9時前に沖縄残波岬ロイヤルホテルをチェックアウト。11時にNaha Ap.着。ランチ。もうすぐ沖縄とサヨナラだ。
次はいつ来れるかな。ブログのエントリーが、去年と同じくしばらく沖縄だけになりそうだ。
9時前に沖縄残波岬ロイヤルホテルをチェックアウト。11時にNaha Ap.着。ランチ。もうすぐ沖縄とサヨナラだ。
次はいつ来れるかな。ブログのエントリーが、去年と同じくしばらく沖縄だけになりそうだ。
世界遺産。山城(やまじろ)である。戦時中は日本軍の高射砲が置かれ、戦後は米軍のレーダーが置かれたそうだ。天然の要塞だろう。最初に読谷のあの場所に築城した護佐丸はすごい。
城跡まで途中でタクシーを拾うことを考えたが見つからず、歩いた。我ながら健脚だと思う。疲れたがガイドブックには書かれていないものも見ることができた。満足。
読谷村立歴史民族博物館も見学できた。小さいけど、立派な施設。
昨日出かけた残波岬燈台の光が光ってる。ちょうどホテルの部屋の高さだ。
朝起きて、今日は何をしようかなんて考えたけど、すごい雨と風だ。AMは何も出来なさそう。
Cape Zanpa... Zampaのような気がする。
今日と明日泊まるホテルへの移動(バス)待ち。これから昼ご飯だ。
昨日ぼんやり考えたこと。beerの発音は“びーる”にあらず。今回の沖縄旅行で改めて気づいたのだが、県内どこでも見かける、沖縄県を代表するあのビールは、英語できちんと発音したら“おぅらいぁん・びぁ”だということ。どうでもいいことだけど、こんなことに気づくのだから、リラックスできているんだろう。
沖縄は夜明けが遅い。5時30分ころ起きたけど、まだ暗かった。鳥が鳴いていた。
今回の旅行、基本的には素泊まりだ。昨日は夕食をホテル近所のMaxValuで買った。お金を払おうとして、レジの列に並んだけど、列がなかなか流れない。不思議に思って前を見たら、レジ係の人がバーコードをリーダーに読ませた後で、袋詰めもしてくれていた。時間がかかるはずだ...
カルチャーが違うんだね。
上野に6時半。浜松町に6時45分。50分発モノレールで羽田空港に7時10分に到着。かなり早く家を出たから、フライトには余裕でまにあうと思っていたけど、そうでもなかった。
検査でシューズがひっかかった。つまさきの保護をしているのが、鉛らしい。そろそろ搭乗だ。お天気ど~かな~。
学年末・年度始めの忙しい時期だけど、4月からもっともっと忙しくなることと、転勤1年目でバカみたいにがんばった自分へのご褒美として、3泊4日で沖縄(島をかなり省略しています。赤丸は那覇市)にでかけることにしました。
今回の旅行、3月末のスケジュールが見えなかったので、10日すぎから旅行屋さん店頭で月末にいけそうなものはないかとパンフを見始めました。
3月のこの時期、生徒は春休みでも、僕たちは違います。でも、土曜日の出張などの勤務の振替と土日を組み合わせてやっと休みが作れました。ただ、こんな状況なので、沖縄行きのフライトがとんでもない時間になってしまいました。
『お客様。1日目の飛行機ですが、15時台の便はありますけど。
『それじゃ、1日目なんもできないじゃん。他は?
そんなことを聞いたのが運のつき(苦笑)でした。何と、確保できたのが7:55ANA便。都内(23区内)の学校が、修学旅行などで利用するならばともかく、大宮から出かけるとなると、これはかなり大変です。ただ、おかげで今日は、11時前に那覇空港に到着できて、食事も、買い物も、行きたかった博物館にも行けそうです。ホテルのチェックイン時間よりも、かなり前についちゃうから、まあ、それはそれでよしとしました。国際通りをのんびりぶらつくこともできそうです。
『ちゅらっき』いるかなあ。
明日以降は、読谷村で2泊。読谷村は初めて停まることになります。いくつか行きたい場所もあるし、うまくすると海にも入れるかな。なんにしても、ぼんやり過ごせるのはうれしい。そう考えると、結構贅沢な旅行になりそうです。
最終日も、午前中に那覇市に戻って買い物もできそうだし。
天気がちょっと不安だけど、それも含めて沖縄だと思うことにします。では、行ってきます。@5:30
国際通りWatch!のマスコットキャラクターの名前、最終的に1116件も応募があったようだ。僕もそのうち1件を提案したのだが、残念ながら、落選した。まあ、それはどうでもいい。
このほど、その名前が「ちゅらっき」に決まった。
詳しい命名理由&「ちゅらっき」は、こちらをご覧下さい。
http://www.okinawabbtv.com/kokusai/chara.html
過去数回取り上げた沖縄都市モノレール(ゆいレール)の首里駅からの延長について、21日延長の検討委員会が「浦添ルート案が妥当」という案をとりまとめたことを、22日の沖縄タイムス・同日付琉球新報(社説)が取り上げていた。
首里駅から沖縄自動車道(西原IC)までの延長ルートは、今後、沖縄県・沿線自治体の機関決定を経て、県・那覇市・浦添市で建設費用の負担割合などを定めた基本協定書締結に向けた協議を始めることになる。
…逆かな.,.,.,?
