昨日の夜のうちに無花果のコンフィチュールを作って朝までそのままにして熱をとって、朝冷蔵庫に入れた。それを、そのまま忘れて、夕方、料理してたら、思い出したけどもう別メニューで作り出したから、明日にした。今日のメニューは、冷麺とステーキ。肉は、買ったままこれも忘れてたぶんの始末で作らねばならなかったものだが、冷麺は、昨日作ったけどパンプが昨日は夕食を食べずに寝てしまったから再登場となったもの。「杵うち生麺」といって小麦粉にそば粉が入っていて黄色い麺ではなくベージュ色の麺だけどこいつが、上手いんだ。ゆでるのは意外と早く30秒から1分。冷水で洗って、器に盛り、茄子、冬瓜、茗荷、生姜、トマト、ベビーリーフを乗っけた上から追い鰹だしと柚子ポンで作ったスープをかけてそれに有機栽培のレモン汁を加えて、ごま油を少々垂らせば出来上がりです。バナナホームで「味見係」を仰せつかるパンプですから味覚はボケていませんから食べたら美味しいと合格なんですが、ハムも金糸卵もさくらんぼもありませんから、食べてくれるかなと思いながら出したら、ステーキそっちのけで冷麺をあっという間に平らげました。美味しいものは、やっぱり分かるんだと改めて感心。パンプに食事をさせながら、ランディとマルディに餌をやって家の中に入ってくると、家にモーニングと、ディナーにやってくる、今や、外猫と化した「オランジュ」が階段にいた。「オランジュ、さっきご飯あげたでしょう?」というと、「ミャ-ォミャ-」と話かけてきた。初めてオランジュの声を聞いた。オスだからあまり鳴かないのかなと思っていたけど遠慮してたのかな。それから二人で2階へ行ってオランジュはわきまえてるかのようにベランダに出て転がった。猫も慣れてくるとお話してくれるんだね。寡黙で、ハードボイルドなイメージがあったオランジュだけに話し掛けられてうれしかった。
エスプレッソ珈琲をソフトクリームの上からかけて食べる。un cafe avec glaceというのかエスプレッソソフトクリームとカタカナで書いてあったけどC'est parfait!おいしい。珈琲の苦味とソフトクリームのバランスがこの店は上手いんだ。同じものでも、店によっては全然まずいものに仕上がることもあるからやはりここのグラシエのセンスというか味へのこだわりなんだろう。ソフトクリームを食べ終わってエスプレッソを飲むとき、まだ、エスプレッソじゃなきゃならないんだけど、ここのはしっかりとエスプレッソだった。フランスで10年修行してきた人が開いた店で大都会でなく、チェーン店でなくこの田舎町で、フランスの雰囲気が楽しめるなんてbon heureux !
知らなかったけど、アイスクリームって太らないんだって。そう聞くと、毎日でもここに来たくなった。ジャンギャバンなんかがここで座ってアイスクリームを舐めてる姿を想像したら楽しくてしょうがなかった。
帰りには、自然食品の店によって1000年以上も続いている製法で作ったという「アレッポの石鹸」を買って帰った。オリーブの香りが心地よかった。
知らなかったけど、アイスクリームって太らないんだって。そう聞くと、毎日でもここに来たくなった。ジャンギャバンなんかがここで座ってアイスクリームを舐めてる姿を想像したら楽しくてしょうがなかった。
帰りには、自然食品の店によって1000年以上も続いている製法で作ったという「アレッポの石鹸」を買って帰った。オリーブの香りが心地よかった。
リタイアなのか、マルディとランディを連れて散歩してたら、向こうから、クロスに乗って
長身の男がやってくる。傍へ来て見たらラディンだった。公務員をしていて、IVY ルックで高校の時から体形かわらず、公務員らしくない公務員だけど、その彼が、「来年で辞める。もう仕事ようせん」と言ってきた。早期退職というのかな?定年まで数年残してさっさと辞めて、自分がしたいことをする。大なり小なり僕らの世代の考え方だ。辞めてどうする?とか聞かなかったけどIVYルックでこの先も生きていくのでしょう。そうか、自分達もリタイアの時間が迫ってるのか?いつまでも若い気分だけではやっていけないんだ。人生のケジメってものが否応なしにくるんだから。団塊の世代もそうだろうけど、ぼくらは、既存のリタイア組みとまずファッションが違うから仕事を辞めてもうるさく凝るだろう。そして、そこから、ライフスタイルが生まれて人数が多いから、新しい年寄りの価値観が生まれていくだろう。リタイアでなくリスタート。そのためにもまだ体力があるうちにとラディンは考えたのではないだろうか。そういうフウに考えるとこれからもまだ面白いことが起こりそうな気がするね。僕らの世代は、ボーダーレスじゃなく、ルーズでもないけれど、頭は、柔らかいからね。新しいシニアライフを作れそうだよね。
