tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

バベル

2007-05-15 20:51:24 | cinema

それは一発の銃声から始まった。銃社会のアメリカで日常茶飯事的に起こりそうなその事件は、実は銃の所持を許されていない日本の東京・赤坂にその火種が在り、モロッコで現実となったのだ。そしてその影響はメキシコシティにも及ぶ。各国の其々のシーンが全て一つの猟銃につながっていく。テーマはコミュニケーション。ミスコミュニケーションばかりか、言葉自体の不自由さが招いてしまう出来事の数々が描かれている。
脚本を担当した作家ギレルモ・アリアガ(Guillermo Arriaga、1958年 - )はメキシコ出身。メキシコ・シティでも最も治安の悪い地区に育ち、喧嘩の傷が元で13歳の時に嗅覚を失ったという。映画に銃が出てきて、聴覚障害者のチエコが出てくるのもうなづける。だけど、どうして東京・赤坂なのだろう?Winchester M70 in .270 Caliberは一発ずつボルトを引いて撃つ、ボルトアクション・ライフルとして、とても有名な銃だが、日本では狩猟用ライフル銃の所持は散弾銃を継続して10年間所持している実績が必要のはず。チエコの父親の奥さんは、その銃で自殺したという設定なのだろうね。モロッコではこの銃が原因でアメリカの女性が撃たれ、男の子の命が失われる。銃弾の到達距離についてのミスコミュニケーションが原因だった。

モロッコでは、2003年5月にカサブランカにおいて実行犯12人を含む45人の死者を出した自爆テロが発生した。その後、治安当局の取締り強化により1,000人以上のイスラム過激派が逮捕されている。だから、モロッコでは銃器所持に対して厳しい(ただし猟銃は免許を取得すれば所持できるらしい)。モロッコの衛生状況は、基本的に水道水は飲用できる水準だが、市販のミネラルウォーターの利用が一般的だ。ウィルス性肝炎や食中毒に罹ることもあるため、屋台での食事や氷の入った飲み物も避けるのが賢明だ。だから、ケイト・ブランシェットが演じるスーザンが昼食に選択したのは、スパイシーなチキンが入ったモロッコの定番料理。ヘルシーさを追求するアメリカ人女性。文化の違いだけじゃなく、同じアメリカの家庭内でも食の好みや衛生観念の違いがそこにあった。
その昔、かの地では観光地のホテル前でハッシシを売りつけられた。日本人とみるとやたらに声を掛けてくる。ミスコミュニケーションが恐い。(モロッコ語のトリビアだが、”はい:イィエ”、”いいえ:ラー(Lah)”。・・・・・・イィエ、混乱する(´д`))。モロッコの人たちは英語を話す人は少ないが、やさしい人が多く困った時は助けてもらえる。お礼が欲しいのではなく、言葉を超えて人と人は助け合えるのだ。

映画の中で、日本でのバレーボールの大会のシーンは文化の違いの象徴だろう。女子高生の独特の掛け声とブルマー姿は、他の国の文化とは完全に異質だ。そして、菊池凛子さん。コミュニケーションに問題を抱える彼女の行動が、この映画で一番心に残るシーンとなる。大音量のクラブにいる場面で、突然音が消えたり戻ったりという手法は、やはり聴覚障害者が主人公のフランス映画「リード・マイリップス」に習ったのだろうか。観客もミスコミュニケーションの世界に巻き込まれてしまう。外国人が思い描く東京の街の印象は、渋谷交差点や、新宿のネオンやら、秋葉原とか、ゲームセンター、夜のクラブ、ミニスカートの挑発的な女子高生達なのだろう。人とエロが充満する街。大いなるミスアンダースタンディング・・・・・・。
救いは、FOMA の TVケータイ。ハイテクが障害を持つ人にとって、手話でのコミュニケーションに役立っているのは素直に嬉しい。
チエコが渡した手紙には、ぎっしりと細かい文字で文章が綴られていたのだが、中にはなにが書かれていたのだろう。人生のつらいことを、その障害から一人で背負わざるを得なかった彼女が、偏見があった健常者に対してはじめて心を開いたのだろうか。映画ではようやく人と人のコミュニケーションがとれていくと確信される場面だ。

アメリカからメキシコへの越境、そして帰還。メキシコティファナへ出るのはこの映画のようにごく簡単だ。しかし、国境を一歩踏み出すとそこはリゾート地サンディエゴとまるで違う世界が広がっている。そして帰還するときの入国審査。審査官の発するあの独特の威圧的な態度は、だれでもイライラせずにはいられないだろう。警官の威圧的な態度に事態が思いもかけない方向に進展していくのは、同じ脚本家による映画「クラッシュ」や、「アモーレス・ペロス」でも描かれている。ギレルモ・アリアガは、警官に特別な思いがあるのかもしれない。ここでも、警官とのミスコミュニケーションが強く印象に残る。

モロッコ、トキョー、メキシコ。そこで生まれた3種類の愛はつながっている。

さて、バベルは『旧約聖書』の『創世記』に出てくる伝説上の巨大な塔から来ている。古代メソポタミアの中心都市であったバビロン(アッカド語で「神の門」の意味)にその塔はあったといわれ、古代メソポタミアに多くみられたジッグラトという階段状の建造物だったらしい。その目的は、シェム(ヘブライ語、慣習で名と訳されている)を塔にかかげ、あちこちに散るのを防ぐためである。神は天に届こうとするこの塔を見て怒り、人間がこのような塔を作るのは言葉が同じことに起因すると考え、こらしめに人々に違う言葉を話させるようにした。このため、人間は混乱し、世界各地へ散っていったのだ。
だから、日本語で発音すれば「バベル」だが、アメリカ英語では、「ベイブル」か「バブル」、イギリス英語(British English)では、「ベイブル」 、一方、スペイン語圏では「バーベル」。・・・・・・世界中に愛をつなげるのは難しいが、それでも、もがきながらも進まなければならない。