子供の頃、母が良く作ってくれたドーナッツは、 小麦粉、鶏卵、砂糖と重曹をクッキー生地程度の固さに混ぜ合わせた生地を、大小のコップで型抜きしてあげたものだった。
沖縄のサーターアンダーギーに似て、かりんとうの様なそぼくな菓子の匂いがした。
時折、ベーキングパウダーがわりの重曹がつぶつぶになっていて、アルカリ性の重曹のえぐみが舌に残り、あんまり好きじゃなかった。
東京で一人暮らしを始めたころ、バイト先のボーリング場では、ミスタードーナッツの社員の月例ボーリング大会がよく開かれていて、若い男女の社員たちが彼らの青春を楽しんでいた。
その大会に参加していたお姉さんたちから、ドーナッツをよくもらった。ふわふわのイーストドーナッツ。いくつでも食べられそうなドーナッツは、人生で初体験だった。
当時の女性たちって、よく食べ物をほかの人にあげてたような気がする。大阪の「あめちゃん」おばさんのように。
さて、ドーナッツに存在する穴。この「穴」は、ドーナツの一部分なのか』という議論が、ネット上でにぎわしている。みんなネタとして書いているんだろうが、読んでもあんまり面白くない。
・・・「音楽の『休符』の部分も音楽」というのと同様に、ドーナッツに穴はなくてはならないものだと思うが、ドーナッツにもいろんな形状のものがあり、それで終わらせるわけには行かないのかもしれない。
やはり、大人としては、村上春樹氏のように「ドーナツの穴を空白であるとするか存在であるとするかどちらにしてもドーナツの味は変わらない(羊をめぐる冒険)」のように、あっさりと切り捨てるのが粋な対応だろう。
もし、手作りでも市販でも、ドーナッツをプレゼントしてくれる女性がいたら、ぼくは、たぶん惚れる。おそらく、ぼくのDNAにはそのようにプログラムされているはずだ・・・・。そのような女性は空白なのか、存在なのか。今はよくわからない。
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