「にっぽん泥棒物語」は、松川事件の際の証人となった泥棒の証言から製作されることとなったもの(山本薩夫監督)。松川事件の法廷でこの証言を聞いたというはなしを大野松雄さんから伺った。大野さんは、松川事件の警察の偽りの筋書きにそって動いてみて、とうていそのとおりにはできないことを実体験として感じたという。松川事件の映画の音響もになった若かりし日の大野さんの体験である。大野さんは、2020年6月に90歳ではあるが、記憶鮮明で元気である。
京都民報の竹内守のメモリーズオブ・キネマより。
『復讐するは我にあり』をちらみしてしまった。
5人を殺害した西口彰事件を題材にした佐木隆三の長編小説。1979年に映画化。
タイトルの「復讐するは我にあり」は、新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり」という言葉の一部。こういう男がいたことを題材に、佐木は主人公を肯定も否定もしない気持ちを込めてタイトルに引用したという実録小説。
昭和38年のこと、人びとがたった一人の男に恐怖する。榎津巌(えのきづ いわお)である。。キリスト教カトリック信者で「千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師。女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、78日間もの間逃亡。昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑。映画ではこの稀代の犯罪者の犯行の軌跡と人間像に迫る。主人公の榎津を演ずるのが、緒形拳。倍賞美津子や小川真由美、そして根津の父親の三國連太郎が好演。
「光」の裏側にある「闇」、キリスト教ではどのように考えるのか。「悪人正機」にも及ぶところが・・・。
5人を殺害した西口彰事件を題材にした佐木隆三の長編小説。1979年に映画化。
タイトルの「復讐するは我にあり」は、新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり」という言葉の一部。こういう男がいたことを題材に、佐木は主人公を肯定も否定もしない気持ちを込めてタイトルに引用したという実録小説。
昭和38年のこと、人びとがたった一人の男に恐怖する。榎津巌(えのきづ いわお)である。。キリスト教カトリック信者で「千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師。女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、78日間もの間逃亡。昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑。映画ではこの稀代の犯罪者の犯行の軌跡と人間像に迫る。主人公の榎津を演ずるのが、緒形拳。倍賞美津子や小川真由美、そして根津の父親の三國連太郎が好演。
「光」の裏側にある「闇」、キリスト教ではどのように考えるのか。「悪人正機」にも及ぶところが・・・。
宮尾登美子原作映画3部作『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『櫂』をみてしまった。
宮尾登美子の自らの出自を描く『櫂』。その主演を勤める二人、緒形拳と十朱幸代には魅せられてしまった。おりしも、今日は文学部国文の学生さんたちの講義を遠隔でしたのだが、Zoom操作ができずウロウロ悲鳴をあげる学生さんに「なめたらあかんぜよ」との言葉が脳裏をよぎったところだった。
これは『鬼龍院花子の生涯』のなかで、夏目雅子が放った一言
宮尾登美子の自らの出自を描く『櫂』。その主演を勤める二人、緒形拳と十朱幸代には魅せられてしまった。おりしも、今日は文学部国文の学生さんたちの講義を遠隔でしたのだが、Zoom操作ができずウロウロ悲鳴をあげる学生さんに「なめたらあかんぜよ」との言葉が脳裏をよぎったところだった。
これは『鬼龍院花子の生涯』のなかで、夏目雅子が放った一言
新型コロナウィルスでの緊急事態宣言の下にあるいま、この映画が観たいのだが・・・。
ポリオと小児マヒ、そして、生ワクチンの輸入にいたる国家公務員の奮闘。
「われ一粒の麦なれど 」1964年公開、配給東宝、108分
松山善三のオリジナル・シナリオを松山善三が監督した社会ドラマ。
