tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

本家扇屋

2016-04-04 22:06:46 | プチ放浪 山道編

現代の大内宿。泊まった宿は大内宿で唯一「蔵」に泊まれる民宿。
部屋には電気コタツ。一度入るともう抜け出せなくなる。
名物女将「きいこおばや」が、春先の夜は寒かろうとアンカを入れてくれた。

英国の女性旅行家イザベラ・バードが、1878(明治11)年に東北を旅したときに大内宿で泊まったのはおそらく「美濃屋」。

「私は大内村の農家に泊まった。この家は蚕部屋と郵便局、運送所と大名の宿所を一緒にした屋敷であった。 村は山にかこまれた美しい谷間の中にあった」
日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー) 第6信

現代の美濃屋さんも、宿場の雰囲気を感じさせる藁葺き屋根の古い建物で郵便局がある。
また、彼女が書いている 「村を囲む山」というのは小野岳だと思われる。

東北の山村を始めて旅する外国人女性ということで、彼女は行く先々で人々の興味の目に曝された。
「私は、障子と呼ばれる半透明の紙の窓を閉めてベッドに入った。しかし、プライバシーの欠如は恐ろしいほどで、私は今もって、錠や壁やドアがなくても気持ちよく休めるほど他人を信用することができない。隣人たちの眼は、絶えず私の部屋の側面につけてあった」

当時の山村の民家はオープン。
庶民(特に人口の8割を占めていた農民)は土地を自由に離れることができなかったゆえに、村は皆顔見知り。
彼女の調べでは、ある村の24戸の家には総計307人が住んでいたという。1戸あたり、十数人。
祖父母、両親、妻と子どもを持つ長男、夫と子どものいる娘が一人か二人。
たいそう広くない部屋に4から5人の人が住んでいた計算になる。
血縁関係があるとはいえ、プライバシーとかあったもんじゃなかっただろう。

もちろん、現代の宿屋、本家扇屋はちゃんとした宿だ。
約束した朝食の時間ぎりぎりまで写真を撮っていたら、「きいこおばや」が民宿の前の道路まで迎えに出てくれていた。
そして、丘の上から集落全体を撮ればいいとアドバイスをくれた。
会津の人たちは底なしにやさしい。


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