、養育や教育環境の複雑さや困難があります。自分を探し、自分をつくっていく主体はあくまでも子ども自身ですが、しかし、その基盤を整えることへの援助は重要です。特に軽度発達障害や発達にアンバランスのある場合、また、虐待など様々な付随的な問題を抱えている子どもと家庭にとって、とりわけ重要です。通常の教育的な枠組みの中では対応しきれない場合が多いからです。必要な場合には、生活と学習の枠組み全体をかえた取り組みも必要となります。そのような取り組みの一環となっているのが、病弱教育養護学校の不登校への取り組みです。
 病弱養護学校の不登校への取り組みの歴史の中で、寄宿舎のある大阪市立貝塚養護学校はその先駆けとなってきました。貝塚養護学校の不登校へのアプローチは、不登校の子どもたちの生活の枠組みを整え、学部での学習と寄宿舎での生活によって、紆余曲折や葛藤はありながらも、仲間の中で、仲間とともに困難を乗り越えていくという点で貴重な実践をつくっています。寄宿舎をもった貝塚養護学校は、困難をもった子どもたちに向き合い、不登校、そして行動障害のある子どもたちへの特色あるアプローチを展開してきたことはよく知られています。このような教育実践が、今後本格的に実施される特別支援教育の深みを創るものと思われます。貝塚養護学校のこのような重要な役割を大阪市教育委員会が認識し得なかったことは残念でなりませんし、撤回も含めた再考を求めたいと思います。

教育の特集番組

2006年11月12日 19時21分50秒 | 生活教育
 昨日の雨の後、今日は1日寒い。
 子どもの生活と教育をめぐっても、「寒い!」
いじめ自殺や高校世界史未履修問題、「やらせ」のタウンミーティングと教育基本法の改悪などなど、子どもの生活と教育に関するニュースも相次いでいる。文部科学大臣宛に自殺予告が来たり、今日の朝も大阪で中学1年生が飛び降り自殺という報道もあった。
 この間、テレビで教育の特集番組が組まれている。昨日(11日)にあった「たけしの日本教育白書」もその一つだ。
 「いじめ自殺」「学級崩壊」「給食費の不払い」「わが子を主役にとの要望で台なしになる学芸会」などなど、子どもと学校、そして保護者にかんして「日本人の品格」を問題にしながら取り上げられていた。
 「給食費の不払い」問題では、学校や教育委員会が取り立てに行く姿や払う払うと言って払わない保護者の姿が映し出されていた。給食費か携帯の費用かとの問いに、躊躇なく「携帯」を選択するとの答えが返ってくる。その論理はこうだ。
「義務教育だから、子どもを学校に行かせてやっている。だから、学校が学校生活に責任を持つのはあたりまえ…」「義務教育は義務だから無償…」
 国会では、このような「品格のないのは教育基本法のせいだ」とばかりに、「愛国心」を入れた教育基本法案の審議を強行していく。しかし、教育や学校をそのようなものとして捉えることは、教育は国のものだという論理で、実は、給食費を滞納する論理とコインの裏表の関係のようにみえる。
 学校を「教化(教え化かす)」機関にしていこうとする、政府と文科省の「品格」が問われる。
 この社会の未来を担う子どもは、国家のものでもないし、保護者のものでもない。学校教育が、一人ひとりの中に内在する可能性を引き出し、人類の蓄積してきた文化遺産を継承し、社会の形成者となっていく子どもたちを援助するという本来の姿を取りもどすことが求められている。それは、人権としての、権利としての教育という考え方からしか導き出せないのではないだろうか。
 いじめ自殺の連鎖は終わりを見せない。学習指導要領に殉じて高等学校長も自殺をする。子どものいじめを「金銭トラブル」と教育委員会に報告していたとのことで小学校長が自殺したと報道があった。管理職の悲哀なのだろうか? 
 男性教師の抑鬱感は、通常の男性に比して1.8倍という結果が労働科学研究所の調査で判明したという。しかし、学校の関係者は憂鬱ばかりであるとはいえないだろう。教師や指導員としての喜びを感じるとき、保護者が子どもの成長をともに喜び合うとき、教育の再生の光が見えると思う。そんな経験は、学校教育の中で日々、子どもを中心において、教師、指導員、保護者によって蓄積されているのではないか。そんな水脈を大切にしていきたい。

生活教育全国研究集会その後

2006年11月07日 16時00分26秒 | 生活教育
第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄で記念講演をする大泉先生



