tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ミス ソンクラーン インターナショナル ・チェンマイ

2016-04-21 21:46:43 | プチ放浪 都会編



大騒ぎしたソンクラーンも終わり、通常通りの生活がはじまる。
チェンマイではソンクラーン期間中に、美人コンテスト 「ミス・ソンクラーン・インターナショナル・チェンマイ」 が開催された。
それにしても、タイではミスコンテストがよく開催される。何かの祭り事やイベントがあると必ずといっていいほど、ミスコンが組み込まれるようだ。それも、外国人旅行者に向けた観光事業ではなく、地元の人たちが熱心に見入っているイベントとなっている。

タイ人のガイドに聞くと、やはりミス・コンテストが好きという。というよりも、かの若い男性ガイド氏は、どうやら美人をながめるのが好きなよう。
聞くところによると、タイ全土で一年間に行なわれるミス・コンテストは70回を超すらしい。
・・・よく飽きずに観れるね というのが実際のとこの感想。

さて、「美人」あるいは「美」というものを、本質的に考えてみる。
写真を撮るうえで、絵になりやすい「顔」というのは確かにあると思う。
うつむき加減の女性がこぼれんばかりの瞳でレンズを見つめてるとか、その表情から彼女の人生が垣間見えるような写真だ。

考えれば考えるほど、とてもひとつの見方や価値観で、美の基準というものは、簡単に決めれるものでもないし、そんな基準をあげつらうこと自体、大いにためらわれる。
そもそも美人というものには、世界各国でそれぞれ違いがあって当然だ。
楚々として慎ましい女性を美しいと思うタイ人のような見方があっていいし、最近の日本のように自分の生き方をどこまでもストレートに通したはじける笑顔の女性もまたいい。
この世には、ユネスコ世界遺産のように、価値観の違いを乗り越えても分かる人類普遍の女性の美しさというものはありえないのかもしれない。
また、そんな絶対的な価値基準を、活き活きとした若い女性に当てはめ、世界中のさまざまな「民族」と「民俗」の差異と「人種」や「宗教」の壁を乗り越えては決められないだろう。

つまり、タイにかぎらず、どこの世界に行っても、ミス・コンテストは、世界の多様な美の基準とも、ジェンダーの思想深化からも遠く外れた、時代錯誤のコンテストでしかない。もっと言えば美人に世界標準などない。さまざまな価値観に基づく美の基準が元々存在していると思う。
文化の多様性が重要になりつつある21世紀の世界にあって、セクシャルなヒロインを選ぶ美人コンテストは、取り残された時代錯誤の「アンシャン・レジューム」であって、その意義も含めて再考されるべき時期が来ているのかも。
・・・ちなみに、タイのミス・コンテストに決して出ることとのない山岳民族の女性たち。彼女たちの悲しげなまなざしに、ぼくは女性の美しさを感じられずにはいられないでいる。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村