長身の男がやってくる。傍へ来て見たらラディンだった。公務員をしていて、IVY ルックで高校の時から体形かわらず、公務員らしくない公務員だけど、その彼が、「来年で辞める。もう仕事ようせん」と言ってきた。早期退職というのかな?定年まで数年残してさっさと辞めて、自分がしたいことをする。大なり小なり僕らの世代の考え方だ。辞めてどうする?とか聞かなかったけどIVYルックでこの先も生きていくのでしょう。そうか、自分達もリタイアの時間が迫ってるのか?いつまでも若い気分だけではやっていけないんだ。人生のケジメってものが否応なしにくるんだから。団塊の世代もそうだろうけど、ぼくらは、既存のリタイア組みとまずファッションが違うから仕事を辞めてもうるさく凝るだろう。そして、そこから、ライフスタイルが生まれて人数が多いから、新しい年寄りの価値観が生まれていくだろう。リタイアでなくリスタート。そのためにもまだ体力があるうちにとラディンは考えたのではないだろうか。そういうフウに考えるとこれからもまだ面白いことが起こりそうな気がするね。僕らの世代は、ボーダーレスじゃなく、ルーズでもないけれど、頭は、柔らかいからね。新しいシニアライフを作れそうだよね。
昨日パンプが転倒したのが縁があったのか今日は、高原で天道虫に出会った。天道虫見るのは久しぶりだったので写真をとった。高原はとっても涼しい。高原にある牧場で牛乳とアイスクリームを食べた。牛乳は濃くアイスクリームは手作り、とってもおいしい。ここでしか食べられないんだ。もちろん、食品衛生法の関係で持って帰ることもできないんだ。だから、夏には、一度はここに来る。そして、プルーテルが風になって飛んでいるからその風に合うためにも。プルーテルが亡くなって3年目かな?人は、死んでも生きているんだよね。高原でプルーテルの在りし日を思うとどこからとなく新しい風が吹いてきて「あっ、プルーテルや」と風が通っていった方向を眺めてる自分がいて、その時間に胸に去来するものと話している。話しているといえば、モンクが、朝早くからメールをよこして「ジャマイカが勝った。女子の100mは1,2,3位を独占だよ」と興奮して叫んでいた。僕は、ネイティブじゃないのにパトワ語で書いているから80%は分からなかった。想像しながら読むしかなかった。パトワというのは、ジャマイカの方言だ。よっぽどうれしかったのだろう、だから、方言で話したかったのだろう。だから、夜になって、自分もパトワ語で返事を書いてあげた。調べるの苦労した。調べたことによると私達は小さな国だけど、大きく感じる。神の祝福がまだまだ続くかもしれない 私達は素晴らしいという風に書いていた。ナンだか、どこかの国の大統領の演説のように感じた。頭にローレルの冠、胸に天道虫のブローチ着けてさ。結構受けるんじゃないかな。
百合の花が咲き誇っている。百合の花って何故か惹かれると思いませんか。バナナフィッシュみたいに。サリンジャー育ちだからかな?そういえば、花言葉は「純潔」とかいうのではなかったでしょうか?「純」には僕らは、弱いのですよ。純粋な魂を至極としているのですから。「純」なまま、社会を渡ろうとしたのが僕らの世代ではなかっただろうか?そんな気がします。そして、不純を嫌悪するのも特徴ですね。結構出鱈目に生きているんですけどね。物事の決断に迫られたとき「純」で考え、損得抜きの行動をとるのも傾向がありますね。シーモア、ゾーイ、フラニ-後誰だっけ、極めつけは、ホールデンかななんて考えながら、百合を見て帰ってみるとパンプが一人でシャワーを浴びてた。いつもはマーチンが見張りをしてくれてるんだけど。見てみるとポルトガルの洗濯女よろしくバスタオルを洗面器につけて足で踏んで洗濯してた。あんまり楽しそうなものだからそっとして台所に行ったとたんドタンバタンと音がしてパンプが転んだ。さぁ大変と風呂場に入ると「おう!痛い!」とパンプが蹲っている。頭から血を流しながら。「まいったなぁ」とマーチンを呼んで応急処置をしてもらい様子を見ることに、まるで、12ラウンドをフルに戦ったボクサーのように顔や体は痣だらけ頭には、たんこぶ。ご丁寧に血まで流れているという様相だったけど骨は折れてなく意識ははっきりしている。こいつは、不死身だ!とつくづく思った。そう言えば、百合の花には、「復活」という意味もあるんだよね。