第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄での発見は、沖縄時間があるということ、さらに沖縄にはいると時間の流れが変わって、一種の時差ぼけ状態になるということ、また、飲み会などでは来た人から飲みはじめ、みんながそろうまで待つという習慣はないということだった。

行事や集会が終わって気づくということが多くあるが、そのことは別の機会に書いてみたい。

不思議な時を過ごして、帰ってくると、連休の終日、夕暮れ時の寂しさからか、「人身事故」で電車が止まって動かずということだった。日常の生活に帰って来たことを実感した。

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この日、別室登校してる中学生が相談室に来る。その子とオセロをやって負ける。夜、夜間の大学院生の修士論文構想の検討。

第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄

2006年11月06日 21時24分02秒 | 生活教育
11月4日から5日まで、沖縄で障害児の生活教育全国研究集会があった。

全体集会の開会の挨拶をした。基調報告は、山崎さん(和歌山大学)、特別報告は島尻さん(島尻養護学校)、記念講演は大泉さん(日本福祉大学)。2日目が分科会と閉会全体会。閉会全体会では、嶋村さん(八幡養護学校)が挨拶。
全体を通して、160名強の参加者でした。

沖縄は、4日が、5日は

第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄 開会挨拶

 第25回障害児の生活教育全国研究集会を開会するにあたって、寄宿舎教育研究会常任委員会を代表しまして一言ご挨拶させていただきます。まず、この集会を準備していただいた現地沖縄のみなさんに感謝申し上げるとともに、交流と討議を深めようと、全国からお忙しい中、南国の地にお集まりいただいた参加者の皆さんにお礼申し上げます。
 さて、昨年、寄宿舎教育研究会は、創立25周年の研究集会を大阪で行いました。また、昨年度の末には滋賀で春の総括合宿研究集会を開催し、そこで正式に研究会の事務局の体制を新たなものとしてきました。25周年を経て、新たな研究会としての第一歩を踏み出しているところです。その新たな第一歩の研究集会がこの集会ということです。この後の基調報告や特別報告でも述べられると思いますが、今回の沖縄での研究集会は、2度目ということです。前回は、1988年の第8回全国研究集会だったということです。個人的なことを述べさせていただければ、この年、私は今の職場・奈良教育大学に赴任した年で、バブル景気の泡が急速に大きくなっていった時期として思い出に残っています。
 今日、構造改革の中で景気は順調に回復しているといわれていますが、それは一部の人たちや大企業のことだけのようです。高齢者の介護や障害者の生活は、介護保険の改悪でベッドの取り上げやホームヘルパーの介護の引き上げといった事態の中で、社会的介護の必要がいわれて登場した介護がまた個人に帰せられています。障害者や障害のある子どもたちの生活もまた、自立を掲げながら、自立を支援しないという自立支援法の下で、サービスに対して応益負担が課せられ、障害があることが心苦しいとさえ思わされる事態となっています。障害児の教育をめぐっても、特別支援教育への転換がいわれながらも、その財政的な基盤は脆弱といわざるを得ませんし、特別支援教育の土台となっている教育そのものにおいても、今日、いじめ自殺の連鎖、進学競争の激化の中で共通教養がないがしろにされる事態が進行しており、子どもたちのあたりまえの生活と教育がないがしろにされているばかりか、見通しや展望、生きる力といったものが衰退しているとさえいえる事態になっているといえます。
 憲法は健康で文化的な最低限度の生活を行う権利を規定しており、国の責任として社会保障・社会福祉の増進をする必要を説いています、しかし、障害や困難を持った人たちの生活へ寄り添ってみると、現実は、逆に、たとえば、防衛庁の防衛省への昇格の議論が国会でなされ、平和・民主主義の主体としての人格を形成する教育基本法の改悪法案が上程されるなど、軍事大国化路線への経済的投資がなされようとしています。子どもたちの現実に触れればふれるほど、今日の社会を考えざるを得ないものとなっています。
 私たちは、春の合宿の際に「希望」ということを学び合いましたが、この研究集会においてもそれを引き継いでいきたいものであると思っています。その希望への想像力を喪失している時代でもあるのではないかと危惧の念を禁じ得ないからです。この生活教育全国研究集会で、私たちと子どもたちの現在(いま)を、これまでの歴史を検証しながら考え合い、また、議論しあって未来を展望しあおうではありませんか。
この2日間が、次の四半世紀の第一歩となる充実したものにするようお互い力を合わせようではありませんか。

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この日、午後からK教育大学で概論と特別専攻科の講義