tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

憲法記念日に寄せて

2018年05月03日 11時13分46秒 | 政治
憲法記念日に寄せて
 今日は5月3日「憲法記念日」です。
 矢張り憲法についての思いを書いておかなければならないと思い、書くことにしました。
 
 昨年から安倍さんの主導で改憲の動きが強くなるかと見て来ましたが、逆にこの所、改憲は国民の総意にはならないという雰囲気が強くなってきたようです。
 理由は、安倍さん自身への不信感が主でしょう。李下に冠を正して恥じず、その言い訳に国会で1年以上の時間をかけるような総理は日本として恥ずかしい限りです。

 日本はそんな国ではなかったと言いたいところですが、選挙で選ばれたと開き直られると、それまでというのが民主主義なのかもしれませんが、今の世論は選挙の時とは違うようです。

 しかし考えてみれば、「改憲」と言っても、どこを改めるか、どう改めるかは同床異夢で、こんな状態で改憲の賛否と言っても、議論は深まりそうにもありません。
 本当に大事な事は、9条の戦争放棄を国民の総意として掲げるかどうかを、変化する国際情勢の中で、国民がどう判断するか、はっきり言えば、国民がどう覚悟を固めるかという事でしょう。

 大国をはじめとして、力をもって国際関係を解決しようといういわば野蛮な時代が地球上にまだ残っている今日という時代の中で、力は力でも「武力」ではない「ソフトパワー」でそれをやろうと覚悟を固めたのが現行の日本国憲法でしょう。
 
 いわば100年の単位で世界史を先取りした日本国憲法です。多分江戸から明治への改元を機に、日本で内戦がなくなったように、1945年を機に、何時か地球市民同士が戦争をすることがなくなることを願って(信じて)、作られたのでしょう。

 そしてそれは1万年以上の縄文時代を通して戦争の無かった縄文時代の日本文化の源流に、似合ったものだったが故に、すんなりと受け入れられたのではないでしょうか。
 「憲法記念日」が制定されたのは、国民がこの憲法は素晴らしいと思っていたからこその結果でしょう。

 今、改憲論が言われるというのは、一部に、日本国憲法の戦争放棄は早すぎた。未だ地球市民は野蛮で、武力に頼っている。だから日本も現実に合うように後戻りすべきだ、という意見が出てきたという事にほかなりません。

 今回の北朝鮮問題でも地球市民の知恵が試されていますが、こういう時ほど「ソフトパワーでの解決を徹底的に主張せよ」と言っているのが日本国憲法でしょう。
 なのに、日本国内で改憲論議が高まっているということになると、たとえ日本がそう主張しても迫力はなくなり、日本はアメリカの驥尾に付しているだけということで世界からは無視されることになるようです。

 現実もその通りで、日本は蚊帳の外といわれたり、安倍さんの度重なる外遊も、アメリカの主張の念押しと、経済援助の話だけになっているようです。

 日本の自主性確立のために、強い軍備を誇示するのか、道義と平和の理念を掲げて、ソフトパワーによる解決の主張に全力を尽くす国としての主張を貫くのか、改憲論議は、今まさにここに繋がっているのではないでしょうか。