農政省(?)官吏坂田昌義は、ある日、異常に興奮し泣き叫ぶ女性からの電話を受けた。それは子供が小児麻痺にかかったことを主人にうったえる間違いの電話だった。それから数日、坂田はテレビで小児麻痺患者の惨状をとらえたニュースを見て、あのときの悲痛な電話の声が再び生々しく呼び返された。それからというもの、小児麻痺撲滅が坂田の念願となった。そんなある日、坂田の契約恋人でバーのホステス由美から、北海道で大量発生した小児麻痺患者の惨状を取材したアジアTVの報導員熊谷を紹介された。坂田は熊谷から小児麻痺の予防薬としてソ連のセービン博士がつくった生ワクチンがあることを聞き、早々ポリオの権威平岡教授のところへ、その安全性を確めにいった。しかし平岡教授にも、その安全性を絶対的に裏づける力はなかった。坂田は必死に小児麻痺に関するデーターを集めた。そうするうち、坂田は小児麻痺予防には生ワクチン以外にないと確信した。が、これを使用するには、その安全性を保障するための人体実験が必要だ。坂田は平岡教授や熊谷に協力をたのみ、人体実験に必要なデーター作成にのり出した。折も折小児麻痺は過速度的に蔓延し、世論が高まり、生体実験が行われることになった。しかし小児麻痺の義弟を持つ女医根本倫子は、安全性の保障できない薬をのませることはできないと拒絶した。が、「九十九人を助けるために、一人の犠牲はしかたがない--」という坂田の説得の前に倫子もおれた。人体実験は成功した。厚生大臣は大量の生ワクチンを輸入して、生ワク投与にふみきった。が、そのころ坂田は左遷され、由美とも別れ、一人東京を去っていくのだった。
ポリオと小児マヒ、そして、生ワクチンの輸入にいたる国家公務員の奮闘。
「われ一粒の麦なれど 」1964年公開、配給東宝、108分
松山善三のオリジナル・シナリオを松山善三が監督した社会ドラマ。
農政省(?)官吏坂田昌義は、ある日、異常に興奮し泣き叫ぶ女性からの電話を受けた。それは子供が小児麻痺にかかったことを主人にうったえる間違いの電話だった。それから数日、坂田はテレビで小児麻痺患者の惨状をとらえたニュースを見て、あのときの悲痛な電話の声が再び生々しく呼び返された。それからというもの、小児麻痺撲滅が坂田の念願となった。そんなある日、坂田の契約恋人でバーのホステス由美から、北海道で大量発生した小児麻痺患者の惨状を取材したアジアTVの報導員熊谷を紹介された。坂田は熊谷から小児麻痺の予防薬としてソ連のセービン博士がつくった生ワクチンがあることを聞き、早々ポリオの権威平岡教授のところへ、その安全性を確めにいった。しかし平岡教授にも、その安全性を絶対的に裏づける力はなかった。坂田は必死に小児麻痺に関するデーターを集めた。そうするうち、坂田は小児麻痺予防には生ワクチン以外にないと確信した。が、これを使用するには、その安全性を保障するための人体実験が必要だ。坂田は平岡教授や熊谷に協力をたのみ、人体実験に必要なデーター作成にのり出した。折も折小児麻痺は過速度的に蔓延し、世論が高まり、生体実験が行われることになった。しかし小児麻痺の義弟を持つ女医根本倫子は、安全性の保障できない薬をのませることはできないと拒絶した。が、「九十九人を助けるために、一人の犠牲はしかたがない--」という坂田の説得の前に倫子もおれた。人体実験は成功した。厚生大臣は大量の生ワクチンを輸入して、生ワク投与にふみきった。が、そのころ坂田は左遷され、由美とも別れ、一人東京を去っていくのだった。
どんどん、大時代的なものになっていく。いわゆる劇画化・・・大阪の再開発を舞台に、「時代劇」が展開される。もう、エンタメになっているので、このブログでは紹介しないことにする。
『新・極道の妻たち』(1991年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、 高嶋政宏
『新極道の妻たち 覚悟しいや』(1993年)※監督:山下耕作 岩下志麻、かたせ梨乃、草刈正雄
『新極道の妻たち 惚れたら地獄』(1994年)※監督:降旗康男 岩下志麻、山下真司、斉藤慶子、中条きよし
『極道の妻たち 赫い絆』(1995年)※監督:関本郁夫 岩下志麻、宅麻伸:ポスト関西国際空港開発の大阪夢洲(?)へのドリームランド開発計画にからむ堂本組
『極道の妻たち 危険な賭け』(1996年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、工藤静香他:バブル後
『極道の妻たち 決着(けじめ)』(1998年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、とよた真帆他:これは?
