平成という時代を改めて振り返ってみましょう:4
<努力の限界を超えたリーマン後の円高>
平成を振り返るこのシリーズでは(繰り返しますが)平成の30年を
・バブルとその崩壊か2002年「いざなぎ越え」に至る期間
・「いざなぎ越え」の期間
・リーマン・ショックから異次元金融緩和(2013)に至る期間
・異次元緩和以降
の4つに時期に分けて振り返っています。今回はその3つ目、リーマンショック後の超円高、いわば日本経済が「死に体」になった時期について考えてみたいと思います。
2008年秋、サブプライムローンの破綻で、アメリカの住宅バブルが崩壊、マネー資本主義、金融工学が破綻をきたしたリーマン・ショックの時期、アメリカFRBの議長はバーナンキさんでした。
バーナンキさんは、1929年の世界金融恐慌の研究から、金融危機は徹底した金融緩和で救えるはずだという理論の持ち主です。そしてアメリカは超金融緩和政策をとります。
大混乱のマネーマーケットは、ドル売りに走り、$1=¥120がらみだった円レートは$1=¥80円という異常な円高状態になりました。
日銀は、日本の金融機関はまだ健全な方、という意識だったのでしょうか、対抗して 金融緩和という動きはありませんでした。
しかし、比較的健全と見られていた日本経済も80円という円レートで正常な活動は不可能でした。「円レートの推移」はこのシリーズ3のものを再掲しますが、80円を切り上げ75円までの円高を記録しています。
経済学者の中でも、このままでは50円まで円高になって、日本経済は崩壊するとった見方まで出ました。
現実に実質経済成長率は2008年からマイナスに転じ2009年はマイナス5%を超えます。2010年は反動もあり4%ほどのプラスでしたが、2012年までを見れば、日本経済は「縮小」を続けることになります。

通常の国であれば、こういう時、国内総支出はあまり減らず(稼ぎは減っても使う方は減らず)経常赤字になって、為替レートは円安になるというのが経済理論ですが、日本人の真面目さは、 収入が減れば支出も切り詰めるというパターンですから、経常収支は一貫して黒字です(下図)。

日本経済は、 円高と経済縮小のスパイラル を経験することになったのです
2008年から2012年ということの期間は、日本経済は真面目にやればやるだけ自分の首を絞めるという無間地獄のような経済低落の時期だったといえるでしょう。
対応策としては、バーナンキさんも後年指摘しているように、日本も早期に異次元金融緩和をすべきだったという政策、GDPが縮小しても、金遣いは減らさず、日本は「大幅赤字国」となり、円安を招く方策もあったというのが後知恵です。
しかし現実は、足掛け5年間、日本は企業も家計も、「節約すればするほど円高になる」という状況の中、打つ手も解らず苦しみ悩んだわけで、この恐ろしい経験は、その後の日本の企業、家計に「将来不安・専守防衛」のトラウマを残すことになりました。
振り返ってみれば、バブル崩壊からの失われた10年では、日本企業や家計は合理化・コストカット・節約に注力して「自力で」脱出の糸口をつかんだのですが、 リーマン・ショック後は合理化すればするほど円高になるという経験から「自力再建意欲の喪失」ともいうべき状態から抜け切れない状態といえそうです。
今、多くの企業も家計も、残念ながら、アベノミクスも日銀も、適切な対策を見いだせず、為替レートが正常化してからも、半ば茫然自失という状態にあるように思われます。
<努力の限界を超えたリーマン後の円高>
平成を振り返るこのシリーズでは(繰り返しますが)平成の30年を
・バブルとその崩壊か2002年「いざなぎ越え」に至る期間
・「いざなぎ越え」の期間
・リーマン・ショックから異次元金融緩和(2013)に至る期間
・異次元緩和以降
の4つに時期に分けて振り返っています。今回はその3つ目、リーマンショック後の超円高、いわば日本経済が「死に体」になった時期について考えてみたいと思います。
2008年秋、サブプライムローンの破綻で、アメリカの住宅バブルが崩壊、マネー資本主義、金融工学が破綻をきたしたリーマン・ショックの時期、アメリカFRBの議長はバーナンキさんでした。
バーナンキさんは、1929年の世界金融恐慌の研究から、金融危機は徹底した金融緩和で救えるはずだという理論の持ち主です。そしてアメリカは超金融緩和政策をとります。
大混乱のマネーマーケットは、ドル売りに走り、$1=¥120がらみだった円レートは$1=¥80円という異常な円高状態になりました。
日銀は、日本の金融機関はまだ健全な方、という意識だったのでしょうか、対抗して 金融緩和という動きはありませんでした。
しかし、比較的健全と見られていた日本経済も80円という円レートで正常な活動は不可能でした。「円レートの推移」はこのシリーズ3のものを再掲しますが、80円を切り上げ75円までの円高を記録しています。
経済学者の中でも、このままでは50円まで円高になって、日本経済は崩壊するとった見方まで出ました。
現実に実質経済成長率は2008年からマイナスに転じ2009年はマイナス5%を超えます。2010年は反動もあり4%ほどのプラスでしたが、2012年までを見れば、日本経済は「縮小」を続けることになります。

通常の国であれば、こういう時、国内総支出はあまり減らず(稼ぎは減っても使う方は減らず)経常赤字になって、為替レートは円安になるというのが経済理論ですが、日本人の真面目さは、 収入が減れば支出も切り詰めるというパターンですから、経常収支は一貫して黒字です(下図)。

日本経済は、 円高と経済縮小のスパイラル を経験することになったのです
2008年から2012年ということの期間は、日本経済は真面目にやればやるだけ自分の首を絞めるという無間地獄のような経済低落の時期だったといえるでしょう。
対応策としては、バーナンキさんも後年指摘しているように、日本も早期に異次元金融緩和をすべきだったという政策、GDPが縮小しても、金遣いは減らさず、日本は「大幅赤字国」となり、円安を招く方策もあったというのが後知恵です。
しかし現実は、足掛け5年間、日本は企業も家計も、「節約すればするほど円高になる」という状況の中、打つ手も解らず苦しみ悩んだわけで、この恐ろしい経験は、その後の日本の企業、家計に「将来不安・専守防衛」のトラウマを残すことになりました。
振り返ってみれば、バブル崩壊からの失われた10年では、日本企業や家計は合理化・コストカット・節約に注力して「自力で」脱出の糸口をつかんだのですが、 リーマン・ショック後は合理化すればするほど円高になるという経験から「自力再建意欲の喪失」ともいうべき状態から抜け切れない状態といえそうです。
今、多くの企業も家計も、残念ながら、アベノミクスも日銀も、適切な対策を見いだせず、為替レートが正常化してからも、半ば茫然自失という状態にあるように思われます。