フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

Beijing 2008 の話をしよう

2008-08-16 20:59:54 | Weblog
あんまり見ていないので詳しくは分からないが、僕らのときは北京はPekingと表記してたのにいつからBeijingと柔らかい表現になったのかしら?世の中進んでいるんだね。先ずは、開会式。もうこんな演出見飽きているんだよね。one world one dream だったっけテーマが?まさに、オリンピックビジネスのone world だったね。オリジナリティも目新しさも感じなかった。アテネのときは、まだ人間らしさや歴史の重みを感じたんだけど、ドハデな演出は終ってみれば、やたら人間が多かったという印象。この国の人の命の値段は安いはずだと思った。ある識者は、ナチス時代のベルリンのオリンピックに似ていると言っていた。全体主義で統率するにはこの方法がベターなのか。漢民族主体だから四川省の地震の犠牲者への黙祷も無かったね。たとへ1分でも世界中が集まってるところでコキンちゃん主導で黙祷して見せてもらいたかったな。チベット系が多かったのか、命の値段が安かったのかスケジュールを曲げるのが嫌だったのか、でも、そりゃないだろう。クーベルタンは、そもそも、オリンピックは平和の式典にしようと古代アテネのオリンポスの競技大会にヒントを得て画策したんだ。オリンポスの競技大会には、昨日まで戦争をしてたものが、この日には武器を捨て競技に出てくるという故事をもってオリンピックを開催したんだ。だから、参加することに意義がある。今日は、オリンピックビジネスが横行しその意義は絵に書いた餅のようになった。オリンピック開会に合わせるかのようにグルジアで戦争が始まったし、オリンピック精神を尊ぶのならあってはならないことだよね。それでも、日本選手団が、個としてオリンピックを楽しみ、精一杯やってくれてるのを見ると、競技大会だな実感する。日本の新聞は、いつまでたっても大日本本営発表だから真実が伝わらないけど、外国のメディアは、結構シビアに見てるよ。勝っても負けても、僕らは、日本選手団を応援し平和に参加しているという原点を取り戻そう。「加油! 日本」
コメント
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