ついでに、『極妻 地獄の道づれ』(2001)、そして高島版『極妻』の最後(2008年)から8年後につくられた2013年に最後の『極道の妻(つま)たち Neo』。この2本をみてしまった。
「極道の妻たち」シリーズはもういいが、時代をさかのぼって、宮尾登美子の『鬼龍院花子の生涯』などを探ろうかと・・・。
『新・極道の妻たち』(1991年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、 高嶋政宏
『新極道の妻たち 覚悟しいや』(1993年)※監督:山下耕作 岩下志麻、かたせ梨乃、草刈正雄
『新極道の妻たち 惚れたら地獄』(1994年)※監督:降旗康男 岩下志麻、山下真司、斉藤慶子、中条きよし
『極道の妻たち 赫い絆』(1995年)※監督:関本郁夫 岩下志麻、宅麻伸:ポスト関西国際空港開発の大阪夢洲(?)へのドリームランド開発計画にからむ堂本組
『極道の妻たち 危険な賭け』(1996年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、工藤静香他:バブル後
『極道の妻たち 決着(けじめ)』(1998年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、とよた真帆他:これは?
ついでに、『極妻 地獄の道づれ』(2001)、そして高島版『極妻』の最後(2008年)から8年後につくられた2013年に最後の『極道の妻(つま)たち Neo』。この2本をみてしまった。
「極道の妻たち」シリーズはもういいが、時代をさかのぼって、宮尾登美子の『鬼龍院花子の生涯』などを探ろうかと・・・。
映画『肉体の門』からの継続で、戦後の日本社会について考えている。いわゆる「闇社会」の心理と論理である。
1987年から1988年頃、教育相談で関わったこととも関連しているのだが、この時期、よく「やくざ」関係の書物から学ぶことをせざるを得なかった。この映画の原作となった家田荘子『極道の妻たち』(文藝春秋、1986年)もその中にはいっていた。その他、お抱え弁護士の本とか、組の系譜や歴史とか、チンピラの心理と、親分・子分関係とか・・・。
そんなこともあって、『極道の妻たち』は見てみたいと思っていた映画だった。あけてみるとびっくり、かなりたくさんあるではないか。
そのはじめのシリーズ4作をざっと紹介しよう。
極道の妻たち(1986年)※監督:五社英雄 岩下志麻、かたせ梨乃、世良公則など
岩下演ずる粟津組組長の妻・環、かたせ梨乃演ずる真琴、二人は姉妹。結局、真琴は世良演ずる杉田の妻になって、対立。杉田のもとへ行くという真琴を環は止める。激しい喧嘩の後、「今日限り、わてらは姉妹でない」と環は妹を送りだした。杉田と真琴の久方ぶりの逢瀬の際中、杉田は刺殺され、そして粟津の保釈の日、環や組員が見守るなか、粟津も殺される。
極道の妻たちII(1987年)※監督:土橋亨 十朱幸代、かたせ梨乃、村上弘明他
背景は、関西国際空港の建設をめぐる土地のたちのき、島争いをめぐるやくざ間の争い。十朱幸代演ずる重宗組組長の妻・遊紀は資金集めで、村上弘明演ずるばくち打ちの木本燎二と、襲名披露で、いかさまばくちの大勝負をする。かたせ演ずる榎麻美と子どもとかたぎになって、よりをもどそうと帰っていくが、その場で殺される。賭場、ばくちうちといかさまばくちについてみてしまう。
極道の妻たち 三代目姐(1989年)※監督:降旗康男 三田佳子、萩原健一、かたせ梨乃他
関西坂西組・三代目組長が心臓発作で死に、その跡目相続の争い。三代目の妻の葉月(三田佳子)が、出所してきた赤松(萩原健一・ショー健)に指示し組長に札入れでなった寺田に対して「寺田との戦争に勝て!」と言い放つ。赤松は寺田の知恵袋を射殺して宣戦布告、アリバイ工作のために清美という女を利用するが、赤松と清美は寺田に射殺される。坂西の遺書を破り、坂西組を葉月が自らの肩に負うことを決心。かたせは、赤坂とのからみででてくる。
