今日の仕事は、少し前に作ったプログラムの修正作業だった。
その直すことになったプログラムは、運の悪いことに、我ながら、なかなかうまく書けたプログラムだった。修正規模からして、ふつうなら、きれいさっぱり捨て去り、一から作り直しただろうに、うまく書けていただけあって、憐憫の情が湧く。ん~、完全に葬り去るのは忍びない。なんとか生かしてやりたい。その情けが間違いの始まりだった。
案の定、作業の状況は芳しくなかった。修正してテストするたびに新しいバグ(不具合)が出てくる。修正とテストが続く螺旋階段のような悪循環。プログラムは継ぎ接ぎ(つぎはぎ)だらけになってゆく。
これはいかん、ええい、ままよ。一から作り直すべし!と決断した時には、3時間ほど時間が過ぎていた。結局、作り直したら30分もかからずに出来てしまう。
自分の過去への愛着があだとなっての失敗だった。
自分が当事者の場合、生かすか殺すかの判断は、なかなか難しい・・・。
全然、スケールは違うのだけど、三国志の「泣いて馬稷(バショク)を斬る」の故事を思い出す。
才気にあふれ将来を嘱望された武将、馬稷。恐らくは将来の蜀の国を背負って立つであろう、諸葛亮も心血を注いで育て、後継者と目されていた馬稷である。その馬稷を、一度、軍令を破った罪でで、諸葛亮は心を鬼にして斬るのである。
この故事は、辞書では「規律を保つためには、愛する者をも止むを得ず処分する」となっているけれど、実は、もう少し、深い意味を持っていると思った。規律=「より優先度の高い大切なもの」とすると、
「大切な何かも、別のより大切なもののためには、敢えて犠牲にせねばならない」
となるだろうか。
この教訓は、壮大な三国志のドラマの世界の話しではなくて、身近なところにも、潜んでいるぞな、もし。
と書きつつ、有名な細川ガラシャ夫人の辞世の句、
「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」
(細川ガラシャ夫人)
も「犠牲」というキーワードで「泣いて馬稷(バショク)を斬る」の故事と繋がっていることに気付く。なかなかの発見である。
ガラシャ夫人の歌の場合、犠牲の対象は、愛する誰かではなくて、自分自身なのが、更に心を打つ。改めて味わうと、本当にいい歌だ。人類の歴史は「犠牲」の変奏曲かもしれない・・・。
などと、歴史に想いを馳せるよりも、明日に迫ったピアノのレッスンの練習を優先させるべきなんだけど・・・。(相変わらず、駄目やな~、そらみみ君・・・。)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ビー玉の一つ一つに夏の空
(唯心)
(インターネット俳句会の2005年8月の最高得点句)
プログラムに三国志やガラシャ夫人の歴史を見た身としては、「ビー玉」を「プログラム」に読み替えたくなる。げに、俳句はミクロコスモスの芸術であるか。
五七五 ミクロコスモス 世界を巡る
(そらみみ)
その直すことになったプログラムは、運の悪いことに、我ながら、なかなかうまく書けたプログラムだった。修正規模からして、ふつうなら、きれいさっぱり捨て去り、一から作り直しただろうに、うまく書けていただけあって、憐憫の情が湧く。ん~、完全に葬り去るのは忍びない。なんとか生かしてやりたい。その情けが間違いの始まりだった。
案の定、作業の状況は芳しくなかった。修正してテストするたびに新しいバグ(不具合)が出てくる。修正とテストが続く螺旋階段のような悪循環。プログラムは継ぎ接ぎ(つぎはぎ)だらけになってゆく。
これはいかん、ええい、ままよ。一から作り直すべし!と決断した時には、3時間ほど時間が過ぎていた。結局、作り直したら30分もかからずに出来てしまう。
自分の過去への愛着があだとなっての失敗だった。
自分が当事者の場合、生かすか殺すかの判断は、なかなか難しい・・・。
全然、スケールは違うのだけど、三国志の「泣いて馬稷(バショク)を斬る」の故事を思い出す。
才気にあふれ将来を嘱望された武将、馬稷。恐らくは将来の蜀の国を背負って立つであろう、諸葛亮も心血を注いで育て、後継者と目されていた馬稷である。その馬稷を、一度、軍令を破った罪でで、諸葛亮は心を鬼にして斬るのである。
この故事は、辞書では「規律を保つためには、愛する者をも止むを得ず処分する」となっているけれど、実は、もう少し、深い意味を持っていると思った。規律=「より優先度の高い大切なもの」とすると、
「大切な何かも、別のより大切なもののためには、敢えて犠牲にせねばならない」
となるだろうか。
この教訓は、壮大な三国志のドラマの世界の話しではなくて、身近なところにも、潜んでいるぞな、もし。
と書きつつ、有名な細川ガラシャ夫人の辞世の句、
「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」
(細川ガラシャ夫人)
も「犠牲」というキーワードで「泣いて馬稷(バショク)を斬る」の故事と繋がっていることに気付く。なかなかの発見である。
ガラシャ夫人の歌の場合、犠牲の対象は、愛する誰かではなくて、自分自身なのが、更に心を打つ。改めて味わうと、本当にいい歌だ。人類の歴史は「犠牲」の変奏曲かもしれない・・・。
などと、歴史に想いを馳せるよりも、明日に迫ったピアノのレッスンの練習を優先させるべきなんだけど・・・。(相変わらず、駄目やな~、そらみみ君・・・。)
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ビー玉の一つ一つに夏の空
(唯心)
(インターネット俳句会の2005年8月の最高得点句)
プログラムに三国志やガラシャ夫人の歴史を見た身としては、「ビー玉」を「プログラム」に読み替えたくなる。げに、俳句はミクロコスモスの芸術であるか。
五七五 ミクロコスモス 世界を巡る
(そらみみ)