あんまり見ていないので詳しくは分からないが、僕らのときは北京はPekingと表記してたのにいつからBeijingと柔らかい表現になったのかしら?世の中進んでいるんだね。先ずは、開会式。もうこんな演出見飽きているんだよね。one world one dream だったっけテーマが?まさに、オリンピックビジネスのone world だったね。オリジナリティも目新しさも感じなかった。アテネのときは、まだ人間らしさや歴史の重みを感じたんだけど、ドハデな演出は終ってみれば、やたら人間が多かったという印象。この国の人の命の値段は安いはずだと思った。ある識者は、ナチス時代のベルリンのオリンピックに似ていると言っていた。全体主義で統率するにはこの方法がベターなのか。漢民族主体だから四川省の地震の犠牲者への黙祷も無かったね。たとへ1分でも世界中が集まってるところでコキンちゃん主導で黙祷して見せてもらいたかったな。チベット系が多かったのか、命の値段が安かったのかスケジュールを曲げるのが嫌だったのか、でも、そりゃないだろう。クーベルタンは、そもそも、オリンピックは平和の式典にしようと古代アテネのオリンポスの競技大会にヒントを得て画策したんだ。オリンポスの競技大会には、昨日まで戦争をしてたものが、この日には武器を捨て競技に出てくるという故事をもってオリンピックを開催したんだ。だから、参加することに意義がある。今日は、オリンピックビジネスが横行しその意義は絵に書いた餅のようになった。オリンピック開会に合わせるかのようにグルジアで戦争が始まったし、オリンピック精神を尊ぶのならあってはならないことだよね。それでも、日本選手団が、個としてオリンピックを楽しみ、精一杯やってくれてるのを見ると、競技大会だな実感する。日本の新聞は、いつまでたっても大日本本営発表だから真実が伝わらないけど、外国のメディアは、結構シビアに見てるよ。勝っても負けても、僕らは、日本選手団を応援し平和に参加しているという原点を取り戻そう。「加油! 日本」
朝は、秋空が広がっていた。地球はその営みを何変わりなくつづけていると実感。アスファルトで覆った国を作ったばっかりにヒートアイランド現象で暑い夏を押し付けられているんだろうかと思っていたら、昼は、雲が沸き立つ夏空に戻っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/50/f04dbbed65e83996a27c7e16775da520.jpg)
まさに、雲が煮えたぎっているね。こんなとき、農家の庭先にぶら下がっている大きな大きなトマトをひきちぎって塩なんか振ってがぶりとやってみたいと思ってたら、群馬産だけど昔とまとを売っているのを見つけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/fa/d06890b29954864950c2a6495e2cc2fb.jpg)
直感で買い求め早速、パンプと食べてみました。「ウン、昔のとまとの味です」パンプもモノも言わず食べています。懐かしい味なのかな?写真のしたのトマトが「フルーツトマト」と呼ばれる今のトマト。改良に改良を重ねもはや絶品に近いのもここにはあるというトマト王国の傑作だ。若者は、この味がトマトだと思ってるだろう。でもこれは、野菜のとまとではなく、トマトという果物、別品だということが分かってないだろう。僕らが子供の頃は、とまとは、おかずだったんだよ。スライスという言葉も無かった。暑い日、大きなトマトを輪切りにして、イカリソースを垂らしてご飯といっしょにいただいたものさ。