午前中、小学校の全校集会にいって、子どもたちの劇をみる。とてもよかった。呼んでくれてありがとう。午後、手帳を見失って、なにかあるかとおもうが分からなかった。研究生と院生がくる。研究についての姿勢について考える。ようするに「生き方」の問題。
このごろ「形成」という言葉を考えている。
教育の責任を考えると共に…主体としての形成の側面を捉え、それを追求することが、今日とても大事になっているような気がしている。
例えば、内面の空疎さが、外在的な枠組みに適応したり、それに寄りかかろうとする傾向を生む。空疎な私だからこそ、その場のご褒美、資格、権威を求めるのだろう。そして、その外在的な価値を他者に押しつける。それが、「管理教育」を再生産することになる。
「自分探し」ということばがあるが、どこかにその「自分」があるかのように勘違いしていることもある。「居場所」ということばもあるが、それを探してどこかにいってしまうこともある。
内面の形成、人格の形成、人間形成といったことばは、もともとはカント哲学からきたものであるが、再度、この系譜をたどってみると、糸賀一雄なども位置づく、森昭の「人間形成原論」なども再度検討してみたい。その一方で、「発達」概念との関係も視野に入れないといけない…。
このごろ「形成」という言葉を考えている。
教育の責任を考えると共に…主体としての形成の側面を捉え、それを追求することが、今日とても大事になっているような気がしている。
例えば、内面の空疎さが、外在的な枠組みに適応したり、それに寄りかかろうとする傾向を生む。空疎な私だからこそ、その場のご褒美、資格、権威を求めるのだろう。そして、その外在的な価値を他者に押しつける。それが、「管理教育」を再生産することになる。
「自分探し」ということばがあるが、どこかにその「自分」があるかのように勘違いしていることもある。「居場所」ということばもあるが、それを探してどこかにいってしまうこともある。
内面の形成、人格の形成、人間形成といったことばは、もともとはカント哲学からきたものであるが、再度、この系譜をたどってみると、糸賀一雄なども位置づく、森昭の「人間形成原論」なども再度検討してみたい。その一方で、「発達」概念との関係も視野に入れないといけない…。