極道の妻たち 最後の戦い(1990年)※監督:山下耕作 岩下志麻、かたせ梨乃、石田ゆり子
中松組川越会本部の幹部連中の間に服役中の瀬上組々長・瀬上雅之の妻芙有(岩下志麻)の姿もあった。彼女は夫の服役中、気丈の強さで組織の運営を務めているのだ。そんな時、五年前の中松組の抗争で夫を失った伊勢夏見(かたせ梨乃)が大阪へやって来る。出会った芙有と夏見は固い友情で結ばれる。亡き夫の復讐に燃える夏見は、瀬上組を中松組と互角に張り合える組織へ拡大しようとする芙有に協力する。夏見は仇である中松組々長田所亮次を射めようとするが、逆に銃弾を浴び息絶えてしまう。夫の瀬上のあほさかげんに、愛想をつかし、芙有は組を去り、そして妹分の夏見の死に決着をつけるべく、芙有は田所を撃つ。
どうも、あほで根性なしがやくざの男、筋をとおしばくちを打つのは妻(「おんな」とよむ)という図式。これは、この映画がつくられた頃のことを思うと、うなずけないこともない。
1987年から1988年頃、教育相談で関わったこととも関連しているのだが、この時期、よく「やくざ」関係の書物から学ぶことをせざるを得なかった。この映画の原作となった家田荘子『極道の妻たち』(文藝春秋、1986年)もその中にはいっていた。その他、お抱え弁護士の本とか、組の系譜や歴史とか、チンピラの心理と、親分・子分関係とか・・・。
そんなこともあって、『極道の妻たち』は見てみたいと思っていた映画だった。あけてみるとびっくり、かなりたくさんあるではないか。
そのはじめのシリーズ4作をざっと紹介しよう。
極道の妻たち(1986年)※監督:五社英雄 岩下志麻、かたせ梨乃、世良公則など
岩下演ずる粟津組組長の妻・環、かたせ梨乃演ずる真琴、二人は姉妹。結局、真琴は世良演ずる杉田の妻になって、対立。杉田のもとへ行くという真琴を環は止める。激しい喧嘩の後、「今日限り、わてらは姉妹でない」と環は妹を送りだした。杉田と真琴の久方ぶりの逢瀬の際中、杉田は刺殺され、そして粟津の保釈の日、環や組員が見守るなか、粟津も殺される。
極道の妻たちII(1987年)※監督:土橋亨 十朱幸代、かたせ梨乃、村上弘明他
背景は、関西国際空港の建設をめぐる土地のたちのき、島争いをめぐるやくざ間の争い。十朱幸代演ずる重宗組組長の妻・遊紀は資金集めで、村上弘明演ずるばくち打ちの木本燎二と、襲名披露で、いかさまばくちの大勝負をする。かたせ演ずる榎麻美と子どもとかたぎになって、よりをもどそうと帰っていくが、その場で殺される。賭場、ばくちうちといかさまばくちについてみてしまう。
極道の妻たち 三代目姐(1989年)※監督:降旗康男 三田佳子、萩原健一、かたせ梨乃他
関西坂西組・三代目組長が心臓発作で死に、その跡目相続の争い。三代目の妻の葉月(三田佳子)が、出所してきた赤松(萩原健一・ショー健)に指示し組長に札入れでなった寺田に対して「寺田との戦争に勝て!」と言い放つ。赤松は寺田の知恵袋を射殺して宣戦布告、アリバイ工作のために清美という女を利用するが、赤松と清美は寺田に射殺される。坂西の遺書を破り、坂西組を葉月が自らの肩に負うことを決心。かたせは、赤坂とのからみででてくる。
極道の妻たち 最後の戦い(1990年)※監督:山下耕作 岩下志麻、かたせ梨乃、石田ゆり子
中松組川越会本部の幹部連中の間に服役中の瀬上組々長・瀬上雅之の妻芙有(岩下志麻)の姿もあった。彼女は夫の服役中、気丈の強さで組織の運営を務めているのだ。そんな時、五年前の中松組の抗争で夫を失った伊勢夏見(かたせ梨乃)が大阪へやって来る。出会った芙有と夏見は固い友情で結ばれる。亡き夫の復讐に燃える夏見は、瀬上組を中松組と互角に張り合える組織へ拡大しようとする芙有に協力する。夏見は仇である中松組々長田所亮次を射めようとするが、逆に銃弾を浴び息絶えてしまう。夫の瀬上のあほさかげんに、愛想をつかし、芙有は組を去り、そして妹分の夏見の死に決着をつけるべく、芙有は田所を撃つ。
