青柳いづみこ著「翼のはえた指(評伝 安川加壽子)」を読む。
安川加壽子、戦中・戦後の日本を代表するピアニスト。9年前の1996年に他界される。
青柳いづみこさんの筆は鮮やかで、ぐいぐい読み進む。冷静で理知的な文章の随所に青柳さんの師、安川加壽子への敬愛の念が滲み出ているように感じる。
安川加壽子の生涯(幼少時に渡仏、15歳にしてパリ音楽院を最高の成績で卒業し、第二次大戦を機に帰国、戦中、戦後は日本の楽壇の重鎮として活躍)を辿りながら、今まで断片的にしか持ち合わせていなかったピアニズム、ピアニストの系譜が、線で繋がってゆく。
ショパン → ドビュッシー → コルトー、ラザール・レヴィ → 安川加寿子
安川加寿子の門下には、館野泉さんや、羽田健太郎の師の有賀和子の名前も。
それにしても本書に出てくる、驚異的なエピソードには、ただただ目を見張るばかりだった。
・肩を骨折した状態で、ショパンのピアノ協奏曲1番を演奏。
・リウマチで、右手の薬指が動かない(腱切断)状態で、リサイタルに臨みシューマンを、更にリサイタルの途中からは右手の小指も動かなくなってしまった状態、3本の指でショパンのマズルカやワルツを弾いた。
俄かには信じ難い話。こういうアクシデントに見舞われて、観客にそれと知られずに演奏を続けられるというのは、想像を絶して凄い。まさにヴィルトゥオーゾ。
この逸話は最後のリサイタルの話だけど、その後、リウマチにピアニスト生命を絶たれ、骨疎しょうで骨折を繰り返された晩年の苦労を思うと、胸に迫るものがある。
ついつい、こういった目立つエピソードに目がいってしまうけど、肝心なのは安川加寿子の最大の功績、美しい音色や脱力奏法の追究といった今日のピアニズムの潮流の礎を築いたことだろう。
個人的に、安川加寿子さんといえば、小さい頃のレッスンで安川さんの教則本「ピアノのテクニック」(緑色の大きな本)を使っていたことが唯一の接点。こんなに凄いピアニストだったとは、その当時、知る由もない・・・。自分のピアノの基礎の幾らかはこの「ピアノのテクニック」にあるわけで、改めてご冥福をお祈りしたい。
そうそう、青柳いづみこさんと言えば、新刊の「ピアニストが見たピアニスト」も楽しみなのだ。
安川加壽子、戦中・戦後の日本を代表するピアニスト。9年前の1996年に他界される。
青柳いづみこさんの筆は鮮やかで、ぐいぐい読み進む。冷静で理知的な文章の随所に青柳さんの師、安川加壽子への敬愛の念が滲み出ているように感じる。
安川加壽子の生涯(幼少時に渡仏、15歳にしてパリ音楽院を最高の成績で卒業し、第二次大戦を機に帰国、戦中、戦後は日本の楽壇の重鎮として活躍)を辿りながら、今まで断片的にしか持ち合わせていなかったピアニズム、ピアニストの系譜が、線で繋がってゆく。
ショパン → ドビュッシー → コルトー、ラザール・レヴィ → 安川加寿子
安川加寿子の門下には、館野泉さんや、羽田健太郎の師の有賀和子の名前も。
それにしても本書に出てくる、驚異的なエピソードには、ただただ目を見張るばかりだった。
・肩を骨折した状態で、ショパンのピアノ協奏曲1番を演奏。
・リウマチで、右手の薬指が動かない(腱切断)状態で、リサイタルに臨みシューマンを、更にリサイタルの途中からは右手の小指も動かなくなってしまった状態、3本の指でショパンのマズルカやワルツを弾いた。
俄かには信じ難い話。こういうアクシデントに見舞われて、観客にそれと知られずに演奏を続けられるというのは、想像を絶して凄い。まさにヴィルトゥオーゾ。
この逸話は最後のリサイタルの話だけど、その後、リウマチにピアニスト生命を絶たれ、骨疎しょうで骨折を繰り返された晩年の苦労を思うと、胸に迫るものがある。
ついつい、こういった目立つエピソードに目がいってしまうけど、肝心なのは安川加寿子の最大の功績、美しい音色や脱力奏法の追究といった今日のピアニズムの潮流の礎を築いたことだろう。
個人的に、安川加寿子さんといえば、小さい頃のレッスンで安川さんの教則本「ピアノのテクニック」(緑色の大きな本)を使っていたことが唯一の接点。こんなに凄いピアニストだったとは、その当時、知る由もない・・・。自分のピアノの基礎の幾らかはこの「ピアノのテクニック」にあるわけで、改めてご冥福をお祈りしたい。
そうそう、青柳いづみこさんと言えば、新刊の「ピアニストが見たピアニスト」も楽しみなのだ。