三連休はずっと「閉門蟄居の身」で過ごした、「不倫」について思い浮かんだ
実は朝書こうと思いついたのだが、さすがに朝からそのの話題はないだろうと思い、取り上げるのを避けた。それ故、変わる話題を思いつかず時間もないことから、「書くことがない」と書かざるを得なかった。このブログは「我が暮らしの日記」代わりであり、この三連休は「閉門蟄居」状態で過ごした身であり、書くことがない状態であるのも事実だ。
そうした中で、何を書こうと思いついたかと言えば、それは「不倫」の話題だ。今朝、朝日新聞「土曜版」の「逆風満帆」に三回連載された、肩書きが「映画評論家」となっている寺脇研について書こうと思って、その記事を取り出していたら、9月1日付の「土曜版」の「サザエさんをさがして」に目が留まった。その記事とサザエさんの漫画に取り上げられているのはデビィ夫人で、津川雅彦との世紀の恋(不倫)について書かれていた。
そして、そのデビ夫人の恋いに関わって、過日読んだ「不倫」についての記事が思い浮かんだのだが、さすがにそれは朝から取り上げるのはマズイと思って、先に書いたように回避して今書き始めた次第だ。
思い浮かんだのは、ずいぶんと以前に読んだので不正確さのきらいはあるが、「どうなった時に不倫をしたと思うか」といった趣旨の質問の回答だ。驚いて、ずいぶんと私の中にインプットされ続けている。
その質問とは、①ときめきを感じたら、②一緒に食事をしたら、③キッスをしたら、④セックスをしたら、の四択だったように思うが…(少しだけあいまい。「手を握ったら」があったかも)。私の場合には回答は当然「④」だ。
ところが、私が驚いたのは、「①」や「②」と答えた女性がいらっしゃったことだ。「ときめきを感じたら」不倫とは。それでは感性は干からびてしまう。今年101歳になられる日野原重明先生も「ときめく人はたくさんいる」とおっしゃられている、
また「一緒に食事をしたら」も、驚きだ。美味しいものを食べる時は、一人より二人が楽しいのは当然であり、私の場合には「一緒に食事」は滅多にはないが、それでも時にはある。私は「食事」まではOKとしている。
こんなしょうもないことを考えたりするのも、この三日間の「閉門蟄居」の身であり、要するにヒマだからだ。こんな日常があってもいい。ただ、書きたかった寺脇研については、またの機会に。
今朝は何を書こうかと思い悩み、「書くことがない」ことに思いあたった
昨日の夜に我が家の酔芙蓉の朝と夕方の写真をアップした。何とも下手な写真で、アップすることを躊躇したが、最後は証拠写真だからと割り切ってアップした。要は朝は白いが、夕方には「酒に酔ったように」ピンクに染まる酔芙蓉のことを書きたかっただけなのだが
その酔芙蓉は「一日花」、とても儚い。その儚さを恋になぞらえて書かれたのが高橋治の名作『風の盆恋歌』(新潮社刊)だ。そう言えば「恋愛意識調査! あなたの恋年齢はいくつ!?」というのがあり判断してもらったら、その結果は、『臨機応変に心を変化させられる……恋年齢も自由自在!』とでた。「恋」とはどういう状態を言うのだろうかと、少しだけ考えてみたりもした。そんな時に、山本周五郎の以下の文章が頭浮かんだ。
『この世で経験することは、なに一つ空しいものはない、
歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる』
(山本周五郎『花匂う』より)