どうも、あほで根性なしがやくざの男、筋をとおしばくちを打つのは妻(「おんな」とよむ)という図式。これは、この映画がつくられた頃のことを思うと、うなずけないこともない。
コロナの猛威で、こもっている。仕事もあるので、Wifiの環境の整備をして、関連の映画なども視聴している。
檀一雄『火宅の人』を原作にした緒形拳主演の『火宅の人』(1986年)には、「次郎」という日本脳炎によって重症心身障害をおうた子どもが登場する。そのことで、檀一雄の妻(いしだあゆみ)は、宗教に頼ったりする場面もある。重症心身障害児病棟(施設かな)に入所して、その後、なくなるという場面がある。基調は、文士檀一雄の不倫生活なのだが、中には、性的虐待をうけた女性(松坂慶子)も登場する。1986年深作欣二監督の作品だが、1975年に単行本化された小説は味わい深く、映画はなにか薄っぺらいように感じる。これはこれで、映画なので仕方がないのだろう。
歴史的には、『火宅の人』以前の物語になるが戦後初期の「パンパン」とよばれた女性達の物語が田村泰次郎『肉体の門』(1947年)。これを原作にして製作された同名の映画『肉体の門』(1988年)、、主演はかたせ梨乃。この中には、戦後占領下での社会、占領軍からの性的暴行、傷痍軍人の障害者なども登場する。戦後直後の暴力と混乱、やくざなどの広がりなども考えてしまう。
いずれのも、戦後小説が発表された後に製作され、それをリメークしたものである。これらの映画は、1980年代に製作公開されたのであるが、戦後40年の頃の1980年代になぜリメークされたのかも考えてみたいことである。
檀一雄『火宅の人』を原作にした緒形拳主演の『火宅の人』(1986年)には、「次郎」という日本脳炎によって重症心身障害をおうた子どもが登場する。そのことで、檀一雄の妻(いしだあゆみ)は、宗教に頼ったりする場面もある。重症心身障害児病棟(施設かな)に入所して、その後、なくなるという場面がある。基調は、文士檀一雄の不倫生活なのだが、中には、性的虐待をうけた女性(松坂慶子)も登場する。1986年深作欣二監督の作品だが、1975年に単行本化された小説は味わい深く、映画はなにか薄っぺらいように感じる。これはこれで、映画なので仕方がないのだろう。
歴史的には、『火宅の人』以前の物語になるが戦後初期の「パンパン」とよばれた女性達の物語が田村泰次郎『肉体の門』(1947年)。これを原作にして製作された同名の映画『肉体の門』(1988年)、、主演はかたせ梨乃。この中には、戦後占領下での社会、占領軍からの性的暴行、傷痍軍人の障害者なども登場する。戦後直後の暴力と混乱、やくざなどの広がりなども考えてしまう。
いずれのも、戦後小説が発表された後に製作され、それをリメークしたものである。これらの映画は、1980年代に製作公開されたのであるが、戦後40年の頃の1980年代になぜリメークされたのかも考えてみたいことである。
「未来につながる子ら」(木村荘十二監督、1962年、共同映画社)。斉藤喜博の島小学校校長時代をモデルにした劇映画。共同映画社と群馬県教職員組合が製作したもの。1962年に公開されたが、その前の2年間、現地調査やシナリオの検討が行われた。
音響(効果)を担当したのが大野松雄さん。島小学校の分校などの現地に行って音を録音することなどを行った。利根川を渡の船で渡っていった記憶があり、斉藤喜博ともあったという。卒業式の場面では一人一人が手をあげてこたえる様子が映されている。チラシには、スタッフの中で音響として大野の名前があがっている。
ストーリー
