以前のものも良かったが、よりスケールが大きくなっているようにおもう(アメリカナイズされている?)
以前のものも良かったが、よりスケールが大きくなっているようにおもう(アメリカナイズされている?)
京都シネマで『えんとこの歌』をみた。17日には、伊勢監督の舞台挨拶があったが、それには先約がありいけなかった。おくればせながら観た。NHKでも伊勢監督のもとでつくられたドキュメンタリーが放送されていたので、その際、『苦海いかでか渡らん』という、遠藤さんの教師時代の記録を読んでみていた。また、光明関係の映像の作業をしていたこともあり、遠藤さんの指導教員をしていたひとのコメントも間接的にいただいた。
教師だったころはやはり、精神的にも張っていたのではないかとおもう。「ねたきり」を選択してよかった、他者にゆだねることを己に課すのはなかなかむつかしいことではなかろうかとおもうが、その決意が分岐点になるのかもしれない。
ドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館」をみた。3時間余の長い映画だった。英語のリスニングの勉強になったが、それはそれとして、後半から『夢みる帝国図書館』との対比で、ニューヨーク公共図書館のあり方を考えていた。この点は、いつか書きたい。
伊勢真一監督の新作映画『えんとこの歌 ねたきり歌人・遠藤滋』完成 京都新聞 2019年6月14日づけ
木曜日。夕方から大学院生達と映画をみている。今週は、「シンプルシモン」。あらすじは以下のようなもの(公式ホームページから)。
物理とSFが大好きなシモンは、気に入らないことがあると自分だけの“ロケット”にこもり、想像の宇宙へ飛び立ってしまう。そんなシモンを理解してくれるのは、お兄ちゃんのサムだけ。でも、シモンのせいでサムは恋人に振られてしまう。彼女がいなくなって、落ち込むサム。そのせいで自分のペースを乱されるシモン。サムに「完璧な恋人」さえいれば、生活が元通りになると考えたシモンは、サムにぴったりな相手を探し始める。そして、偶然出逢った天真爛漫なイェニファーに狙いを定め、ある計画を実行に移すが・・・。
シモンはアスペルガー障害なのだが、「アスペルガー障害」のバッチをつけている。このホームページには、「アスペルガー症候群」についても説明がある。
全体は、スウェーデンの映画なのでスウェーデン語がつかわれているが、シモンがロケットにこもったとき、兄との交信は「英語」がつかわれる。そのとき兄のサムから呼びかけられるシモンの発音は「サイモン」。英語読みがサイモン、スウェーデン語がシモン。このシンプルサイモン(シモン)の起源は、マザーグースの歌にあるとのこと。
夜間大学院の講義で、「レインマン」をみた。1988年、舞台はアメリカ、自閉症の兄役がダスティンホフマン、弟役がトムクルーズ。自閉症を世に押し上げた映画である。
この前の年、1987年、DSM-III-Rが出されていたので、その自閉症の規定との関係も見てみる必要がある。映画の中で、精神科医達は、レイモンドの特徴を「high functioning」といっており、サバン症候群の特徴を指摘していた。
この映画、自閉症を押し出したが、その「同一性保持」の特徴という変化なさ、あるいはその極微さとともに、トムクルーズ演ずる弟の心情の変化が印象深く描かれる。きょうだいという視点で、自閉症映画をたどってみることも興味深い。
あわせて、レインマン、メインマン、レイモンドなど、英語の発音・音韻、韻を踏むところなども面白い。同時に、映画の表象や表現の時代性、あわせて日本語「字幕」の時代性なども検討することも有意義なものがあるのではないかと思った。
シニアの人たちと、ダライ・ラマ14世の映画をみた。もともとは、日本ドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」の映画を見る予定だったようだ。ダライ・ラマが生まれて、14世として発見され、成長してゆく、中国との摩擦の中で非暴力を貫く姿と、最終的には中国が侵攻したチベットからインドへ亡命するまでを描いたものだった。仏教の「輪廻転生」と「無」についてふと考えた。