いずれにしても、浦添市前田の沖縄国際センター~浦添大公園近くをとおり、西原ICを結ぶことになる。ひとまずめでたしめでたし、である。
記事を読むと、昨年から実施されていたパブリック・インボルブメント(意見聴取)の結果も出ていた。全体の57%、那覇市在住者の56%が、浦添ルート案を支持したようだ。
…僕もこれでいいと思う。僕もこのルート案の支持者だ。(えらそ…)
今後は、早ければ2017年にも延長ルート完成を目指すとも記事に書いてあった。
2017年... ずいぶん先だなあ。
2008.01.05、「ゆいレール延長について」
3月21日に産経新聞他が報道していたことだが、慶応義塾大学が平成21年度入学生から、入学金を40%引き下げることにしたらしい。記事によれば、「国際的に優秀な学生を集めるため、諸外国にない入学金を近く廃止する一歩としたい」と書かれていた。いずれは全廃をめざすとのこと。
…すっごい話しだ。
入学金
34万円→20万円
体育実習費
8000円→廃止
授業料
73万円→78万円(文系学部)
施設設備費
8万円→18万円
在籍基本料
6万円(新設)
入学金を減額しても、初年度納入金も4年間の納入金も大学としては増収になる。大学はこの変更で減益にはならない。納入金の項目を簡素化し、「グローバルな学費体系にした」そうだ。ただ、これだけだと学生の納入金が増えるだけなので、新たな項目として以下のものを設けることで、バランスをとっている。
家賃補助
12万円/年
1学年当たり約400人、総計約1600人
留学生対象奨学基金
10億円
早慶上智ICUなどの、トップクラス私大による、「学生を囲い込み」とでもいう動きは、これからもどんどん顕著になるだろう。上から順番に学生を集めていけば、どこかで学生が集められない学校が出てくる。関東地方で閉校する4年制大学がここ1、2年で必ずでる。
…いや、スゴイ話しだ。
過去2回取り上げた小樽短期大学(北海道小樽市)が、最後の卒業式を行い41年の歴史に幕を下ろした。3月17日のYomiuriOnline他で取り上げられていた。
読売の記事によれば、91歳の女性を含め32名が卒業を認められた。おめでとうございますと言いたいと思う。確か民事再生法を申請した時、同短大1年には33名が在籍していたはずなので、ほぼ全員が卒業したことになる。
とにかく同短大は無事に卒業式を行えた。定員割れ時代の大学の終わりかたとして、学校関係者、卒業生の皆さんは残念・無念の思いがあると思うが、最後として、無事に終わってよかった。
2006.12.11、「やはりダメだったか。。。」
2006.08.05、「3校目、でもラストではない。」
去年2回取り上げた、武蔵工業大学と東横学園女子短期大学(両方とも世田谷区)の合併と新大学の名称が決まった。これは15日に新聞各紙が取り上げたことだが、孫引きはいやなので、武蔵工業大学のウェブサイトを見てみた。
それによれば、新大学の名称が「東京都市大学」となる。また、附属学校(附属という名称のつかない学校も含めて、グループ各校)の名称も「東京都市大学〇〇〇〇」に変更される。前にブログにも書いたのだが、武蔵を名称に含む大学が複数あり、新名称で「武蔵大学」を名乗れないことはわかっていた。
「武蔵・武蔵野」を名乗る大学は、今のところ以下の6大学である。
武蔵大学(1922/1949)
武蔵工業大学(1929/1949)
武蔵野大学(1929/1965)
武蔵野学院大学(1912/2004)
武蔵野音楽大学(1929/1949)
武蔵野美術大学(1929/1962)
(学校の開校した年/四年制大学開学年)
これを見ると、それぞれ古い学校であることがわかる。
武蔵大学と武蔵工業大学は大学の開学が昭和24年だから、新制大学初年度。
武蔵野学院大学の前身、武蔵野短期大学の開学は1981年、武蔵野大学は数年前まで武蔵野女子大学を名乗っていたが、同大学の元になった短大は、1950年開学である。音大・美大も歴史の長い学校である。
武蔵工業大学としては、どうがんばっても、工業を取って、武蔵大学を名乗りたくても名乗れないわけだ。確か武蔵都市大学という名前案もあったようだが、あえて武蔵と工業を捨てることになったようだ。
…勇気あるなあ。でも、やむを得ないか。
僕はひょっとしたら、映画などの定番東都大学になるかと思っていたのだが、これはなかったようだ。しかし、この名前だと大変だ。都立の3大学、1短大を合併してできた首都大学東京と、この東京都市大学、名前のイメージがかぶってしまう。もちろん僕たちのような進路指導をしている教員から見れば、違うことはわかる。でも、一般への知名度を上げるのは、かなり時間がかかるだろう。これまでの実績をどのように伝えるのか。。。大きなお世話だけど。
それからもう一つ。この大学は英語名称をTOKYO CITY UNIVERSITYにするようだが、これはマズイかもしれない。首都大学東京の英語名称、TOKYO METROPOLITAN UNIVERSITYとは違うけど、CITY UNIVERSITYでは市立大学みたいだ。
…ど~するんだろう。
この件に関するエントリ。
2007.05.27、「武蔵工大&東横女子短大 その後」
2007.03.20、「武蔵工大&東横女子短大」