美味くは感じなかった。嫌いだったもの。青臭くて、酸っぱくて、ソースがかかっていたから食べてたような気がする。それが、いまでは、その味が懐かしくて捜し求めたりするから、人って面白い。原点回帰というのかな、あの暑い日とともに思い出がよみがえって、昔の家の縁側で、とまとを食べてる自分を見てた。今日8月15日、終戦記念日。とまとを齧りながら、多くの犠牲となった方々への哀悼と日本を滅ぼさなかった、大和の叡智に感謝しています。昔は、全然関心が無かったのですが、この頃、守る戦争の終戦記念日と思うようになり、彼らが、命を賭けてでも守りたかったものを考えるようになりました。ぼくらは、戦争を知らない子供たちですが、守りたかったものは、なんとなく分かるような気がします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/50/f04dbbed65e83996a27c7e16775da520.jpg)
まさに、雲が煮えたぎっているね。こんなとき、農家の庭先にぶら下がっている大きな大きなトマトをひきちぎって塩なんか振ってがぶりとやってみたいと思ってたら、群馬産だけど昔とまとを売っているのを見つけました。
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直感で買い求め早速、パンプと食べてみました。「ウン、昔のとまとの味です」パンプもモノも言わず食べています。懐かしい味なのかな?写真のしたのトマトが「フルーツトマト」と呼ばれる今のトマト。改良に改良を重ねもはや絶品に近いのもここにはあるというトマト王国の傑作だ。若者は、この味がトマトだと思ってるだろう。でもこれは、野菜のとまとではなく、トマトという果物、別品だということが分かってないだろう。僕らが子供の頃は、とまとは、おかずだったんだよ。スライスという言葉も無かった。暑い日、大きなトマトを輪切りにして、イカリソースを垂らしてご飯といっしょにいただいたものさ。美味くは感じなかった。嫌いだったもの。青臭くて、酸っぱくて、ソースがかかっていたから食べてたような気がする。それが、いまでは、その味が懐かしくて捜し求めたりするから、人って面白い。原点回帰というのかな、あの暑い日とともに思い出がよみがえって、昔の家の縁側で、とまとを食べてる自分を見てた。今日8月15日、終戦記念日。とまとを齧りながら、多くの犠牲となった方々への哀悼と日本を滅ぼさなかった、大和の叡智に感謝しています。昔は、全然関心が無かったのですが、この頃、守る戦争の終戦記念日と思うようになり、彼らが、命を賭けてでも守りたかったものを考えるようになりました。ぼくらは、戦争を知らない子供たちですが、守りたかったものは、なんとなく分かるような気がします。
今日は、あついお蕎麦と桃で夕食にしたら、パンプが桃をお蕎麦につけて蕎麦といっしょに食べて、「甘い」と文句言っている。突然、グルジアにも饂飩があるって思い出したら、急にイラチはどうしてるだろうと心配になってきた。イラチは、16歳のグルジアの女の子だけどとっても可愛くていい子だ。イラチのオバァちゃんと同じ歳だった。「でも、大丈夫」って言ってくれたのが昨日のようだ。何が大丈夫なのか分からないけど、3月にグルジアに帰って、7月には、ニュ-ジ-ランドに留学と言ってたけど無事行けてたらいいけどね。もし、グルジアにいたら大変だ。停戦になったとは言え戦争なんだから。南オセチア州の人たちとは、民族が違うんだね。あの辺りは、古代ギリシャの時代より古くから沢山の民族が入り乱れて生存してる地域だから。ややこしいんだ。それに、元のコーカサス地方だから土地が豊で遊牧と農地で・…と思っていたらロシアとアメリカが出てきたからナニオカアランと思えば、カスピ海に抜けるパイプラインが通ってる国だった。また、利権に群がる輩の代理戦争の様子だ。私は正しい。僕は、正しい。お互いの正しいがぶつかって戦争になる。正しいことはいけないことか?小さな民族の争いに利権を求めて大きなハゲタカが舞い降りたのか。あの、パイプラインは、どこの国が金出して作ったんだと思っているんだ。パチャプリ、ヒンカリー、グルジアうどん、美味しいものがたくさんある国だから、戦争なんか止めて、飯でも食ったらどうかね。利権の構造を無くさない限り大国の陰に脅えつつける毎日だよ。イラチ、無事でいてね。モンクが、連絡先無くしたから連絡できないけど戦闘地域近くに家が無いことを祈るよ。
