●鳩山新政権は記者クラブ開放という歴史的な一歩を踏み出せるか
上杉隆(ジャーナリスト)【第92回】 2009年09月03日
(略)
筆者にとっても感慨深い日になるであろう。ようやくジャーナリストとしてのこの10年間の苦労が報われる時がやってくるのだ。
7年前には、記者証を返還した上に、その後の受け取りを拒否したことで、すべての政府の記者会見から排除され、以降、ゲリラ的な取材を繰り返してきた。喜びがないと言えばウソになる。
じつは、鳩山政権に対して、筆者の関心はただ一点だけである。それは、鳩山内閣の発足と同時に、本当に記者会見をすべてのメディアに開放するかどうかに尽きる。換言すれば、明治以来、戦後を含めて官僚システムと一体となって続いてきた記者クラブ制度にメスが入るかどうかという点である。
会見開放は“一流メディア”にとっての「死刑宣告」か
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なにより記者クラブの開放は、それは、新聞・テレビなどの“一流メディア”にとって、その日が「死刑宣告の日」に映っているからに違いない。
●その2
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官僚にコントロールされてきた記者クラブ
なぜ、それほどまでに記者クラブが重要なのか? それは記者クラブ制度がメディアのみならず、じつは霞ヶ関にとって、極めて都合のよいシステムだからだ。
官僚たちは、記者クラブをコントロールすることによって政治家を使い、自らの利権構造を強固にしてきた。与党と記者クラブが癒着することで、巧妙にその操舵室に忍び込み、歪んだ権力のトライアングルを操縦し、もっとも甘い汁を吸い続けてきたのは官僚たちである。
政・官・業の既得権益を批判するメディアが、自らの既得権益にしがみついて、その問題から目をそむけてこられたのも、実は霞ヶ関の援助とコントロールがあったからだ。
再販制度、放送免許の問題、そこに子弟のコネ採用を接着剤としながら、お互いの既得権益をバーターにして、存続させてきたのが記者クラブだ。
新政権発足時に、その種のチャンネル(政治家、マスコミ幹部、官僚、企業経営者)から首相にもたらされる歪んだ情報がある。
●その3
「最初は、マスコミ(記者クラブ)とは喧嘩しない方が得策です。味方につけて政権運営に協力させましょう。いざとなったら、力をつけてから戦いましょう」
この情報操作が真っ赤な嘘であることは過去の政権が証明してくれる。
マスコミとお友達であろうとした安倍内閣は、そのメディアからの批判の前に倒れた。マスコミと協調関係にあった麻生政権は、そのメディアからの「漢字の読み間違い」などのリークで崩壊した。
一方で、小泉政権が逆だ。政権発足からわずか2週間でスポーツ新聞を官邸に引き入れ、歩きながらのぶら下がり会見を中止して、数ヵ月間にわたる記者クラブメディアとの抗争を演じたのは、小泉内閣の飯島勲秘書官だ。だが、メディアとの会見はその後、ほぼ一貫して小泉官邸の勝利が続いた。その後、5年半の間、最初の騒動以上の反発は記者クラブメディアから起こらなかったのである。
10年目を迎える石原都政も同様だ。就任直後、週1回の記者会見のみならず、知事主催の記者会見を追加して、ワイドショーや雑誌に開放、既存の記者クラブメディアとの対決姿勢を旗幟鮮明にしたのは石原慎太郎都政の高井英樹特別秘書だ。
結局、知事主催の記者会見はなくなったが、その代わり、インターネットのでの会見の同時配信が始まった。そして、その後10年の都政の中で、石原知事側がメディアからの決定的な攻撃を受けることはなくなった。
つまり、最初にマスコミ(記者クラブ)と堂々と戦った政権は長期になり、姑息に「うまくやろうとした」政権はことごとく短命で終わっているのだ。
なにしろ、情報公開制度の観点からも、国民や都民が味方につくのは、小泉官邸や石原都庁のほうであることは明白だ。
民主党は、官僚政治の打破を訴えている。だが、記者クラブの開放がなければ、官僚政治の終焉もないだろう。それは、記者クラブ制度こそ日本の官僚制の象徴であり、そのものであるからだ。
まさか民主党は忘れてはいまい。小沢代表(前)の西松建設事件の報道、鳩山代
表の個人献金問題の報道を。それを思い出せばもう説明は十分だろう。
「政権交代」がなされる今こそ、権力とメディアの関係が健全化する絶好のチャンスだ。民主主義国家で唯一存在する記者クラブが改革される日が訪れようとしている。
仮に、このメディアシステムに変更が加えられなければ、永遠に権力とメディアの健全な緊張関係の構築はなされないだろう。それでは、官僚政治の打破も、健全な民主主義の発展も望めない。
9月16日からの特別国会、鳩山首相が背負っている、真の歴史的な責務はここにある。 |