「たんぽぽの花をいっぱい摘んできて」
「わかった」
母にたんぽぽの花を摘んでくるように頼まれ、その昔、子供たちが小さかった頃に近くの川の土手でいっしょにたんぽぽの花を摘んだ時のことを思い出した。ヨチヨチ歩きの散歩がてら、よく道端の花を摘んできたっけ・・・・・・。摘んできたたんぽぽの花は、乾燥させずにそのまま煮出してお茶にした。たんぽぽの根を煎じたものはコーヒーの味がするらしい。生のたんぽぽの花は、ほろ苦い田舎の春の味がした。
タンポポの花を摘みに行こうと車のイグニッションをまわした時は、近くの川原で探すつもりでいたが、せっかく田舎に来たのだから山に向かって走ってみることにした。車で20分も山に向かえば、そこは別世界だ。山頂に雪をいだいた青い山脈がすぐ近くに見えて、見渡す限りの緑の大地。黒くシルエットをまとった木々の枝に、緑の若葉が燃えている。風が香る5月の農道沿いのあぜ道には、たんぽぽの群生が黄色の花をつけて咲き誇っていた。どのアングルで切り取っても、印象派の絵画を思わせるように踊るような光の動きで満ち溢れていた。
タンポポはすべての部分をお茶として使う事ができ、特に根にはカリウムを豊富に含み、利尿作用、便秘解消の効果がある。その為、ダイエット効果も期待できるらしい。また、胃腸の調子を整えたり、発汗作用・解熱作用がある。
レイ・ブラッドベリは『たんぽぽのお酒』で、「金色の潮流、澄みきって晴れあがったこの6月のエキスが流れ出し」と書いた。タンポポを英語で“dandelion” というが、これはフランス語の“ dent de lion”(ライオンの歯)が転訛したものだといわれている。葉の形がライオンの歯を連想させるからだという。
「庭に咲くライオンの誇りだからな。じっと見つめてごらん、網膜が焦げて穴があくから。ありきたりの花さ。だれも目にとめようとしない雑草だ、たしかに。しかし、わしらにとっては、気高いものなんじゃ、たんぽぽは」
「たんぽぽのお酒 この言葉を口にすると舌に夏の味がする。夏をつかまえてびんに詰めたのがこのお酒だ。」
(レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』)
たんぽぽのお酒ってのは、たんぽぽを漬け込んだ汁に砂糖を入れて、酵母菌で発酵させて作るものらしい。その為にはタンポポが3.6L必要だ。アメリカでは結構ポピュラーに作られているようだ。たんぽぽ酒の他にも、ネットで調べるとたんぽぽの花の調理法なども見つけることができる。温サラダはもちろん、衣をまぶしてカリカリのソテーのようにして食べたりするらしい。
ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』(晶文社)。以前に読んだのが高校生の時だから、内容なんてほとんど覚えていない。印象的なシーンがいくつか頭に浮かぶのだが、それらをつなぐ物語の縦糸がすっかり抜け落ちている。たしか、イリノイ州グリーンタウンに住む12歳の少年ダグラス・スポールディングが、一夏に体験し、感じたことのすべてが描かれていたと記憶している。貫流する大テーマは「時間よ止まれ!」。12歳の輝かしくもほろ苦い夏を忘れずにいたい。その願いだけが横溢していたように思う。
過ぎ去った夏の日々は、実はダグラスの祖父が毎日たんぽぽの花を摘んで作る「たんぽぽのお酒」の中に保存されていた。この黄金色の夏のエキスは一日ごとにケチャップの瓶に詰められて地下室に並べられ、あとになってそれを少し口に含むだけで、その日をよみがえらせるのだ。ダグラスは夏の最後の日に地下室を訪れ叫ぶ。「まだほんとは終わっていないんだ」と……。
ブラッドベリは作品を通して「幸福って、もっとも身近にあるものなんだ。いまが一番いい、高望みをやめて、ふつうの人並みの生活で満足さえすれば、田舎町で平凡で小さな幸せを手に入れられる。」と訴える。そして、心だけはいくらでもその時にもどることができる。細部をおぼえていさえすればと・・・・・・。小さな町に起こった、夏のあいだの小さな、そしてふしぎな出来事の数々。そこには、人びとの心と心がやさしく行きかっていたのだ。
母と話をしていると、ゆったり過ぎていく時間の中で、都会の生活って何なのだろうと思う。でも、ぼくには勇気がない。選ばなかった人生に別れを告げて、今がぼくの人生となっている現実の世界に返ってこざるを得ない。