北関東の山深い寒村、山の中腹には小さくひしゃげた小学校が見える。ここでは、今や卒業式の最中だ。心をこめて一人一人に卒業証書を手渡す校長先生。この学校は小さいが、皆の心が通い合い用務員の小父さんさえも職員会議に仲間入りするような解放的な雰囲気だ。「子供たちを理解せよ」をモットーに校長先生は生徒の生活の中に入りこみ、教室ですごす方が多かった。この学校へ隆一が大阪から転校して来た。隆一は父が死んだため、母親といっしょに伯父の家へひきとられたのだ。隆一にとっては、ここの仲間たちがどうしても理解出来なかった。彼等は何事においても天真らんまんすぎるのだ。同じ悩みは、町から転勤して来たばかりの正木先生にもあった。彼の従来のやり方では生徒たちが動かない。校長先生は彼の授業をはずみがないと批判した。そんなある日、父兄の授業参観日がやって来た。父兄の前で間違った隆一をつかまえ、岩崎先生は隆一君式間違いにしましょう、と言った。間違うのは決して恥かしくないという学校の方針からだ。ところが、隆一の伯父は面白くなかった。その日から伯父は参考書を買いこみ、隆一に勉強をおしつけるのだった。一人では手にあまる勉強をかかえ込んで困った隆一は、隣の席の英子に手助けを頼んだ。だが自分のことは自分でとすげなく断られ、隆一は逆上してとび出したまま夜になっても帰らなかった。やがて淋しくなった隆一が姿を現したのは岩崎先生のところだった。翌日、ホームルームでは隆一の事件がとりあげられた。隆一の伯父のやり方は批判され、皆にはじめて理解された隆一の顔も明るかった。正木先生もやがてしみじみと子供たちの良さを理解するのだった。
スタッフ
監督 木村荘十二
製作 坂斎小一郎 、 高林公毅 、 森谷玄
脚本 木村荘十二 、 山形雄策 、 西村勝巳 、 大内田圭彌
撮影 黒沢浩
音楽 長沢勝俊
美術 小川広
編集 岸富美子
録音 大野松雄
スチル 男沢浩
照明 上村栄喜
配役・キャスト
新島校長 西島悌四郎
浅川教務主任 日恵野晃
岩崎先生 木村俊恵
平山先生 武内亨
正木先生 島田屯
田村先生 中野誠也
川上先生 中野卯女
水谷先生 相生千恵子
栗木欽造 浜田寅彦
栗田タキ 川上夏代
イネ 桜井良子
PTAの母親 米丸幸見
PTAの母親 野田阿古
PTAの母親 安藤タキ子
PTAの母親 中谷文子
PTAの母親 豊島八重子
PTAの母親 細田陽子
東宝児童劇団
劇団あすなろ
劇団ひまわり
音響(効果)を担当したのが大野松雄さん。島小学校の分校などの現地に行って音を録音することなどを行った。利根川を渡の船で渡っていった記憶があり、斉藤喜博ともあったという。卒業式の場面では一人一人が手をあげてこたえる様子が映されている。チラシには、スタッフの中で音響として大野の名前があがっている。
ストーリー
北関東の山深い寒村、山の中腹には小さくひしゃげた小学校が見える。ここでは、今や卒業式の最中だ。心をこめて一人一人に卒業証書を手渡す校長先生。この学校は小さいが、皆の心が通い合い用務員の小父さんさえも職員会議に仲間入りするような解放的な雰囲気だ。「子供たちを理解せよ」をモットーに校長先生は生徒の生活の中に入りこみ、教室ですごす方が多かった。この学校へ隆一が大阪から転校して来た。隆一は父が死んだため、母親といっしょに伯父の家へひきとられたのだ。隆一にとっては、ここの仲間たちがどうしても理解出来なかった。彼等は何事においても天真らんまんすぎるのだ。同じ悩みは、町から転勤して来たばかりの正木先生にもあった。彼の従来のやり方では生徒たちが動かない。校長先生は彼の授業をはずみがないと批判した。そんなある日、父兄の授業参観日がやって来た。父兄の前で間違った隆一をつかまえ、岩崎先生は隆一君式間違いにしましょう、と言った。間違うのは決して恥かしくないという学校の方針からだ。ところが、隆一の伯父は面白くなかった。その日から伯父は参考書を買いこみ、隆一に勉強をおしつけるのだった。一人では手にあまる勉強をかかえ込んで困った隆一は、隣の席の英子に手助けを頼んだ。だが自分のことは自分でとすげなく断られ、隆一は逆上してとび出したまま夜になっても帰らなかった。やがて淋しくなった隆一が姿を現したのは岩崎先生のところだった。翌日、ホームルームでは隆一の事件がとりあげられた。隆一の伯父のやり方は批判され、皆にはじめて理解された隆一の顔も明るかった。正木先生もやがてしみじみと子供たちの良さを理解するのだった。
