ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

安田一郎『ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』青土社、2020年

2020年07月04日 21時59分43秒 | 
いろいろあっての安田徳太郎。学生時代から探ってみたい人だった。医者だが、山本宣治とは親戚関係。京都大学医学部で無産診療所運動と関わる。何度も検挙されながらも、小林多喜二の拷問死体を検分し、ゾルゲ事件で有罪判決を受けた。エロスの芸術を論じたり、また、フロイトの紹介者でもあった。
安田一郎『ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』をよんでいる。実は、著者の安田一郎は安田徳太郎の息子、その原稿を受け継いだのが編者安田宏であり、一郎の息子という。これは三代の安田家のはじまりの話でもある。
それをよんでいるのだが、あまりまとまって読ませると言う本ではないので、少々難渋している。ところどころに面白いことが書いてあるので、備忘録としてつけておく。

p.84-85 明治天皇崩御
京都府立第二中学校時代の安田徳太郎の日記
「9月26日(木)夕方六時より月見の宴会。昨年のような豆餅に月がこうこうと照らし、その光でスキヤキと昔の野営のことも思い出される。終わりに、校長は無礼なる谷本博士は、おまえたちがなぐっても、殺しても、我が輩は退学させないと。なぐれ」。これは、京都帝大の谷本という教授博士が、乃木将軍の殉死は売名行為だと論表したことにたいして、京都府立二中の校長が憤慨して、「殺してしまえ」とか「殴りに行け」と月見の宴のときに、生徒を先導したことを指す。日記のその先をみても、この件については、何も書いていないので、殺しに行ったり、殴りに行ったりした生徒はいなかったようである。云々」

これは、京都帝国大学文学部の教育学の初代教授・谷本富のことである。この谷本、京都帝国大学の総長に沢柳がくると、なっとらんということで、「罷免」されてしまう。これは、京都大学の教育学の「悲劇(喜劇)」のはじまり、これは沢柳事件として有名だが。

ずっとあと、安田徳太郎は、山下徳治(成城で教壇にたちつつ、プロレタリア教育運動を担う)が京大をやめたときに、東京にくるように誘ったとある(山下の京都時代?ではあるが)。