二ひきのかにの子供らが、青白い水の底で話していました。
「クラムボンは 笑ったよ。」
「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」
「クラムボンは はねて笑ったよ。」
「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」
子供のころ、「クラムボン」が何であるのか疑問を持たずに宮沢賢治の世界に浸れた。当時のぼくにとって「感じることができるもの」が理解できるものだったような気がする。人間は成長するとともに、感じることができる範囲が狭まっていってしまうのだろうか。
今年も冷害。お盆を過ぎるというのに、夏らしい暴力的な太陽は空にない。グスコーブドリは、自らを犠牲にして冷害を防いだ。彼が命を捨てて救う農民達の中には、彼を非難し暴力を振るった人も含まれいた。「銀河鉄道の夜」のカンパネルラも然り。
こういう生き方ができるような人になりたいと子供のころずっと思っていた。そして今、果たしてここまで人のためになる事が自分には出来るだろうかと思ってしまう。
研究者への道に進んだのも本来はそのためだったのだが。
「どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」
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