スタッフ
監督 木村荘十二
製作 坂斎小一郎 、 高林公毅 、 森谷玄
脚本 木村荘十二 、 山形雄策 、 西村勝巳 、 大内田圭彌
撮影 黒沢浩
音楽 長沢勝俊
美術 小川広
編集 岸富美子
録音 大野松雄
スチル 男沢浩
照明 上村栄喜
配役・キャスト
新島校長 西島悌四郎
浅川教務主任 日恵野晃
岩崎先生 木村俊恵
平山先生 武内亨
正木先生 島田屯
田村先生 中野誠也
川上先生 中野卯女
水谷先生 相生千恵子
栗木欽造 浜田寅彦
栗田タキ 川上夏代
イネ 桜井良子
PTAの母親 米丸幸見
PTAの母親 野田阿古
PTAの母親 安藤タキ子
PTAの母親 中谷文子
PTAの母親 豊島八重子
PTAの母親 細田陽子
東宝児童劇団
劇団あすなろ
劇団ひまわり
「ゆうやけ子どもクラブ」をみた。
「ゆうやけ」という名前がいい!
京都シネマで、1週間しか上映されず、おまけにこのコロナ騒ぎで監督の舞台挨拶もなくなったのが残念。
1978年、いまから40年以上前につくられた障害のある子どもの学童保育。村岡さんが代表である。ときどき、すっとぼけた顔をして出てくる。頭がうすくなっていて、いろんなことがあっても、いいようにいったら動じないのであるが、ヌボーっとしてのれんに腕押しというところがいい。子どもに受けるのであろう。このような人の存在が大事かなとおもう。
いろんな子どもが出てくる。
だから、舞台挨拶やすこしコメントがあれば、もっと理解が深まるだろう。そんな語りをしながら、再度、学生さん達と見てみたい。
「ゆうやけ」という名前がいい!
京都シネマで、1週間しか上映されず、おまけにこのコロナ騒ぎで監督の舞台挨拶もなくなったのが残念。
1978年、いまから40年以上前につくられた障害のある子どもの学童保育。村岡さんが代表である。ときどき、すっとぼけた顔をして出てくる。頭がうすくなっていて、いろんなことがあっても、いいようにいったら動じないのであるが、ヌボーっとしてのれんに腕押しというところがいい。子どもに受けるのであろう。このような人の存在が大事かなとおもう。
いろんな子どもが出てくる。
だから、舞台挨拶やすこしコメントがあれば、もっと理解が深まるだろう。そんな語りをしながら、再度、学生さん達と見てみたい。
プリズン・サークルをみた。日本の刑務所での取り組み(島根あさひ社会復帰促進センター)。その中で、回復のプログラムを描く。
それぞれの人たちが自分は何故ここにいるのかを語り、そして自分自身に向き合う。
それぞれの人たちが自分は何故ここにいるのかを語り、そして自分自身に向き合う。
白鳥正夫『幻の創作ノート「太陽はのぼるか」 新藤兼人、未完映画の精神』を読んだ。ずいぶん前にかっていたもの、最近手に取り、新藤兼人の世界に引き込まれた。著者の白鳥は、朝日新聞の記者。戦後、50年企画の時に、新藤に広島の映画を作ることを提案。しかし、それは結局は実現されなかったのだが。
新藤の脚本、文章はすごい。脚本の言葉というのはこういうズバッと絵を押し出す文章なのだとおもう。だらだらしていない、切れるような文章で、そして絵を想像させる。新藤の本を系統的に読んでみたい。と、同時に、戦後、映画人がこだわった広島の映画を総合的に検討してみたい。
『裸の島』の乙羽信子が演じたのが「トヨ」
白鳥の表題の付け方はちょっと冗長
プロローグ 過去の史実を忘れない「想像力」