昨日とうって変わって今日は、スコールのような雨。断続的だけどワイパーが利かないくらい激しい雨。すぐに天気になって、いいかなと思ったら、また激しく降る。それでも、振り止みをとらえて、「あめがふれば、おいらのせかい」とばかりに花火大会決行の合図。よし、見ようかと用事を片付けてと頭の中で描いていたら、パンプが、やってくれました。帰ってきたら、風呂場から水の音。それも、フルに蛇口をひねったような。なんだろうと思って見ると風呂場で、ウンチをテンコモリにしてた。トイレと間違えたのだろう。とりあえず水を流そうとしたのか、水を流すということを認知してたのかジャンジャン水が流れていた。アフリカの子がこの水をみたら世界は不公平だと思うだろう。水を止めて、パンプを見たら、濡れた靴下を履いたままだった。それを脱がせて、手をアルコールで拭いてあげて、「どこでウンチしてるの」とゴチてみても相手は無反応。とりあえず臭いから、それを片付けて、タイルに消毒液をかけてブラシして風呂場を使えるようにしてから時計を見ると花火の始まるじかんだった。小さなアイスボックスにドイツのビールと冷たい紅茶を入れて近くの公園出かけようとしたらまた雨。それでも花火はあがりだした。小さな子供たちが、線香花火をしている。「線香花火が見えますか?空の上から」なんて歌いながら、降り止みに出かけた。公園は、雨のせいか人はまばら。花火は、早く終ろうと間断なく上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/bf/63a228b0e80b458fffd635e68af2feaf.jpg)
いつもよりきれい。フィナーレには、激しい雨が降ってきて天を焦がす花火が利休鼠の空にぼやけて見えた。これもいいな、と単純に思った。ずぶ濡れで家に帰ったら花火に負けじと雷が鳴ってきた。なんなんだこの天気。花火する方も、見る方も偉いよな。傍で見てた、小さな男の子が、大きな花火が上がるたびに「わぁー、はなびがおちるー」といってた。この素直な感性。うらやましく感じていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/bf/63a228b0e80b458fffd635e68af2feaf.jpg)
いつもよりきれい。フィナーレには、激しい雨が降ってきて天を焦がす花火が利休鼠の空にぼやけて見えた。これもいいな、と単純に思った。ずぶ濡れで家に帰ったら花火に負けじと雷が鳴ってきた。なんなんだこの天気。花火する方も、見る方も偉いよな。傍で見てた、小さな男の子が、大きな花火が上がるたびに「わぁー、はなびがおちるー」といってた。この素直な感性。うらやましく感じていた。
夕方Disneyが踊ると言う情報がはいったので人ごみの中へ出かけていったら。警官が5~6人いてなんだか捕り物中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/31/bed2f617bf112ef0170c5484e82d3ab1.jpg)
自分が着いたところが逮捕劇の現場だった。僕の足元に男が転がされて手錠をまさにかけられる瞬間だった。警官に混じって自分がいるしかも私服で(当たり前のことだけど)「刑事」になった気分。ゴロツキが足元でふんづかまって俺は、そいつを見下ろしている。いい気分だな・・・・と白日夢。「危ないからこっちへきなさい」と言われて「はーい」嫌な奴。騒動の真相は知らないが、人が手錠されるのは、初めて見たと思う。映画のように、ガチャとカッコよくいかないんだよ。腕を一本一本とってもたもたとするんだ。今、強化プラスチックなんだね。玩具かと思った。パトカー呼んで、3~4台すぐに来たけどそれに乗ってた奴がほんまモンらしく鋭くきびきびしてた。「ケンカ強そう」と思って見てた。人が楽しんでるのが気にいらないという輩は必ずいるからね。他所へいっときゃいいのに、そう言う人に限って、みんなの傍にいるんだ。分離不安かなんかのように。それでもって、必ず、騒動を起こす。見られたい、騒がれたいのかな。それとも、ゲームと現実の区別がつかないのかな。踊りは、Disneyと優勝チームと北海道と静岡を見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/0a/9b6e1f1d041177c9a1891de08efd25ee.jpg)
