ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

霧の団六『あほやけど、ノリオ』(中央法規、2004年)

2011年09月18日 22時10分40秒 | 
霧の団六『あほやけど、ノリオ』(中央法規、2004年)を読んだ。
著者は、1958年生まれで、神戸大学教育学部に在籍した落語家。2歳上の兄が、ダウン症。兄のノリオは、1956年生まれで、同年生まれ。
同じ時代を生きてきたともいえるが、同時代史ということかもしれない。
ノリオの就学をめぐって、次のような文章があった。
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幼稚園に行かない子はたくさんいたので、ノリオもそのうちの一人、で、すんでいた。
問題は小学校である。義務教育である。ここで間違ってはいけないのは、国がすべての子どもに、ぐむ、として、教育を受けさせる、のではなく、もし、そうなれば、私立小学校の教育内容に制限が加えられる可能性がある。だから、のではなく、国民がすべての、自分の子どもに責任をもって、義務、として、教育を受けさせなさい、と、いうことなのである。
親は小学校に面接に行った。
「無理ですね」
居住区内にある、特殊学級、養護学校。
「家で大事にしてあげてください」「もう、しとるがな」
遠いところにある、幼児の通園施設。
「心臓が悪い子は預かれない、何かあったら困るから」
これでは、国民の義務を果たせない。
どないせいっちゅうねん、と、区役所へ行くと、「就学猶予願い」を出すように勧められた。
「別に、願うてへんがな、何でやねん」
と、情けなく、忸怩たる思いで、願ってもない、「願い」を書かされた。
これで、教育委員会としては、拒否したわけではなく、向こうから願ってきたのだから、と、大義名分も立つ。
やがて、就学猶予の通知が来た。あんたは、大変だから、家でゆっくり養生してください、と、いうようなことが書いてあるらしい。
母は、感じのyめないわたしに、「あほは学校にくるな、やて」とわかりやすく教えてくれた。

いろいろな経過で、このノリオ君。三田谷治療教育院内に設置されていた私立小学校(「翠が丘小学校」だったか???)に、2年遅れで学校に行けることになった。その後、6年の時に、神戸に市立の養護学校ができて、そこにいくことになった。
三田谷治療教育院には、大学院生の時に、史料の整理にいったことがあったので、そのときの記憶がよみがえってきた。

しかし、阪神大震災を経て、50も過ぎるころからのノリオの姿はいろいろ考えさせられる。

目次
はじめに
第1章 兄貴はダウン症
第2章 兄弟は「こんなもんだ」と思う
第3章 落語家への道
第4章 兄貴との「普通の関係」
第5章 こんなやつ、おってもええ
おわりに