第一章 戦争を許さず、人間愛の映画魂
1.最後の映画『一枚のハガキ』から
2.道の出会いを目指し、シナリオ人生
3.監督と女優、見事な映画・愛
5.原爆映画に託したメッセージ
第二章 50本目の幻の映画「太陽はのぼるか」
1.ついえた戦後50年映画製作の夢
2.原爆映画製作に向けての思案
3.未発表「太陽はのぼるか」製作ノート
4.ピカドンは語り継がれなければ
5.映画監督と画家に通底する憤り
6.終演の映画「ヒロシマ」への遺志
第三章 生きているかぎり 生きぬきたい
1.ガリ版で綴る新藤監督に贈る言葉
2.北斎と荷風、性をテーマに娯楽作
3.乙羽信子の遺作『午後の遺言状』
4.老人とは何か。「老い」と向き合う
5.仕事が支える「老い」の尊厳
あとがき
新藤兼人の監督作品リスト
新藤の脚本、文章はすごい。脚本の言葉というのはこういうズバッと絵を押し出す文章なのだとおもう。だらだらしていない、切れるような文章で、そして絵を想像させる。新藤の本を系統的に読んでみたい。と、同時に、戦後、映画人がこだわった広島の映画を総合的に検討してみたい。
『裸の島』の乙羽信子が演じたのが「トヨ」
白鳥の表題の付け方はちょっと冗長
プロローグ 過去の史実を忘れない「想像力」
第一章 戦争を許さず、人間愛の映画魂
1.最後の映画『一枚のハガキ』から
2.道の出会いを目指し、シナリオ人生
3.監督と女優、見事な映画・愛
5.原爆映画に託したメッセージ
第二章 50本目の幻の映画「太陽はのぼるか」
1.ついえた戦後50年映画製作の夢
2.原爆映画製作に向けての思案
3.未発表「太陽はのぼるか」製作ノート
4.ピカドンは語り継がれなければ
5.映画監督と画家に通底する憤り
6.終演の映画「ヒロシマ」への遺志
第三章 生きているかぎり 生きぬきたい
1.ガリ版で綴る新藤監督に贈る言葉
2.北斎と荷風、性をテーマに娯楽作
3.乙羽信子の遺作『午後の遺言状』
4.老人とは何か。「老い」と向き合う
5.仕事が支える「老い」の尊厳
あとがき
新藤兼人の監督作品リスト
京都シネマでエッシャーを観た。不思議な絵の世界。反転して別の姿が出てくる。図と地の関係、永遠・・・。
イタリアにいたときに、ムッソリーニのファシズムが吹き荒れ。そこからスイスへ。そして、ナチスの政権下で圧迫を嫌い、そして、オランダでの生活をして。旅行の中で、いろいろな図形から触発され、そのなかに動物や人を描いていく。
不思議な世界。芸術と数学の世界を行き交う。
イタリアにいたときに、ムッソリーニのファシズムが吹き荒れ。そこからスイスへ。そして、ナチスの政権下で圧迫を嫌い、そして、オランダでの生活をして。旅行の中で、いろいろな図形から触発され、そのなかに動物や人を描いていく。
不思議な世界。芸術と数学の世界を行き交う。
Independent LIVINGを見てきた。大阪の自立生活センターのドキュメンタリー。2月の集中は自立生活の映画をみてみようか?
「男はつらいよ」の第1回の公開から50年になった。それでつくられたのが「男はつらいよ50 お帰り寅さん」。
正月やすみ、京都の八瀬学園にいた知的障害のある戦争孤児たちのことを書いていた。一応のくぎりがついたので、観に行った。帰っていく親や家庭がない孤児や浮浪児たちのエピソードと重なって、おもしろいけれども、「今日も涙の、今日も涙の日が落ちる、日が落ちる・・・」の歌が目にしみた。一日おいて、スーパーで思わず、買ってしまった。
正月やすみ、京都の八瀬学園にいた知的障害のある戦争孤児たちのことを書いていた。一応のくぎりがついたので、観に行った。帰っていく親や家庭がない孤児や浮浪児たちのエピソードと重なって、おもしろいけれども、「今日も涙の、今日も涙の日が落ちる、日が落ちる・・・」の歌が目にしみた。一日おいて、スーパーで思わず、買ってしまった。