静岡チームはチャっきり節をアレンジして曲をまとめてたけどなかなか良かった。「唄は茶っきり節、男は次郎長」これほど、人生の方向性を示した曲はないよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e9/2b7d6ba5ddf1290ca52a59dc0ba18ffb.jpg)
でも、一服の清涼感はありました。次郎長さんもそうだけど、昔は、騒動は隠れて人に見られないとこでやりましたよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/5a/d59586e41b38d048f94d9a28c0191331.jpg)
今では、人前で堂々と暴れるから巻き添えを食う確立が高いですから恐いね。僕らの定番だった「顔貸せ!」なんて台詞もう死語になってたのですね。何かが、崩れている。モラルというか、人目を気にしないというか、社会が崩壊現象にあるのかもしれない。言葉が死ぬと暴力が蔓延る。その暴力が、やがて戦争へと繋がっていく。想像力の無い大人が、若者をそそのかす。「やれ」と。だから、僕らは、小さな暴力も見逃さない。僕らにできること、これしかない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/31/bed2f617bf112ef0170c5484e82d3ab1.jpg)
自分が着いたところが逮捕劇の現場だった。僕の足元に男が転がされて手錠をまさにかけられる瞬間だった。警官に混じって自分がいるしかも私服で(当たり前のことだけど)「刑事」になった気分。ゴロツキが足元でふんづかまって俺は、そいつを見下ろしている。いい気分だな・・・・と白日夢。「危ないからこっちへきなさい」と言われて「はーい」嫌な奴。騒動の真相は知らないが、人が手錠されるのは、初めて見たと思う。映画のように、ガチャとカッコよくいかないんだよ。腕を一本一本とってもたもたとするんだ。今、強化プラスチックなんだね。玩具かと思った。パトカー呼んで、3~4台すぐに来たけどそれに乗ってた奴がほんまモンらしく鋭くきびきびしてた。「ケンカ強そう」と思って見てた。人が楽しんでるのが気にいらないという輩は必ずいるからね。他所へいっときゃいいのに、そう言う人に限って、みんなの傍にいるんだ。分離不安かなんかのように。それでもって、必ず、騒動を起こす。見られたい、騒がれたいのかな。それとも、ゲームと現実の区別がつかないのかな。踊りは、Disneyと優勝チームと北海道と静岡を見た。
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静岡チームはチャっきり節をアレンジして曲をまとめてたけどなかなか良かった。「唄は茶っきり節、男は次郎長」これほど、人生の方向性を示した曲はないよね。
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でも、一服の清涼感はありました。次郎長さんもそうだけど、昔は、騒動は隠れて人に見られないとこでやりましたよね。
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今では、人前で堂々と暴れるから巻き添えを食う確立が高いですから恐いね。僕らの定番だった「顔貸せ!」なんて台詞もう死語になってたのですね。何かが、崩れている。モラルというか、人目を気にしないというか、社会が崩壊現象にあるのかもしれない。言葉が死ぬと暴力が蔓延る。その暴力が、やがて戦争へと繋がっていく。想像力の無い大人が、若者をそそのかす。「やれ」と。だから、僕らは、小さな暴力も見逃さない。僕らにできること、これしかない。