【撮影地】横須賀市本町(どぶ板通り)(2008.6月撮影)
(・・・懐かしさのあまり蔵出し)
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6月の梅雨の朝、雨音に気が付いて目が覚めた。こんな日は何故か人恋しくなったりする。
昔、通った横須賀は「海の匂いのする街」という印象が強かった。だが、曇り空のその日は、海風を求めてベースの近くまで出てもオンショアの風。街角には海の匂いがあまり感じられなかった。
1960年代の、つっぱっていきがっていた若者たちを描いた映画「アメリカングラフティ」。それが、そのまま、1970年代に日本で再現されたようなイメージの街。1976年の「横須賀ストーリー」をヒットさせた伝説のアイドル「山口百恵」は、まさに、「和製アメリカングラフティ」の世界。不良どもの横須賀の街を連想させた。
戦前は日本の国策で最重要な軍事産業を支えた造船所があり、全国でも有数の大都市だった横須賀。この日も、街角には白の夏服を着た防衛大学の学生たちが闊歩して、港町を演出していた。
未だかって、横須賀と同じような匂いのする町に、踏み入ったことはない。港を望む場所からは、基地に停泊する潜水艦を目にしたり、街中では米兵とすれちがったりと、アメリカ文化と交錯する街角がそこにある。
アメリカンテイストのする店先を撮ろうとして、偶然に覗いたファインダーの先に黒人がいて、肖像権を求めて怒っている。・・・・・・ I'm sorry. 常に好奇の目で見られがちな彼らにしてみれば、レンズに対する怒りを発するのはもっともなことだ。また、彼らの日常に対して、観光客づらを下げて無遠慮に土足で踏み込むぼくが悪い。
どぶ板通りは道や街灯がきれいになって昔からの横須賀らしさが薄れたのだが、その分、客層が若返り、夜から昼の街に。どぶ板通りを抜ければ汐入。近代化されたビルが建ち並ぶ一角に、いまでも「和製アメリカングラフティ」を彷彿させる横須賀ガールたちが闊歩している。
「東京で失敗し、川崎で裏切られ、横浜で絶望して、横須賀に流れ着き、もう後がないと踏ん張る」のは、もう古いのかもしれない。
横須賀に駐留米海軍下士官兵集会所「通称EMクラブ」のあった当時は、音楽と言えばJAZZの全盛期だった。横須賀はジャズが早くから根付いた街でもある。戦後、日本の沢山のジャズミュージシャンを育てたこのクラブは1990年秋に解体され、姿を消した。
当時は、アメリカで流行っている曲の楽譜をEMクラブで赤十字を通じてアメリカ本土から取り寄せてもらえたようだ。日本人ミュージシャン達はその楽譜を元にJAZZを勉強し、そして、日本中に広めていった。
めっきり少なくなってしまったJAZZ喫茶。小川町にある『Cabin』は1970年に創業。第1、3土曜日にはライブがあるらしい。常連らしいアメリカ人お勧めのチキンカツカレー。横須賀ではカレーがブーム。
古くからの横須賀は、いろんな意味で終わりつつあるのかもしれない。なじもうとして、なかなか、なじみきれなかった横須賀。もう、いい。このまま終わってしまってもいい。なにもかも無くなってしまっても。ぼくらの記憶の中の横須賀。基地もいつか無くなるのだろう。消えることとか消えないことは問題じゃない。
「写真にエピソードはいらない」。
写真をやっていた彼女がぼくに言った言葉だ。それも写真だろうと思う。彼女のことは、忘れもせず、思い出しもしない。もう、過去のお話。
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